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投稿者:tabi
服部家屋敷跡 資料展示場 島の成り立ちや歴史、風俗などの文化財や資料を見やすく展示。 浜口 興右衛門(はまぐち おきえもん)日本の武士・幕臣。明治期の海軍技官(中将)。諱は英幹(ひでもと)。31歳の時、咸臨丸でサンフランシスコへ。 流人太田道寿と浜口興衛門 江戸城構築で知られる太田道潅の弟が太田道寿です。 その道寿が、なぜ八丈島に流されたのか。犬公方(くぼう)といわれた五代将軍綱吉の御典医である、道寿は、病床の 綱吉の気晴らしに、と芸者を箱に入れて差し向けました。これが発覚しまして、 寛永元年(1624年)、八丈島に流されたといわれます。 勝海舟と八丈島 勝海舟の父小吉が八丈島に懲らしめの為送られ、その時に子供だった海舟も八丈島に住んだとの話も伝わっているようです。 勝 小吉(かつ こきち)は、江戸時代後期の旗本。旗本・男谷平蔵の三男。妻は勝甚三郎の娘で、勝家の養子となる。勝海舟の父。 説明と他の写真22枚は↓をご参照下さい。 https://ameblo.jp/tabicom/entry-12835936146.html
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