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投稿者:仲井
本年1月1日の発災より一ヶ月半が経ちました。被災地の方にも少しずつですが復旧の知らせが届き始め、哀しみ多い中でも喜びのタネがちょっとずつ増えて来ました。もちろん、まだまだ瓦礫のヤマは相変わらず残っていますし、水道や電気が届いていない所もありますし、避難所暮らしをされている方々もいます。情けないのは火事場泥棒のような輩がいるということです。ブルーシートを高額で売りつける奴、空き巣をやる輩。能登のような過疎地には不似合いな監視カメラが設置されたそうです。世の中にはまだまだ下衆のような奴がいるということを思いしらされます。 避難所暮らし、取り分け体育館など本来、人が生活する場所でない所に長時間滞在すると色々問題が出てくるようです。取り分け断水や停電が続いている中では、かなりハードなものになるようです。トイレ、ベッド、お風呂、洗濯、そして食事。これらが最初の問題になるようですし、更に長くなると病気や将来への不安、亡くなられた方への思慕などの心の病が心配になるようです。 また住環境の悪さからくるエコノミークラス症候群、そして血栓の問題。ゴミやホコリ、ダニからくる肺炎の問題。これらは取り分けお年寄りに悪影響を出すようです。 加えて能登の方はまだ余震が続いています。二次避難先から戻るか戻らないかの選択を迫られている方もいますし、故郷を捨てて新しい土地に移り住む人もいます。子供達や弱い立場の障害者の方たちにはこれまた受難の日々となるでしょう。新しい環境で経済的に自立出来ればいいのですが、なかなか難しいと思います。 私の親戚で能登町小木で遠洋イカ釣りの会社を経営されている方がいます。自宅は黄色判定ですから自費の建て替えになるでしょうが、奥さまは怖くて金沢のアパートを借りられました。旦那様は会社もあるので自宅で生活しながら半日会社に行っていますが、港は使えない。船が壊れて廃業する漁師もいます。毎年漁船団を組んで日本海に長期に漁に出ていましたが、今年は出漁できるかどうか。加えて近年の人不足でインドネシア人研修生も多くいます。彼らもまた人生が変わりましたね。 私の会社にもベトナム人就労者がいましたが、家族から帰国を促され会社を辞めました。 こんな極めてタフな環境にある被災地の人達の支援に、数多くの地方の方々が応援に駆けつけられています。有難いことです。その中で九州から能登を目指されていた支援のチームが中国自動車道で人身事故を起こされたようで、涙が出てきます。本当に気の毒に思います。 まだまだ春は遠いですが、明けない夜はないことを信じたいです。
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