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投稿者:BA10-2407291
53様 なんと! B905Nは流用されて生き残った車があったんですね。 私が各年度版(一部欠落年あり)車両表を基に作成した車歴表(1949年6月11日の戦後バス事業再開時からのほぼ全ての車を網羅)では、6台全車が裏八幡配属で貸切登録のまま廃車になったと推測していましたが、流用で藤沢に転属した車があったとは。 実は上記車両表は、74~79年版が欠落(77年藤沢配属車のみ所蔵)しているので、その間に短期間B905Nが122となった時期があったという証拠です。 私が一部推測にて作成した車歴表では、66年式4RA94が2台在籍したうちの1台が76年に流用されて122と改番され、79-6-27に廃車。 入れ替わりで68年式6RA110の182号が79-6-27に122と改番された事になっていますが、恐らくは77~78年頃に4RA94の122が廃車となり、B905Nの122が79年まで生き延びたという事でしょう。 67年式5RA110(初のデラバス仕様車)2台は76-7-19に流用されて124・123と改番され、124は79-6-27廃車、123は80-9-2廃車となっているので、これらと同時期の122がB905Nだった事になります。 話がえらく複雑ですみません。 流用車は最古参の貸切車を格下げしていたので、1~2年おきに先代の同番号が廃車となり次に古かった車両がその社番を継承するという事の繰り返しだったので、一般路線車よりも動向を追うのが困難なのです。 掲載頂いた290号は70年式6RA111ですね。 これも81-7-16に流用で122に改番され、78-9-13に廃車となっています。 写真1は、私が作成した車歴表の一部で、特に転属頻度が激しかった車の部分を抜粋したものです。 63年式MR470は8台在籍中(1台は前の頁に掲載)3台が70年にワンマン化改造されましたが、車台番号230107・230111の2台は、約12年の生涯で5回も改番され、藤沢、鎌倉、大船、横浜の各営業所を転々としています。 写真2は、うちで保管している62年式車(号車不明)に設置されていた方向幕で、きちんと「渋谷駅」のコマがあります。 写真3は、初のデラバス仕様車67年式5RA110で、後に流用され123となった車です。 もう1台の183→124号は、T自動車学校至近の解体業者に、後年まで廃車体が残っていました。 そうでしたか、お母様は鎌倉所属で、杉Yさんを御存知だったとは。 杉Yさんからは昔話を色々と伺いましたが、中でも可笑しかったのは、 杉「鎌倉に民生のトップドア車で1台だけ流線形の変わったボディーの車が居てさ、俺が担当してたんだ」 私「ああ、229ですよね。フロントガラスの上に庇があって、正面方向幕は窓の下にある車。」 杉「なんでお前、そんな古い車を知ってるんだ!!! 年齢10歳くらい鯖読んでないか?」 杉Yさん、御健在だったとしても恐らく90歳前後かと思いますが、佳い話を聴かせて頂きました。 またまた長文ですみません。 杉Yさんの話と写真2・3は、お母様も喜んで下さるのではないでしょうか?
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