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投稿者:管理人
昨晩お知らせした伊予氷見・八堂山遺跡に関係する方位ラインについて、さらに周辺のライン遺跡を加えて、作成しなおしてみたのが図1となります。 今回加えたのは、天岩戸神社⇔大剣神社⇔布留遺跡への東25度偏角のラインと、持田古墳群(魏年号銘鏡出土)⇔月讀宮(伊勢)⇔富士山(白山岳)⇔山中湖(長池)への東30度偏角のライン、中山茶臼山古墳(纒向型前方後円墳)⇔富士山への東10度偏角のラインがあります。 ここで見えてくる大剣神社がかなり古く、弥生末から邪馬台国時代でも重要拠点だったことを示している点に留意しておくべきでしょう。 ここに見えてくる天岩戸神社についてが、以前もこちらで分析した山田(西都市)の古墳状地形⇔川部・高森遺跡への南北ライン、山田(西都市)古墳状地形⇔女山神籠石⇔吉野ヶ里遺跡(北墳丘墓)⇔平原遺跡への西60度偏角のライン、平原遺跡⇔川部・高森遺跡への東西ラインで構成される直角三角形もあります。 あと籠神社⇔布留遺跡への西60度偏角のラインのライン上に、佐紀盾列古墳群のうち、日葉酢姫陵と神功皇后陵が載ることにも留意しておくべきでしょう。 そして図2は特に、先日から注目してきた伊予氷見・八堂山遺跡周辺の拡大図となりますが、こうみると、弥生末期の八堂山遺跡を通過する平塚川添遺跡⇔川部・高森遺跡⇔萩原墳墓群(纒向型前方後円墳)へのラインを除いて、それ以外の3つのライン(女山神籠石⇔布留遺跡⇔富士山⇔山中湖(長池)ライン、持田古墳群⇔中山茶臼山古墳ライン、山田(北九州市)⇔大剣神社ライン)は、その西南の伊予氷見南部の山岳地帯で交差していることがわかります。 その交差点を拡大したのが図3となりますが、綱付山西南から、中世の幻城の東方面がその3交差領域となります。 その幻城については、こちら(https://cmeg.jp/w/castles/8357)をご参照いただきたいのですが、南北2㎞の山城とあり、このあたりに女山神籠石のような山城がかつてあった可能性も考慮すべきかもしれません。 また、詳細はこちらのサイト(https://kotobank.jp/word/%E5%B9%BB%E5%9F%8E%E8%B7%A1-3093848)にあるように、大日川沿いにあり、下砦は大日の字名にあるとの点も重要で、おつぼ山神籠石にも大日の字名が残っているように、伊川の古墳状地形でも大日寺の字名が残り、日神信仰の拠点だった可能性を示すものでしょう。 こちらのサイト(https://ameblo.jp/girou88/entry-12684018916.html)に引用された下記の古文書記載にも大日の字名がみえます。 「幻城、上城・下城あり 上城は新屋敷村の辰巳村山字上城山にあり 暦応三年五月細川刑部大輔頼春当国へ乱入の時 岡若丸此城を守て戦死す 其後天文中黒河肥前守元春要害に構へ番待とす 下城は同村辰巳村山字大日にあり 暦応三年細川頼春乱入の時 岡弾正此の城にて討死す 其後黒河の時も上城と同じく要害城なり」 伊予氷見南部のこの幻城周辺が、弥生末期から古墳初期にかけて、九州から畿内へと勢力が東遷していく過程で重要な拠点だった可能性がありそうですが、この周辺地域についてもう少し調べてみたいところです。
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