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投稿者:南條MH
先日、東京に戻る前の日2月26日に、いつものコース金谷越えして城池を回る道を歩いてきました。 城池の周りにある「河津桜」はもう盛りを過ぎていたけど、華やかでした。(写真) 江川邸裏門の辺りに工事で囲ってある所があり、そこの表示を読んで初めて「韮山用水」の事を知りました。 城池はもともとは早雲の韮山城の外堀とか、その後は江川邸の庭池とか言われていましたが、昭和初期に韮山の穀倉地帯を維持するための溜池としての機能を持つよう工事がなされたそう。 水源は狩野川で、南條と宗光寺の間にあるポンプで水揚げをして、水路や立花台下のトンネルを通り、途中古川も利用して、田中など平野部に水を供給し、さらに韮中横のポンプで城池にあげているんだって。 当時の韮山村の内田村長さんもエライ人だったらしい。そのお蔭で、山木・多田・奈古谷の方も水不足やそれに伴う争いも無くなったんだとか。 「韮山用水」って言葉も私は知らなかった。
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