杜子春 萬凛 投稿日: 2023年01月15日 23:00:57
No.210 【返信】
リワキーノさん
こんばんは。
新しい大河ドラマ『どうする家康』面白いですね。
野村萬斎さんの今川義元、大守様、かっこよく粋でした。
今川義元のイメージが変わりました。
お公家様武将から、平和を願う武将へ。
義元の訃報を聞いて泣きそうになりました。
>萬凛さんの12/30の投稿が反映されていないのは「談話室・会話録保存版」の方ですね。
>確かに今日見たら、更新を怠っていましたので更新しました。
>「談話室」の方は12/30の投稿はちゃんと表示されていますよ。
すみません。
いつも、両方チェックするので間違えたみたいです。
こういう所が、お馬鹿ちゃんなんですよ。
年末の挨拶もあったので、表示されていてよかったです。
>しかし下書きを取っていたとは賢明です。
長い文章を書いていて、ちょっとした操作で全>部消えてしまうことがありますからね。
>パソコンの画面が固まってしまって再起動しなければならないときもありますから、長
>い文章のメモ帳は常に保存しながら下書きをする習慣を付けるとよいと思います。
たまたま残っていました。
デジタルは苦手で、ふとした拍子に全部消してしまったりするので、いつも別画面で上書きしながら入力しています。
>紅白歌合戦は息子宅で過ごしていて孫たちが別の番組を見るので私は見ていません。
>「habit 」、バウンデイさん、藤井風さん等は私は前々知らない人たちです。
我家でも、弟はお笑いや格闘技を見ています。
紅白歌合戦は一時期視聴率が低くなったようですが、今は紅白独自の工夫があって毎年楽しいです。
私は、情報通ではないので、1年の流行りや話題に出会えることも楽しいです。
そして、12月になると、紅白を楽しむための番組がありますよね。
NHKをつけていると、自然に気持ちが盛り上がってきます。
藤井風さんは、特集番組が組まれていました。
バウンデイさんは、年末にライヴが放送されていて、年賀状を作りながら聞いてました。
>バウンディさんはYou Tubeで下記のを聞いたのですが、ラップ調の歌手ですね。
>なかなかいい感じです。
>ヒップホップが好きな私の娘なら知っているかも知れません。
私もバウンデイさんは知りませんでした。
とても人気があるようで、司会の橋本環奈さんや、芦田愛菜さんも大ファンらしいです。
だから、きっと娘さんなら知っているような気がします。
>>4日、たまたまラジオで聞いた、女優の木村多江さんの朗読『杜子春』が、とても印象に
>>残りました。
>>もう一度聞きたかったけど、聞き逃し配信がなく残念でした。
>>心の揺れがテーマのひとつの様で、後であれこれ考えさせられました。
>そうか。
>聴きながら萬凛さんも心の揺れを感じられたのでしょうね。
>その揺れを分析してみて文章にしてみられては如何ですか?
そうです。
あーでもない、こーでもない、と考えていました。
ちょっと感想を書いてみます。
まず、だいたいの記憶を辿ったあらすじですが、
お金持ちの杜子春は、豪遊して破産します。
困っていたら仙人に出会い、2度お金持ちに戻してもらいます。
だけど、大金持ちになると人が集まり、破産すると人が離れていくという経験をして、人間に絶望します。
(ここで、そうだよねぇ、と共感をしました。
今の会社に来てから、たくさん理不尽なことを体験して、一時期、人間に絶望したからです。
誰も信じられない、と思いました。
かろうじて、ほんの数人を除いて。
そして、同じ過ちをおかした杜子春は、きっと3度目は罰せられるのだろうと思いましたが…)
3度目は、仙人に「すっかり人間に絶望したから、自分も仙人になりたい」と願います。
すると、岩の上に連れていかれ、自分が戻ってくるまでに様々な試練があるが、決して声を出してはいけない、と言って去っていきます。
すると、嵐が来たり、武将に殺されたり、地獄の責苦にあったりします。
それでも、杜子春は声を出しません。
次に、自分の代わりに両親が責苦に合わされます。
苦しみながらも声を出さなかった杜子春ですが、母親の「我が子の幸せのためなら頑張れる」という様な言葉を聞いて、杜子春は「お母さん!」と声を出してしまいます。
そして気づいたら、もとの世界に戻っていました。
仙人が現れ、もし両親が苦しめられている時に声を出していなければ、お前を殺していた、と言いました。
そして、仙人は杜子春に小さな家と畑を与えて、その後、二度と会うことはありませんでした。
最初は、親子関係のことを考えました。
もし、母親の言葉がなかったら、杜子春はどうしていただろう。
愛のある言葉があったから、心が動いたのではないか。
言葉がなければ、仙人に殺されていたのではないか。
だって、愛は与えるから返ってくるものだから…。
私はどうするだろう。
言葉がなければ、私は殺されいるかもしれない。
悲しいけれど…。
次に、幸せって何だろう、と考えました。
大金持ちになり、たくさんの人に囲まれ、豪遊することは、本当の幸せではないらしい。
杜子春の、人に絶望する気持ちは、心底よく分かる。
小さな家と畑。
素朴な暮らし、自分と向き合う時間、自然と共に生きること。
新しい暮らしのなかで出会う人は、以前とは全く違っているだろう。
そういう暮らしの中に、幸せはあるのではないか。
そして、仙人のこと。
なんとなく、だんだん仙人が寂しげにも思えてきました。
心が全く揺れないことを、必ずしも良いことと思っていない様に、思えてきました。
以前の投稿で、リワキーノさんが、今でも自分も心が揺れることがある、と投稿していたことを思い出しました。
というか、なんとなく心に残っていました。
心は揺れるもの。
揺れてこそ、生きた心。
だから、心は揺れていい、とこの物語は言っている様に、思えてきました。
なんだか、少し心が軽くなりました。
芥川龍之介の物語って短いけど、多面的で面白いな、と思いました。
有名な短編は、いくつか読んでいるけれど、こんな多面性を感じたのは初めてでした。
たぶん、木村多江さんの朗読のお陰です。
最初の方は、いい加減に聞いていたので、もったいないことをしました。
また、芥川龍之介の小説を読んでみたくなりました。
つたない感想です。 |