日本ハーシェル協会のTea Room 改


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ここは日本ハーシェル協会の掲示板です。協会の連絡事項、ハーシェル関連の話題、天文関連の話題を中心とした自由な情報交換の場です。会員以外の方もお気軽にご利用ください。投稿にあたって決め事は特にありませんが、一般的なマナーはお守りください。(管理人が不適切と判断した書き込みについては、予告無しに削除させていただきますので、あしからずご了承ください。)
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    シャーロットさんの訃音に接して 管理人 投稿日: 2025年01月10日 08:09 No.75 【返信

    各地で大雪のニュースが報じられています。
    しんしんと降る雪を眺めながら、今年の初投稿は悲しい訃報からです。

       ★

    飯沢能布子会員から、英国在住のハーシェル子孫であるシャーロットさんが昨年亡くなられたとのお知らせが届きました。

    毎年クリスマスカードの交換をされていた飯沢会員のもとに、今年は御夫君であるクリストファー・ソーントン氏の名前でカードが届き、シャーロットさんが昨年5月17日、脳血栓により逝去されたこと、長年の友情に感謝する旨が記されていたとのことです。

    シャーロットさんは、1939年のお生まれで、ジョン・ハーシェルの長男、Sir William James Herschel の曽孫に当たり、天王星を発見した大ウィリアムを初代とすると、その6代目のご子孫ということになります。

    日本ハーシェル協会とのご縁も深く、協会のハーシェルツアーの際はもちろん、2004年5月には来日され、東京、京都、北海道で各地の会員と交歓されました。シャーロットさんとの交流を通じて、ウィリアム、ジョン、カロラインらの存在が、身近な生きた歴史として感じられたことは、当協会にとって大きな財産であったと思います。

    その多年にわたるご交誼に感謝するとともに、謹んでご冥福をお祈りいたします。

    (写真は2004年5月の来日時、札幌で行われた談話会での記念撮影。前列中央がシャーロットさん。その向かって左は故・木村精二代表、右は飯沢会員)





    本年新たに入会された若林久未来会員から、素晴らしい催しのご案内をいただきました。
    若林会員はダゲレオタイプ等、フィルム写真以前の古典写真技法によるアート作品の制作に取り組まれており、ジョン・ハーシェルの写真術(サイアノタイプ等)についても研究されていることから当協会との接点が生まれ、ご入会いただけることになりました。

    -----------------------------------------------------------------
    ■若林久未来主催 第五回
     Classical photograph🄬の魅力 in Venice

    ○会期: 2024.10.23~10.26 (12:00~18:00 入場無料)
    ○会場: ヴェネツィア・カ・フォスカリ大学 Cultural Flow Zone TESA1,2
    ○内容(別添フライヤーより抜粋)
     「この度CP®は、1868年設立の歴史あるヴェネツィア・カ・フォスカリ大学にて国際交流展を開催する運びとなりました。本展では、現代の作家による150年前の写真史における初期から現代にいたるまでの古典写真技法で制作された作品と、WSで制作したカ・フォスカリ大学・ゲッシン学生の作品が同時に展示されます。
     現代のデジタルに慣れてしまった私達が、改めて150年前に作られた古典的写真技法作品を見るとき、どんな発見が得られるでしょうか。古典写真技法の魅力・学生たちのみずみずしい感性・作家達の独自性のある作品をお楽しみください。」
    -----------------------------------------------------------------

    会期中、10月22日には、ジョン・ハーシェルゆかりのサイアノタイプ(日光写真/青写真)のワークショップも開かれます。

    協会が訳出した『星を追い、光を愛して―19世紀科学界の巨人、ジョン・ハーシェル伝』を紐解けば(p.39)、若き日のジョンがヴェネチアを訪問して、今年でちょうど200年。その節目の年に、彼の地でこうしたイベントが開催されることは、まことに縁のあることと思います。
    その趣旨に賛同し、上記展覧会の開催にあたり、当協会も協賛させていただきました。

    その他の詳細は、添付のフライヤー(イタリア語版もお送りいただきましたが、ここでは日本語版のみ)をご参照ください。
    ※10月19日付記:その後フライヤーの差し替えがありましたので、いったん画像削除の上、新しいフライヤーをこのツリーの下部に再掲します。)
    若林久未来 投稿日: 2024年10月10日 14:50 No.69
    管理人様

    本年度入会させていただきました若林久未来です。
    ジョン・ハーシェルの写真術(サイアノタイプ等)で作品制作・研究をしております。

    この度は、私どものイベントへの名義協賛・掲示板へご紹介いただきありがとうございます。
    天文学は全く無知ですが、皆様どうぞよろしくお願いいたします。
    上原 貞治 投稿日: 2024年10月16日 15:56 No.72
    若林様 ご入会のメッセージとヴェネツィアでの作品展のご紹介をいただきありがとうございます。

    日本ハーシェル協会の渉外(海外)担当をしております上原貞治と申します。よろしくお願いいたします。

     5年も前の旧聞に属することで恐縮ですが、東京で開催された「写真の起源 英国」展を英ハーシェル協会のロバートソンさんから紹介を受けて見に行きました。これについて、この掲示板の旧版アーカイブに簡単なレポートを載せていますので、リンクを引用させていただきます。旧掲示板内ではすべての機能が働かないので、リンクも下に引いておきます。

     東京の写真展では、ジョン・ハーシェルが手がけたカメラ・ルシーダよるスケッチ、スラウの40フィート大望遠鏡の枠組の写真、それから、サイアノタイプによる日光写真が印象に残っています。

    https://www.ne.jp/asahi/mononoke/ttnd/herschel/HSJ_BBS/bbs05
    https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-3110.html
    管理人 投稿日: 2024年10月19日 09:33 No.73
    第一報の後、フライヤーに修正がありましたので、修正後のものを再投稿します。

    管理人 投稿日: 2024年10月19日 09:41 No.74
    上原様、過去記事のご紹介ありがとうございました。
    日本語版ジョン・ハーシェル伝のタイトルを、原題とは趣を変えて『星を追い、光を愛して』としたのは、天文学に加えて光学・光化学分野での彼の貢献を重視してのことでしたが、その功績が、こうして国を越え、時代を越えて、連綿と引き継がれているのは、本当に素晴らしいことだと思います。



    まさに芸術の秋―。先日の若林会員の写真展に次いで、飯沢能布子会員から、北海道の長沼町と名寄市で開催される七宝作品展のご案内をいただきました。

    ■「長沼町収蔵美術作品展2024」

    長沼町は札幌市の東郊の町。多くの芸術家・工芸家が暮らすアートの町であり、飯沢さんも以前この町に「アトリエN」を構え、星に取材した多くの七宝作品がここから生まれました。同町に収蔵されている飯沢さんの作品の一部が、他の作家さんの作品とともに展示されます。

    ○日時: 2024年10月16日(水)~10月24日(木)(月曜休館) 10:00~18:00(金曜日は20:00まで)
    ○会場: 長沼町図書館ギャラリー(〒069-1332 北海道夕張郡長沼町中央南2-3-3)
    ○WEB: https://www.maoi-net.jp/kanko_nogyo/kanko_event/event/syuzo.html
    ○展示予定作品(飯沢さん関係分): 惑星の小人たち、新しい時刻 ’95、MARS、花のスポットライト、新しい時刻、パッション、アウロラ、南極日食、陽春、月夜に
     (これ以外に、先月新たに収蔵となったアイヌの星をテーマにした作品群等からも追加展示がある予定です。)

    ■「全天88星座をテーマにした作品展」

    もう一つのイベントは旭川よりもさらに北、道北地方に位置する名寄市で行われる展示会です。飯沢さんは全天88星座をテーマにした連作をかつて手掛けられましたが、それを2回に分けて同市の市立天文台で展示します。

    ○日時: 2024年11月12日(火)~12月15日(日)<予定>
    ○会場: なよろ市立天文台きたすばる(〒096-0066 北海道名寄市字日進157-1)
    ○天文台公式サイト: https://www.nayoro-star.jp/kitasubaru/index.html
    ○展示内容: 今回の作品展では、春と夏の星座を展示し、明年2025年には秋と冬の星座の展示が行われる予定です。


    管理人 投稿日: 2024年10月14日 08:15 No.71
    今回展示予定の作品イメージを知っていただくため、飯沢さんの作品集『透明な燦きを追い求めて 宇宙と花々~飯沢能布子 七宝美術の世界』(2023)から何点かご紹介します。

    画像は左から、
    ■「Pleiades プレアデス」(25×36cm、2014、長沼町蔵)
    ■「MARS」(40×40cm、2000、同)
    ■1998~2006年に制作された88星座連作の一部(なよろ市立天文台蔵)

    いずれも透明な輝きをたたえた色鮮やかな作品群です。
    なお、88星座の連作は、これまで同天文台で小出しに展示されてきたものが、今年と来年の2回に分けて、今回はじめて全作品が一堂につどうとのこと。その壮麗な光景を想像するだけで、うっとりとなります。訪問の機会がある方は、ぜひ名寄へ!




    惑星・遊星・行星 管理人 投稿日: 2024年07月29日 19:15 No.58 【返信

    前のスレッド「天王星という名前」からのスピンオフで、「惑星・遊星・行星」について投稿させていただきます。ネットをパパッと走り読みしただけですが、今後の議論のたたき台として、簡単にメモ書きしておきます。

    「惑星」と「遊星」については、すでに以下の記事でHN「ねこんた」様が詳しく論じておられました。

    ■暦と星のお話:惑星と遊星はどう違う?(1)

    かいつまんでいうと、オランダ通詞の本木良永が『太陽窮理了解説』(1791~92刊)中で「惑星」の訳語を当て、同じく通詞・吉雄俊蔵は文政6年(1823)の『遠西観象図説』の中で「遊星(游星)」の語を使っており、用例としてはいずれも江戸時代にさかのぼる由。
    また、安政の頃、日本に輸入されて流布した中国の理科書に「行星」の文字がある…との記述がありますが、これは『談天』のことじゃないでしょうか。

    以下は別ソースになりますが、中国語版Wikipedia(维基百科)の「行星」の項(2)には、

    「1859年伟烈亚力与李善兰合作翻译的《谈天》是中文文献中第一次介绍哥白尼的地动说,也是中文“行星”一词第一次出现。」

    とあって、情報の信頼性は不明ながら、『談天』こそが「行星」の語の初出としています。

    さらに

    「1792年日本学者本木良永在翻译哥白尼的地动说时将“行星”译作“惑星”,取其位置游移不定让人迷惑之意。明治时代亦有京都大学的学者使用“游星”一词来指“行星”。」

    とわざわざ解説しているので、中国の人にとっては「惑星」も「遊星」も日本独自の訳語という認識らしく、1906年に上海で刊行された『天文図志』(3)を見ても「行星」となっていますから、中国では清末から現代にいたるまで一貫して「行星」を使っているようです。

    この「行星」は日本でも明治初年にはそのまま使われたようで、コトバンクの「行星」の項(4)は、『精選版 日本国語大辞典 』を引いて、

    「こう‐せいカウ‥【行星】
    〘 名詞 〙 「わくせい(惑星)」の別称。
    [初出の実例]「Kōsei カウセイ 行星」(出典:和英語林集成(初版)(1867))」

    という用例が挙がっています。

    「行星」という訳語が生まれる以前、惑星は何と呼ばれていたかといえば、おそらくシンプルに「五星」でしょう。しかし、『談天』の時代には、すでに天王星と海王星が加わっており、「五星」ではいかにも辻褄が合わないということで、新たに「行星」という訳語が生まれたと推測します。

    ちなみにこの「行星」という語を、私は恒星の合間を縫うように「行く星」だから「行星」なのかと思ってたんですが、どうやら木火土金水の「五行の星」から来ているらしく、そうなると「五星」と同じ理由で辻褄が合わないことになりますが、まあ「五つの星」よりはアラが目立たないと思ったんでしょうかね。この辺の事情は今のところ未詳です。

    (1) https://web.archive.org/web/20050327140714/http://www.geocities.jp/planetnekonta2/hanasi/yuusei/yuusei.html
    (2)https://zh.wikipedia.org/zh-cn/行星
    (3)https://mononoke.asablo.jp/blog/2006/09/01/507259
    (4)https://kotobank.jp/word/行星-261683
    藤原康徳 投稿日: 2024年08月02日 10:18 No.60
    管理人様

    遊星・惑星の用語についての歴史的経過についてのご説明を頂きありがとうございます。

    この遊星と惑星については、結構よく話題に上がっていると思います。NHKの番組でも昨年だったか?(怪しいですが)天文用語統一の会議の再現ドラマにこの話が出ていました(録画を取っていないので、これまた怪しい記憶だけですが)。

    少し古い論説ですが、次の文献が歴史的経過についてまとめられていますので、参考になると思います(すでにご存知かもしれませんが)。

    井本進
    遊星惑星源流考(1)  天界 22(253) 217-220 (1942)
    遊星惑星源流考(2)  天界 22(254) 256-258 (1942)
       天界の当該論説は、京大のKURENAIからダウンロードできます。

    江戸時代から明治。対象にわたって遊星・惑星がどの文献で用いられていたかが明らかにされています。

    これらの文献を見てみたいところですが、相当な難件でものすごい?努力が必要で、体調不良の年金老人では難しいように思っています。

    余談ながら、井本進さんの膨大な蔵書(井本文庫)は現在では散逸しているようです(元国立天文台のN先生のご著書に書かれていました)。

    今後ともいろいろとご教示をよろしくお願いします。

    藤原康徳
    管理人 投稿日: 2024年08月04日 09:55 No.62
    藤原様

    文献のご紹介をありがとうございました。
    井本氏の論考は未見でしたので、大変参考になりました。先の私の投稿は、ごく簡単なたたき台のつもりでしたが、まんざら的外れでもなかったかな…と、ちょっとホッとしました。

    よく言われる東京の惑星、京都の遊星の対立の起源も、途中まで多くの人はあまりこだわってなかったのに、明治の終わり近くになって、一部の「御大」による指導的統制が強まり、「天文月報」と「天界」の発刊によって、その党派性が決定的になった経緯が改めてよく分かりました。さらに、今はすたれた「緯星」「運星」の訳語の存在を知って、「へえ」と目から鱗でした。

    たかが訳語、されど訳語…といったところでしょうか。
    その背後の人間ドラマも含めて、実に興味深く思います。

    天文学史の話題は大歓迎ですので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

    (追伸)NHKで放映されたのは、さきほど検索したら、2022年4月22日放映の「チコちゃんに叱られる!」の中で流れた「NHKたぶんこうだったんじゃないか劇場 『荒木、遊星やめるってよ 京大vs.東大 天文学者友情物語』」という再現ドラマ風ミニコーナーのようです。今のところNHKプラスでもNHKアーカイブスでも動画配信はありませんんでしたが、下のページにその内容紹介がありました。

    https://xn--h9jua5ezakf0c3qner030b.com/18473.html
    上原貞治 投稿日: 2024年08月05日 10:09 No.67
    管理人様、藤原様、
    こちらも楽しい話題をありがとうございます。
    私は江戸時代の日本の暦学者のことしか知らないのですが、その業界では「五星」「七政」をよく見るように思います。これは、おそらくは『暦算全書』などの漢籍暦学書の有名どころにならったものと思います。「緯星」(「五緯」も含めて)もけっこう見ます。ユラヌス観測を伝える『寛政暦書』では、天王星を(「五星」とは呼べないものだから)「新緯星」としています。
     また、この『天界』の井本論文では、「緯星」は18世紀後半の日本で現れたように書かれていますが、それ以前から日本で広く読まれていた(であろう)『崇禎暦書』(漢書)で、惑星のことを、章題で「五緯」、本文で「緯星」と書いていますので、これは疑問です。
    https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ni05/ni05_00538/ni05_00538_0002/ni05_00538_0002_p0002.jpg

    むしろ、『崇禎暦書』の流布により、日本で「緯星」が行われたと推測します。暦学者にとっては、「五星」がちょっと俗っぽい具象的な言い方で、「緯星」が多少なりとも理論・原理を重視した言い方だったのかもしれません。

    今後ともよろしくお願いします。


    天王星という名前 藤原康徳 投稿日: 2024年07月12日 17:24 No.50 【返信

    大阪市に住んでいます藤原康徳といいます。つい最近にこのホームページとこの掲示板を見つけました。

    上原貞治さんが書かれました「日本においては、足立信順(当時、暦作測量御用手伝)が日本で初めて天王星を観測してから、200年となります。」以下の記事に大変興味を持ちました。

    わずか口径20mmの小望遠鏡で観測されたのことにも驚きです(天王星は明るいので不思議ということではありませんが)。
    寛政暦書の観測報告も興味深いのですが、具体的な観測データ(年月日時刻以外に位置など)は報告されているのでしょうか。

    以前から是非とも知りたいと思っていますのが、天王星という用語です。

    例えば、先日亡くなられました金井三男さんは、星ナビ2024年4月号に「我が国で
    公式に使用されている「天王星」については、中国でつくられたものだということを追記しておこう。」と書かれていますが、中国の誰が名付けたのか、また、日本に紹介して広めたのはだれか(著作等)は書かれていません。この中国からという話は他本でも読んだ記憶があります(詳しい説明なしで)。

    私には文献探索能力がないだけかもしれませんが、これまでこのことを詳しく解説された文献に出会っていません。

    この寛政暦書の報告では「由刺奴斯」と書かれており間重新の観測では「鳥刺奴斯」と書かれています。

    これは、オランダ語の「URANUS」の発音からの当て字だと思います(ユラニスやユラヌスもありますね。

    私は天文学史は全くの素人で基礎知識もありません(一天文ファンの年金老人です)。
    日本ハーシェル協会の会員でもありませんが、長年の疑問というか知りたいと思っていたことですので、上原さんの記事を読んだことを契機に厚かましいですが、思い切って掲示板上で質問します。

    ご教示をぜひともよろしくお願いします。
    上原貞治 投稿日: 2024年07月15日 20:46 No.51
    藤原様、こんばんは。
    ご質問のご投稿ありがとうございます。上原貞治です。私の書いた物をお読みいただきありがとうございます。

     残念ながら、天王星に関する中国の天文学史については、私は知識不足で知るところはありません。日本では、ユラニス、ウラヌスなどの読み方が行われ、ユラニスはオランダ語にもとづくものです。もともとは、ドイツの天文学者ボーデがドイツ(語)で広めた命名と聞いています。「天王星」の名前が日本で広まったのは、おっしゃるように、中国から移入されたことによりますので、当然、中国でこの訳名がつけられて以降になりますが、中国での訳名が出来た事情はわかりません。

     発見者ウィリアムの息子のジョン・ハーシェルの著書"Outline of Astronomy"の中国語版に『談天』という名前がついています。それの訓点本に、天王星は「天王」として出てきます。
    https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ni05/ni05_01387/ni05_01387_0001/ni05_01387_0001_p0046.jpg
    この本は、中国版の出版は1859年、日本訓点版は1861年だそうです。
    https://www.lib.u-tokyo.ac.jp/html/tenjikai/tenjikai2009/shiryo/kaisetsu27.html
    私は、江戸幕府関係の文書に天王(星)を見たことはないので、漢書の移入が最初であると思います。どれほど、普及したかはわかりません。

     明治になって、『天文初歩』(1875)という有名な教科書的な本がでましたが、これには、「天王星」になっています。私は、この領域には詳しくないのですが、明治になって理科教科書的な本が出て、初めて「天王星」が日本では公式に定着したということだと理解しております。

     中国(清国)においては、『談天』で1859年には「天王」という訳名があった以上のことは存じません。
    https://nieropac.nier.go.jp/lib/database/KINDAI/EG00005901/900061098.pdf
    他に、中国から日本に移入された理科書に『博物新編』というのがありますが、これの日本版では、「ウレヌス」となっていて「天王」の文字はないようです。『談天』の漢訳は清人によって行われましたが、『博物新編』は原著者がイギリス人宣教師で、自分で中国語を使って書いているので、訳名についての事情が違っていたのかもしれません。

     中国の天文史に詳しい方ならご存じかもしれません。
    以上、肝心の点のお答えが出来ませず恐縮ですが、今後ともよろしくお願いいたします・
    上原貞治 投稿日: 2024年07月16日 05:53 No.53
    藤原様、
    江戸時代の天王星「ウラヌス」の観測報告については、こちらでお答えします。

    足立信順の天王星の「観測記録」としては、『寛政暦書』以上の記載は現存していません。どなたか見つけてくだされば新発見だと思います。渋川景佑の観測指示の経緯と観測機器については、『霊憲候簿』の附言の巻にも記述がありますが、やはり、観測結果のデータはありません。

     観測データとしては、別の人の観測になりますが、翌々年(1826年)に同じく幕府天文方グループ(高橋景保、渋川景佑の指示で天文観測を担当)の間重新が大阪で観測した記録が残っています。
    ↓こちらの
    https://www2.kek.jp/archives/projects/danwa-img/danwakai02.pdf
    34,35ページをご覧ください。
    よろしくお願いいたします。

    ※文献名に誤字があったので最初の投稿の半日後に訂正しました。
    上原貞治 投稿日: 2024年07月16日 16:10 No.55
    中国のネット百科『百度百科』で「天王星」を調べてみました。

    「1859年,清代天文学家李善兰在翻译约翰·赫歇尔所著的《天文学纲要》的译著《谈天》中,分别将Uranus与Neptune意译为天王星、海王星,此后广泛在中国、日本、韩国和越南等亚洲国家使用。」

    https://baike.baidu.com/item/天王星/21805#2

    中国名の命名については、ジョン・ハーシェルの著書"Outline of Astronomy"(『天文学綱要』→『談天』)を漢訳した人への言及のみがあるのでこれが初めのようです。
    藤原康徳 投稿日: 2024年07月25日 02:21 No.56
    上原貞治様

    たいへん丁寧で具体的な説明を頂きまして本当に感謝しています。ありがとうございました。
    また、中国のネット上での検索までしていただき大変お手間をおかけさせまして恐縮です。

    > 私は、この領域には詳しくないのですが、明治になって理科教科書的な本が出て、初めて「天王星」が日本では公式に定着したということだと理解しております。

    ご教示ありがとうございます。確かに説得力のある見解だと思います。
    幕府天文方グループが中国からの翻訳書ではなく蘭書によりUranus星を知ったことにより発音からの名前を付け、その後、このグループの天王星プロジェクトが放棄されたことによりこの名称が消えていき(グループ内以外には情報(?)が出ていなかったので)、そして明治初期に教科書や啓蒙書で漢訳の天王星が採用され一気に広まったという感じでしょうか。

    > 明治になって、『天文初歩』(1875)という有名な教科書的な本がでましたが、これには、「天王星」になっています。

    『天文初歩』はネット上で見ることができました。天王星だけでなく海王星も出ていますね。余談ながら、面白いのは、惑星ではなく遊星が採用されていることです。
    手元にある明治12年3月発行の「洛氏天文學」(これは翻訳本ですが)にももちろん天王星(と海王星)が出ていますが、こちらも惑星ではなく遊星が採用されています。

    > 間重新が大阪で観測した記録が残っています。
    幸運なことに、5年ほど前に、大阪歴史博物館で現物を見ることができました。
    事前に上原さんの論文を読んでいたので(と上原さんが紹介されていた吉田忠さんの論文も)、「間重富雑録拾遺」の重富のメモも現物を見てきました。まさにメモ書きがいろんな雑メモとともに雑記集に一緒に入っているという感じでした(吉田論文の注63のとおりです)。

    中国では、談天が出る前はなんて呼ばれていたのかな、というのは素人の範囲外なのでしょうね。

    いろいろとありがとうございました。たいへん勉強になりました。
    以前にコピーした論文や資料を再度読み返してみようと思っています。
    今後ともよろしくお願いいたします。

    藤原康徳
    上原貞治 投稿日: 2024年07月25日 12:36 No.57
    藤原様
    コメントをいただきありがとうございます。また、私の書いた物をご検討くださり深く感謝いたします。

     「遊星」という書き方も古くからけっこうあるのですね。これも中国語の影響なのでしょうか。中国では今は「行星」ですが、昔のことはどうだったのか調べたことはありません。

     大阪歴史博物館で間重富資料の実物をご覧になったのですね。私は、吉田氏の論文と、間重富の年表資料しか見ておりません。吉田論文のとおりということで安心しました。間重新の情報も新型コロナの制限の頃、大阪歴博から送っていただいていますが、ウラヌス観測資料は見ていないので、江戸の暦局での足立信順の予報の計算法や精度についての手がかりを今後探したいと思っています。

     なお、ついでの情報ですが、海王星も『談天』以前にオランダから日本に伝わっています。以下、その情報を要約して、この場をお借りして再掲(他にもメモとして投稿させていただいています)します。

    -----
    日本での「海王星」
    -----
     おそらく日本での初出は、「弘化四年(1847)(和蘭)別段風説書」の

    「フランス国の星学家レフェリール(人名)曜星を新に見出し、其星をネプチューンと唱申候」 

    (大船庵様の古文書コーナー)
    http://www.hh.em-net.ne.jp/~harry/komo_dutchnews_main.html#ko03
    (国立国会図書館「和蘭人風説書」)
    https://www.ndl.go.jp/nichiran/data/R/004/004-011r.html

    日本の天文家に伝わったことは、渋川景佑の『暦学聞見録』巻十二に引用あり。
    (国立天文台貴重資料)
    https://library.nao.ac.jp/kichou/archive/0509/kmview.html
    の画像614, 615枚目

    上記和蘭別段風説書の引用に続いて、1849年「カルパ暦」所載の海王星、小惑星を含む惑星の表あり。その 蘭語元資料は、

    Almanak van Nederlandsch-Indie voor het jaar 1849 (蘭印年鑑)

    https://www.google.co.jp/books/edition/Almanak_van_Nederlandsch_Indië_voor_het_/7FVVAAAAcAAJ

    の8ページ。

    渋川景佑がこれらの『暦学聞見録』の記述をしたのはいつかはわかりません。
    -------------
    藤原康徳 投稿日: 2024年08月02日 09:52 No.59
    上原貞治様

    さっそくご教示を頂きながら返信が遅くなりました誠に申し訳ありません。
    いろいろとご教示を頂きましてありがとうございます。

    実は「海王星」についても命名の契機を知りたいと思っておりました。ご教示いただいた文献・資料等で勉強していきたいと思っています。

    と同時に、上原さんの研究をまとめられた論文を大いに期待しています。

    藤原康徳(梅雨明け以降天気が良いので連日の流星観測の整理で手いっぱいで、寝不足です)。
    上原貞治 投稿日: 2024年08月03日 16:45 No.61
    こちらこそありがとうございます。また、応援をたまわり恐縮です。
    藤原様の天体観測の研究のご発展をお祈りします。

     昔の人の天体観測をたどる時、肉眼や小望遠鏡でどのような印象に見えたのかなということを想像するのが楽しいです。また、検討の上でもそれは必要なことではないかと思います。また、機会があればご教示をいただけますればありがたいです。



    下の投稿にある「200周年」の目玉イベントとして、BRLSIの「ジョン・ハーシェル会議」が、6月8日(土)(日本時では、8日17:30-9日1:45)に英国バースのQueen Squareおよびオンラインで開催されます。詳細は以下でご覧ください。

    https://www.brlsi.org/whatson/john-herschel-the-last-polymath-all-day-conference/

    https://www.brlsi.org/john-herschel-the-last-polymath/
    管理人 投稿日: 2024年04月14日 08:09 No.49
    英国ハーシェル協会のチャールズさんから、続報が届きました。以下に転載します。
    なお、ハーシェル協会会員は割引料金が適用とありますが、残念ながら英国ハーシェル協会の会員限定のサービスですので、それ以外の方は通常料金での参加となります。
    添付されていたチラシは掲載の画像になります。

    Dear Herschel Society Member,

    I am pleased to say that the details of our John Herschel Conference on 8 June have now been published. You can see them, including how to buy tickets, on the BRLSI website here: https://www.brlsi.org/john-herschel-the-last-polymath/

    John Herschel – The Last Polymath – Bath Royal Literary and Scientific Institution
    www.brlsi.org

    I hope many of you will join us, either in person or online. Please book early to avoid disappointment, particularly if you plan to attend in person. It should be a very interesting day!

    Don't forget that as Herschel Society Members you only pay the Member price indicated on the website.
    You can also see the details of the day in the attached flier.

    Best wishes,
    Charles




    今年(2024年)も「200周年」 上原貞治 投稿日: 2024年03月03日 09:54 No.45 【返信

    日本時間の本日早朝に開催されました英国ハーシェル協会の年次総会(AGM)にネット参加しました。

    今年2024年は、BRLSI(バース王立文学科学研究所)の設立200周年だそうです。
    https://www.brlsi.org/brlsi200/

    それから、ジョン・ハーシェルが初めて主要な天文学論文を書き、王立協会の秘書(事務官)になってからも、200年だそうです。
    https://iphf.org/inductees/sir-john-frederick-william-herschel/

    それから、日本においては、足立信順(当時、暦作測量御用手伝)が日本で初めて天王星を観測してから、200年となります。文政七年甲申四月十五日は、グレゴリオ暦では1824年5月13日になります。この時は、天王星は、口径20mmの小望遠鏡で明け方のいて座で観測されましたが、2024年の5月13日は天王星の「合」の日で、天王星は太陽の背後に隠されます(残念ながら、地上から観測する方法はないと思いますが)。


    管理人 投稿日: 2024年03月06日 16:33 No.46
    おお、これは早速のレポートありがとうございます。
    居ながらにして英国の総会に参加できるというのは、昔を思うと本当に隔世の感があります(急に年寄りめきますが・笑)。私も時間のハンデさえ辛抱すれば、すぐに参加できるわけですが、なかなかどうもこのハンデは小さいようで大きいです。

    ときに今年迎える様々な「200年」。実に感慨深いです。
    なかでも日本における天王星200年は、これをライフワークにされてきた上原さんにとっても、わが協会にとっても、実に意義ある節目ですね。

    そしてなんと本年11月15日は、協会創設40周年の佳節でもあります。
    無理をする必要はないにしても、何か記念のイベントができるといいですね。またぼちぼち考えてみたいので、こちらにつきましてもどうぞよろしくお願いいたします。
    上原貞治 投稿日: 2024年03月07日 13:32 No.47
    今年は、我らが協会にとっても切りのいい記念なのですね。200年と40年、ちょうど割り切れて良い比率ですね。イベントについて、また、お考えよろしくお願いします。


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