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旧・国鉄の三等車
永井 投稿日:2024年02月09日 20:00 No.260
ある年齢以上の方はご存知でしょうし、実際に利用された思い出がおありと思いますが、その昔、日本国有鉄道(国鉄)の客車には一等・二等・三等の区分が有りました。
一等は雲の上の話で(笑)二等も関係のない世界? 乗るのはもっぱら三等車だった訳ですが、無くなったのは何時だったろう?と思って調べて見ました。
一等が廃止され、旧来の二等が一等に、三等が二等に変わったのは1960年(昭和35年)7月1日の事でした。
就職が決まり、会津若松駅から郡山乗り換えで仙台に移動したのが昭和35年3月末の事でしたので乗った列車は蒸気機関車が引っ張る「三等車」で有った事になります。
郡山で乗り換えたのが鈍行だったか急行だったかは忘却の彼方ですが、多分鈍行だったのではなかったかな? 仙台駅で仙石線に乗り換え一駅先の榴ヶ岡駅で降り
坂を上って榴ヶ岡寮に行った当りは鮮やかに覚えています(笑)
一等車が「グリーン車)に、二等車が(普通車)に・・・名称変更になったのは1969年(昭和44年)5月10日だったとの事です。出来事は覚えていても、その時期は覚えてはいないものですネ!
三公社の民営化が叫ばれ、民営化の時期は国鉄・電電公社・専売公社とそれぞれですが、国鉄の民営化は1987年(昭和62年)4月1日の事でした。 
具体的には全国を地区分けして「JR]替わった訳ですが、完全民営化は地区ごとに違っており、一番早かったのが北海道・東日本の「2002年6月」
一番遅かった四国・九州の完全民営化は2016年10月と14年もの開きが有るのに驚かされます。
ローカルな出来事としては喜多方~郡山間が電化(交流)されたのは1967年(昭和42年)6月5日で、磐越西線・中山峠を抜ける沼上トンネルが新トンネルに付け替えっれたのも同年の事でした。
磐梯熱海を過ぎ、中山宿駅を会津方面に向けて走り出すと思いきや、列車はしばし登りの傾斜をバックし、おもむろに走り出すのでした。勾配が強いためのスイッチバックが有ったのです。
新トンネルが出来てからは名物のスイッチバックは無くなり、時間短縮にはなりましたが、面白みは無くなりました。 判る人にしか判らないローカルな話です(笑)
写真3枚はネットから借用したもので、サイズが小さいためよく判らないかも知れませんが、列車に「三等」時刻表にもそれが有ります。判りますでしょうか? 何十年も前の話でした。