大好き大川橋蔵ファン広場partⅡ掲示板
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★2023年1月28日から、ロケット掲示板の方と同時進行で記事の投稿をしてあります。

※ようこそ、Rara掲示板の『大好き大川橋蔵ファン広場partⅡ掲示板』においでくださいました。
現在ロケット掲示板の『葵新吾大好き大川橋蔵ファン広場掲示板partⅡ』と同時進行運営中です。
Rara掲示板の方に移行しても、ロケット掲示板の方に投稿された記事は見られるように、ロケット掲示板に投稿された記事はこちらの掲示板でも見られるようにしていきます。
支障がない限り同時並行で進めてまいります。
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金糸雀様 S e t s e 投稿日: 2024年04月21日 19:27:44 No.253 【返信】

感想文の考証ですが、とても優くして下さいましたね。(笑)
まず、大学生でしたら、「 新吾十番勝負」だけを考察材料には選ばないでしょう!
作家を取り上げ、その上で、沢山の大衆文学を追求していくのでは、ないかしら?
中1のときの先生は、私にプロレタリア文学について、感想文を書かせたかったようです。
クラス中で長塚節の「土」を読んでいたのは、二人しかいなかったからです。
でも、子供の私には、リアルな生活感が漂う暗い内容の本より、華やかな、楽しい内容の本の方に惹かれました。
主人公は、初恋の橋蔵さんそのものなのですからね。
私の学校は、バリバリのハード教育の猛烈進学校でしたから、父親に「橋蔵さんが、担任なら学年トップ間違いなし」と、よく揶揄われました。


平次第127話 金糸雀 投稿日: 2024年04月20日 11:07:55 No.251 【返信】

東映金曜時代劇の「銭形平次」は第127話『おかめの涙』(1968.10.2分)です。


お返事有難うございます❤️ S e t s e 投稿日: 2024年04月19日 23:54:00 No.250 【返信】

私は、東京育ちですので、映画館は「上野、浅草、銀座、神保町、人形町」と沢山ありましたが、
今は、銀座以外は、無くなってしまいました。
小学生時代は、プロマイドの入手方法などは全く解りませんでした。
ですから、新聞の映画広告を切り抜き、大切にしていましたね。
近代映画等の雑誌は、大人の雑誌と言われ、買ってもらえなかったので、美容院へ行った時に読ませて貰っていました。銭湯の経営者の方に、「ポスターを欲しい」とお願いしたこともあります。
父の知人であった叔父さんは、笑いながら「節子ちゃんだけ贔屓することは、出来ないんだよね。毎回、燃やしているんだよ。」と教えて下さいました。記憶の底に沈んでいた思い出が蘇りました。
何とか、橋蔵様の写真を手に入れようと、考えた子供心がいじらしいやら、恥ずかしいやらです。


S e t s e 様 よろしくお願いします 金糸雀 投稿日: 2024年04月19日 14:16:02 No.249 【返信】

投稿いただいたお返事を書こうとしていたら、パソコンの接続で不具合があり、遅くなりました。

この掲示板サイト見つけていただき、投稿ありがとうございます。
投稿にふみ切るということは勇気がいるものですし。私も迷ったことがありました。

掲示板も数年続けておりますと、橋蔵さんの作品も繰り返し何度も見ているわけで、私自身投稿する内容が以前に書いたものと同じような思いの感想になってしまうため、書く気持ちがちょっと薄らいでしまって、最近は投稿もおろそかになっていますね。

ですから、橋蔵さんの映画界からのファンの方、またその後に大川橋蔵さんを知りファンになった方、といままでの橋蔵さんに対する思いを振り返り投稿することで、心の片隅にしまっておいた方が、自分用の思い出日記のような感じで投稿し、作品を撮うしてでも橋蔵さんへ思った良い印象、ここはいやだという意見を載せられるミーハーな気持ちで対応するサイトでなく、ある意味でいろんな面の指摘から大川橋蔵さんを掲載記事から見て取れ感じ取っていただける、そして品のある掲示板として維持していけたならと思っています。

Setsa様、「新吾十番勝負」の感想文は、読書感想文として提出したのですね。それに目をとおした時の先生の驚かれたのが目に浮かびます。まさか時代劇の小説を感想文に書くとは誰も思っていないのが普通ですもの。でも。違った考え方をすればすごい発想ですよね。大学生の論文であったなら、原作と映画化での違いが、作者の伝えたいイメージと映画作品としての大衆を呼び込む脚色の違いを書いたなら・・・、ね。
私も、娯楽は時代劇映画を映画館に行かなければ見られなかった時代で、町まで行かなければ映画も書店もなかったところで育った子供時代に、スクリーンにアップになった橋蔵さんにひきつけられてからもう少しで70年になりますが、現在手元に残って解読可能な雑誌等を年代順にブログに投稿するのにも、記事を画像に載せるだけでなく記事内容を確認しながら書いていっているので、時間と手間がかかりますが、私自身もあの時は・・・と思い出しながら・・・。
年を経るとまた違ったところで橋蔵さんを好きになった要素は何かと、その年代その時の出来事などが記事と共に蘇り、仕事優先の毎日の中の、ブログを書くのも義務になってしまわないようにと自分のペースで記事をあげ、長続きするように努力をしています。
もう開いていただいているかもしれませんが、2つのブログも見ながらあなたの当時を思い出しながら楽しんでいただけるとうれしいです。


『心の軌跡💞忘れえぬ人*大川橋』では雑誌等が取り上げた記事から少し・・・現在は1962年に突入、編集して待機しているものは1963年1月まで出来ていて、この頃は橋蔵さんの結婚に関する記事でいっぱいだったので、私も雑誌を買わなくなったころでした。ブログに投稿は少し後になりますね。
《”美しき大川橋蔵”私の想い出》では作品の内容を画像を入れて、私なりにまとめています。いまは、動画をアップすれば簡単なことですが規制される部分もありますし、皆様がそのあらすじから場面場面を自分の想像力を発揮して感じとっていただけたらと思っています。

ブログ掲載は1960年の「海賊八幡船」が終わるところで、橋蔵さんが意欲作に取り組み始めた年代に入っています。編集し終わっているものは「若さま侍捕物帖・黒い椿」まで、今現在1961年12月公開だった「赤い影法師」を編集中です。この年から東映が大作を作る年になりました。自分の好きな作品は、早く手が進むのですが、あまり好まない作品はまとめるのに時間を費やしますね。

画像処理もありますので、スムーズには掲載することはできませんが、これから先も気長にお付き合いいただければと思います。


金糸雀様 S e t s e 投稿日: 2024年04月19日 12:08:36 No.248 【返信】

20年近く前だと、記憶していますが、貴女のサイトを拝見しました。
しかし、PCに慣れておらず、ただ楽しく眺めているだけでした。
勇気の無かった自分が、残念です。(苦笑)


大川橋蔵大好き S e t s e 投稿日: 2024年04月19日 02:38:49 No.247 【返信】

[私は、小学校3年生から、彼のファンでした。
若様侍、新吾シリーズは、幼い私の青春そのものでした。
中1の感想文の宿題に、「新吾十番勝負」を提出しました。
しかし、先生に力があるのだから、もっと難解な本を読む様に指示され、大変、悲しかったです。
子供でしたから、誕生日にプレゼントして貰ったプロマイド1枚がたった1つのファングッズでした。
「濡れ燕、紅い権八」でした。今でもはっきりと目に焼き付いています。
ファンサイトを作って下さって、感謝しております。ありがとうございます😊。


平次126話 金糸雀 投稿日: 2024年04月12日 13:01:53 No.246 【返信】

東映金曜時代劇の「銭形平次」は第126話『錦絵秘聞』(1968.9.16分)です。


東京都心の桜は葉桜になってきて、ハナミズキの花がチラホラ咲き始めています。
日曜日は全国的に気温が上りそうです。
まだ4月、気温の変化に気をつけてまいりましょう。


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