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サウンド・オブ・ミュージック
ロバート・ワイズ 投稿日:2020年12月31日 15:03 No.710



サウンド・オブ・ミュージック(原題: The Sound of Music 米国) 1965年 全米年間興行収入ランキング1位

1938年のオーストリア、院長の命により厳格なトラップ家へ家庭教師としてやって来た修道女マリア。彼女の温かい人柄と音楽を用いた教育法で、七人の子供たちはマリアの事が好きになるが、父親であるトラップ大佐とマリアの衝突は絶え間なかった。だが、次第に大佐に惹かれている事に気づき悩むマリア。やがて大佐の再婚話が持ち上がり彼女は傷心のまま修道院に戻るのだが……

監督 ロバート・ワイズ 代表作 『地球の静止する日』『ウエスト・サイド物語』『砲艦サンパブロ』
脚本 アーネスト・レーマン 代表作 『麗しのサブリナ』『王様と私』『北北西に進路を取れ』
音楽 リチャード・ロジャース、オスカー・ハマースタイン二世、アーウィン・コスタル
主演 ジュリー・アンドリュース(マリア) 代表作 『メリー・ポピンズ』『ビクター/ビクトリア』『プリティ・プリンセス』
原作 リチャード・ロジャース、オスカー・ハマースタイン二世 ミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』

上映時間 174分


登場人物

マリア・アウグスタ・クチェラ: 修道女見習い。

ゲオルク・フォン・トラップ: 旧オーストリア=ハンガリー帝国海軍の退役軍人。大佐。(クリストファー・プラマー) 代表作 『12モンキーズ』『ドラゴン・タトゥーの女』

マックス: トラップ大佐の友人。(リチャード・ヘイデン) 代表作 『永遠のアンバー』『失われた世界』『ヤング・フランケンシュタイン』
エルザ: 相当な資産家の伯爵夫人。(エリノア・パーカー) 代表作 『探偵物語(1951)』『黒い絨毯』『黄金の腕』

ロルフ: 郵便配達人。(ダニエル・トゥルーヒット)

修道院長: ノンベルク修道院の長。(ペギー・ウッド) 代表作 『不死鳥』『スタア誕生(1937)』『砂漠の女王』



【起】
1930年代、ドイツ併合直前のオーストリア、ザルツブルグ。修道女のマリアは天真爛漫で、今日も修道院を抜け出し山で歌を歌っていた。修道院長は彼女が神に仕える覚悟を持つためには外の世界を知る必要があると考える。マリアは妻と死別した海軍の英雄フォン・トラップ大佐家で、子供達の家庭教師として働くことになった。

トラップ大佐には7人の子供がおり、彼らの悪戯に家庭教師が既に11人も辞めていた。軍隊のように規律正しく子供達が躾けられているのを見て、マリアは憤慨する。このように歌も笑いも無い家になったのは、トラップ大佐の妻が亡くなってからだそうだ。子供達はマリアにも悪戯を仕掛ける。しかし夕食時にマリアがこれを「温かい歓迎」だと語ったことで、子供達は泣き出してしまう。

電報配達人のロルフが、トラップ大佐宛に電報を持ってきた。トラップ大佐はしばらくウィーンへ行くことになる。ウィーンにはトラップ大佐の恋人・エルザ伯爵夫人や子供達が慕うマックスおじさんがいた。トラップ家の長女リーズルは、ロルフとこっそり会うため夕食の席を抜け出した。父に内緒で付き合っている2人は、愛を語り合う。

ドアに鍵が掛かってしまい、リーズルはマリアの部屋から家に入る。他の子供達も雷に怯えてマリアの部屋にやってきた。マリアと子供達はすっかり仲良くなる。

【承】
マリアはトラップ大佐がウィーンに行っている間に、古いカーテンで子供達の遊び着を縫い街や山へ連れ出した。子供達は父親の注意を引くために家庭教師に悪戯を仕掛けていたという。マリアはドレミも知らない子供達に歌を教え始めた。エルザ伯爵夫人に歓迎の歌を歌おうと考えたのだ。

トラップ大佐が、エルザ伯爵夫人とマックスをつれて屋敷に戻ってきた。ロルフがまた電報を届けに来るが、彼はすっかりナチスドイツに傾倒しているようだ。オーストリアへの愛国心が強いトラップ大佐はこれに怒り心頭だ。オーストリアとドイツとの合併が現実味を帯びてきていた。

屋敷横の湖をふと見ると、マリアと子供達がボートに乗って騒いでいた。怒ったトラップ大佐は子供達を屋敷に戻し、マリアをクビにしようとする。しかしその時、屋敷の中から美しい歌声が聞こえてきた。子供達がエルザ伯爵夫人のために歌っていたのだ。トラップ大佐はその歌声に思わず聞き惚れ、一緒に歌い始めた。トラップ大佐は子供達と触れ合ってこなかったことに気付き、マリアを引き留めた。トラップ家に音楽が甦った。

マックスはトラップ家の子供達を自分の主催するザルツブルク音楽祭に出演させたいと申し出るが、トラップ大佐は公衆の面前で子供達を歌わせることには大反対だ。エルザの提案で、屋敷でパーティーが開かれることになった。マリアは中庭でトラップ大佐と踊り、顔を赤らめる。それを見たエルザは、マリアとトラップ大佐の間に恋心が芽生え始めていることに気付く。子供達が部屋に戻った後、エルザはマリアの恋心を指摘し釘を刺した。もうここにいるわけにはいかない。そう思ったマリアはその晩のうちに、本当の理由を一家に告げず、トラップ家から立ち去った。

【転】
マリアが「修道院が恋しくなった」という手紙だけを残していなくなり、子供達は落ち込んでいた。エルザとトラップ大佐は結婚を決めるが、エルザと子供達はまだ打ち解けていなかった。子供達は修道院へマリアを訪ねに行くが、マリアは部屋に閉じこもり会うことはできなかった。修道院長はマリアがトラップ大佐に恋していることに気付く。修道院長はマリアに、隠れずに自分の生きるべき道を探すよう告げる。マリアが戻り、子供達は大喜び。しかしマリアは、トラップ大佐の婚約を聞き言葉を失ってしまう。

その夜、トラップ大佐はバルコニーから、マリアが散歩する様子を見つめていた。トラップ大佐彼女への気持ちが本物だと気付いたエルザは、自ら婚約解消を申し出る。トラップ大佐はマリアを追い、愛を告げた。お互いに想い合っていたことを知った2人は結婚した。

オーストリアがナチスドイツに併合された。トラップ大佐とマリアはハネムーン中、マックスはその隙に、子供達と今夜のザルツブルク音楽祭のリハーサルをしていた。そこにナチス政府の司法長官が現れる。彼はトラップ大佐を探していた。ロルフもトラップ大佐宛の電報を届けに来た。ロルフはナチス側のもっと重要な職に就くのだと息巻いていた。トラップ大佐とマリアがハネムーンから帰宅し、トラップ大佐は子供達の音楽祭出演に猛反対。電報はドイツ海軍からの召集令状だった。ドイツのために戦うことを断固拒否したいトラップ大佐は、家族と共に夜の内に国外脱出することを決める。

【結】
一家とマックスは車を押して秘密裏に屋敷から出ようとするが、司法長官の待ち伏せに遭ってしまう。そのまま司法長官に任地まで護送されるのを避けるため、一家は全員で音楽祭に出るのだと主張する。音楽祭で一家は歌を披露し、トラップ大佐が祖国オーストリアを想い歌った「エーデルワイス」に、会場は1つになる。一家は審査結果発表待ちの間に、会場から逃げ出した。

トラップ一家は修道院長達の手助けを受け、国境の道路は封鎖されてしまったと教えられる。修道院長は徒歩で山越えしてスイスに抜けるのがよいとアドバイスしてくれた。ナチスの追手が修道院にもやってきて、一家は物陰に潜む。しかしリーズルが、その中にナチスの親衛隊となったロルフがいるのを発見してしまう。トラップ大佐はロルフを説得しようとするが、ロルフは仲間を呼んでしまった。

追手は一家を車で追いかけようとするが、修道女達が車を故障させてくれていた。トラップ一家は無事逃げ出すことができ、山を越え、スイスへ向けて歩いて行った。

The End _MIHOシネマ

第38回アカデミー賞 作品賞 監督賞 編集賞 編曲賞 録音賞 受賞


みんなの評価 4.52/5.0

最高 (^0^)

とにかく音楽が素晴らしい!
ストーリーも実話という話題作。
ジュリーアンドリュースの超はまり役。
絵にかいたような名作です。

最低 ( ` 3´)

長い。退屈。面白くないの三拍子揃った駄作。


マリア 投稿日:2021年01月02日 11:46 No.716


サウンドオブミュージックのモデル、トラップ一家の物語

1911年 ゲオルグ、最初の妻アガーテと結婚
トラップ大佐こと、ゲオルク・フォン・トラップはアガーテ・ホワイトヘッドさんと結婚します。

1914年~1918年の第一次世界大戦を挟みつつも(ゲオルクはオーストリア海軍の英雄として大活躍した)、11年の結婚生活の間で7人の子供に恵まれます。
ゲオルクさんすごいな…。

映画とは子供の順番や名前が違っています。

マリアと再婚した時点で
長男: ルーペルト 16歳
長女: アガーテ 14歳
次女: マリア 13歳
次男: ウェルナー 12歳
三女: ヘートウィク 10歳
四女: ヨハンナ 8歳
五女: マルティーナ 6歳

一番上が男の子だったんですねー。

なお、長女が今の奥さんと一緒の名前、次女が次の奥さんと一緒の名前です。ややこしいな!
映画で名前変えちゃったのも仕方ないですねー。


1919年 ゲオルク、海軍退役。
ゲオルクは数々の戦功をあげ、魚雷鑑の艦長→潜水艦艦長→潜水艦基地の指揮官と出世を重ねます。

装甲巡洋艦とか撃沈してたりガチでオーストリア海軍の英雄だったようです。

もらった勲章も以下の通り。

マリア・テレジア軍事勲章騎士十字章
レオポルト勲章騎士十字章
プロイセンの一級鉄十字章
オットー戦功章
カール勇猛章

しかし、彼は海軍を退役します。それはなぜか?

第一次大戦で領土を失い、オーストリアに海がなくなったからです。

ちなみに退役時は小佐です。史実では「トラップ小佐」です。なんで大佐にしたんだろ、箔をつけたかったのかな?
退役した彼はドナウ川沿岸の水運会社を共同設立したそうです。


1922年 妻アガーテ死去
長女アガーテの猩紅熱を看病していた妻は、直後に同じ病気にかかり32歳の若さで命を落とします。

なお猩紅熱とは、いわゆる溶レン菌(溶血性連鎖球菌)による病気の一種です。
今ではペニシリンなどの抗生物質で治療できるのですが、ペニシリンの発明は1928年。当時は手だてがありませんでした。


1926年 マリアが家庭教師としてトラップ家へ赴く。
映画ではここから始まりますね。史実ではいくつか違いがあります。

マリアはおてんばが原因で派遣されたのではなく、修道院の暮らしになじめず体調を崩し、辞めたあとに紹介された。
七人全員の家庭教師ではなく、体が弱く学校を休みがちだった次女と幼い四女のため。
映画前半ゲオルクは非常に厳格に描かれているが、実際はとても優しい人格者だった。
亡命するのは結婚の11年後。
けっこう違いがありますねー。
特にゲオルクの描かれ方には家族から大きな反発があったそうで、実際のトラップ一家は映画に否定的なイメージを持っているそうです…。

亡命時期が結婚直後になってるのは、映画の展開上の都合でしょう。

なお、マリアが元々歌が大好きで、子供たちと歌や遊びを通じて仲良くなったのは史実と同じだそうです。

1927年 ゲオルクとマリアが結婚。
結婚は史実でも早いんだね!!
ゲオルクは当時47歳、一方マリアは修道院出の22歳…。

その後、二人の間にはさらに3人の子供に恵まれます。

1933年 オーストリアを金融恐慌が襲う
オーストリアを金融恐慌が襲い、ゲオルクの友人が経営する銀行もピンチに陥ってしまいました。
また、その銀行の共同設立者は亡妻の兄弟でもありました。

友情か義理人情か、ゲオルクは、イギリスの銀行に預けていたトラップ家の資産をほとんどその銀行に投入します。

しかし、あえなく銀行は倒産してしまい、トラップ家は破産してしまいます。

意気消沈したゲオルクに代わって精力的に動き出します。
屋敷の空き部屋を神学生に貸し出したり、生計の足しにと各地の催しで家族の歌を披露したりします。

なるほど!史実ではこんな風にトラップ合唱団が出来上がっていったのですね。
それにしてもマリア、頼りになる奥さんです。


幸運にも、宿舎つきの神父フランツさんがローマで教会音楽を学んだ聖歌のプロフェッショナルでした。
兄弟は彼の歌の指導を受けることでどんどん実力を付けていきます。

1935年 ザルツブルグ音楽祭で優勝。
トラップ家はとうとう、ザルツブルグ音楽祭の大衆歌手コンテストで優勝しちゃいます。メンバーはマリアと兄弟姉妹。

1938年 オーストリアがドイツ併合。トラップ一家亡命。
よう~やく、映画の山場にあたるトラップ一家の亡命ですね。

でも実際には

長男ルーペルト 27歳
長女アガーテ 25歳
次女マリア 24歳
次男ウェルナー 23歳
三女ヘートウィク 21歳
四女ヨハンナ 19歳
五女マルティーナ 17歳

さらにこれにマリアが産んだ2人の子供もいて、さらにもう一人妊娠中です。

ドイツに併合されたものの、ゲオルクはナチスの旗を飾ることを拒否し、またドイツ海軍からの召集も拒否します。さらにアドルフ・ヒトラーの誕生日パーティーで歌えって言われて激怒します。
…でも「だが断る」って言うのもさすがにそろそろやばい。彼らは一家で亡命することにしたそうです。

映画では山越えでスイスに亡命していましたが、実際には汽車による亡命でした。
その後、イタリア→スイス→フランス→イギリス→アメリカと移動します。
各国を転々となにしろ亡命ですから、5~6週間くらいしか滞在ビザをだしてもらえなかったんですねー。

1940年 大手プロダクションがプロデュース。
しかし今回も彼らは自分たちの歌によって道を切り開きました。
アメリカでも徐々に歌で人気を得ることができ、1940年には大手プロダクショがプロデュースを引き受けてくれました。


1947年 ゲオルク死去
コンサートツアーの途中、ゲオルクは体調を崩してニューヨークで入院。
その後バーモント州の自宅で静養するが、肺ガンのため67歳で亡くなりました。

映画では軍隊式で厳格な父として描かれていましたが、むしろ勝ち気なマリアを優しくなだめたり、トラップ合唱団の本当のまとめ役は彼でした。

マリアは、自分たちが映画化される際に、事実を脚色することには拘りませんでしたが、彼が横暴に描かれたことだけは強く抗議しました。

この時マリアはまだ42歳。
年の差はわかっていたこととは言え、この年で伴侶を亡くすのはつらかったろうなあ…

1949年 自伝出版
マリアが1949年に自伝『トラップ・ファミリー合唱団物語』を出版し、これがベストセラーになります。

さらにマリアは続けざまに
1952年に『ある家庭の聖書研究』
1955年に『トラップ一家の一年』
などを出版します。

1956年 映画化
自伝の人気も手伝い、ドイツの映画会社が映画化権とそれに関する権利を9000ドル(現在の100万ドルくらい)で買い取ります。
そして制作された映画が、「菩提樹」です。

実はトラップ一家をモデルにした映画はドイツで作られたこの映画が最初なんです。サウンドオブミュージックではないんですね…。
ドイツ語だし、ミュージカル調でもありません。

再び映画化
そしてトラップ一家は1958年、再び映画化されます。
『続・菩提樹』です。

なお、『菩提樹』はアメリカに亡命するまで、『続・菩提樹』はサウンドオブミュージックでは描かれなかった亡命後のアメリカでの困窮と苦難との戦いを描いております。

アメリカのプロダクションがその映画の権利をさらに買い取ってミュージカルをつくることにしました。
1959年 ミュージカル『サウンドオブミュージック』です。

1965年 ミュージカルのヒットを受けて、ついに映画 『サウンドオブミュージック』 がつくられました。

その後…
その後のトラップ一家はどうなったのでしょうか。

マリアが産んだ二人目の子供(家族の9番目の子供)ヨハネスは、アメリカ・バーモント州のトラップ一家が暮らした家を「トラップ・ファミリー・ロッジ」として経営しています。
今でも数多くの観光客が宿泊し、映画やトラップ一家の思い出を楽しんでいます。





次男ウェルナーの娘(マリアとゲオルクの孫)であるエリザベス・トラップ(Elisabeth von Trapp)はフォークシンガーとして活動しています。

彼女が産まれて2年ほどで「トラップ一家合唱団」は活動を終えていましたが、父親の歌とギターに親しみ、トラップ一家の歌と音楽に囲まれながら育った彼女は、自然と音楽を生業とするようになりました。

若い頃は結婚式や教会のゴスペル演奏、タウンホールでの演奏などをして暮らしていましたが、今ではCDを出すなど立派なアーティストとして活躍しています。

映画を越える激動の人生を終えたマリアは、1987年3月28日、静かに息を引き取りました。
ゲオルクに先立たれて40年後、82歳でした。

年表
1911年 ゲオルグ、最初の妻アガーテと結婚
1919年 ゲオルグ、海軍退役。
1922年 妻アガーテ死去
1926年 マリアが家庭教師としてトラップ家へ赴く。
1927年 ゲオルクとマリアが結婚。
1933年 金融恐慌により破産。生活のために歌を披露しだす。
1935年 ザルツブルグ音楽祭で優勝。
1938年 オーストリアがドイツ併合。トラップ一家亡命。
1940年 大手プロダクションがプロデュース開始。全米でも人気を博す。
1947年 ゲオルク死去
1949年 『トラップ・ファミリー合唱団物語』出版。ベストセラーに。
1955年 『トラップ一家の一年』を出版。
1956年 映画化権を映画会社に売却。『菩提樹』公開
1958年 『続・菩提樹』公開
1959年 ミュージカル『サウンドオブミュージック』公開
1965年 映画『サウンドオブミュージック』公開
1987年 マリア死去
1991年 世界名作劇場にて『トラップ一家物語』放映




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