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た
わし
投稿日: 2025年03月19日 22:20
No.962
【返信
】
インターン生として初めて勤めた美容室はオレ以外の新入社員はオレより数日先に入社式を終えていて、日光からの引っ越しとか有って1人だけ後から出社する事に成った。社員用通用口とか知らなかったので、デパートの開店と同時にエレベーターでお客さんと一緒にお店に入って行った。50人位居る店で大きなフロアを3つに分けてA班・B班・D班となぜかC無しの3班での営業体制だった。オレが新入りでしかも開店してからの出社なので1年生だけ10人位別室に集合されてオレ1人が前に先生と並んで立たされて「栃木県の日光市から来た鈴木君です。自己紹介をお願いします。」と紹介されて「日光から来ましたスズキショウジです、どうぞよろしくお願いします。」と日光訛り(自分では標準語で言ったつもり)で挨拶をした。男2人と女性が9人かな順番に名前を言って挨拶した。男2人なので名前は直ぐに覚えたけれど、女性は同じ班に成ったミヤギさんと声が小さかったのでシラサワさんと聞こえた(後でシラスナだと分かった)2人しか覚えなかった。仕事は床の毛を掃く事と先生に頼まれたパーマのロッドを揃えたり、時間を持たされて薬を付けたり・・・などなど雑用だけだった。そして仕事が終わると掃除をして練習会に成る。控室に名前と出来る仕事に丸を付けられる票が張られて、ヘッドマッサージに始まりハンドマッサージ・シャンプー(ショートとロング)・ワインディング(パーマを巻く)・ヘアダイ塗布・バック・ブローとお客様に係わる仕事をパスして行く仕組みだった。1年の間はその店の下仕事を覚える事と国家試験の練習ばかりでカットの練習は全く先の話って感じだった。2年生に成って後輩が入社して来て初めてカットの練習が許された。作りたいスタイルにカットするには髪の毛をブロッキングと呼ぶ分けて部分的に切って行く教え方だった。「櫛で髪を頭皮から何度に引き出して何度の角度で切る。」みたいな感じを繰り返した。各個人の頭に形に髪の量と毛質・毛流によって全く同じ切り方をしても違う形に成ってしまう。リクエストを叶えることが出来ない場合も有る事を見抜けないと失敗作を作ってクレームに成ってしまう。もっと簡単に考えてたから悩む事に成った。色んな仕事を知る内に撮影の仕事や講習会の仕事とかに興味も出て来た。そういった仕事をする先生に出会って岐阜に行く事に成ったけれど、何人かの芸能人の髪を扱う経験も出来た。(荒木祐子、酒井幸恵ピンポンパンのおねえさん、朝岡雪路、向井亜紀)だけだったけど。
さるま
わし
投稿日: 2025年03月19日 20:09
No.961
【返信
】
自分で選んで生きて来た人生。
もう一度20才からやり直せるとしたらどう思う?
人生の選択をした分岐点が有っただろう。
あそこで別の道を選んでいたら・・・?
「私は真剣に選んだ。」と言えるだろうか?
その時は真剣だった気がするけれど。
熟考してはいなかった気がする。
選んでしまったのだから続けるしか無いと思った気がする。
それでもこの人生を後悔する事は無い。
じぶんは一生懸命に生きた結果と思って居る。
い
わし
投稿日: 2025年03月16日 08:00
No.960
【返信
】
東京が好きだった。東京で成功したかった。成功の形は想像出来なかったけれど、ミツルには「十分成功出来た方だよ。」と言われたり、「自分の幸せに気付いて無いよ君は。」とか言われたりもしたけれど。最初の頃は「目標とは想定の120%を目指す事」と捉えていた。結婚直後に就職した時に「毎年2割増しの成長が出来ないと膨らむ日本経済に追いついて行けない。」と会社の社長に要求されて居た事の受け売りだった。それでも現実的に想定しても100%とする数字が叶えば色んな道が開けて来るのは理解できた。ところが実際はいつも目標の7~8割までしか届かない。そして溜息ってのを繰り返していたから出る言葉は愚痴ばかりだった。 いつでもオレにはミツルの経済力が憧れだった。彼は毎月15万円位が2回有った。しかも家賃と食費が無い。同じ時期にうちは家賃と食費だけで20~25万円位は東京の杉並のアパート暮らしで必要だった。それを足せば彼は月給50万円位有った感じだっただろう。オレが独立してからも借金返済が月に50万円位有って、家賃は無かったけど電気・ガス・水道・電話などは払って、食費だけを6万円母に渡す暮らしだった。税務申告上は年収800万円位が続いたけれど、返済額を引けば年収200万円の時と変わらない暮らしぶりだった。だから8桁の借金を抱えて居ながらも、35歳でミツル家族とサイパン旅行出来た時は夢心地だった。相変わらずミツルは行けて当然の暮らしだった(両実家から10万円づつの餞別をもらえたり)けれど、そんな彼と家族を連れて海外旅行出来て居る自分が気持ちよかった。
い
わし
投稿日: 2025年03月14日 22:37
No.959
【返信
】
東京が好きだった。東京で成功したかった。成功の形は想像出来なかったけれど、ミツルには「十分成功出来た方だよ。」と言われたし、「自分の幸せに気付いて無いよ君は。」とか言われたりもした。最初の頃は目標とは想定の120%を目指す事と捉えていた。35年前は「毎年20%の成長をしないと膨らむ経済に追いついて行けない。」って勤めてた会社の社長の要求の受け売りだった。それでも現実的に想定しても100%とする数字が叶えば色んな道が開けて来るのが分かった。ところがいつも目標の7~8割までしか届かない。そして溜息ってのを繰り返していた。
かんむり
わし
投稿日: 2025年03月14日 07:57
No.958
【返信
】
親を意識しないでユウコちゃんにチョッカイ出してたらどう成って居たんだろう・・・。あの時点で彼女よりムロイやアンコを選んでるわけだから、交際する内に「好きから大好きに変わって行く」は無かっただろうなぁ。結局縁は無かったんだと思うなぁ。「初めは好きじゃ無かったのに」ってケースはヨメが初めてだったな。第一印象に好みの感情皆無から「あれ、この子ってカワイイんじゃ無い?」に変わって行った。でも「本当に一生好きで居られる子なんだろうか?」では迷って居たしなぁ。そう思うとミツルの選択は結果論として正解だったように思うけれど、けれ自身では不本意だったというか勢いで進めてしまった感が強かったんだろうなぁ。でも「本当はオレが世話しなきゃ成らないと思ってた」彼女との結婚は破綻する方向に進んだ気がする。彼の受け入れた経済状況を受け止めてくれる器は奥さんにしか無かったな。必要な生活費を入れてくれないのに運動や祭り事に時間を割いてる状況は奥さん以外じゃ絶対に容認してくれなかったと思う。「遊んでないで働いて!給料無いならバイトでもして!」と言わなかった奥さんに感謝の言葉は無かっただろう?オレは「よく言わないねぇ。」と言った事が有ったけど、「言って聞く人じゃ無いし、言ったら終わりだと思う。」と言ってた。オレはそうかなぁ?と思ってたけど、「この奥さんならやりたいようにさせてくれる!」と過信してたね。反攻しても良かったのだけれど、閉鎖的な日光じゃ行くところが無くなっちゃったかもしれないねぇ。
うる
わし
投稿日: 2025年03月13日 07:30
No.957
【返信
】
いい年こいた仕事して無いようなオヤジが若い娘にストーカー殺人したかなって感じ。「2カ月で250万円以上13回に分けて貸したのを返さないから殺した。」って事で裁判所からも返済命令は出ていたらしい。でも職業不詳のオヤジが20万円位を13回って事は毎週貸す行為って何か下心と言うか他意が無いか?オレは娘にだってそんな貸し方をしないな。裁判所が返済命令を下したわけだから不純な契約や関係は無かったにせよ。250万円ってオレの年収の3倍だし・・・ありえないけどなぁ。
おなかこ
わし
投稿日: 2025年03月12日 20:40
No.956
【返信
】
確かにオレが望んだ事が少しは出来たかな。都内の億ションに住んで年収2千万円位の暮らしは出来なかったけど、たまぁ~にベンツのクーペで銀座とか六本木へ犬連れで行き2~30万円の買い物をしてランチして帰って来る。最高額はダイヤの付いた文字盤が貝で出来てる腕時計に、D・バックルと色違いのクロコダイルのベルトを付けたのが80万円位だった。後々電池交換だけに7千円とかムーブメント交換に5万円だったり、その度にルイ・ヴィトンにちゃんとお客様扱いされに行ったりしてた。偽金持ちをしてみたけど・・・・老いて来ちゃうとつまらないね。一番気持ちよかったのは1992年35才の時に逆輸入した左ハンドルの新型フェアレディZに乗ってホテルに行ったりレストランに行くと、「若いのが凄いのに乗ってるな。」って視線をビシビシ感じた時かなぁ。成田空港に到着して預けた車を届けてもらう時なんかも「凄いの乗ってますねぇ。」と荷物を積んでる時に何度か言われたりして嬉しかった。
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