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南部九州(上野原)には紀元前6世紀から準構造船があった。 ( No.127 )
日時: 2021年04月27日 09:54
名前: オヤジッチ [ 返信 ]
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2021/04/23南日本新聞より
 鹿児島県立埋蔵文化財センターは23日、南さつま市金峰の中津野遺跡で2008年度に出土した木材が、約2500年前(弥生時代前期後半)の「準構造船」の部材と判明したと発表した。国内の出土例を100年ほどさかのぼり、最古級という。専門家は「高度な造船技術で、外洋航海が行われていたことを示す証拠」と評価する。27日から上野原縄文の森(霧島市)で公開予定。

 準構造船は丸木舟から発展し、積載量を増すため側板などを取り付けたもの。

 センターの寺原徹調査課長によると、木材はカヤ製の板で、長さ2.7メートル、幅30センチ、厚さ5センチ。18年から本格的に調査し、形状やほぞ穴から準構造船の舷側板と判断した。その後の放射性炭素年代測定で、紀元前5~4世紀の木材と分かった。
 板は水の抵抗を防ぐためか、片面が丁寧に削られている。また別の舷側板と連結した跡があり、船の全長は6メートル程度と推定される。
 中津野遺跡は東シナ海につながる川に面し、弥生時代の交易を示す高橋貝塚も近い。

高橋貝塚は南さつま市(金峰町高橋)にある標高約11mの砂丘内部の低い台地にあり,縄文時代晩期~弥生時代中期の貝塚。1962・63年発掘調査され,市の指定史跡。
籾痕(もみこん)のある土器や石包丁,柱状石斧(ちゅうじょうせきふ)など稲作農耕の存在を示すものや,南海産の貝輪未製品が出土するなど交易のうえでも貴重な遺跡である。

狗奴国(南部九州)は邪馬壹國連合(北部九州)と拮抗する勢力があったであろうことの状況証拠、北部九州の首長層が腕につけていた貝輪の供給元でしょう。ところが、北部九州で青銅製品(銅戈・銅矛)が会話にとってかわったため買い製品が売れなくなり、『倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和』の原因となったのでしょう。そこで、呉が軍事顧問団を狗奴国へ呉が邪馬壹國連合へ(-_-;)

画像を3個使えるようになったので、平塚川添の禁教をアップします。


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Re: 南部九州(上野原)には紀元前6世紀から準構造船があった。 ( No.142 )
日時: 2021年04月28日 23:56
名前: 石見介 [ 返信 ]
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 これは素晴らしい発見ですね。

 おそらく、『漢書』地理誌分野誌呉地の条の、会稽郡に献見した「東鯷人」20余国の、東シナ海直行航海能力の
基盤となった技術でしょう。


Re: 南部九州(上野原)には紀元前6世紀から準構造船があった。 ( No.148 )
日時: 2021年04月29日 15:38
名前: いとな [ 返信 ]
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ニュースに掲載された写真の「舷側板に無秩序に空いた穴群」を見ると、首を傾げます。
果たしてこれが舷側板?

(木材のC14測定ではBC5~4Cとのこと)

舷側板や竪板などを丸木本体に取り付けるための加工には鉄器が必要ですが、鉄製工具類はあったのでしょうか?

色んな疑問が浮かび、中津野遺跡・発掘調査報告書を検索しましたが、出されているのは同遺跡の大地部編しかなく
沖積地編は未だのようです。大地部編の弥生集落を見ますと、土器・石鏃・スクレイパーだけで当然のことながら鉄器は1片も見当たりません。
大体、列島における鉄器の導入はBC4世紀後半の九州北部が最初です。
しかも同地で国産鉄工具が多品種見られるようになるのは紀元前後です。あまりに飛躍が過ぎます。

新聞報道によりますと柴田昌児氏(愛媛大学)は「東シナ海を介し、造船技術も大陸の影響を受けていたのではないか」とあります。
そのような見解を出すには、大陸由来の優秀な鉄器類の存在、そして多くの到来品が発掘されて当然なはずですが?


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