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ニュースに掲載された写真の「舷側板に無秩序に空いた穴群」を見ると、首を傾げます。 果たしてこれが舷側板? (木材のC14測定ではBC5~4Cとのこと) 舷側板や竪板などを丸木本体に取り付けるための加工には鉄器が必要ですが、鉄製工具類はあったのでしょうか? 色んな疑問が浮かび、中津野遺跡・発掘調査報告書を検索しましたが、出されているのは同遺跡の大地部編しかなく 沖積地編は未だのようです。大地部編の弥生集落を見ますと、土器・石鏃・スクレイパーだけで当然のことながら鉄器は1片も見当たりません。 大体、列島における鉄器の導入はBC4世紀後半の九州北部が最初です。 しかも同地で国産鉄工具が多品種見られるようになるのは紀元前後です。あまりに飛躍が過ぎます。 新聞報道によりますと柴田昌児氏(愛媛大学)は「東シナ海を介し、造船技術も大陸の影響を受けていたのではないか」とあります。 そのような見解を出すには、大陸由来の優秀な鉄器類の存在、そして多くの到来品が発掘されて当然なはずですが? |