金関 恕氏が発見した国宝・中平銘鉄刀(東大寺山古墳出土)。 その鉄刀の主、和邇氏とヒミコは繋がるのか。 繋がります。 和邇氏はトヨから始まります。 事代主 ┣━━━━━━━━━━━━┓ 天日方奇日方(鴨王) ヒメ(踏鞴五十鈴)媛━━神武 ┣━━━━━━━━┓ 建飯勝 渟名底仲媛━━ 安寧 ┃ ┃ 建甕尻 息石耳 ※ヒメ踏鞴(248年没) ┃ ┃ 豊御気主 トヨ津媛━━ 懿徳 ┃ ┃ 大御気主 孝昭 ┃ ┃ 阿田賀田須 天足彦国押人命 ┃ 和邇日子押人命 ┣━━━━━━━┓ 彦国姥津命 姥津媛(開化天皇妃) ┏━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━┳━━━━━━┓ 伊富都久命 彦国葺命 小篠命 乙国葺命 ┏━━━━━━┳━━━━━━━┫ 【丈部氏祖】 【吉田氏祖】 彦忍人命 建耶須禰命 大口納命 【飯高氏祖】 (武社国造) ┃ ┣━━━━━━━┳━━━━━━━┓ 八千宿禰命 難波根子武振熊命 彦汝命 真侶古命 (吉備穴国造) 【和邇氏祖】 【葦占氏祖】 (額田国造) 邪馬台国の都はヒメ踏鞴やトヨ津が住んだ葛城、奈良県御所市。 魏志倭人伝の女王国とは葛城王朝でした。 神武東征紀とは、実際には女王国であった史実を隠ぺいするための大袈裟な記述であった事が分かります。 |
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日時: 2018/04/22(日) 12:53:58 メンテ 名前: トミー p君さん 談話室に出したものです。出雲と葛城と関係有りの考古学的証拠の一つです。 出雲と葛城を結ぶ糸(考古学と伝承) 島根県教育庁埋蔵文化財調査室センターに所属される考古学専門家 中川寧先生の論考です。 邪馬台国時代の出雲と大和(ふたかみシンポ2003年)で発表されました。 大和の葛城地区は庄内式土器が非常に少なく、庄内式末~布留式初頭に至って葛城地域の太田当麻遺跡は布留系要素の顕著な土器群が現れるようである。弥生時代後期の土器様相が残存すると言い換えることもできるが、太田遺跡では小形の鼓形器台など特徴のある山陰系土器が出土している。これらのことから出雲と交流があったのは・・・ 大和の中でも纏向遺跡のような庄内甕が多く出土する地域よりも、例えば葛城のような弥生後期の土地様相が残った地域であったかも知れないと。 これが皆さんご存知の書紀の蹴速伝承につながるかもしれない。 『日本書紀』によれば、大和国の当麻邑(たいまのむら、現奈良県葛城市當麻)に住む力持ち、のことを聞いた垂仁天皇が出雲国から勇士であると評判の野見宿禰を召し寄せ、捔力(すまひ)で対戦させたところ、互いに蹴り合った後に、腰を踏み折られて死んだといい、蹴速の土地は没収されて、勝者の野見宿禰の土地となったという。 「 後世、野見宿禰と共に相撲の神とされ、両者が相撲を取った地であると伝える奈良県桜井市の穴師坐兵主神社の摂社、相撲神社に野見宿禰とともに祀られている。 大和への出雲族進出の物語と私は思っています。 太田はオオタタネコを考えますね。堺の須恵邑にいた事になっているので須恵器を考えてしまいます。母は大物主、母は陶津耳とすると5世紀前でしょうか。布留式登場は3世紀半ばあたりからでしょう。大物主はオオナムチ 出雲ですね。大田神社は全国にあります。鴨市の関わる場所や神社に大田の地名が大田神社とつく。 加茂と銅鐸、銅鐸は祭祀用です。国学院大の大場先生が興味を持たれたのも尤もでしょう。この相関がどの程度あるかを実証できるかどうかです。 |
朝貢年 266年 台与 トヨ津 ・ 238年 卑弥呼 ヒメ踏鞴 ・ ・ ・ ・ ・ 107年 倭国王・帥升 スサノオ つまり邪馬台国=大和朝廷はその初現の段階から中国に朝貢していた。 スサノオはわざわざ海を渡り、後漢・安帝に謁見、土下座した。 この【屈辱的な史実】を日本書紀は書けなかった。 だから基点となる神武時代をBC660年と大きく古くずらし潤色した。 その結果100歳を超える天皇が誕生した。 そして実際には女王国であった時代も、やたら猛々しい神武東征紀で男王国であるかのように演出した。 さらに神武とヒメ踏鞴に「天皇・皇后」という新称号を与え、 女王であったヒメ踏鞴を皇后にした。 そして高天原の場所もまるで九州ともとれるように潤色した。 これが日本の歴史の真相である。 |
トヨ津媛をトヨではないかと最初に言われたのは古代史家・大平裕氏。 ちなみに大平元総理の息子さんです。 私がネットを始めた20年近く前に大平リポートに書かれてました。 しかしながら大平さんはヒミコまでには至らず、最近では卑弥呼=アマテラスで箸墓古墳というちょっと意味不明な説になっておられます。 トヨ津媛の少し前のヒミコという発音に近い最高位の女性は一人しかいません、と言いたいところですが、もう一人いるのです。 鴨王こと天日方奇日方の后である日向賀牟度美良姫(ひむかのかむとみらひめ)です。 ヒメ(踏鞴五十鈴)媛がヒメならこちらはヒムになります。 しかも神武・ヒメ(踏鞴五十鈴)夫妻にとっては義理姉になります。 なにかと気を使ったでしょう。 彼女がもし天日方奇日方に先立たれてたとしたら「年すでに長大 夫婿なし」状態になります。 とはいえ日向はあくまで地名(出身地?)であり、彼女の名前は美良姫でしょうから、やはりヒミコとはヒメ(踏鞴五十鈴)媛で間違いないと思われます。 |
【臺與】 長生きし、推定70歳後半まで生きたた卑弥呼のあとを13歳で継いでるわけだから、卑弥呼との世代差は約3世代。 ならば、 ➀万幡豊秋津師比売説 アマテラスの息子・天忍穂耳命(アメノオシホミミ)と結婚し、 天火明命(アメノホアカリ)と邇邇芸命(ニニギ)の母となってるので、 アマテラスとの世代差3世代での説明が苦しい。 また神武の曽祖父ニニギが3世紀末あたりになるが、これはとても無理。 ②天豊姫命説 崇神時代の建諸隅命の子なので時系列として無理。 考古学的にも文献史的にも崇神を4世紀初頭から前半とするのが有力なので、 崇神を3世紀中頃の人物としなければ無理。 ③豊鍬入姫命説 崇神天皇の皇女だから、モモソ媛を卑弥呼とし、モモソ媛を崇神の2世代前とすれば世代差は説明できる。 しかしこれも上記、崇神を4世紀初頭から前半とするのが有力なので時系列として無理。 ④豊姫説 4世紀後半の神功皇后の妹だから論外。 つまりwikiの臺與候補は全員あてはまらない。 というわけで臺與の条件をたった一人、トヨ津媛のみがクリアする。 しかも【国宝】中平銘鉄刀の保持者・和邇氏の祖・孝昭天皇の母である。 卑弥呼とは彼女から3世代前のヒメ(踏鞴五十鈴)媛である。 |