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公孫氏の系譜 ( No.114 )
日時: 2021年04月21日 11:14
名前: いとな [ 返信 ]
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「古代氏族系譜集成」編著者 宝賀寿男

『公孫系図1』第三編・諸蕃氏族 第一章 其他中国系氏族 (7)遼東太守燕王公孫淵後裔
   「田燕氏として百済に十代以上住、比善那かその子の眞高兄弟が推古朝迄に投下。」
    (以下新撰姓氏録の略系記載あるも省略)       ※編著者の著述であろう 

『公孫系図2』第一章 (3)赤染造、常世連、赤染連
   「済南太守・公孫遂の六代後に公孫延(遼東太守・公孫度の父)」
   「最後の遼東太守・公孫淵の子・修(父と共に被斬)の弟・格に関する記載あり。
    父兄敗死時幼稚母楊氏胞之(?=上に中、下に牛二つ)百済更姓田燕氏」」
    ※格の11代後に比善那(内法奈率)の名が見え、その子眞高と牧手の名があるが、両名の注意書き
     を見ると、既に倭国在住となっていることが分かる。

『公孫系図3』系図2の続き
   「壬申の乱で功績のあった徳足の名がある」 ※徳足記載以降の頁の系譜掲載は省略する。


    


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Re: 公孫氏の系譜 ( No.145 )
日時: 2021年04月29日 09:42
名前: 当世奇妙 [ 返信 ]
いとなさん

公孫氏の滅亡後、公孫氏の子孫の一部が百済に在住。
更に百済滅亡後に日本列島に移動し、赤染氏ー常世氏と
なったということでしょうか?

系図2つは天地逆に添付ですね。


Re: 公孫氏の系譜 ( No.146 )
日時: 2021年04月29日 14:16
名前: いとな [ 返信 ]
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当世奇妙さん

まさに、その通りです。
魏の司馬懿仲達に滅ぼされた公孫淵の子・格が朝鮮半島南部に逃れ、その子孫が百済王家に仕え聖明王の時代に
奈率燕比善那と言う名で日本書紀に登場します。
公孫氏一族は、魏への逆賊として一族郎党皆殺しにあい根絶やしにされた(淵の叔父・恭だけは淵に幽閉されており
子もなかったことから許されました)とされていましたので、格の存在は大きな驚きです。

その比善那か、その子・眞高が倭国へ渡来して赤染氏を名乗り、後に常世姓を賜りました。
赤染氏は代々香春神社の宮司を務め、宇佐八幡宮の創設にも関与しました。
この土地柄から見て、秦氏や宗像氏(和邇氏)との深い繋がりがあるようです。
実際、壬申の乱の際に天武天皇を補佐して指揮を執った高市皇子(母は宗像氏)に仕えた赤染徳足は、臣下として
大きな功績があった、と伝えられています。


Re: 公孫氏の系譜 ( No.147 )
日時: 2021年04月29日 14:32
名前: いとな [ 返信 ]
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当世奇妙さんへ

お尋ねのこと、ひとつ見落としがありました。
「百済滅亡後に渡来して来たのか?」

⇒百済・聖明王の在位は523年~554年、となっていますので、滅亡(660年)より
ずっと前です。6世紀の半ば過ぎ、と言った時期でしょうか。
倭国では欽明天皇の時代ですね。


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