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秋の花 2 ( No.10 )
日時: 2021年04月08日 06:35
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新宿御苑の秋、菊の展示はすごい。

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Re: 秋の花 2 ( No.11 )
日時: 2021年04月08日 07:56
名前: 当世奇妙 [ 返信 ]
秋の花2のメインテーマは何を予定してますか?

Re: 秋の花 2 ( No.19 )
日時: 2021年04月09日 09:19
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>秋の花2のメインテーマは何を予定してますか?
*私のつぶやきです。
皆さんの参考になるものはありませんが。


Re: 秋の花 2 ( No.20 )
日時: 2021年04月09日 21:42
名前: 石見介 [ 返信 ]
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 橘様                                      
 討論室にご投稿されておられるので、反論を期待されているのかと思い、投稿したのですが、ご迷惑をおかけしたようなので、このレスを最後に,このスレッドからは撤退します。

> >全面的に嘘ばかり書いている筈もないでしょう。
> *本当の事をかいてあるのはどこですか?
                             
 記紀の近現代史である、継体欽明皇統以後以降は、脚色は有っても、基本的には史実だと考えています。
 又、その前の応神仁徳王朝の事績についても、応神天皇の出自等問題があるにしても、史実と考えて良いと判断しています。
 崇神皇統は、問題の邪馬台国の時期に入りますが、これも全く嘘だとは考えられません。
              
> >自分たち以外の人々にも、信じ込んでほしいわけですから、史実は当然折り込まれている筈です。
> *正しいと言う人を登用しただけの話でしょ。皆さん正しいというと
> 思いますよ。デタラメだと知ってても。
                                        
 これは、逆に橘様もご自分の意見が正しいと言う御証明は出来ないと思いますが?
                               
> >邪馬台国が近畿でない可能性は、当然ありますし、天孫降臨の地も、宮崎ではない可能性もありますし、抑々、天孫降臨は神話古伝承で、全く史実ではない可能性もあります。
> *あ、評論家さんですか。研究者ではないのですね。
                                                                                     
 勿論、古代史好きの素人で、専門外ですから、研究者ではあり得ません。また学史、研究史を踏まえないと、正しい評価や評論も出来るわけではないから、評論家という表現にもあたりません。
 当然、自他の仮説や解釈に対する評価は、行っています(全くその分野に暗く評価を控える場合も当然あります)からそれについて、コメントすることはあります。
 橘様は、そういうことな一切なされないのでしょうか?

> >?勿論、四国や朝鮮半島、満州に求める人もありますが、それは史料批判の問題で、考えるしかありません。
> *日本書紀や古事記の史料批判は当然おこなったのでしょうね。
> 古事記が存在する理由。古事記は33代で終わった理由も解ったのですね。
> よく勉強されてますね。

 皮肉は十分に理解しました。
 建設的な議論にはならない事が理解できましたので、先に述べたように、このコメントを最後に、退きます。

> >橘様は、どうも悉無葎でお考えのようですが、「史実が含まれている」と考えて、それを発見することを考えた方が、生産的なように思われますが。
> *だから何処に史実が含まれてるかをお聞きしているのですよ。
> ないもの捜すのは非生産的では?
> こういうレスしてるのも非生産的というか時間の無駄そのものです。

 仰る通り、非生産的ですから、今後はご迷惑はおかけしません。

> >史料批判をせずに、「陳寿を信じ通す」様な態度では、そうなりますが、通常の文献史学の手法に従って,科学性、客観性を可能な限り、意識して、考えるしかないでしょう。
> *倭人伝は充分史料批判されてます。岩波文庫の初めに書いてあると思います。
> 後漢書はあまり価値がないとも書いてあります。後漢書使って邪馬台国を捜す、これこそ史料批判してない証拠だと思います。
                                                              
 岩波文庫版の著者石原道博氏の、史料批判が、全面的に正しい、という前提でのご発言ですね。
 私は、岩波書院発行の『後漢書』訓注の吉川忠夫氏の解説「解題」やちくま学芸文庫版『三国志』の訳者陣の各巻末の解説を読み、石原氏の評価が間違っている、という判断をしました。
 范曄『後漢書』は、先行史書の陳寿『三国志』を、当然読み込んでいます。その上での、史才を当時評価され、後世まで他の後漢代史書群を圧倒して生き延びた范曄の『後漢書』倭伝を、陳寿『魏志倭人伝』の解釈の根拠に使用できるのではないか?と考えました。
 現代日本人の「解釈」と、陳寿と時代の近い大読書人范曄の、どちらの漢文解釈を採るべきか?私には、明らかのように思えたのですが。
                                                                                                                      
> *魏志の卑弥呼は、日本書紀に出て来ない。宋書の倭の五王と日本書紀では系図に合わないとこがある。王の名が1文字。王の名を略することはない。日本書紀と一致しない。隋書には王の妻とある。推古天皇の時代である。
> 中国書物と一致するとこはない。
> 他の所は正しいと言われるかも知れないが裏付ける文献はない。

 中国の史書が、遠い日本列島の情報を、どこまで正確に掌握し、正確に表現し得たのか?という史料批判の観点が、完全に欠落しているように思われます。
 何故、日本の史書以上に、中国の史書が正確だ、と「先験的に」決定できるのか、私には、理解できません。
 日中何れの史書も、当然同じ様に、可能な限り、客観的、科学的に、文献批判した上で、使用するしかないと、私は思います。
 自分で客観的、科学的と思っていても、他者から見て、恣意的、主観的だと思われるなら、その批判を受けて、考え直すしかない。
                                                                     
> 多くの人は、自分の考えに合うとこは事実として、自説に都合の悪いとこはつくり話。
> これではなんでもありだ。
> こんな説いくら言ってもなんの意味もない。

 仰る通りです。                           
 ご自分の仮説についても、同様の厳しい客観的な視点をお持ちである事を、願っています。
 私も、意識しても、ついつい、自説には甘くなる。
 だから、トンデモ度判定を行っても、無駄なのかもしれません。

 御不快をおかけし、重々お詫びいたします。
 今後は、ご迷惑をおかけしないように、心掛けます。


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