東アジアの古代文化を考える会 討論室 > 記事観覧
秋の花 2 ( No.10 )
日時: 2021年04月08日 06:35
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新宿御苑の秋、菊の展示はすごい。

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Re: 秋の花 2 ( No.23 )
日時: 2021年04月09日 22:20
名前: 当世奇妙 [ 返信 ]
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秋の花2のメインテーマは何を予定してますか?

Re: 秋の花 2 ( No.24 )
日時: 2021年04月09日 22:22
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>秋の花2のメインテーマは何を予定してますか?
*私のつぶやきです。
皆さんの参考になるものはありませんが。


Re: 秋の花 2 ( No.25 )
日時: 2021年04月10日 12:21
名前: 福島雅彦 [ 返信 ]
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> 橘 さんへ

*「水行十日陸行一月」=「投馬國」から「邪馬壹國」間の行程ではあり得ません。

∵「投馬國」は「邪馬壹國」以北の九ヶ国=「狗邪韓國」「對海(馬)國」「一大國」「末盧國」「伊都國」「奴國-1」「不彌國」「投馬國」「邪馬壹國」と北から順次南下して来て最後です。

∴以北は「以って北」ですから、「投馬國」と「邪馬壹國」は東西に並んでいます。

*「投馬國」まで「伊都國」から「水行二十日」=「邪馬壹國」へと同義です。

※「萬二千餘里」全体の所要日数は不明の筈がありません。

・「伊都國」から「投馬國」までの所要日数を先に記述したため、郡庁から「伊都國」までの所要日数を追記。

*「(伊都國の南至邪馬壹國女王之所)」までで段落、です。


Re: 秋の花 2 ( No.26 )
日時: 2021年04月10日 12:27
名前: 福島雅彦 [ 返信 ]
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訂正です。

「(伊都國の)南至邪馬壹國女王之所都」

前項の最後の行です!


Re: 秋の花 2 ( No.33 )
日時: 2021年04月10日 20:53
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>∴以北は「以って北」ですから、「投馬國」と「邪馬壹國」は東西に並んでいます。
*投馬国は、邪馬台国の北にあると私は解釈してます。

>「(伊都國の)南至邪馬壹國女王之所都」
*私は、投馬国の南に邪馬台国があると読んでます。


Re: 秋の花 2 ( No.35 )
日時: 2021年04月11日 19:03
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今日(11日)Eテレ 23:30からH3ロケットします。

Re: 秋の花 2 ( No.47 )
日時: 2021年04月13日 07:52
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上野ではやぶさ2のカプセル見てきました。
結構混んでました。


Re: 秋の花 2 ( No.49 )
日時: 2021年04月13日 08:41
名前: トミー [ 返信 ]
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> 橘 さんへ

「伊支馬」。岩波文庫の解説を読むと
> 伊古麻、生駒、活目かとある

橘さんがトミーに検討を委ねておられるのは、生目古墳と邪馬台国の関連ですね

南九州も視野に入れてこれから検討を始めます。


Re: 秋の花 2 ( No.75 )
日時: 2021年04月15日 12:31
名前: 福島雅彦 [ 返信 ]
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> 橘 さんへ

・郡使(魏使)は伊都國から先へは行っていません。伝聞記述です。これまでの行程記事と書き順を変えています。

*参問倭地…周旋可五千餘里 =郡使(魏使)が直接踏査した「倭地」の総延長です。

・「狗邪韓國」千五百里(逆算)+対馬海峡横断、三千餘里+「末盧國」〜伊都國五百里=ご千餘里。

7).魏使(郡使)は伊都國から先へは行ってナイ!

*「郡使往来常所駐」=郡使が來倭し常に留まる所=単に「滞在する」だけの意味ではなく、「駐」の旁の「主」は「とどまる意味。馬が立ちどまる意味を表す」『大漢語林』(大修館書店)。其の先の「東南至奴國百里…東行至不彌國百里」の解釈=行程の書き順が「方位+距離+国名」が「国名+距離」に変わり「又」の記述が無い。「東南に百里で奴國に至れる、更に東に行けば百里で不彌國に至れる」と述べている。

・「行」が不彌國にだけ使われている。郡使は伊都國から先へは行っていないが、陸行の続きで行ける、と。=投馬國水行への段落の為の表現である。
「從郡至倭海岸水行…東行至不彌國百里」の「從」と「行」が連続行程の始点と終点を意味している。≪【説文解字】「从彳亍。彳,小步也。亍,步止也。」より抜粋≫即ち、行人偏の「彳」は、「小步也=歩き始め」で「亍」は「步止也=歩みを止める」と。この解釈から重要な事が判った。
「水行十日陸行一月」=帯方郡~伊都國まで、だと。

8).「南至投馬國水行二十日」の南は所在の方位で、初動が南の意ではナイ!

*「(伊都國の)南の投馬國へは水行二十日で至れる」=不彌國からの行程ではなく伊都國からの行程である。「水行二十日」との特筆=陸行困難の意。
≪伊都國(三雲遺跡)~瑞梅寺川~今津湾~博多湾~御笠川遡上(閘門式)で源流近く~船毎担いで(「只越」)宝満川~筑後川~有明海~矢部川遡上=八女福島で二十日≫

9).「南至邪馬壹國女王之所都水行十日陸行一月」は投馬國から行程ではナイ!

*「(伊都國の)南の女王が都する邪馬壹國に至れる」。所要日数の記述が後ろにあるのは投馬國からの事ではないからである。

・「南至邪馬壹國女王之所都」で段落。「邪馬壹國」への行程記述は無い。詳らかになる「邪馬壹國」以北の九ヶ国を北から順に南下する=「狗邪韓國」、「對海(馬)國」、「一大國」、「末盧國」、「伊都國」、「奴國-1」、「不彌國」、「投馬國」、「邪馬壹國」。以北で最後に記述の「投馬國」と「邪馬壹國」は東西に位置し「伊都國」から等距離である。詰り「投馬國」への水行二十日に「邪馬壹國」は包含している。

・所要日数の記述は「伊都國」の「南至投馬國水行二十日」が初出である。萬二千餘里の全行程を知るには、帯方郡から「伊都國」までの「萬五百里」の所要日数が必要であるから、「水行十日陸行一月」を追記したものである。
邪馬壹國への行程は投馬國への途中から、「筑後川~巨瀬川遡上~うきは市(邪馬壹國)」である。「邪馬壹國」以北に投馬國は在るとは東西に並んでいる事になる。旧・八女郡星野村は明治の廃藩置県以前は浮羽郡側である。女王の奥座敷であった名残であろう。

「投馬(つま)國」の語源=“두메”(tu-mæ)國=双山國(對馬國と同義)=水縄連山(耳納山地)と筑肥山地の間の國の意=八女郡=「上・下妻(つま)郡」(倭名類聚鈔)。
・「薩摩」=“사-두메”(sa-tu-mæ)=「南・投馬國」である。
鹿児島県の事であるが、土地の人は「かごンま」と云う。“가것마을”(kagon-maeul)=行った者の邑(直訳)=「投馬國」の飛び地の意。「狗奴國」との境は「阿久根」=“아-”「狗奴國」である。

*「伊都國まで萬五百里」の所要日数=「水行十日陸行一月」。

・投馬國(「邪馬壹國」)までの「千五百里」の所要日数=「水行二十日」。
その合計が萬二千餘里の所要日数。外洋の水行十日と内陸の水行二十日とを書き分け。
 ※卑彌呼が狗奴國との交戦の窮状を訴え、「塞曹掾史張政」が黄幢を携え徼を伝えに来た。「萬二千餘里」の所要日数不明では最重要軍事情報が未完となる。そんな筈はない!


Re: 秋の花 2 ( No.76 )
日時: 2021年04月15日 12:47
名前: 福島雅彦 [ 返信 ]
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> 橘 さんへ

*『後漢書』の「自女王國東度海千餘里至拘奴國」=高知県。

*『三国志(魏志倭人伝)』の「奴國此女王境界所盡其南有狗奴國」=熊本県。

※ひこの両県は県民性が共通していて同族である。

・土佐イゴッソ=“외-고집”(oe-go-jib)=意地っ張り、依怙地、頑固一徹。

・「肥後モッコス」=“목곧이”(mog-goji)=一徹な人『民衆書林・韓日辞典』。 
  ※この「高氏」は高句麗建国王「朱蒙」の姓の「高氏」まで遡及する、かと。
 
∴この両方の「女王國」の位置情報を満たし得る「邪馬壹國」は、「水縄連山(耳納山地)」=「筑紫の日向の襲の高千穂の槵触る嶽」=「高天原」=「うきは市」である。

・宮崎は該当しません。


Re: 秋の花 2 ( No.106 )
日時: 2021年04月18日 17:26
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No71 おヒマありましたら お読み下されば幸いです。

Re: 秋の花 2 ( No.113 )
日時: 2021年04月20日 00:19
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> 橘 さんへ

生ジョッキ缶 おいしいです。泡がですぎて3分の1くらいこぼれた。


Re: 秋の花 2 ( No.150 )
日時: 2021年04月30日 18:55
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邪馬台国問題解決しないと日本書紀の
読み方はわからないと思う。


Re: 秋の花 2 ( No.151 )
日時: 2021年04月30日 18:56
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倭人伝に「其北岸狗邪韓国」とある。倭の北岸狗邪韓国 (釜山)。
つまり倭は、釜山の南にあるということ。
エジプト説や、近畿説、仙台説はなりたたないということ。
倭人伝は本当に情報が多い。邪馬台国の場所は一月もかからず
確定出来る。


Re: 秋の花 2 ( No.153 )
日時: 2021年05月01日 15:12
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今日(1日)Eテレで23時から西之島?の噴火記録します。
ご興味のあるかたは。

古代の人もみたのかな?海を混ぜると陸が出来る?


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