9002800





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【900系】阪急電鉄旧型車両スレ6【2800系】別室Part2-7

[1] 板主 :2021/05/24 08:07 No.2061
旧板はこちらです。
https://www.freebbs.biz/yy2ch/yy2ch.cgi?id=9002800

引き続きお願いします。

※前スレが終わってから、ご使用ください。

[228] 名無し :2022/11/14 15:39 No.2292
>>207
昭和50年代初め1975年の11月14日は金曜日でした。

1100系どころかまだ800,920系も宝塚線にいました。
801 928 944 810 1201 1203 1100 1108 1110 1113 1114 1115
2077 2081 2084 2087 2150 2156 2161 3070 3150 3152 3154
3156 3158 3160 5108 5100 5102 5106 5136 5146
の32編成を朝見ています。
当日夕方から3062Fが走り出しています。
神戸線からの転入だと思われます。

[229] 名無し :2022/11/15 10:27 No.2293
'75.11.14(金)朝の担当列車です。
急行 3158 5102 2081 3070 3150 3160
普通 5108 1108 801 3152 1203 3156 3154
準急 2156 5100 810 2150 5146
雲雀 1100 2084 5136 2161 1115(池田)
豊中 2087 6106 1114 1110
曽根 1113 2077 1201
区急 928 944
まだ7連が急行のうち4本、普通に6本残っています。

[230] 名無し :2022/11/15 10:28 No.2294
>>229
豊中の2番目は、5106 でした。

[231] 名無し :2022/11/17 19:07 No.2295
>>223
昭和50年代半ば、1980(S55)年の11月では、
11月11日(火)朝に34編成を見ています。
すでに、800 920 810 1200系はいなくなっていて、
1108 1111 1113 1114 1115 1012 2150 2156 2161
3050 3052 3062 3068 3150 3152 3154 3156 3158
3160 5100 5102 5106 5128 5136 5146 6000 6001
6002 6003 6004 6005 6006 6007 6008
全編成8連です。
この時期に板主氏が 223 で感想を述べられている
ことになります。

[232] 名無し :2022/11/18 17:13 No.2296
'80.11.11(火)朝の担当列車です。
急行 6005 6000 5128 5106 6006 3160
普通 6003 6002 3052 3050 3152 5146 3156
準急 6007 6001 3062 1115 5100
雲雀 1111 3158 2150 2161 3150 6008 5136
豊中 3068 6004 3154 1108
曽根 1012
区急 2156 1113 5102 1114
229に比べて、雲雀発が2本増、曽根発が2本減、区間急行が2本増
と変化しています。
1010,1100系がまさに最後の「ふんばり」ですね!

10連運用はまだないようです。

[233] 板主 :2022/11/21 15:14 No.2297
こうやって昔の編成を見ていると、大昔に引退した面々から今も
走っている編成までいて、見ているだけで楽しいです。

昔を振り返るテレビで、かなり昔にご逝去された方と現在は大御所でも
当時は若手だった芸能人が共演されている映像を見ると、非常に華やかで
懐かしく感じるのと同じです。

昭和50年だと900/920/800系もいます。彼らの本線運用は神戸本線では
昭和52年まで、宝塚本線では53年まで続きます。810系の神戸線の本線
運用は昭和46年頃までとこの掲示板でご教授いただいていますが、920
系などの方が車体が短くて軽量なので、後の時代まで走ったというよう
な説も聞いています。類似した17mの車体ばかりで奇数編成も作れます。

3062は本当にくせ者と言いますか、非冷房のときも改造車になってからでも
しょっちゅう神戸線と宝塚線を行き来しているようなイメージがあります。
旧梅田駅に停車している白黒映像も見たと書きました。他の編成も多かれ
少なかれ両線を移動していると思いますが、3062は特にその印象が強いです。

[234] 板主 :2022/11/21 15:14 No.2298
自分が昭和50年代半ばに十三駅の3、4号線などでは1000系列を多いに見る
機会がありました。夕方は準急などでも見ました。

番号などはメモっていませんが、次から次へと1000系列ばっかり来て、また
3桁車が本線で見られなくなってからは、唯一2000系以降とは違う車体でした
ので、それで記憶に残り易かったのかもしれません。

10両編成は昭和57年からですね。当初は5100系ばかりで、途中から7014と
7031でしたかの編成も加わったように思います。

1010・1100系が宝塚本線を去ったのは昭和61年頃だったと思います。
以前に書いたと思いますが、曽根から帰る際に本来なら5100系の2丁パンタ
編成乗るはずが、忘れ物をして、1010・1100系の運転台撤去車(側面ドア埋め
立て車)に乗って十三まで帰りました。

[235] 名無し :2022/11/23 06:59 No.2299
S50年11月の228とS55年の231をざっくりと比べますと、
801 928 944 810 1201 1203 2077 2081 2084 2087
がいなくなり、
6000~6008の9編成と3000系数編成が入っています。
2021系は中間化T化の時期だったのですね。
3062Fはご指摘のように頻繁に神宝線を行き来していた
記憶があります。
また記録を調べなおしてもいいかな、と思います。

[236] 名無し :2022/11/25 06:34 No.2300
もう一例、1983(S58)年3月11日(金)の朝34編成確認メモです。
この日は私が宝塚線住民として34本を見た最後の日でした。
1108 1113 1114 1115 1116 2156 2161
3052 3060 3068 3070 3150 3154 3156 3158
5100(10) 5102 5106 5108(10) 5128 5140 5146
6000 6001 6002 6003 6004 6005 6006 6007 6008
7002 7004 7008
当日(朝)、3152 3160は不使用、5136はOH入場中のようです。
2150Fは、2/21を最後に見ていませんので、おそらく能勢電
転出への準備だったと思われます。

[237] 名無し :2022/11/26 08:49 No.2301
'83.3.11(朝)の担当列車です。
急行 6001 6008 3070 3060 7008 6000
普通 3068 5140 7002 3154 2156 5106 3150
準急 6003 5128 6007 1113 7004
雲雀 6006 5146 3156 2161 3052 6002 5102
豊中 1108 3158 6004 1114
曽根 6005
区急 1116 5100(10) 5108(10) 1115

232と運用数は変わっていませんが、区間急行の
2本目と3本目が10連化されています。
雲雀6本目の5102Fは10連の合間運用で8連です。
5106Fはまだ8連です。




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【900系】阪急電鉄旧型車両スレ6【2800系】別室Part2-6

[1] 板主 :2020/06/23 20:48 No.1541
旧板はこちらです。
https://www.freebbs.biz/yy2ch/yy2ch.cgi?id=9002800

引き続きお願いします。

※前スレが終わってから、ご使用ください。

[492] 板主 :2021/05/07 20:05 No.2052
自分もテレビ見ました。
現役時代はおよそ8年間、顔を合わせていたであろう両車が神社内で
再会することになりましたね。

550は尼崎での保存当初からなぜか台車はなく、更に顔だけになってしまい、
保存場所も変わるなどしています。台車は最初は600系の流用品で、後に
1200系の製造でも変わっているので、保存対象から外されたのかも知れません。

東梅田にある交趣ギャラリーでは550形の検査表が売られている、
若しくは展示されているのを見たことがあります。
http://www.tokyo-collection.co.jp/
昭和40年代になってからのものでしたが、重さの「トン」が「屯」で
表記されていました。

今、色々と調べたのですが、流用車である610系ですら1200系製造時の
たらい回しに巻き込まれているのですね。しかもまだ製造後3年という
段階でです。

[493] 板主 :2021/05/07 21:15 No.2053
>>489
1600系はかろうじて、1981年からの新しい梅田〜北千里の看板を付けて
走ることが出来ました。あの梅田〜北千里の看板は、後の時代の看板よりも、
明るい色調だったように思います。日の当たり方でそう感じただけかも知れません。

1300系は4+3の編成でよく乗りました。

81年までの看板は、神戸線のものは梅田を「大阪梅田」、三宮を「神戸三宮」
京都線や千里線の普通は大阪を「大阪梅田」と表記するものの、

宝塚線の各種別や京都線の優等は梅田を「大阪」(万博準急は「梅田」)
京都線の優等は河原町を「京都」と表記していたように思いますが、
法則性はあったのでしょうかね。

十三も「大阪十三」でした。

[494] 名無し :2021/05/08 12:40 No.2054
>>485
六甲事故、本スレでも何度か話題になっていますね。
2050号のあの映像は衝撃的でした。

衝撃的といえば、信楽高原鉄道の事故も脳裏に浮かびます。
1991年5月でしたので、30年になるのでしょうか。
重厚なキハ58系と衝突した軽量SKR車がなんとも無残でした。
赤信号を無視した高原鉄道側が第一原因でしたが、遠く離れた
亀山にJRが設置した「優先テコ」が複雑な絡みをもたらして
いたのでしたね。

結局、私にはよく理解できないままになったと思い返しています。

[495] 板主 :2021/05/11 07:54 No.2055
今もあの事故の激しさを覚えていますね。
詳細はWikipediaをお読みいただくのが宜しいかと思います。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%A1%E6%A5%BD%E9%AB%98%E5%8E%9F%E9%90%B5%E9%81%93%E5%88%97%E8%BB%8A%E8%A1%9D%E7%AA%81%E4%BA%8B%E6%95%85


550形のテレビ番組に付いても朝日放送が直々に動画をUPしています。
https://www.youtube.com/watch?v=fH6eSE6KEnU

[496] 名無し :2021/05/11 17:46 No.2056
550には昭和36年度か37年度に宝塚ファミリーランドへ
遠足に行く際、乗車した記憶があります。
宝塚本線に残っていた最後の6連で、
550-551+552-553+554-555
だったと思います。
しかし、551 552は中間化されていたのかも。

アルナ工機は住宅建材部門を切り離して、社名も
変わっていたのですね。
かつて、同級生が同社に入社して鉄道部門を希望したのに、
住宅部門に配属されて、残念がっていたものです。

[497] 板主 :2021/05/15 08:42 No.2057
自分の親なんかはそのような番号の綺麗な並びを当然だと思って
いましたから、2000系列の中間車が入っている編成を見ては小言を
言っておりました。

もっとも、阪急では1形ですら他形式の中間車としての活用があり、
特に後半生は中間車としてのみ活用されているのですけどね。

550形は第一陣の竣工から全廃までわずか21年で、能勢電や広電にも
行っていませんから、活躍は非常に短かったことになりますね。
最終増備で下降窓の565も早いうちに消えています。

会社に入っても自分の思い通りの分野に配属されるとは
限らないですね。

[498] 名無し :2021/05/17 17:52 No.2058
>>497
うちの親は逆に、神戸線から転入してきた
1024-1025+1026-1027+1028-1029
編成について話すと、
そんなはずないやろ、と信じてもらえませんでした。

[499] 板主 :2021/05/19 21:30 No.2059
1000形、1010系であれば連番は普通に有り得ましたけどねぇ。

先日書いたNHKの番組が再放送されますので、書いておきます。

たけしのその時カメラは回っていた「ニッポンの旅行」
[総合] 2021年05月21日 午前2:18 ~ 午前3:03 (45分)
https://www.nhk.jp/p/ts/MZX2KJY8VV/

たけし氏が乗車したのは品川発京都行きの「ひので号」でした。
この前は間違って書いてしまいました。

[500] 名無し :2021/05/21 19:38 No.2060
>>499
ありがとうございます。録画しました。
このところNHKでは、深夜帯に不定期で、
ヨーロッパトラムの旅やイギリス保存鉄道の旅、
走れ!新幹線、など鉄道関連ものや海外紀行ものを
繰り返し放送しています。
これもコロナ禍で海外に行けないご時世だからなの
かもしれませんね。

[501] 板主 :2021/05/24 08:17 No.2062
かつて放送された廃線の番組も、日曜日の朝に10分でまとめて
また放送されていますよね。

下記の動画は誰でも見ることが出来ます。
https://www2.nhk.or.jp/archives/jidai/

上記によるとBSでまた近々放送があるみたいですが、
自分は見ることが出来ません。

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【900系】阪急電鉄旧型車両スレ6【2800系】別室Part2-5

[1] 板主 :2019/09/01 10:25 No.1028
旧板はこちらです。
http://freebbs.biz/yy2ch/yy2ch.cgi?id=9002800

引き続きお願いします。

※前スレが終わってから、ご使用ください。

[492] 名無し :2020/06/24 16:25 No.1542
>>491
ありがとうございます。
2300系は、2301からスタートしていたことも
あって、奇数車が先頭になるのでしょうかね。
3300系も3301からスタートで、前半初期の
3301 3305 3307あたりには奇数車先頭が見られ
ましたが、その後はご承知の通りです。
5300系はやや中途半端になりましたね。
5300からの付番になりましたが、前半の
5304 5306 5308は偶数車先頭でしたが、
その後、5311 5315 5317 5319 5321
が先頭になっていて、伝統を重んじたい
という「保守的な?」意向(側面)を感じる
のは私だけでしょうかね。

このサイトは、サーチ(検索)機能があるんですね。
便利なもののようですが、板主氏以外でも(誰でも)
使えるものなんでしょうか?

[493] 板主 :2020/06/24 20:41 No.1543
検索はどなたでも利用できます。
5300系に関しては5410と5310が5300Fの中で顔を突き合わせており、
その後の番号は奇数主体になったように思われますね。5324Fだけは偶数です。

2300系でもうひとつ引っ掛かるのが2327です。

平成7年夏まで
2309×4+2328-2306-2356
2303×4+2327-2308-2358だったのが、
嵐山線で活躍していた2800系の廃車に伴い、
2309F、2303Fはそれぞれ嵐山線に帰って行きました。

そうなると、残った京都側の3両ずつを組み合わせて
6両編成を作れば良さそうですが、なぜか2327は当時
2305Fの4両目に連結されていた2307とチェンジされ、
2307-2308-2358+2328-2306-2356の編成となりました。

2327を先頭に立たせたくない理由でもあったのでしょうかね。

[494] 名無し :2020/06/25 20:09 No.1544
一見先頭車に見えるが実質中間車扱いの車がありました。
ATSや無線を撤去しているとか、その他諸々で復帰工事が必要なので
先頭車が充足している場合はそのまま。。。

[495] 板主 :2020/06/25 20:42 No.1545
2800系の中間に入った先頭車などは事実上、中間車扱いでしたね。
定速ノッチ付きのマスコンもそのままで、車掌台側に仕切りのガラスは
入っていませんでした。

嵐山線に移ってからの2319Fが故障した際は、2321×7の後ろ3両にいた
2316×3が桂から正雀まで2319×4を牽引しました。2316にはすでに転落防止
幌も設置されていたので、回送の看板が幌の台座に干渉するような窮屈な形で
設置されました。連結器も半永久のまま先頭に立つとか異様な風体だったようです。

[496] 名無し :2020/06/26 15:04 No.1546
>>493
2327号の変遷についてメモを整理してみました。
493の説明より以前の変化になります。

最古のものは、'704.2で
2328-2378+2311-2331-2361+2327-2377
で、京都線急行をしています。

'73.5.31 同10.1 には
2327-2377+2315-2335-2365+2316-2336-2366
8連となっています。'73.5.31は前述の月日です。

'74.10.1から'78.6.28までは
2327-2377+2315-2335-2365
で、先頭として4年以上走っています。

'79.5.13には、冷房改造(2377は中間化も)されて
2327-2377×+2316-2336-2366
となっています。

'80.10.1には、
2327-2377×+2309-2359-2310-2360

'81.2.16には、
2307-2377×+2327-2357-2308-2358
となって中間に入っています。
この編成の2307 2357 2308 2358は
冷房改造およびOH、2308 2358はKS台車と
メモっていますので、改番がらみかもしれません。
空気バネ車とコイルバネ車の振動回避連結だったの
かもしれません。
'83.3.25まで確認しています。

[497] 名無し :2020/06/26 20:28 No.1547
空気バネ車とコイルバネ車を混結する場合は混雑時コイルバネ車が沈んで
自連連結の場合開放の恐れがあったため、上記の編成のように空気バネ車とコイルバネ車は半永久連結器で繋ぐようにしていました。
2021系や2100系でも6連→8連化の時同様な編成がありました。

[498] 板主 :2020/06/28 06:27 No.1548
2327はお知らせの1981年に編成の最中に入ってから、再度先頭に立つ
ことはなかったと思います。2305の編成もまったく同じで
2305-2378+2328-2355-2356-2356という組み合わせとなりました。
おっしゃるように、空気バネと金属バネが自動連結器により接続されない
連結順となっていますね。

京都線は神宝線の3000系などと違って、編成の最中の運転台(撤去)同士の
部分に自動連結器を長く使っていました。1992年頃から2300系は順次半永久
密着連結器に入れ替わって行きました。発進時に当該個所にいると、客車の
ような衝撃がありました。3300や5300でも後年まで自連の車両が多かったです。

2355-2306や2357-2308に絡む部分は、2306や2308が事実上2330形のような
役割になったからか、(冷房改造時から?)半永久で接続されていました。

2305Fや2307Fは2連を3つ重ねた6連なので、梅田側奇数車である2327と
京都側偶数車である2378が編成の最中に入る形になりました。2378は1992年
以降に先頭に立ちますね。

[499] 名無し :2020/06/28 14:08 No.1549
昨日、3か月ぶりで阪急を見てきました。
乗務員、乗客とも全員がマスク着用でした。

休日ダイヤは、京都線で日中の準急に7連が
5編成も担当していて、うれしい気がします。
3311 3318 5300 5315 5323 でした。

8303に制御装置更新後初めて乗りましたが、
車内の車票はそのまま残っていますね。
車内の「大規模更新」ではなかったという
扱いになっているのでしょうか。

[500] 板主 :2020/06/29 09:32 No.1551
8303Fが機器更新を受けていたことは知りませんでした。

8000・8300系の内装は濃い色調で作られており、従来の色調の車両ほど、
デコラ板の更新が急務ではないのかも知れません。ただし部分的に補修
された箇所を見ると、色艶が褪せているのが分かりますね。

地下鉄の新20・66系も一部に内装を沿線の名所にちなんだデザインに
変更した車両はいるものの、それ以外の車両は登場から最年長で30年
経っていても物理的な劣化が少なく、デザイン的にも古くなっては
いないので、更新を受けていないものと思います。

60系は「比較対象が阪急になってしまう」こともあって、登場した時
からデザイン的に劣っている印象がありました。阪急が全車冷房車に
なった80年代後半以降は非冷房であることも格差を増幅させました。

昔の車両は機器の仕組みが単純で長持ちし、車体は木造などで短命で
あったりして、年数を経過すると車体を載せ替えたり、車体に鉄板を
巻き付けたりして、下回りはそのまま使っていましたが(機器が高価
だったということもある)、

最近は車体がステンレスやアルミで超寿命化する一方で、機器は電子
部品化が進んで以前ほど長く使えない格好になっており(電化製品も
同じですが)、以前とは逆転した格好になっているように思います。

[501] 板主 :2020/06/29 17:29 No.1552
告知です。5月に放送されたNHKの廃線を扱った番組が再放送されます。
本放送の時は千葉の地震で8分くらいで中断してしまいましたね。

アーカイブス秘蔵映像でよみがえるにっぽんの廃線100
総合 7月4日(土) 午後9時~9時50分
BSP 8月1日(土) 午後6時~7時29分(90分版)

https://www2.nhk.or.jp/archives/jidai/

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【900系】阪急電鉄旧型車両スレ6【2800系】別室Part2-4

[1] 名無し :2018/02/20 08:50 No.156
スレチですが、
京都市交・近鉄の乗り入れでも、
地下鉄線内において、
南行(奈良方面行)は「急行」表示、
北行(国際会館行)は竹田到着直前に
普通表示に変えています。

[492] 板主 :2019/09/01 09:17 No.1027
>>487さんのご指摘についてご解説有り難うございます。
自分にはここまで詳細な解説をすることは不可能です。

>>484-485
シンドラ台車は京都線の2814Fでもそうでしたが、他の台車を履く
面々とは乗り心地も音も違っていました。

投稿日時右の赤い数字が懐かしい番号になってきましたね。

[493] 名無し :2019/09/03 16:21 No.1029
大阪周辺に大きな被害をもたらした
台風21号から1年になりますね。
かなり伐採された例の猪名川東南サイドの
一角の鎮守の森も、それなりに回復して
茂みが戻っていますね。
何かホッとさせられます。

[494] 名無し :2019/09/04 17:09 No.1030
>>491
昇圧前後の貴重な詳細な記録、興味深く拝見させていただきました。
昇圧は私が生まれる直前です。
昇圧改造時期は、目まぐるしい編成替・移動があったのですね。
少し、謎が解けました。
ひと昔前の阪急は編成内で車番末尾を揃える傾向がありましたが、1147-1192は子供心にも異質な存在で、40年経った今でも記憶に残る編成です。
ありがとうございました。

鉄道ピクトリアル昭和53年特集号で、宝塚線1020×7の記載を見た事があります。
1020-1021-1147-1192+1018-1056-1019
昇圧後、約10年同じ編成で宝塚線所属だったのでしょうか?
幼少期宝塚線沿線在住でした。
編成替後の8連の姿は辛うじて記憶しています。
1117-1167-1147-1192+1016-1017-1024-1025

[495] 板主 :2019/09/05 06:44 No.1031
1020Fの7連は神戸線でも走っていますね。
昭和49年の写真ですが下記をご覧下さい。アドレスの先頭を削っておきます。
rre.at-ninja.jp/prvrm/hkr7/hkr71.htm

1117Fは保育社の本で準急として曽根に差し掛かる
写真が出ているかと思います。

[496] 名無し :2019/09/05 17:32 No.1032
>>492 494
ありがとうございます。
古い私的メモなのですが、関心のある方々に
少しでも意味あるものになり、うれしいことです。

1020Fについても、調べなおしてみました。
'69(S44).9.5から翌'70(S45).1.11まで宝塚線、
しばらく不詳(おそらく神戸線)の後、同年3.15より
宝塚線、しかし同年4.14に転出、5.5に仁川臨急、
5.13にエキ直(神戸線運用)などを確認、
6.14に1020-1021-1147-1192のみが転入、
箕面線で使用されています。
6.24には1020(4)+1111(4)の8連で使用されています。
これは既出の1111号扉故障に伴うドタバタと
関係あるのかもしれません。
7.7には1020(4)+1034(3)の7連で走っています。
7.17に1020の4連が上り回で神戸線へ。
その後しばらく、6年ほど神戸線にいて、
'77(S52).3.3から宝塚線で走り出します。
長くなりますので、一旦ここで切ります。

[497] 名無し :2019/09/07 09:03 No.1036
>>496 続きです。

1020F 7連は、'77(S52).3.3以降宝塚線にいて、
'78(S53).3.23まで確認しています。
'79(S54).1.に神戸線所属として、
1020(6)のOHをメモっています。この時点で、
1020-1021-1148+1018-1056-1019 と
なっていたと考えられます。

一方、'79(S54)7.14に宝塚線所属として
1117(4)のOHをメモっています。
この時点で、1117-1167-1147-1192 と
なっていたものと考えられます。

私は1117先頭の宝塚線記録は見当たらず、
(もちろん保育社の写真は知っていますが、)
'80(S55).10.には
1116-1050-1166-1146+1117-1167-1147-1192
となっています。

[498] 名無し :2019/09/08 16:00 No.1037
>>473
地上時代の曽根駅も特徴ある駅でしたね。

駅構内の踏切やすぐ北側に長い踏切が
ありました。
本線と両側線をまたいで歩くと1分ほど
かかったのではないでしょうか。

すぐ西側は谷地形になっていて、
急な下り坂だったと思います。

高架後は何の変哲もない駅になって
しまいました。

[499] 板主 :2019/09/10 08:04 No.1038
京都線の1000系列はわずか28両(のちに26両)しかいないのに対し、
神宝線の1000系列は110両(のちに112両)もいて、様々な変遷を経て
いるので非常に興味のあるところです。

1140番台のうち相方のいない車両や1050番台が差し込まれたりするのが、
複雑さに繋がっているようにも見えます。

[500] 名無し :2019/09/10 13:58 No.1039
>>496 497
私の記憶にある最初期の姿が8連×9本の比較的整った(?)編成を組んでいた時期な上、昭和40年代の編成資料を目にする機会が現在までほぼ皆無でした。
1140型に関しては昇圧前は梅田寄先頭、昇圧改造後は、
1110-1160+1140(+1190)
で6~8連の梅田寄りに組成、と単純に想像していました。
昇圧直後だけでも、目まぐるしい編成替があったのですね。
車両故障や万博も影響しているかもしれないという事も、わかりました。
1020Fについても、箕面線運用や、非空気バネの1111Fと組成していたり、驚きの連続です。
私が生まれる直前の動向で、とても興味があります。
お手持ちの貴重な資料を紐解いでくださり、感謝しております。
改めて、ありがとうございました。

1116×8も懐かしいですね。
C#1192が先頭に出た衝撃、忘れられない思い出です。
編成替前も、1000系が組み込まれていたり、運転台+非運転台の連結部があったり、興味をそそられる編成でした。
1116-1050-1166-1146+1012-1003-1002-1013

[501] 名無し :2019/09/12 11:31 No.1040
501 までいけるでしょうか。

昨日また京都線車両に落雷が
あったようですね。
何年か前は、8302Fでしたっけ。

当然、現在も避雷器があるのでしょうが、
目立たないですね。

1970年代頃、パンタグラフ近くに
円筒型の避雷器が順に設置され、
よく目立ったものです。

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【900系】阪急電鉄旧型車両スレ6【2800系】別室Part2-3

[1] 板主 :2015/07/25 13:20 No.1
旧板はこちらです。
http://freebbs.biz/yy2ch/yy2ch.cgi?id=9002800

引き続きお願いします。

[493] 名無し :2018/08/28 20:12 No.509
皆さんのお知恵をお貸し下さい。
三国を過ぎて新幹線のガードをくぐるまで、宝塚線は高架を走りますが、高架のすぐ下辺りに架線柱のようなものが併走し、架線も見えていました。この架線の部分には何か鉄道があるのでしょうか?
自分で調べればいいのですが、何ぶん遠くに住んでいるもので、すぐには調べられない状態です。どなたか分かる方はいらっしゃいませんか?

[494] 板主 :2018/08/29 05:11 No.510
>>491
いえいえ、全く問題ないです。
自分も知らないことだらけで、いつもお世話になります。

21世紀になってから、1両単位での差し替えなどが何度か発生し
私は付いて行けなくなってしまいましたね。京都線・千里線は臨時を除いて
2001年頃には7両以上になったと思います。3314、3318、3325Fに
元々いなかった面々が挟まっているのは、6両に1両を足したからでしょう。

>>492
青函連絡船が絡んだ大事故もありましたね。
Wikipediaの「乗車券」の項目では、以下のように説明されています
>短距離のシャトル航路以外では、乗船時に幼児を含む同行者全員の乗船名簿を記載する必要がある。
>これは海上保安庁の通達によって義務づけられており、不実の情報を記載すると万一の遭難の際に身元確認が困難になる。
>(中略)鉄道連絡船では青函連絡船がこれに該当し、乗船名簿記入が義務づけられていた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%97%E8%BB%8A%E5%88%B8

[495] 板主 :2018/08/29 05:36 No.511
>>493
あの場所は研修施設として使われているのでしたかね?
自分はその存在に気づいたのは平成になった頃でしたが、お墓があったりして
東側から眺めるのは難しかったように思います。北側からなら見たことがあります。

80年代半ばまで、十三の3号線を発車した列車は、そのまま地べたを走り、淀川区民センターを
過ぎたあたりから築堤になっていました。同様に北方貨物線を過ぎるとまた地べたになり、現在は
立体交差になっている、北大阪病院や紳士服店がある東西の通りと踏切で交わっていました。

現在は履正社のスイミングがある場所あたりですでに傾斜が付いています。また
同スイミングから北に続く一連の建物と線路は至近距離で平行していましたが、
現在では少し角度が付いて、列車は離れた部分を走ります。

梅田行きの線路がまず切り替わって、その後で宝塚行きも線路が切り替わりました。
今の「ジャパン」がある場所の高架下には、現在では自転車や人が通れる通路がありますが、
以前は踏切でした。自分は宝塚行きのみが地べただった時代に踏切としてよく通っていました。

現在、この通路を西側に出た場所から十三駅方面を見ると、上記したような角度(隙間)が
感じられかつてを偲ぶことが出来ます。

[496] 板主 :2018/08/29 05:40 No.512
アーカイブなので諸兄の端末で写真が綺麗に反映されているかどうか分かりませんが、
右端の800系の写真を見ると、奥の方まで地上線が続いているのが分かります。
https://web.archive.org/web/20080306041145/http://www.k3.dion.ne.jp:80/~mser/newpage01.html

[497] 板主 :2018/08/29 05:58 No.513
写真を引きずってきてブラウザの外に出したら大きく映りました。
ジャパンの場所にあった踏切と思われる細い筋もなんとか映っているような。。。

この研修施設(と思われる)は地上時代の宝塚線の線路設備を流用したものなのでしょうか。
改めて作ったのかな???

[498] 名無し :2018/08/29 20:46 No.515
>>493、板主様
研修施設と思しき設備ですが。そこを訪問した方のホームページを見付けました。
docknkt.com/haisen.htm
かなり古いページですが、今でも変わらないと思います。

[499] 名無し :2018/08/29 22:49 No.516
十三-三国間の保線、電気関係研修設備ですが、西宮北口のダイヤモンドクロッシング1基が保存されているはずです。昔の鉄ピク特集号で見たような。。。

[500] 名無し :2018/08/30 01:14 No.517
>>494
青函連絡船、宇高連絡船、北陸トンネルと
大きな惨事が伝えられます。
それぞれ洞爺丸 紫雲丸、急行日本海 が
該当だったかと。

[501] 名無し :2018/08/30 08:04 No.518
北陸トンネル事故は急行「きたぐに」でした。
軽量10系客車になっていたようです。

[502] 名無し :2018/08/30 19:06 No.519
493です。
たくさんの情報をありがとうございます。
保線の研修施設だったのですね。納得です。
お手数をおかけいたしました。

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