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【900系】阪急電鉄旧型車両スレ6【2800系】別室Part2-6

[1] 板主 :2020/06/23 20:48 No.1541
旧板はこちらです。
https://www.freebbs.biz/yy2ch/yy2ch.cgi?id=9002800

引き続きお願いします。

※前スレが終わってから、ご使用ください。

[449] 板主 :2021/04/10 17:29 No.2009
どうもありがとうございます。
17時20分頃の5132Fはまさしく梅田〜雲雀丘花屋敷の
看板を掲げて走っていました。

5100系は5000系以前と比べると面長で、パンタが2丁乗っている
5132などはより一層「馬面感」が増したものです。

[450] 名無し :2021/04/11 17:39 No.2010
1990年10月23日(火)のメモ以降
朝の区間急行が5本になって、そのうち4本が
10連運用になっています。
7014F+7031も仲間入りしています。
1992年3月3日には、
5100(8)+5118(2)のメモがあり、この10連は
非表示幕編成だったようです。
5132Fとともに最後の非表示だったようです。
5108Fの5~8両目の車番がわかりません。

[451] 板主 :2021/04/13 17:41 No.2011
5108-5658-5659-5109+5142-5668-5669-5141ですかね。

[452] 名無し :2021/04/14 02:08 No.2012
そうなりますかね。
その後の5000系組み込みや能勢電転出などの運命を
感じさせる編成ですね。

'90.10.23に 5122(2) '91.9.11に 5124(2)を
発見していて、増結側が増備されています。
'92.8.13木には、5140F宝塚方の5127密連化を発見、
'93.8.27金には、5140(8)+5122(2)で区間急行の
5本目を担当しています。

[453] 名無し :2021/04/15 20:00 No.2013
非表示幕編成が5132Fだけになった頃から
終端駅などのホーム端にあった「サボ入れ」の棚も
なくなっていたと思われます。
5132Fの両端運転室には、限定運用だった普通と
回送のサボが常時積まれていたかもしれません。
5100Fは、'92.11.12木に、5132Fは、'93.8.27金に
それぞれ方向幕改造を終えて、を発見しています。

[454] 板主 :2021/04/17 12:24 No.2014
宝塚本線は1990年であれば3080Fの8両が非表示で走っていました。
スタンプラリーの期間中に急行に入ると、大きさの違う2枚の丸い
看板を差し込んで走っていました。1989年だと3068Fもいましたかね。

神戸本線は3058Fが最後の本線表示車だったかと。
平成元年度=1989度は編成単位の2000系、5000、5200、5100系といったように
非表示車が相次いで神戸本線から消えて行きました。T車だけですが2800系も。

3058Fが支線運用化されたのは1991年頃でしたかね。
1989年度だと2054Fや2058Fも十三で見た気がします。2058Fは5M3T編成だったような・・・

[455] 板主 :2021/04/17 12:26 No.2015
>>452
5127が密連化されたのは、そんな後の時代=1992年だったのですね。

[456] 板主 :2021/04/17 14:55 No.2016
JR東日本・京葉線ですが・・・
自分の“愛車”クモハ103-73が6分台と19分55秒〜で登場しています。
https://www.youtube.com/watch?v=xdH0Q4scWgQ

旅先で乗った車両のことは、例え1回しか乗っていなくてもいつまででも
覚えています。同車には2000年の6月に東京〜蘇我間を「快速マリンドリーム」
東金行きで乗車しました。内装は更新されていて、緑だった壁はベージュ色に
なっていました。

東京駅を出発して地下駅の八丁堀と越中島を高速で通過して海沿いの高架線へ。
近未来的な街並を突き抜ける1990年全通の高架線の上を、1966年近車生まれの
クモハを先頭とする10両編成が力強く駆け抜けて行きました。

同車は2005年頃に引退するまでずっと首都圏で走っておりました。

[457] 名無し :2021/04/18 09:35 No.2017
>>455
5127号の密連化などについて。
記述しましたように'83.3以降は
断片的な調べになりましたので、
あくまでも「私の調査の上で」と
ご理解ください。

[458] 名無し :2021/04/19 10:13 No.2018
>>454
板主氏のコメントと合致する古いメモが出てきました。

3080(8)F非表示編成は、'91.9.11水の朝ヒM3B=昼池まで
宝塚本線で確認しています。
3068(8)F非表示編成は、'90.5.18金の朝タM5まで
宝塚本線で確認しています。
その後、同年9.27木に、神戸本線で普通(三)梅田11:31発を
見ています。
神戸本線の3058(8)F非表示編成は、'90.10.23火の朝
急行KM3まで見ています。
神戸本線非表示編成の最終は、上の3068Fと微妙だったと
いうことでしょうか。
その後、3058(6)で'92.5.27水に今津北線使用を見ています。
ただ、'91も私は年間11日ほどの見学でしたので、板主氏の
コメントが当然と考えられます。

'89は年間2日だけ 2.20月、2.21火のデータが残っています。
この両日に、
2054(8)F非表示編成が、2.21火の夕方に特急E1、
2058(8)F非表示編成は、2.20月の夕方に西E4、
5203(8)F非表示編成は、2.21火の夕方に西E3、
5230(8)F非表示編成は、2.20月の夕方に三E3
をメモしています。
貴重な見学、記録だったと満足している次第です。




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【900系】阪急電鉄旧型車両スレ6【2800系】別室Part2-5

[1] 板主 :2019/09/01 10:25 No.1028
旧板はこちらです。
http://freebbs.biz/yy2ch/yy2ch.cgi?id=9002800

引き続きお願いします。

※前スレが終わってから、ご使用ください。

[492] 名無し :2020/06/24 16:25 No.1542
>>491
ありがとうございます。
2300系は、2301からスタートしていたことも
あって、奇数車が先頭になるのでしょうかね。
3300系も3301からスタートで、前半初期の
3301 3305 3307あたりには奇数車先頭が見られ
ましたが、その後はご承知の通りです。
5300系はやや中途半端になりましたね。
5300からの付番になりましたが、前半の
5304 5306 5308は偶数車先頭でしたが、
その後、5311 5315 5317 5319 5321
が先頭になっていて、伝統を重んじたい
という「保守的な?」意向(側面)を感じる
のは私だけでしょうかね。

このサイトは、サーチ(検索)機能があるんですね。
便利なもののようですが、板主氏以外でも(誰でも)
使えるものなんでしょうか?

[493] 板主 :2020/06/24 20:41 No.1543
検索はどなたでも利用できます。
5300系に関しては5410と5310が5300Fの中で顔を突き合わせており、
その後の番号は奇数主体になったように思われますね。5324Fだけは偶数です。

2300系でもうひとつ引っ掛かるのが2327です。

平成7年夏まで
2309×4+2328-2306-2356
2303×4+2327-2308-2358だったのが、
嵐山線で活躍していた2800系の廃車に伴い、
2309F、2303Fはそれぞれ嵐山線に帰って行きました。

そうなると、残った京都側の3両ずつを組み合わせて
6両編成を作れば良さそうですが、なぜか2327は当時
2305Fの4両目に連結されていた2307とチェンジされ、
2307-2308-2358+2328-2306-2356の編成となりました。

2327を先頭に立たせたくない理由でもあったのでしょうかね。

[494] 名無し :2020/06/25 20:09 No.1544
一見先頭車に見えるが実質中間車扱いの車がありました。
ATSや無線を撤去しているとか、その他諸々で復帰工事が必要なので
先頭車が充足している場合はそのまま。。。

[495] 板主 :2020/06/25 20:42 No.1545
2800系の中間に入った先頭車などは事実上、中間車扱いでしたね。
定速ノッチ付きのマスコンもそのままで、車掌台側に仕切りのガラスは
入っていませんでした。

嵐山線に移ってからの2319Fが故障した際は、2321×7の後ろ3両にいた
2316×3が桂から正雀まで2319×4を牽引しました。2316にはすでに転落防止
幌も設置されていたので、回送の看板が幌の台座に干渉するような窮屈な形で
設置されました。連結器も半永久のまま先頭に立つとか異様な風体だったようです。

[496] 名無し :2020/06/26 15:04 No.1546
>>493
2327号の変遷についてメモを整理してみました。
493の説明より以前の変化になります。

最古のものは、'704.2で
2328-2378+2311-2331-2361+2327-2377
で、京都線急行をしています。

'73.5.31 同10.1 には
2327-2377+2315-2335-2365+2316-2336-2366
8連となっています。'73.5.31は前述の月日です。

'74.10.1から'78.6.28までは
2327-2377+2315-2335-2365
で、先頭として4年以上走っています。

'79.5.13には、冷房改造(2377は中間化も)されて
2327-2377×+2316-2336-2366
となっています。

'80.10.1には、
2327-2377×+2309-2359-2310-2360

'81.2.16には、
2307-2377×+2327-2357-2308-2358
となって中間に入っています。
この編成の2307 2357 2308 2358は
冷房改造およびOH、2308 2358はKS台車と
メモっていますので、改番がらみかもしれません。
空気バネ車とコイルバネ車の振動回避連結だったの
かもしれません。
'83.3.25まで確認しています。

[497] 名無し :2020/06/26 20:28 No.1547
空気バネ車とコイルバネ車を混結する場合は混雑時コイルバネ車が沈んで
自連連結の場合開放の恐れがあったため、上記の編成のように空気バネ車とコイルバネ車は半永久連結器で繋ぐようにしていました。
2021系や2100系でも6連→8連化の時同様な編成がありました。

[498] 板主 :2020/06/28 06:27 No.1548
2327はお知らせの1981年に編成の最中に入ってから、再度先頭に立つ
ことはなかったと思います。2305の編成もまったく同じで
2305-2378+2328-2355-2356-2356という組み合わせとなりました。
おっしゃるように、空気バネと金属バネが自動連結器により接続されない
連結順となっていますね。

京都線は神宝線の3000系などと違って、編成の最中の運転台(撤去)同士の
部分に自動連結器を長く使っていました。1992年頃から2300系は順次半永久
密着連結器に入れ替わって行きました。発進時に当該個所にいると、客車の
ような衝撃がありました。3300や5300でも後年まで自連の車両が多かったです。

2355-2306や2357-2308に絡む部分は、2306や2308が事実上2330形のような
役割になったからか、(冷房改造時から?)半永久で接続されていました。

2305Fや2307Fは2連を3つ重ねた6連なので、梅田側奇数車である2327と
京都側偶数車である2378が編成の最中に入る形になりました。2378は1992年
以降に先頭に立ちますね。

[499] 名無し :2020/06/28 14:08 No.1549
昨日、3か月ぶりで阪急を見てきました。
乗務員、乗客とも全員がマスク着用でした。

休日ダイヤは、京都線で日中の準急に7連が
5編成も担当していて、うれしい気がします。
3311 3318 5300 5315 5323 でした。

8303に制御装置更新後初めて乗りましたが、
車内の車票はそのまま残っていますね。
車内の「大規模更新」ではなかったという
扱いになっているのでしょうか。

[500] 板主 :2020/06/29 09:32 No.1551
8303Fが機器更新を受けていたことは知りませんでした。

8000・8300系の内装は濃い色調で作られており、従来の色調の車両ほど、
デコラ板の更新が急務ではないのかも知れません。ただし部分的に補修
された箇所を見ると、色艶が褪せているのが分かりますね。

地下鉄の新20・66系も一部に内装を沿線の名所にちなんだデザインに
変更した車両はいるものの、それ以外の車両は登場から最年長で30年
経っていても物理的な劣化が少なく、デザイン的にも古くなっては
いないので、更新を受けていないものと思います。

60系は「比較対象が阪急になってしまう」こともあって、登場した時
からデザイン的に劣っている印象がありました。阪急が全車冷房車に
なった80年代後半以降は非冷房であることも格差を増幅させました。

昔の車両は機器の仕組みが単純で長持ちし、車体は木造などで短命で
あったりして、年数を経過すると車体を載せ替えたり、車体に鉄板を
巻き付けたりして、下回りはそのまま使っていましたが(機器が高価
だったということもある)、

最近は車体がステンレスやアルミで超寿命化する一方で、機器は電子
部品化が進んで以前ほど長く使えない格好になっており(電化製品も
同じですが)、以前とは逆転した格好になっているように思います。

[501] 板主 :2020/06/29 17:29 No.1552
告知です。5月に放送されたNHKの廃線を扱った番組が再放送されます。
本放送の時は千葉の地震で8分くらいで中断してしまいましたね。

アーカイブス秘蔵映像でよみがえるにっぽんの廃線100
総合 7月4日(土) 午後9時~9時50分
BSP 8月1日(土) 午後6時~7時29分(90分版)

https://www2.nhk.or.jp/archives/jidai/

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【900系】阪急電鉄旧型車両スレ6【2800系】別室Part2-4

[1] 名無し :2018/02/20 08:50 No.156
スレチですが、
京都市交・近鉄の乗り入れでも、
地下鉄線内において、
南行(奈良方面行)は「急行」表示、
北行(国際会館行)は竹田到着直前に
普通表示に変えています。

[492] 板主 :2019/09/01 09:17 No.1027
>>487さんのご指摘についてご解説有り難うございます。
自分にはここまで詳細な解説をすることは不可能です。

>>484-485
シンドラ台車は京都線の2814Fでもそうでしたが、他の台車を履く
面々とは乗り心地も音も違っていました。

投稿日時右の赤い数字が懐かしい番号になってきましたね。

[493] 名無し :2019/09/03 16:21 No.1029
大阪周辺に大きな被害をもたらした
台風21号から1年になりますね。
かなり伐採された例の猪名川東南サイドの
一角の鎮守の森も、それなりに回復して
茂みが戻っていますね。
何かホッとさせられます。

[494] 名無し :2019/09/04 17:09 No.1030
>>491
昇圧前後の貴重な詳細な記録、興味深く拝見させていただきました。
昇圧は私が生まれる直前です。
昇圧改造時期は、目まぐるしい編成替・移動があったのですね。
少し、謎が解けました。
ひと昔前の阪急は編成内で車番末尾を揃える傾向がありましたが、1147-1192は子供心にも異質な存在で、40年経った今でも記憶に残る編成です。
ありがとうございました。

鉄道ピクトリアル昭和53年特集号で、宝塚線1020×7の記載を見た事があります。
1020-1021-1147-1192+1018-1056-1019
昇圧後、約10年同じ編成で宝塚線所属だったのでしょうか?
幼少期宝塚線沿線在住でした。
編成替後の8連の姿は辛うじて記憶しています。
1117-1167-1147-1192+1016-1017-1024-1025

[495] 板主 :2019/09/05 06:44 No.1031
1020Fの7連は神戸線でも走っていますね。
昭和49年の写真ですが下記をご覧下さい。アドレスの先頭を削っておきます。
rre.at-ninja.jp/prvrm/hkr7/hkr71.htm

1117Fは保育社の本で準急として曽根に差し掛かる
写真が出ているかと思います。

[496] 名無し :2019/09/05 17:32 No.1032
>>492 494
ありがとうございます。
古い私的メモなのですが、関心のある方々に
少しでも意味あるものになり、うれしいことです。

1020Fについても、調べなおしてみました。
'69(S44).9.5から翌'70(S45).1.11まで宝塚線、
しばらく不詳(おそらく神戸線)の後、同年3.15より
宝塚線、しかし同年4.14に転出、5.5に仁川臨急、
5.13にエキ直(神戸線運用)などを確認、
6.14に1020-1021-1147-1192のみが転入、
箕面線で使用されています。
6.24には1020(4)+1111(4)の8連で使用されています。
これは既出の1111号扉故障に伴うドタバタと
関係あるのかもしれません。
7.7には1020(4)+1034(3)の7連で走っています。
7.17に1020の4連が上り回で神戸線へ。
その後しばらく、6年ほど神戸線にいて、
'77(S52).3.3から宝塚線で走り出します。
長くなりますので、一旦ここで切ります。

[497] 名無し :2019/09/07 09:03 No.1036
>>496 続きです。

1020F 7連は、'77(S52).3.3以降宝塚線にいて、
'78(S53).3.23まで確認しています。
'79(S54).1.に神戸線所属として、
1020(6)のOHをメモっています。この時点で、
1020-1021-1148+1018-1056-1019 と
なっていたと考えられます。

一方、'79(S54)7.14に宝塚線所属として
1117(4)のOHをメモっています。
この時点で、1117-1167-1147-1192 と
なっていたものと考えられます。

私は1117先頭の宝塚線記録は見当たらず、
(もちろん保育社の写真は知っていますが、)
'80(S55).10.には
1116-1050-1166-1146+1117-1167-1147-1192
となっています。

[498] 名無し :2019/09/08 16:00 No.1037
>>473
地上時代の曽根駅も特徴ある駅でしたね。

駅構内の踏切やすぐ北側に長い踏切が
ありました。
本線と両側線をまたいで歩くと1分ほど
かかったのではないでしょうか。

すぐ西側は谷地形になっていて、
急な下り坂だったと思います。

高架後は何の変哲もない駅になって
しまいました。

[499] 板主 :2019/09/10 08:04 No.1038
京都線の1000系列はわずか28両(のちに26両)しかいないのに対し、
神宝線の1000系列は110両(のちに112両)もいて、様々な変遷を経て
いるので非常に興味のあるところです。

1140番台のうち相方のいない車両や1050番台が差し込まれたりするのが、
複雑さに繋がっているようにも見えます。

[500] 名無し :2019/09/10 13:58 No.1039
>>496 497
私の記憶にある最初期の姿が8連×9本の比較的整った(?)編成を組んでいた時期な上、昭和40年代の編成資料を目にする機会が現在までほぼ皆無でした。
1140型に関しては昇圧前は梅田寄先頭、昇圧改造後は、
1110-1160+1140(+1190)
で6~8連の梅田寄りに組成、と単純に想像していました。
昇圧直後だけでも、目まぐるしい編成替があったのですね。
車両故障や万博も影響しているかもしれないという事も、わかりました。
1020Fについても、箕面線運用や、非空気バネの1111Fと組成していたり、驚きの連続です。
私が生まれる直前の動向で、とても興味があります。
お手持ちの貴重な資料を紐解いでくださり、感謝しております。
改めて、ありがとうございました。

1116×8も懐かしいですね。
C#1192が先頭に出た衝撃、忘れられない思い出です。
編成替前も、1000系が組み込まれていたり、運転台+非運転台の連結部があったり、興味をそそられる編成でした。
1116-1050-1166-1146+1012-1003-1002-1013

[501] 名無し :2019/09/12 11:31 No.1040
501 までいけるでしょうか。

昨日また京都線車両に落雷が
あったようですね。
何年か前は、8302Fでしたっけ。

当然、現在も避雷器があるのでしょうが、
目立たないですね。

1970年代頃、パンタグラフ近くに
円筒型の避雷器が順に設置され、
よく目立ったものです。

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【900系】阪急電鉄旧型車両スレ6【2800系】別室Part2-3

[1] 板主 :2015/07/25 13:20 No.1
旧板はこちらです。
http://freebbs.biz/yy2ch/yy2ch.cgi?id=9002800

引き続きお願いします。

[493] 名無し :2018/08/28 20:12 No.509
皆さんのお知恵をお貸し下さい。
三国を過ぎて新幹線のガードをくぐるまで、宝塚線は高架を走りますが、高架のすぐ下辺りに架線柱のようなものが併走し、架線も見えていました。この架線の部分には何か鉄道があるのでしょうか?
自分で調べればいいのですが、何ぶん遠くに住んでいるもので、すぐには調べられない状態です。どなたか分かる方はいらっしゃいませんか?

[494] 板主 :2018/08/29 05:11 No.510
>>491
いえいえ、全く問題ないです。
自分も知らないことだらけで、いつもお世話になります。

21世紀になってから、1両単位での差し替えなどが何度か発生し
私は付いて行けなくなってしまいましたね。京都線・千里線は臨時を除いて
2001年頃には7両以上になったと思います。3314、3318、3325Fに
元々いなかった面々が挟まっているのは、6両に1両を足したからでしょう。

>>492
青函連絡船が絡んだ大事故もありましたね。
Wikipediaの「乗車券」の項目では、以下のように説明されています
>短距離のシャトル航路以外では、乗船時に幼児を含む同行者全員の乗船名簿を記載する必要がある。
>これは海上保安庁の通達によって義務づけられており、不実の情報を記載すると万一の遭難の際に身元確認が困難になる。
>(中略)鉄道連絡船では青函連絡船がこれに該当し、乗船名簿記入が義務づけられていた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%97%E8%BB%8A%E5%88%B8

[495] 板主 :2018/08/29 05:36 No.511
>>493
あの場所は研修施設として使われているのでしたかね?
自分はその存在に気づいたのは平成になった頃でしたが、お墓があったりして
東側から眺めるのは難しかったように思います。北側からなら見たことがあります。

80年代半ばまで、十三の3号線を発車した列車は、そのまま地べたを走り、淀川区民センターを
過ぎたあたりから築堤になっていました。同様に北方貨物線を過ぎるとまた地べたになり、現在は
立体交差になっている、北大阪病院や紳士服店がある東西の通りと踏切で交わっていました。

現在は履正社のスイミングがある場所あたりですでに傾斜が付いています。また
同スイミングから北に続く一連の建物と線路は至近距離で平行していましたが、
現在では少し角度が付いて、列車は離れた部分を走ります。

梅田行きの線路がまず切り替わって、その後で宝塚行きも線路が切り替わりました。
今の「ジャパン」がある場所の高架下には、現在では自転車や人が通れる通路がありますが、
以前は踏切でした。自分は宝塚行きのみが地べただった時代に踏切としてよく通っていました。

現在、この通路を西側に出た場所から十三駅方面を見ると、上記したような角度(隙間)が
感じられかつてを偲ぶことが出来ます。

[496] 板主 :2018/08/29 05:40 No.512
アーカイブなので諸兄の端末で写真が綺麗に反映されているかどうか分かりませんが、
右端の800系の写真を見ると、奥の方まで地上線が続いているのが分かります。
https://web.archive.org/web/20080306041145/http://www.k3.dion.ne.jp:80/~mser/newpage01.html

[497] 板主 :2018/08/29 05:58 No.513
写真を引きずってきてブラウザの外に出したら大きく映りました。
ジャパンの場所にあった踏切と思われる細い筋もなんとか映っているような。。。

この研修施設(と思われる)は地上時代の宝塚線の線路設備を流用したものなのでしょうか。
改めて作ったのかな???

[498] 名無し :2018/08/29 20:46 No.515
>>493、板主様
研修施設と思しき設備ですが。そこを訪問した方のホームページを見付けました。
docknkt.com/haisen.htm
かなり古いページですが、今でも変わらないと思います。

[499] 名無し :2018/08/29 22:49 No.516
十三-三国間の保線、電気関係研修設備ですが、西宮北口のダイヤモンドクロッシング1基が保存されているはずです。昔の鉄ピク特集号で見たような。。。

[500] 名無し :2018/08/30 01:14 No.517
>>494
青函連絡船、宇高連絡船、北陸トンネルと
大きな惨事が伝えられます。
それぞれ洞爺丸 紫雲丸、急行日本海 が
該当だったかと。

[501] 名無し :2018/08/30 08:04 No.518
北陸トンネル事故は急行「きたぐに」でした。
軽量10系客車になっていたようです。

[502] 名無し :2018/08/30 19:06 No.519
493です。
たくさんの情報をありがとうございます。
保線の研修施設だったのですね。納得です。
お手数をおかけいたしました。

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