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これほど有名な書物を読んでいないはずはないのに、到底そうとは
思えない論客が多いのはなぜだろうか?
と思えたので、ちょっと他人のミル自由論にかんする文をググって
みた。・・・いわく功利主義とか社会的自由とか・・・
う〜ん・・・ミルの根幹は、もっと単純明快なものだと思うよ。
「反対意見を自ら求め、もって自己の見解を再検討し、よりよい
言説に近づいていく姿勢こそが、自由そのものなのだ」
ということが言いたいのだとしか思えないんだが・・功利主義と
か、社会的とかは、その後についてくるもので、コレを重視して
いないと、自由どころかファシズムに喰われる、というような
ことも書いてある(第二章)。
現に、日本のいわゆるリベラルなる人々の言動は、しばしば
ファシズム的ではないか。反対意見を熱心に拝聴しようという
姿勢がみられない。むしろネトウヨと呼ばれる人々のほうこそが
そういう態度をとることが多いように思える。
ネットでは「あくまでも功利主義的立場からのもの」だとか書いてる文章があったが、私の知るミルならば、
なにを持って功利的というか、もしかしたら貴方のいう文化的対立を煽るような自由が実は功利的に正しいかもしれないではない
か、と言うだろう。
現に西暦2017年の今、アメリカではトランプ支持者と反トラ
ンプ派が、文化的対立を煽るような衝突をしているけれど、
上の論者のような立場では、どちらかを自由の敵として黙らせる
ことが必要だということになるだろう。
まさにこれこそ、日本のリヴェラルや左派がしてきたことであ
る。ファシズムとどこが違うというのだろうか?
私の言うミル的自由を言ったら「自由を吐き違えている」と言わ
れたことがある。彼にとって彼の信じる平和論に反論するものは
すべて自由の履き違えなのだ。