やまちゃんの複数画像掲示板
送信中です…このままお待ちください
ご利用の通信回線等により時間がかかる場合があります
|
トップに戻る
|
検索
|
アルバム
|
管理用
|
▼掲示板作るならRara掲示板
|
お名前
メール
タイトル
投票を閉じる
URL
画像添付
削除キー
( 記事を削除する際に使用 )
文字色
★
★
★
★
★
★
★
★
★
★
★
('-'*)おはよぅ~♪
Hero
投稿日: 2024年03月28日 05:36:36
No.23548
【Home】
【返信】
いい天気で暖かな日になりましたが続かないようです。
桜の開花は冷たい雨が続いたため、開花を目前にして桜の生長は足踏みで開花は遅れそうですね。
月末にかけて高気温になるよですから開花はその頃でしょうね。
思い出の尖石の夕暮れ
とんちの写真館
投稿日: 2024年03月28日 05:31:45
No.23547
【返信】
おはようございます。
2008年の尖石の夕暮れのお届けです。尖石・与助尾根遺跡(とがりいし・よすけおねいせき)は、長野県茅野市豊平にある縄文時代中期の環状集落の遺跡。南側の尖石遺跡は戦前から発掘されてきた縄文時代を代表する遺跡の1つとして知られているが、現在では同遺跡と浅い沢1つ隔てた北側の台地上にある与助尾根遺跡と一括して扱われることが多い。「尖石」の名称は遺跡の南側にあった三角錐状の巨石の通称に由来する。
思い出の横川の蛇石
とんちの写真館
投稿日: 2024年03月27日 05:45:55
No.23545
【返信】
おはようございます。
2008年の思い出、横川の蛇石のお届けです。横川川の河床に灰褐色の岩脈が黒色の粘板岩の中を長々と走っている。この岩脈に直交する方向に、白色の石英脈が15~50cmの間隔で規則的に貫入している。これが蛇腹の斑紋を連想させ、しかも水面に出没して横たわっており大蛇のように見えるので、「蛇石」と呼ばれるようになった。これが国の天然記念物となっている。
思い出の花「アズマイチゲ」
とんちの写真館
投稿日: 2024年03月26日 05:34:28
No.23544
【返信】
おはようございます。
2008年の思い出の花アズマイチゲのお届けです。アズマイチゲはキンポウゲ科の花で、山地の林の中や林の縁、草地などに生息する多年草。春の訪れを告げるスプリング・エフェメラル(春植物)、花が終わるといつの間にか地上部が枯れて姿が見えなくなる花、咲き出すときは突然のように現れ、蕾の状態のピンク色が美しい。花言葉は「静かな瞳」。白い花を茎先に1つつける。花径は3~4cmくらい。 日本海側に多いキクザキイチゲに対して、太平洋側の山野で出会えることが多い。
思い出の寺院木曽福島「興禅寺」
とんちの写真館
投稿日: 2024年03月25日 05:46:53
No.23543
【返信】
おはようございます
2012年の思い出の木曽福島の興禅寺のお届けです。興禅寺(こうぜんじ)臨済宗妙心寺派で、木曽義仲と江戸時代に代官として木曽谷を治めた山村の菩提寺で木曾三大寺院とか。日本一広い石庭「看雲庭」は500坪と言われ、寺院。園内には4つの庭園があり、特にモダンな庭園造りで知られる日本庭園史の研究家・重森三玲(しげもりみれい)によって昭和38年に作庭された「日本一広い石庭・看雲庭(かんうんてい)」が有名だそうです。(2012 03 10)
思い出の「小野枝垂れ栗」
とんちの写真館
投稿日: 2024年03月24日 05:41:12
No.23542
【返信】
おはようございます。
2012年1月大雪の降る「枝枝垂れ栗」のお届けです。今思えば無理の撮影、初期中山道「小野宿』撮影後枝垂れ栗の撮影に向かった。本降りの大粒の雪引き返そうかと思いつ道を進み、除雪された道通過後行くと数台の車立往生積雪が20㎝位、自分の車はジムに-なのですりぬけ出来、みたところ乗用車で普通タイヤ話を聞くと止まるまではどうにか来たとのこと無防備の車、手の打ちようないのでJAFをとお話し、無情だが枝垂れ栗に、他の3~4台の車スタットレス装着はしているが普通車引き返しを依頼、撮影に被写体としは最高だったが、帰路通過時お聞きしたら連絡済みとのこと大変な一日になった記憶が残っている。
思い出の初期中山道「小野宿」
とんちの写真館
投稿日: 2024年03月23日 05:41:35
No.23541
【返信】
おはようございます。
2012年の思い出の初期中山道「小野宿」は、長野県上伊那郡辰野町と塩尻市にまたがる初期中山道、三州街道の宿場町。雪降る宿場の様子のお届けです。小野宿は、江戸幕府開闢の際、大久保長安によって下諏訪宿から岡谷市川岸を経て小野峠を越えて辰野町小野に至り、西の牛首峠を越えて贄川宿に通じる、いわゆる初期中山道が開鑿され、宿場も開かれた。また、南北に通じる三州街道は、北の善知鳥峠を越えて塩尻宿、南は川沿いに下って宮木宿へと続いていた。このように両街道の交点として宿場は栄えたが、初期中山道は十数年で小野宿を迂回する塩尻宿経由のルートに変更された。その後は三州街道の小野宿として、明治まで続いた宿場の様子が保存されている。(2012 01 12)
1
|
2
|
3
|
4
|
5
|
6
|
7
|
8
|
9
|
10
|
11
|
>>
Powered by
Rara掲示板
管理者に連絡
|
新着投稿をメールで受け取る
|
新着投稿をプッシュ通知
|
スポンサー募集