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生口について
蔚山人
投稿日:2018年03月31日 04:19
No.2149
これも魏志倭人伝で論じられることがないものに、中国での生口の価値があります。邪馬台国は貢物として中国に生口を送りますが、それが中国社会でどのような意味があったのでしょうか。水谷謙治氏の「中国における物的貸借の歴史的考察」立教経済学研究2012を参考に考えたいと思います。
漢の時代の人の身分は、王侯・管史・庶民・奴隷に分かれていて、殆どの人間が農・商・工・雑の庶民に属しています。その庶民から上位の人々が使う奴隷は、中国全体で200万~400万人の奴隷がいたと推計されています。人口の4%程度です。
この奴隷は売り買いの対象でした。当時としては高価なものと思われていたようですが、現在の人間尊重の時代にあっては、安すぎる感じを持つかも知れません。他の物価との比較では、次のようになります。牛馬よりは数倍高いが、金に比べると2倍程度というところで、小史の俸給の15か月分というところでしょうか。
軺車(ようしゃ:一頭の馬が引く軽車):5,000~12,000銭
商車:1,200銭
馬:4,000~6,000銭
牛:2,400~2,600銭
牛車:1,200~2.400銭
布帛(一匹):1,200銭
粟(一升):400銭
剣:650~800銭
鉄器(小鍬):100銭
傭賃:300銭
小史俸給(月):700~1.400銭
車雇賃:1,000銭
複袍:1,100~1,800銭
金(一斤1.8g):10,000銭
奴隷(大人男性):15,000~20.000銭
当時の奴隷は、意外と思われる点は労働条件等で交渉することが出来た点で、そのようなエピソードも残っています。働き手としては非常に貴重だったようで、邪馬台国からの奴隷は大切にされたとは思いたいですが、会話が出来ないでしょうから、ただただ働かされるだけで終わったかも知れません。
平安時代、渤海に貢いだ踊り子たちは、そこから転々と移り住んでいて、中国で踊りをしながら生計を立てていたのを目撃されたという話が残っていますが、邪馬台国時代やその前の時代の生口も、雇い主を渡り歩いて生き延びていたと考えたいですね。
古代中国の庶民の殆ども貧しくて、安い賃作業(アルバイトのようなもの)をしながら、その日暮らしをしていたようで、生活は奴隷とさほど変わらないものだったでしょう。
Re: 生口について
オヤジッチ
投稿日:2018年04月02日 16:49
No.2150
蔚山人さん、こん○○は。
「コインの散歩道」というサイトに「人のねだん」というページがありました。
以下、引用
● 漢 前1世紀
紀元前1世紀、史記貨殖列伝の商品一覧には、
○穀物・果物・野菜 1鐘1000銭 (124リットル、約3ケ月分の主食)
○馬 1頭5000銭
○牛 1頭2000銭
○羊・豚 1匹500銭
○奴隷 1人10000銭
のような数字が並んでいます。 1銭は、「五銖銭」1枚のことです。 10000銭というのは、庶民の年収くらいでしょうか。
以上、ということです。
奴隷が、馬の二倍、牛の五倍って高いのか安いのか。
どっちにしても、本人が貰う訳じゃない。(-_-メ)
気分転換に、平塚川添のコウヨウザクラでも、どうぞ。
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