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烏帽子島の紹介
蔚山人 投稿日:2018年03月24日 01:25 No.2145 【Home】
邪馬台国論争で、皆さんの論の中で抜けていた重要な点があるので紹介します。

それは玄界灘に浮かぶ烏帽子島のことです。「魏志倭人伝」において壱岐島から呼子に至る際に地文航行を行いますが、この島は小さいですが標高が数10mあり、遠望から見れるということで目印になっていたようです。沖ノ島と同じような島です。位置は壱岐と呼子を結ぶ線より東側の玄界灘の中央にあります。

江戸時代、博多から平戸に行く、あるいは博多から唐津、呼子に至る航海の際には、この南側を航行したようです。船関係の地文航行の専門書では、壱岐から呼子へは、古代からはこの島の横を通ったと述べられていて、間違いはないと思います。そのためルートがやや三角形の形をするため、直線で結んだものより数割方航海距離長くなったと思われます。千里としてもおかしくはないことがこれで分かります。


Re: 烏帽子島の紹介 オヤジッチ 投稿日:2018年03月26日 13:06 No.2147
蔚山人さん、○○は。
烏帽子島って、今は「壱岐島~呼子」というより、「壱岐島~博多港」「平戸~博多港」「五島~博多港」ですネ。


Re: 烏帽子島の紹介 蔚山人 投稿日:2018年03月26日 14:40 No.2148
オヤジッチ様

現在は、「こんにちわ」というところでしょうか。

この烏帽子島は、高さが40mちょっとあり灯台もありということで、現在はおっしゃられる通り壱岐島と博多を結ぶ航路の目印になっていますし、博多港から他に向かい場合の航路にもなっています。しかし古代は壱岐島の東の原の辻遺跡辺りから船出した船が南下する際の、非常によい目印だったようです。その点沖ノ島に似ていますね。

もちろん南下ばかりではなかったと思いますが、弥生時代手漕ぎの船程度で1日にいける距離を考えると、加部島や呼子までたどり着くのが航路の主体だったでしょう。古代史の論争の中には、こうゆう実務的なことも必要だと感じています。

恥ずかしいながら、実は壱岐に行った事がないですので、(対馬への航路の寄港としてはあるのですが)、一度寄りたいと考えています。


Re: 烏帽子島の紹介 オヤジッチ 投稿日:2018年04月02日 17:07 No.2151
蔚山人さん、こん○○は。

> 弥生時代手漕ぎの船程度で1日にいける距離
↑コンパスも海図もない時代ですからね。
 目視航法しかないわけで、それも引潮に乗って船出(陸から離れる)、満潮で入港(陸に近付く)のでなければ無理だと思います。その一航海(一日分)が千餘里何でしょう。だから実際の距離とは大きな差があるのでしょう。


Re: 烏帽子島の紹介 オヤジッチ 投稿日:2018年04月03日 16:09 No.2152
> 弥生時代手漕ぎの船程度で1日にいける距離
> 一航海(一日分)が千餘里なのでしょう。
↑ここで、『水行十日陸行一月』を全行程とすると、
 『從郡至倭・水行・・・狗邪韓國【七千餘里】・・・【千餘里】至對馬國・・・・・・又南渡一海【千餘里】・・至一大國・・・【千餘里】至末盧國』の合計【一万余里】が十日となり、末盧國に上陸後、舟は使っていないことになります。(^^♪


Re: 烏帽子島の紹介 蔚山人 投稿日:2018年04月05日 22:29 No.2153
オヤジッチ様

航海日数について、やっとご理解して頂ける方が出てきて、うれしく思います。長年航海の水行1日=1千里ということを中国の文献を通して紹介してきたのですが、どなたも理解を示して頂けませんでした。

これで私も大手を振って世間を歩けます。バンザイ!!!

ついでですが陸行1日=百里と考えています。古代の人々は、GPSやトータルステーションというような測量機器は持っていませんでしたので、経験できることがらで、旅程を述べていたと思います。


Re: 烏帽子島の紹介 オヤジッチ 投稿日:2018年04月10日 09:57 No.2154
蔚山人さん、こん○○は。
> 長年航海の水行1日=1千里ということを中国の文献を通して紹介してきたのですが、
↑わたしは最初から「水行1日=1千里」と言うご見解を納得してましたし、何度か「水行1日=1千里」とレスしてます。

> どなたも理解を示して頂けませんでした。 
↑そうなんですよね。

> 陸行1日=百里と考えています。
↑大いに可能性がありますネ。
 一日に歩けるのは、どの位でしょう。地形や環境(道の有無、水路)で違うので悩ましいですネ。
 ただ、“短里”だとかは無意味であることは、確かですよね。(^O^)

写真は、平塚川添の復元環濠に佇むコウノトリ(識別番号J0179)です。もう一羽(おそらくペア・雄)いました。通い詰めたかいがありました。(^.^)


Re: 烏帽子島の紹介 蔚山人 投稿日:2018年04月11日 03:43 No.2155
オヤジッチ様

「水行1日=1千里」を以前から認めていてくれたということを初めて知りました。心強いご支持で感謝します。

さて「陸行1日=百里」ですが、呼子に上陸して、七山、荒川峠を通り、前原の端の波多江に降りてくるルートは、古代からの道のりです。そこでこの距離を測ると90kmでしたので、これを5日=5百里で割ると、1日=15kmとなります。

当時の山や、草花が繁茂した場所を行くと、凡そその程度の1日行程となります。短里だ○○里だという話は、オヤジッチさんのご指摘の通り古代にあってはまずありえないことと思います。邪馬台国問題を解決したと自画自賛で主張する方々は、この簡単なことを複雑にするのは、これで止めて欲しいものです。


Re: 烏帽子島の紹介 オヤジッチ 投稿日:2018年04月11日 09:19 No.2156
> 呼子に上陸して・・・距離を測ると90kmでしたので、これを5日=5百里で割ると、1日=15kmとなります。
↑山越えの難所ばかり、呼子~三雲も殆ど90km÷5日=18km/日で妥当な線。(^.^)
 三雲から奴國のタカウタまで、日向峠越えで21km程、日向峠以外は難所はないので、「一日=百里」でOKですネ。
 で、奴國~不彌國の「一日=百里」は、宇美町でも筑前町でも十分妥当ですネ。



Re: 烏帽子島の紹介 蔚山人 投稿日:2018年04月11日 14:26 No.2157
算数が出来ない蔚山人でした。(冷汗がタラーと落ちています)

日向峠も、そんなに難所ではないですので、オヤジッチさんの観察に同意します。

不明21ヶ国についても、都城までの距離(350km~380km程度)を20日で割るとやはり1日=百里程度となります。そうするとこの「次有」とされている国は、海の中のように陸を1日でたどり着ける範囲に連続してあると考えて良いと思います。1日進み、そこで休み、次の日に進みという、当たり前の世界がそこにあるように思えます。


Re: 烏帽子島の紹介 蔚山人 投稿日:2018年04月11日 14:44 No.2158
No2155 and 2157の記事は削除して考えてください。ちょっと数字が間違えていました。汗が二重に噴出しています。



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