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【水陸行 60日(二か月)】の意味について ?
wajin128 投稿日:2017年10月16日 21:52 No.2036
【水陸行 60日(二か月)】の意味について ?
 
【悉可以示汝國中人 使知國家哀汝 故鄭重賜汝好物也】
上の文章は大変重要です。
わかり易く説明する為に、文章を区切って訳す事にします。
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【故鄭重賜汝好物也】
汝の好む物を鄭重に賜う也。

【汝の好む物を、鄭重に賜う】と言う事は、魏の方から卑彌呼に対して 「褒美として欲しい物が有ったら述べなさい」 と声をかけられ、これに答えて卑彌呼は 「この品を下さい(銅鏡百枚)」 と申し出たと思われます。
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【悉可以示汝國中人 使知國家哀汝】
使は (贈物の) 悉くを汝の國中の人々に示し、
以って汝への感謝の気持ち (哀) を示す。
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【南至投馬國 水行二十日】
【南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日 陸行一月】

【水行二十日】【水行十日 陸行一月】は【奴國】【投馬國】【邪馬壹國】の人々に、感謝の証としての贈物を、示す為の日数と考えています。
また【土地山險 多深林 道路如禽鹿徑】【草木茂盛 行不見前人】と言った厳しい旅を強いられたのも、贈物 を各國の人々に示す為だったと考えます。

およそ一日に示した倭人の戸数(世帯数)は【二千戸以上 (140,000戸÷60日)】になります。
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【使知國家哀汝】
魏國は汝の働きに感謝 (哀) している。
使(郡の使者)は汝の國民に、これを知らす。

** 【哀】は、臣下に対する最大級の感謝の言葉 **
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この時の使者となって倭國を訪問したのは【梯儁】です。
【梯儁】は【正始元年(240年)】に倭國を訪問して、女王に金印と詔書、そして贈物を届けています。

『 晉書 』四夷傳(東夷条)倭人、に次のような記述があります。
【漢末 倭人亂 攻伐不定 乃立女子爲王 名曰卑彌呼 宣帝之平公孫氏也 其女王遣使至帶方朝見 其後貢聘不絶】

上の文章で注目して頂きたいのは【其後貢聘不絶】です。
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その後も【貢聘】は絶える事なし
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【貢聘】とは、友邦として朝貢に招くと言う意味です。
つまり 卑彌呼 は魏の同盟國の王として、招かれ朝貢した事になります。
中国の辞書に【聘】は 「友邦の訪問を指す」 とあります。
 
https://blogs.yahoo.co.jp/wajin128/36989503.html




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