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64古代大和の旧地名は【草加】です
wajin128 投稿日:2017年08月13日 08:24 No.1848
64古代大和の旧地名は【草加】です

古代大和の旧地名は【草加】です。
女王卑弥呼の宮室は、熊本県大津町に在りました。
九州に居た【邪馬壹(やまと)】の人々が、奈良に移り住んだ事から奈良を【大和(やまと)】と呼ぶようになりました。

大津町から見て奈良の【草加(くさか)】は、日の出の方向に位置することから【日下(ひのもと)の草加】と呼ぶようになります。
その後【日下】だけでも【くさか】と読むようになります。
たとえば、水鳥が多く住む明日香を【飛鳥の明日香】と呼んでいましたが、後に飛鳥と書いて【あすか】と読むようになります。
【日下(ひのもと)の草加(くさか)】も同様の道をたどっています。

似たような事で【一】を【はじめ】と読むことがありますが、これは当て字(仮借文字)です。
古事記には【倭】を【やまと】と読みます、また日本書紀では【日本】と書いて【やまと】と読みます。
また【倭】が【和】に代わっても【やまと】と呼んでいます。

日本を【ひのもと】と読みますが、本来の文字は【日下(ひのもと)】です。
日本を【じっぽん】と呼んだのは中国人ですが、これがヨーロッパに伝わったときに【Japan】にりました。
倭の人々とは、南関東から北九州までの広範に住む弥生人をいいます。

弥生人の最大の特徴は【水田稲作】と【環濠集落】です。
こうした遺跡は大量に確認されています。
朝鮮半島からやって来た人々は、北九州に拠点を置いて支配を広げて行きます。

ところが渡来系と在来系(縄文人)の争いが絶えず、渡来系の人々は北九州から奈良や河内に移住して行きました。
奈良盆地は湿地帯で、余り人が住んで居なかったので争いも少なかったようです。
さらに【水田稲作】には、とても優れた土地だったようです。

熊本県大津町を拠点にしていた弥生人は、奈良に移住するために【運河】を築いて、湿地帯の水を大和川に流す灌漑を行っています。
太古から積もった土には豊富な栄養分がしみ込んでいて、大量の稲を収穫できたようです。
稲作に成功した奈良盆地は、その後人口が増えて【大和朝廷】を建設するようになります。





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