九州説の皆さんのための古代史掲示板
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元気ですか? 筑前 投稿日:2017年12月07日 21:48:52 No.2079 【返信】
最近いかがですか?便りの無いのは元気な証拠、であればいいのですが。たまには出てきませんか?論客がい無いので寂しいですよ。


Re: 元気ですか? 粗忽屋 投稿日:2017年12月08日 21:25:07 No.2080
筑前さん、ご無沙汰しております。

「邪馬台国大研究」の掲示板が閉鎖され、後継の板もすぐに消滅して、
皆さんの書き込みが見られずに寂しく思っておりました。
仕事が煮詰まった時の、有意義な気分転換でしたので。

よろしければ、どちらへ移転されたのかお教え願えますか。
Re: 元気ですか? 投稿日:2017年12月10日 09:15:05 No.2081
筑前さん、ご無沙汰しています。

公休は相変わらず月火で、夜勤有り、21時までの仕事も週に3,4回あり、けっこう働かされています。

倶楽部の予定となかなかタイミングが合いません。
元気にしてますよ。なんせ体が資本の仕事です。
リタイヤまであと3年。まだまだ長いような・・・。


粗忽屋さん、お久しぶりです。
最近、書き込むことはなくなりましたが、筑前さんとこの掲示板はちょくちょく見に行ってました。
新たに引き継がれた掲示板、私もお気に入りに入れてなかったので見に行けなくなりました。URL、教えて頂きたいですね。
Re: 元気ですか? 粗忽屋 投稿日:2017年12月11日 02:41:45 No.2083
郭公さん

板主さんに断りなく失礼いたしました(笑)。
ご無沙汰ですが、お元気そうで何よりです。

オヤジッチさんには春日市周辺の考古情報をタイムリーに教えていただき、
“次に帰った時に見に行こう!”と、刺激を受けております。

郭公さんのこの掲示板も、wajin氏の“テロ攻撃”を受けて、混乱し始めていましたが、最近は少し落ち着いているようですね。(介入があっているのかもしれませんが・・・)
筑前さんのところはひどいことになってしまって・・・。
ネット環境の進展で個人が情報を発信できるようになったのは好ましいことですが、やはりTPOはわきまえてほしいものです。
Re: 元気ですか? オヤジッチ 投稿日:2017年12月11日 16:53:15 No.2084
皆さん集まりで、(^^♪
私は、下にあるように遺跡に行っても鳥ばかり・・・
奴国の丘公園の溜池には、常連のアオサギとマガモが来ています。
これだけじゃあナーということで、資料館によったら、なぜか今まで気付かなかった「続・春日風土記」がありました。
前の「春日風土記」は民俗や自然に関する記事が主でしたが、「続」の方は、考古学(旧石器)~近世的な記事が半分ほどです。
なかなか読みごたえがありますし、まだまだ知らないことがいっぱいあることに気づかされました。
その筆頭が「馬糞層」なる災害考古学的遺層です。
この地層は弥生時代終末期に形成されたもので、厚さ約五〇㌢㍍、流木、木の葉、木の実などの植物遺体を含む暗褐色泥炭粘質粘土層で、福岡県教育委員会の井上裕弘技師は「台風等の天災が急速に、この地方一帯を襲い、収穫をひかえた稲作が破壊的打撃を受け、大凶荒をこの地方にもたらした。」のではないかと推測しているとのことです。というのも、この層の直上(直後)に弥生終末期のドングリ貯蔵穴が11基も出土しています。
この災害は、奴国だけでも列島だけでもなく全地球的なもので、ニュージーランド北島のタウポ火山の大規模噴火による数百年におよぶ海退現象と小氷期によるものと推測されているもので、古代学上、重要な出来事なのに殆ど知られていません。
邪馬臺國連合の衰退とヤマト勢力の勃興にも関係しているような気がします。





平塚川添にカモがきた オヤジッチ 投稿日:2017年11月09日 09:59:09 No.2074 【返信】
昨日カモが来てました。
オカヨシガモ貨と思います。警戒心が強くて、近づけません。


Re: 平塚川添にカモがきた オヤジッチ 投稿日:2017年11月09日 10:04:40 No.2075
望遠で取るとこんな感じ。

Re: 平塚川添にカモがきた オヤジッチ 投稿日:2017年11月09日 10:07:22 No.2076
おんなじ写真を二枚アップしちゃいました。m(__)m
追加アップ。


Re: 平塚川添にカモがきた オヤジッチ 投稿日:2017年11月09日 10:35:45 No.2077
よく見るとコガモのメスですネ。
雄を見つけられなかったので、はっきりしませんでした。


Re: 平塚川添にカモがきた オヤジッチ 投稿日:2017年11月29日 10:32:43 No.2078
コガモの雄、いました。

Re: 平塚川添にカモがきた 投稿日:2017年12月10日 09:22:19 No.2082
オヤジッチさん、いつもありがとうございます。

いつだったか、「東アジア」の友人と淡路島へ行くと申しておりましたが、ある事情のため来年に延期になりました。

銅剣、銅鐸、鉄の精錬所などあり。
古墳も数多い。
島だから海人が人を運んで開けた島と言っていいのでしょうが、その海人の証拠みたいなものをどのような遺物に求めたらよいものやら・・・。

カモの写真、2枚いただきました。
またジグソーで作らせていただきます。(^o^)



吉野ヶ里の秋 オヤジッチ 投稿日:2017年11月02日 10:17:48 No.2072 【返信】
年間パスポート使って、吉野ヶ里の秋を撮りに行ってきました。
さすがに秋ですネ。修学旅行が4組(もしかしたら5組かも)程着てました。
カモも渡ってきてます。カルガモとクロガモでしょう。


Re: 吉野ヶ里の秋 オヤジッチ 投稿日:2017年11月02日 10:19:41 No.2073
撮りに行ったメインはこちら。
赤いソバの花です。





平塚川添の秋 オヤジッチ 投稿日:2017年10月25日 17:16:33 No.2069 【返信】
先週行った吉野ヶ里にカルガモが渡ってきていたので、平塚川添に行ってみました。
カモはまだ来てなくて、カラスの大群が来てました。最近は毎年です。


Re: 平塚川添の秋 オヤジッチ 投稿日:2017年10月26日 16:23:49 No.2071
雲ひとつない平塚川添の秋空




魏志倭人伝の【倭】について ? wajin128 投稿日:2017年10月25日 15:17:43 No.2068 【返信】
魏志倭人伝の【倭】について ?
 
【倭】を音読みでは【わ】訓読みでは【やまと】と読みます。
【倭】は形声文字です、従って旁の【委】が声符だったはずです。
-------------------------
【委】のピンイン (拼音) は【wei1 (フェイ)】です。
【委】には様々な意味がありますが【末端】という意味があります。
【イ (人偏)】を付け加えた事から【倭】の意味は【末端 (東のはずれ) の人】を指すと思われます。
 
【東夷傳】の【夷 (yi2)】の古字は【怡 (yi2)】ですが、福岡県前原市怡土は【東 (夷) の土地】が語源と思われます。
【怡】には【喜ぶ】の意味が有ります、そこで【夷】に代えて【怡】を用いたのではないかと想像します。
 
また韓では【倭】を【ya ma to】と読みます。
沖縄では本州人を【やまとんちゅ】と呼びます。
そして魏志倭人伝では、九州に住む人々を【倭】と記載しています。
 
また本州に住む人々を【倭種】四国に住む人々を【侏儒】と記載しています。

** 『後漢書』倭人伝 **
【建武中元二年】
【倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也】
 
倭奴國の使者、自称大夫が奉貢朝賀す。
(倭奴國は) 倭國の極南界なり。
-------------------------
【倭奴國】を【倭の奴の國】と訳す人が居ます。
この説が正しいとすれば、上記の文章の訳は次の様になります。
【倭】の【奴】の國は【倭國】の【極南界】に在る。
 
つまり【倭國】の中に【倭】が在り、更にその【倭】の中に【奴國】が在ると言う事になります。
【倭國】の中に在る【倭】とは、一体どこに在ったのでしょう。
 
そして女王は【奴國】の中の【都 (つ )】に住む事になります。
こうした訳を行なった人は、漢字漢文の知識を持たない、ど素人と言う他ありません。
正しくは【倭奴國】は【倭 (やまと) 奴 (の) 國 】と訳します。
 



Re: 魏志倭人伝の【倭】について ? オヤジッチ 投稿日:2017年10月26日 16:20:56 No.2070
> 【倭國之極南界也】
> (倭奴國は) 倭國の極南界なり。
↑【倭奴國】があって【倭國之極南界也】があるのですから、
 【倭國之極南界也】の“之”が指示代名詞であることは明らか、「倭国の極南界なり」と訳すのが常識。
 

> 【倭 (やまと) 奴 (の) 國 】。
↑“倭”を「ヤマト」と言うのは『和訓』日本語発音(しかもヤマト王権の)です。
 漢字漢文の“ヤマトは『邪馬臺』です。

> 正しくは【倭奴國】は【倭 (やまと) 奴 (の) 國 】と訳します。
↑こうした訳を行なった人は、漢字漢文の知識を持たない、ど素人と言う他ありません。



魏志倭人伝の【裸國 黒齒國】について ? wajin128 投稿日:2017年10月25日 12:37:52 No.2067 【返信】
魏志倭人伝の【裸國 黒齒國】について ?
 
【又有裸國 黒齒國 復在其東南 船行一年可至】
 
安本氏は、上の文章を下記のように訳しています。
---------------------
また、裸国 ( はだかの人の国 ) ・黒歯国 ( お歯黒の人の国 ) があり、またその東南に在る。
船行一年でいたることが可 ( 能 )であろう。
---------------------
それでは【投馬國】とは、馬を投げる人の国という事になるのでしょうか ?
安本氏の魏志倭人伝についての知識は、この程度の幼稚なもののようです。
【裸國】【黒齒國】は、万葉仮名 (借字) 風に記されたもので、使用されている漢字 (文字) に特に意味はありません。
 
【裸】は大韓民国では【ra ( ら )】そして【黒齒】は【 heuk chi (かわち)】と発音します。
おそらく 裸國 とは【奈良】そして 黒齒國 とは【河内】を指すと考えられます。
山口県には【倭種】の人々が、そして四国には【侏儒 (背の低い人)】が住むと記載されていますが【裸國 黒齒國】に住む人々の種族名は記載されていません。
 
したがって【裸國 黒齒國】の住人は【倭 (邪馬壹) 人 】が住んでいたと思われます。
おそらく【邪馬壹】の直轄領だったと思われます。
----------------
女王國東渡海千餘里 復有國 皆倭種
又有侏儒國在其南 人長三四尺 去女王四千餘里
又有裸國 黒齒國復在其東南 船行一年可至
----------------
ご覧のように【皆倭種】【侏儒國】の文章には【至】の文字が有りませんが【裸國 黒齒國】の文章には【船行一年可至】と【 至 】の文字が見えます。
おそらく郡使は【裸國 黒齒國】には赴いたものと思われます。
 





北九州説の研究 wajin128 投稿日:2017年10月25日 12:00:25 No.2066 【返信】
北九州説の研究
 
邪馬台国(邪馬壱国)北九州説の研究
― 塚田敬章 ―
 
【弁辰伝には「その涜 (瀆) 盧国は倭と界を接す。」ですから、韓の南に海はなく、倭だと認識されていたことになります】
--------------------
この人物は、漢文をまったく理解できていないようです。
【其涜廬國與倭接界】

【その涜盧国は倭と境を接す】ではありません。
 
【その瀆盧國の界 (内側) で倭と接触す】です。
 
中国の辞典に【界】の意味は【範囲】と記載されています。
【涜盧国の界】とは【涜盧国の範囲 ( 国内 )】という意味です。
例えば【視界】とは【見える範囲】をいいます。
 
見えない範囲は【非視界 (死角)】ですが、視界と非視界を分ける線が【境】になります。
【塚田敬章】氏は【堺 (範囲)】と【境 (線)】との、意味の違いを知らないのでしょう。
 
勉強不足としか言えません。
従って【其涜廬國與倭接界】の正し訳は【涜盧国内で倭人と接触す ( 出会う )】です。
 





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