九州説の皆さんのための古代史掲示板
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焼酎27 投稿日:2017年08月15日 19:18:53 No.1851 【返信】
呑酔楽(てんすいらく)芋。黒麹。

北谷長老仕次ぎ 泡盛 44度。3300円。
 寝かせて古酒として飲むのもいいらしいですが、まろやかで泡盛らしい味でした。

琉球泡盛44瓷仕込み粗濾過 玉友 泡盛


Re: 焼酎27 投稿日:2017年08月15日 19:22:13 No.1852
竃猫 芋 宮崎・落合酒造場。

春雨ゴールド 泡盛
 カリー春雨よりちょっとだけ高いけど。

杜谷(華麦) 麦
 だいぶ前に息子からもらって、以来何度か飲んでます。全量麦、まるで春の小川のような味です。


Re: 焼酎27 投稿日:2017年08月15日 19:24:48 No.1853
赤姶良 芋 鹿児島・白金酒造。
 紅芋の華やかさあり、美味でした。

龍宮 黒糖 

最古蔵 米 球磨焼酎・松下醸造場。
 人吉の酒屋ではネットに上がっていなくて、行橋の酒屋で買いました。


Re: 焼酎27 投稿日:2017年08月15日 19:27:34 No.1854
古酒えびす蔵 麦
 福岡県朝倉。ゑびす酒造。大麦。米麹。常圧単式。5年熟成。米麹とは思えないほど麦らしさがありまろやか。

 先日の局地的豪雨、日田、朝倉は大変でした。麦どころなのか幾つかの蔵元があるようです。

富乃宝山 芋
 一時の過熱感も収まったのか普通のお値段で買えるようになりました。3045円。

蛙の寝言 麦
 阿久根、鹿児島酒造。全量麦。麦のこおばしさがあり柔赤な味。常圧。黒瀬杜氏伝承蔵。


Re: 焼酎27 投稿日:2017年08月15日 19:29:18 No.1855
市来焼酎ツン 芋。
息子から3本もらったうちの一つ。鹿児島・市来の田崎酒造の限定酒。息子の酒量は大したことはないけど、私も知らない銘柄をうまく探してきてくれます。

市来焼酎みとら 芋

市来焼酎ぷう 芋


Re: 焼酎27 投稿日:2017年08月15日 19:30:30 No.1856
軸屋 芋

千鶴 芋 ツルの飛来地、鹿児島・出水の神酒造。
 米麹にはタイ米を使用。タイ米を使ったいも焼酎は他にもありますが、私自身は国産米よりタイ米を使ったのが美味しく感じられます。甘さが控えめなのかな。

七窪 芋


Re: 焼酎27 投稿日:2017年08月15日 19:33:31 No.1857
魔焼の炎 麦 大分・常徳屋酒造場。

宇佐むぎ 麦 「兼八」の大分・四ツ谷酒造。
 兼八は独特の味でよく知られていますが、宇佐むぎは全量(麹も)麦でさらっとした味で、これもOKです。


で、昨日から
田苑 麦



 宇佐むぎの前に、近くの酒屋で買って、記録を取る前に飲んでしまって瓶も廃棄し、いったい何を飲んだのか思い出せない。芋だったように思うのですが、銘柄を思い出せない・・・。


Re: 焼酎27 投稿日:2017年08月15日 19:42:20 No.1858
これも飲んでいました。(^o^)
紅芋 小さな小さな蔵で一所懸命に造った焼酎です 芋 鹿児島・丸西酒造


Re: 焼酎27 オヤジッチ 投稿日:2017年08月16日 08:27:59 No.1859
郭公さん、お久しぶり。
どうしているのかな~と、ちょっと心配しました。
相変わらず意気軒高?心配して損した。
それにしてもすごい量ですね。
今まで飲んだの、何種類になりますか。
酒造ごと、原料ごと、麹ごとに分類するだけで、大頁の本が書けますね。

写真は、豪雨から復興、動き出した朝倉三連水車。


Re: 焼酎27 投稿日:2017年08月16日 12:00:18 No.1860
 オヤジッチさん、こちらこそご無沙汰です。
 この掲示板の本筋のところはすっかりオヤジッチさんに甘えています。
 むしろ僕のほうが荒らしまがいの書き込みになってますね。
 まあ、議論もよし、息抜きもよし、ということで勘弁してください。m(_ _)m

 仕事では、そこそこシフトに組み込まれてちょっと忙しくなっています。
 たまに事務所に寄ると、お疲れモードが漂っているらしく、いろいろ気を遣ってくれて、ガムどうぞ、肩もみましょうか、飲み物あるよ、なんて。年寄りに気を遣っていただいてありがとうございます、なんて返事をしています。
 65歳までのあと3,4年は現役で行こうと思ってますが、体力がどこまでもつか。
 会社は、事務系に移るのを含めて75歳までOKなんて言ってくれてますが、老後の自分の時間も欲しいのでどうしたものでしょうね。
 

 僕は自宅ではビールを飲まないので、というのもビールが一番高くつく。
 いま、ひと月で焼酎一升瓶を5本か6本くらいでしょうか。
 でも、一日、せいぜい2合くらいを今なら氷と水、寒くなればお湯で割りますが、5杯くらいですよね。さほどの大酒飲みではないと自分では思ってます。
 また、焼酎は「絶対に」アル中にはならない。日本酒はアル中になる可能性が大だと僕は、経験的に思ってます。
 なので、健康的な飲み方をしているのではないかと。(^o^)

 七月下旬に、学生の頃の悪友5人で仙台・松島に行った。
 僕は、米焼酎「鳥飼」を持参。他のは日本酒。どうやら、焼酎より日本酒のほうが好きらしい。
 焼酎に慣れてしまっているせいか、日本酒のほうがきつく感じました。焼酎のほうがあっさりしている。

 まあ、好みはそれぞれなのですが、国税庁の「酒のしおり」を見ると、消費量としては関西以西は圧倒的に焼酎が多く、東京以北は日本酒が多いようです。

 以前の職場にいた時、退職後、僕は飲み屋ではなく、焼酎メインの酒屋をやりたいと思っていて、それなら可能な限り多くの銘柄を飲んで味を知っていたほうがいい。というわけで、意識的に多くの銘柄を飲んでいるのですが、「芋」だけは、もういくらでもある。
 「麦」も数年前のDirectoryにはないけれど、新しい銘柄が増えています。
 焼酎はいま進化していて、落ち着く先も定かならぬ、ってところでしょうね。

 たぶん、この数年で250銘柄(and more)くらいは飲んでいると思いますが、それぞれの蔵元が、これはうまいと、四合瓶でちょい高い値段で出している銘柄より、僕は一升瓶で普通の値段で出しているのを飲むというスタンスです。それでないと、財布が厳しい。(^o^)

 まあ、有難がって飲むより、自分の一日の休息として飲める。お酒と、そんな付き合いをしたいですよね。


 資料を見て言っているわではなく、古代史の掲示板で誰かが書いていた記憶なのですが、
・朝倉平野って、古代から洪水がちょくちょくあった地域らしいですね。
・3世紀頃の地層に炭の層があって、それが、狗奴国との戦闘の形跡かもと言う説もあるらしい。
Re: 焼酎27 オヤジッチ 投稿日:2017年08月17日 17:42:17 No.1862
郭公さん、○○は。
わたしも、日本酒は何か身体に残るような気がしてどうも、ワイン以上に味のバリエーションがあるのが魅了ではありますが、そこに嵌ると懐がネ。焼酎だって多くのバリエーションがありますもんネ。

学生の時、はじめて行った炉端焼(天神にほぼ初めて出来た店)で、日本酒を飲んでちょっと気分がすぐれなくなったので、
ためしに焼酎のお湯割りを飲んだら、スーと酔いが醒めていく感じがしたのを覚えています。

一日の休息、ダリヤメですか。出かける時に水で割っておいて、温める(出来ればクロジョカ)ってのが理想ですよね。わたし、一応クロジョカ持ってるんですが、やってません。レンジがIHなので、卓上コンロを出すのが面倒(^。^)

酒屋じゃなくて、飲屋ですけど、鹿児島では飲屋で「酒」って言ったら焼酎が出てくるそうですネ。(鹿児島支店長だった先輩に聞きました)

写真は平塚川添のアオサギ。(カメラを買い直して、遺跡に行っても鳥ばかり目について)


Re: 焼酎27 投稿日:2017年08月19日 07:27:01 No.1863
 オヤジッチさん、おはようございます。

>鹿児島では飲屋で「酒」って言ったら焼酎が出てくるそうですネ。(鹿児島支店長だった先輩に聞きました)

 たしか鹿児島では日本酒は造っていなかったように思います。なんせ南国ですので日本酒用の黄麹菌が腐りやすいとか。
 
http://www.washimo-web.jp/Omunibus/Arekore-Kameman.htm
>熊本県葦北郡津奈木町の亀萬酒造は、日本酒の天然醸造(自然な気候・温度環境下での醸造)の南限といわれています(宮崎県綾町と沖縄でも日本酒が造られていますが、冷蔵室での醸造とのことです)。

 ただ、逸文ですが「大隅風土記」に、
・大隅ノ國ニハ、一家ニ水ト米トヲマウケテ、村ニツゲメグラセバ、男女一所ニアツマリテ、米ヲカミテ、サカブネニハキイレテ、チリヂリニカヘリヌ、酒ノ香ノイデクルトトキ、又アツマリテ、カミテハキイレシモノドモ、コレヲノム。名ヅケテクチカミノ酒ト云フト云々、風土記ニ見エタリ。

 とありますので、焼酎以前にも(上記を日本酒と言っていいのかどうかは難しいですが、まあ古代酒とでも言っておきますが)酒は作られていたんだろうと思います。

 サギの写真、いただきます。ジグソーパズルに使わせてもらおうかな。(^o^)



66漢文(中国語)と【倭字】の違いについて wajin128 投稿日:2017年08月13日 13:24:43 No.1850 【返信】
66漢文(中国語)と【倭字】の違いについて

【對馬國】【一大國】【末盧國】【伊都國】【奴國】【不彌國】【投馬國】【邪馬壹國】【狗奴國】【斯馬國】【已百支國】【伊邪國】【都支國】【彌奴國】【好古都國】【不呼國】【姐奴國】【對蘇國】【蘇奴國】【呼邑國】【華奴蘇奴國】【鬼國】【為吾國】【鬼奴國】【邪馬國】【躬臣國】【巴利國】【支惟國】【烏奴國】【奴國】【狗奴國】【侏儒國】【裸國】【黒齒國】

【大夫】【卑狗】【卑奴母離】【爾支】【泄謨觚】【柄渠觚】【兕馬觚】【多模】【彌彌】【彌彌那利】【伊支馬】【彌馬升】【彌馬獲支】【奴佳鞮】【狗古智卑狗】【難升米】【壹與】【卑彌呼】

以上はすべて倭人の文字(大和言葉)で漢字(中国語)では有りません。
また【里】も【倭人里(一里は137m)】で記載されています。
これら以外の文字あるいは文章は、漢文(中国語)と見てよいでしょう。

ただ現代中国語とは多少異なります。
たとえば【黒雉(くろいキジ)】とありますが、現在の中国では【黒】の文字は使用していません。
黒い色は【黑】と記載します。

魏志倭人伝には【倭字】と【漢字】が入り混じっています。
この事を十分に理解して読む必要があります。
たとえば【黒(か)齒(ち)國】と【黒(フェイ)雉】の【黒】の読み方では全く別物です。






65【女王國東渡海千餘里復有國 皆倭種】 wajin128 投稿日:2017年08月13日 11:38:14 No.1849 【返信】
65【女王國東渡海千餘里復有國 皆倭種】

【女王國東渡海千餘里復有國 皆倭種】
女王國から東(実際は東北)の方角に、海を渡って千餘里の地に
女王國と同じような國が有る
皆、倭人と同じ種族

【又有侏儒國在其南人長三四尺 去女王四千餘里】
その南(実際は東南)の方角に侏儒國が在る
身の丈が三四尺(1m前後)の人々が住む
女王國からは四千餘里

【又有裸國黒齒國 復在其東南船行一年可至】
また女王國の東南(実際は東)の方角に裸國と黒齒國が有る
女王國から船行一年で至る

【倭種】地域さらに【侏儒國】へは、郡の使者は行かなかったようです。
なぜなら、これらの地域あるいは國には【至】の文字が有りません。
いっぽう【裸國 黒齒國】には【船行一年可至】とありますから、郡の使者は行ったと思われます。

郡の使者の目的は【魏帝の贈物を倭人に示す】事です。
したがって【船行一年】もかけて使者が向かった先には、倭人の國が有ったはずです。
つまり【裸國 黒齒國】とは倭人の國という事になります。
そして【裸國 黒齒國】とは、後の奈良 河内(大和)と見て間違いないでしょう。






64古代大和の旧地名は【草加】です wajin128 投稿日:2017年08月13日 08:24:58 No.1848 【返信】
64古代大和の旧地名は【草加】です

古代大和の旧地名は【草加】です。
女王卑弥呼の宮室は、熊本県大津町に在りました。
九州に居た【邪馬壹(やまと)】の人々が、奈良に移り住んだ事から奈良を【大和(やまと)】と呼ぶようになりました。

大津町から見て奈良の【草加(くさか)】は、日の出の方向に位置することから【日下(ひのもと)の草加】と呼ぶようになります。
その後【日下】だけでも【くさか】と読むようになります。
たとえば、水鳥が多く住む明日香を【飛鳥の明日香】と呼んでいましたが、後に飛鳥と書いて【あすか】と読むようになります。
【日下(ひのもと)の草加(くさか)】も同様の道をたどっています。

似たような事で【一】を【はじめ】と読むことがありますが、これは当て字(仮借文字)です。
古事記には【倭】を【やまと】と読みます、また日本書紀では【日本】と書いて【やまと】と読みます。
また【倭】が【和】に代わっても【やまと】と呼んでいます。

日本を【ひのもと】と読みますが、本来の文字は【日下(ひのもと)】です。
日本を【じっぽん】と呼んだのは中国人ですが、これがヨーロッパに伝わったときに【Japan】にりました。
倭の人々とは、南関東から北九州までの広範に住む弥生人をいいます。

弥生人の最大の特徴は【水田稲作】と【環濠集落】です。
こうした遺跡は大量に確認されています。
朝鮮半島からやって来た人々は、北九州に拠点を置いて支配を広げて行きます。

ところが渡来系と在来系(縄文人)の争いが絶えず、渡来系の人々は北九州から奈良や河内に移住して行きました。
奈良盆地は湿地帯で、余り人が住んで居なかったので争いも少なかったようです。
さらに【水田稲作】には、とても優れた土地だったようです。

熊本県大津町を拠点にしていた弥生人は、奈良に移住するために【運河】を築いて、湿地帯の水を大和川に流す灌漑を行っています。
太古から積もった土には豊富な栄養分がしみ込んでいて、大量の稲を収穫できたようです。
稲作に成功した奈良盆地は、その後人口が増えて【大和朝廷】を建設するようになります。






63【韓 在帶方之南 東西以海爲限 南與倭接 方可四千里】 wajin128 投稿日:2017年08月12日 23:26:59 No.1847 【返信】
63【韓 在帶方之南 東西以海爲限 南與倭接 方可四千里】

三國志卷 魏書三十 烏丸鮮卑東夷傳
【韓 在帶方之南 東西以海爲限 南與倭接 方可四千里】
韓は帯方郡の南に在る
韓の東部(馬韓)も西部(辰韓)も、海をもって境とす
南の倭人と交易(接)を行う
韓の大きさは、円周にして四千里
 ---------
【馬韓在西】
馬韓は西に在る

【辰韓在馬韓之東】
辰韓は馬韓の東に在る

『後漢書』弁辰伝、
【弁辰與辰韓雜居】
弁辰(弁韓)は辰韓内に雑居

【東西以海爲限】
韓の東西(全ての韓)は、海を以て限りと為す

海を以て限りと為すとは、この先に陸地はない、したがって韓は東西とも三面を海に囲われている、という意味です。
漢字(中国語)の【接】は【接見(出会う)】という意味です。
たとえば、相手と電話で話すことを【接電話】といいます。
直訳すれば、電話で会うという意味です。






62【經都斯麻國 迥在大海中】 wajin128 投稿日:2017年08月12日 20:08:56 No.1846 【返信】
62【經都斯麻國 迥在大海中】

『隋書』 倭国伝
【經都斯麻國 迥在大海中】
遥か大海の中に在る 都斯麻國を経る
 --------------------
【都斯麻】とは【對馬( つしま )】の事です。
すると【都】は【つ】と発音していた事になります。

【至邪馬壹國 女王之所都】
したがって【伊都】また【女王之所都】の【都】も【つ】と発音したと思います。
【女王之所都】の正しい訳は【女王は都(つ)という処に住む】です。
したがって【都】を【みやこ】と訳すのは間違いです。

王の住む【みやこ】を表す場合は【京(京都)】の文字を使用します。
【都】とは【大勢の人でにぎわう地域】を指しますが、魏志倭人伝の【都】には、そうした記載がありません。

さらに【所】には【地方(ローカル)】という意味があります。
したがって宗主国邪馬壹の國中の、一部地域【都(津・つ)という邑】に女王は居る。
これが正しい訳です。

そして【つ(津)】は、現在の【熊本県菊池郡大津町】です。
そして中国語の【津】は【人で賑わう港】という意味です。
万葉仮名でも【都】は【つ】の音に使用されています。






61【日本國者 倭國之別種也 以其國在日邊 故以日本為名】 wajin128 投稿日:2017年08月12日 17:09:26 No.1845 【返信】
61【日本國者 倭國之別種也 以其國在日邊 故以日本為名】

『旧唐書』 倭國・日本國伝
【日本國者 倭國之別種也 以其國在日邊 故以日本為名】
日本國の人々は、倭國とは別の種類なり。
その國は日の出の方角に在る。
故に日本(ひのもと/日下)と名づけた。
--------------------
『新唐書』 卷二百二十 列傳第一百四十五 東夷 日本
【咸亨元年 遣使賀平高麗 後稍習夏音惡倭名更號日本 使者自言國近日所出以爲名 或云日本乃小國爲倭所并故冒其號 使者不以情故疑焉】
咸亨元年( 670年 )。
高麗の平定を祝うために、使いを遣わした。
後に夏音(漢文)を習得し、倭名を憎み日本と改号す。
使者が自ら語るには、国は日の出の方角にある事から、これを国名と為す。
日本(日下/ひのもと)は倭の一部の小国(宗主国:大和のこと)したがって、倭と同一に記述したのでは矛盾が生じる。
使者の語ることを信じた。
--------------------
元明天皇(在位期間:707年8月18日 - 715年10月3日)
【倭(卑字)】に通じるとして【倭】と同音の【和】の字に【大】をつけて【大和(やまと)】と書くよう定めたとあります 。
また日下(ひのもと)の草加を【日本(ひのもと)草加】に改め、この日本を【やまと】と読んでいます。
--------------------
漢代には【倭(やまと)奴(の)國】あるいは【邪馬臺(やまと)國】と名乗り、魏代には【邪馬壹(やまと)國】と名乗っています。
九州の【倭】と畿内の【倭】が同時に誕生したとは考えられません。
したがって九州の【倭(やまと)】が畿内の【大和(やまと)】に発展したと考えるべきでしょう。
 





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