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無題 Meamo 投稿日:2018年06月18日 06:19:34 No.2161 【返信】

香川県ルーちゃん餃子のフジフーヅはバイトにパワハラの末指切断の大けがを負わせた犯罪企業.中卒社員岸下守の犯行.




水深と潮汐 蔚山人 投稿日:2018年04月15日 19:25:22 No.2159 【返信】

数学が出来ない蔚山人としては、オヤジッチさんに笑われないように、数字のない文章での投稿をさせて下さい。

これも「魏志倭人伝」の話では話題になることがない事項ですが、水深測量と潮汐の知識というのがあります。秦や漢の時代は河川での船の通行が頻繁に行われてくるようになります。とりわけ楼船という大型船での航行が出てくるのですが、この時問題となるのが河の水深でした。安全に航行できなければ、どうしようもない訳です。

そこで船には、測深錘や水鉈という重い金具とひもを結び水面下に下ろして水深を測ります。測量の単位は、人が両手を広げた托(たく)で1.5mの長さです。単位長さのタッグをこの紐につけ、それで水深を測ります。測量の左辺が水を示すサンズイがあるのは、そこから測量が始まったことを示しています。

そして航海の発展と水深測量の結果で、潮の潮汐活動がだんだんと分かるようになってきました、河川からインド洋までという活動範囲の広がりが、逆にそれを要求するようになったのでしょう。

海が浅い場所では浅瀬・暗礁での座礁の危険性が大きく、また港への出入りには海の高さが関係しています。必然的に潮汐の知識が要求されてきます。前漢時代、枚乗(ばいじょう、-前140)は著書『七発』で、潮汐と月齢の関係を説明するような8月の望の大潮のことを述べています。

後漢になると、王充(おうじゅう、27-97)に潮汐の成因理論を作っています。著書の『論衡』の書虚篇に、「涛之起也、膸月盛哀」(潮の満ち退きは、月の満ち欠けによって大きかったり小さかったりするのであって、潮の満ち退きはいつも同じではない)ということ考えにいたり、月と潮汐の関係を科学的に示しています。紀元前1世紀には潮汐表も作られていました。これを使い船は潮をうまく利用をして航海をしていたようです。潮の流れに乗れれば、船を進めるのが容易ですし、港に入ることも容易になります。

魏志倭人伝の時代に、中国あるいは帯方郡から来た船は水深を測量し、帰路の安全を図り、潮の流れの変化をみて、航海の安全を図っていたと思われます。


Re: 水深と潮汐 蔚山人 投稿日:2018年04月18日 13:06:28 No.2160
オヤジッチ様

前回の投稿で、90kmとしたのは呼子から福岡までの距離でした、そこで6で割ると、1日15kmとなります。数学が出来なくなってきて、ただただお恥ずかしい限りです。



烏帽子島の紹介 蔚山人 投稿日:2018年03月24日 01:25:05 No.2145 【Home】 【返信】

邪馬台国論争で、皆さんの論の中で抜けていた重要な点があるので紹介します。

それは玄界灘に浮かぶ烏帽子島のことです。「魏志倭人伝」において壱岐島から呼子に至る際に地文航行を行いますが、この島は小さいですが標高が数10mあり、遠望から見れるということで目印になっていたようです。沖ノ島と同じような島です。位置は壱岐と呼子を結ぶ線より東側の玄界灘の中央にあります。

江戸時代、博多から平戸に行く、あるいは博多から唐津、呼子に至る航海の際には、この南側を航行したようです。船関係の地文航行の専門書では、壱岐から呼子へは、古代からはこの島の横を通ったと述べられていて、間違いはないと思います。そのためルートがやや三角形の形をするため、直線で結んだものより数割方航海距離長くなったと思われます。千里としてもおかしくはないことがこれで分かります。


Re: 烏帽子島の紹介 オヤジッチ 投稿日:2018年03月26日 13:06:30 No.2147
蔚山人さん、○○は。
烏帽子島って、今は「壱岐島~呼子」というより、「壱岐島~博多港」「平戸~博多港」「五島~博多港」ですネ。


Re: 烏帽子島の紹介 蔚山人 投稿日:2018年03月26日 14:40:36 No.2148
オヤジッチ様

現在は、「こんにちわ」というところでしょうか。

この烏帽子島は、高さが40mちょっとあり灯台もありということで、現在はおっしゃられる通り壱岐島と博多を結ぶ航路の目印になっていますし、博多港から他に向かい場合の航路にもなっています。しかし古代は壱岐島の東の原の辻遺跡辺りから船出した船が南下する際の、非常によい目印だったようです。その点沖ノ島に似ていますね。

もちろん南下ばかりではなかったと思いますが、弥生時代手漕ぎの船程度で1日にいける距離を考えると、加部島や呼子までたどり着くのが航路の主体だったでしょう。古代史の論争の中には、こうゆう実務的なことも必要だと感じています。

恥ずかしいながら、実は壱岐に行った事がないですので、(対馬への航路の寄港としてはあるのですが)、一度寄りたいと考えています。
Re: 烏帽子島の紹介 オヤジッチ 投稿日:2018年04月02日 17:07:55 No.2151
蔚山人さん、こん○○は。

> 弥生時代手漕ぎの船程度で1日にいける距離
↑コンパスも海図もない時代ですからね。
 目視航法しかないわけで、それも引潮に乗って船出(陸から離れる)、満潮で入港(陸に近付く)のでなければ無理だと思います。その一航海(一日分)が千餘里何でしょう。だから実際の距離とは大きな差があるのでしょう。


Re: 烏帽子島の紹介 オヤジッチ 投稿日:2018年04月03日 16:09:00 No.2152
> 弥生時代手漕ぎの船程度で1日にいける距離
> 一航海(一日分)が千餘里なのでしょう。
↑ここで、『水行十日陸行一月』を全行程とすると、
 『從郡至倭・水行・・・狗邪韓國【七千餘里】・・・【千餘里】至對馬國・・・・・・又南渡一海【千餘里】・・至一大國・・・【千餘里】至末盧國』の合計【一万余里】が十日となり、末盧國に上陸後、舟は使っていないことになります。(^^♪


Re: 烏帽子島の紹介 蔚山人 投稿日:2018年04月05日 22:29:39 No.2153
オヤジッチ様

航海日数について、やっとご理解して頂ける方が出てきて、うれしく思います。長年航海の水行1日=1千里ということを中国の文献を通して紹介してきたのですが、どなたも理解を示して頂けませんでした。

これで私も大手を振って世間を歩けます。バンザイ!!!

ついでですが陸行1日=百里と考えています。古代の人々は、GPSやトータルステーションというような測量機器は持っていませんでしたので、経験できることがらで、旅程を述べていたと思います。
Re: 烏帽子島の紹介 オヤジッチ 投稿日:2018年04月10日 09:57:24 No.2154
蔚山人さん、こん○○は。
> 長年航海の水行1日=1千里ということを中国の文献を通して紹介してきたのですが、
↑わたしは最初から「水行1日=1千里」と言うご見解を納得してましたし、何度か「水行1日=1千里」とレスしてます。

> どなたも理解を示して頂けませんでした。 
↑そうなんですよね。

> 陸行1日=百里と考えています。
↑大いに可能性がありますネ。
 一日に歩けるのは、どの位でしょう。地形や環境(道の有無、水路)で違うので悩ましいですネ。
 ただ、“短里”だとかは無意味であることは、確かですよね。(^O^)

写真は、平塚川添の復元環濠に佇むコウノトリ(識別番号J0179)です。もう一羽(おそらくペア・雄)いました。通い詰めたかいがありました。(^.^)


Re: 烏帽子島の紹介 蔚山人 投稿日:2018年04月11日 03:43:15 No.2155
オヤジッチ様

「水行1日=1千里」を以前から認めていてくれたということを初めて知りました。心強いご支持で感謝します。

さて「陸行1日=百里」ですが、呼子に上陸して、七山、荒川峠を通り、前原の端の波多江に降りてくるルートは、古代からの道のりです。そこでこの距離を測ると90kmでしたので、これを5日=5百里で割ると、1日=15kmとなります。

当時の山や、草花が繁茂した場所を行くと、凡そその程度の1日行程となります。短里だ○○里だという話は、オヤジッチさんのご指摘の通り古代にあってはまずありえないことと思います。邪馬台国問題を解決したと自画自賛で主張する方々は、この簡単なことを複雑にするのは、これで止めて欲しいものです。
Re: 烏帽子島の紹介 オヤジッチ 投稿日:2018年04月11日 09:19:56 No.2156
> 呼子に上陸して・・・距離を測ると90kmでしたので、これを5日=5百里で割ると、1日=15kmとなります。
↑山越えの難所ばかり、呼子~三雲も殆ど90km÷5日=18km/日で妥当な線。(^.^)
 三雲から奴國のタカウタまで、日向峠越えで21km程、日向峠以外は難所はないので、「一日=百里」でOKですネ。
 で、奴國~不彌國の「一日=百里」は、宇美町でも筑前町でも十分妥当ですネ。

Re: 烏帽子島の紹介 蔚山人 投稿日:2018年04月11日 14:26:34 No.2157
算数が出来ない蔚山人でした。(冷汗がタラーと落ちています)

日向峠も、そんなに難所ではないですので、オヤジッチさんの観察に同意します。

不明21ヶ国についても、都城までの距離(350km~380km程度)を20日で割るとやはり1日=百里程度となります。そうするとこの「次有」とされている国は、海の中のように陸を1日でたどり着ける範囲に連続してあると考えて良いと思います。1日進み、そこで休み、次の日に進みという、当たり前の世界がそこにあるように思えます。
Re: 烏帽子島の紹介 蔚山人 投稿日:2018年04月11日 14:44:52 No.2158
No2155 and 2157の記事は削除して考えてください。ちょっと数字が間違えていました。汗が二重に噴出しています。



生口について 蔚山人 投稿日:2018年03月31日 04:19:49 No.2149 【返信】

これも魏志倭人伝で論じられることがないものに、中国での生口の価値があります。邪馬台国は貢物として中国に生口を送りますが、それが中国社会でどのような意味があったのでしょうか。水谷謙治氏の「中国における物的貸借の歴史的考察」立教経済学研究2012を参考に考えたいと思います。

漢の時代の人の身分は、王侯・管史・庶民・奴隷に分かれていて、殆どの人間が農・商・工・雑の庶民に属しています。その庶民から上位の人々が使う奴隷は、中国全体で200万~400万人の奴隷がいたと推計されています。人口の4%程度です。

この奴隷は売り買いの対象でした。当時としては高価なものと思われていたようですが、現在の人間尊重の時代にあっては、安すぎる感じを持つかも知れません。他の物価との比較では、次のようになります。牛馬よりは数倍高いが、金に比べると2倍程度というところで、小史の俸給の15か月分というところでしょうか。

軺車(ようしゃ:一頭の馬が引く軽車):5,000~12,000銭
商車:1,200銭
馬:4,000~6,000銭
牛:2,400~2,600銭
牛車:1,200~2.400銭
布帛(一匹):1,200銭
粟(一升):400銭
剣:650~800銭
鉄器(小鍬):100銭
傭賃:300銭
小史俸給(月):700~1.400銭
車雇賃:1,000銭
複袍:1,100~1,800銭
金(一斤1.8g):10,000銭
奴隷(大人男性):15,000~20.000銭

当時の奴隷は、意外と思われる点は労働条件等で交渉することが出来た点で、そのようなエピソードも残っています。働き手としては非常に貴重だったようで、邪馬台国からの奴隷は大切にされたとは思いたいですが、会話が出来ないでしょうから、ただただ働かされるだけで終わったかも知れません。
平安時代、渤海に貢いだ踊り子たちは、そこから転々と移り住んでいて、中国で踊りをしながら生計を立てていたのを目撃されたという話が残っていますが、邪馬台国時代やその前の時代の生口も、雇い主を渡り歩いて生き延びていたと考えたいですね。
古代中国の庶民の殆ども貧しくて、安い賃作業(アルバイトのようなもの)をしながら、その日暮らしをしていたようで、生活は奴隷とさほど変わらないものだったでしょう。


Re: 生口について オヤジッチ 投稿日:2018年04月02日 16:49:37 No.2150
蔚山人さん、こん○○は。

「コインの散歩道」というサイトに「人のねだん」というページがありました。
以下、引用
● 漢  前1世紀
  紀元前1世紀、史記貨殖列伝の商品一覧には、
    ○穀物・果物・野菜 1鐘1000銭 (124リットル、約3ケ月分の主食)
    ○馬 1頭5000銭  
    ○牛 1頭2000銭  
    ○羊・豚 1匹500銭
    ○奴隷  1人10000銭
のような数字が並んでいます。 1銭は、「五銖銭」1枚のことです。 10000銭というのは、庶民の年収くらいでしょうか。
以上、ということです。
奴隷が、馬の二倍、牛の五倍って高いのか安いのか。
どっちにしても、本人が貰う訳じゃない。(-_-メ)

気分転換に、平塚川添のコウヨウザクラでも、どうぞ。





写真を送ります 蔚山人 投稿日:2018年03月21日 17:31:06 No.2142 【返信】

前回の記事で写真がどうしても付けられませんでした。今回うまく行くかどうかは分かりませんが、再挑戦してみます。

Re: 写真を送ります オヤジッチ 投稿日:2018年03月22日 10:00:24 No.2143
蔚山人さん、こん○○は。
写真、ちゃんとアップされています。
画質も上々。
ジブチですか、名前だけは知ってます。自衛隊の駐屯地があるんですよネ。
夏は相当暑いんでしょうネ。お体、ご大切に。
写真は、一週間前の吉野ヶ里、春にはまだちょっとかかりそうでした。


Re: 写真を送ります 蔚山人 投稿日:2018年03月22日 14:30:51 No.2144
オヤジッチ様

吉野ヶ里は春を迎えて、そこにいるだけで気持ちが良くなりそうですね。日本は素晴らしい国です。

ところでエチオピアは海を持ちませんので、ジブチがその港の役割をしています。そこで道路事情は非常に悪いのですが、物資を積んだ大型車が数多く行き来しています。

エチオピアとの国境を示すポストと、エチオピア側の様子を送ります。ひょいと跨いで、国境を越えます。面白いですね。


Re: 写真を送ります オヤジッチ 投稿日:2018年03月26日 12:46:12 No.2146
蔚山人さん、○○は。
教えてもらって初めて気付きました。
エチオピアは紅海に面した土地が無いんですネ。
意地悪するように囲まれてる。(^O^)
かつては、紅海沿岸の港町アドゥリス(現在のエリトリアのマッサワ近郊)を通じた貿易で繁栄していたとのこと。(Wikipedia)

写真は平塚川添遺跡公園入口のコウヨウザクラと春の陽光に照らされた復元環濠です。





ジブチでは夏が始まりました 蔚山人 投稿日:2018年03月21日 03:38:40 No.2141 【返信】

オヤジッチ様

日本は春ですが、エチオピアの横のジブチは、冬が終わり夏が始まりました。





平塚川添遺跡公園 オヤジッチ 投稿日:2018年03月07日 09:29:36 No.2140 【返信】

ゆっくりですが確実に春が近づいています。




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