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10:30過ぎに最終目的地のバヤワン市に到着です。 10年も前にここを離れる時に完成していた立派なバスターミナルへの乗り入れは未だに実現されず、以前と同じセリスライナー社のバスターミナルへ乗り入れされてました。 理由は全く解りませんがきっとそれなりの理由があるのでしょうね。 さてここから家までは後6km、トライシクルターミナルへと日本から持ってきた大きな荷物を運び家路と急ぎました。 夜どうし眠らずに移動を続けたので疲労と眠気、身の安全に気を注ぐ為疲労困憊状態でした。 一方、故郷の土を踏んだ家内の喜びはひとしおのようです。 反して我が子の小学校4年は周辺環境の様変わりに何もかも驚きで固くなっておりました。 家に到着するも急ぎ暮らせる環境に整えねばならず忙しく手が抜けません。 如何せん10年もつかってません家財道具、取り分け台所用品の買出しに必死で、長かった1日が終わりました。 日曜日には雨漏りのひどい屋根、トタンの張り替えが急務となりました。 |
思っていた通り、っと謂うのは、この投稿はフィリピン大手に携帯電話smart社が販売致す、smartbroを利用したネット環境でして、日本のpocketWi-Fi版と全く変わりなく4GサービスとLTEサービスの2系統から選択出来ます。 私の利用致すpocketWi-Fiはロングタームエヴォリューウション つまりLTEを利用致し移動中でもアクセスが可能となってはいるんですが?? そこはフィリピン、じっさいに使ってみるとサクサク利用できる箇所が少なく、やはり大都市中心ですね、今は文字をアップするだけでやっとで写真投稿が回線速度が低すぎて出来ません、やはり想像通りでした、一応smart以外にグローブ社のpocketWi-Fiもあるので後ほど購入して試験して見たいと考えております。 速度さえ当たり前に出る場所でしたら日本とは普通の携帯電話の様に綺麗に聞こえ届きますね。 ただし何度かトライ致しましたがバス等の移動中に写真投稿は回線速度落ちて厳しいですね。 音声同士の日本との会話はクリヤーですが画像を見ながらは、たとえマニラやセブでも不向きでした、 気になる購入費用ですが、LTEpocketWi-Fiが1999ペソプラス1Gのサービス付です。 1週間300ペソ 2週間500ペソ 1ヶ月1000ペソ 満タン充電で6時間前後持ちますが一日中は厳しいので途中USB充電器と併用することをお勧めいたします。 |
主要都市や州都ではサクサク動きますが反面田舎になればsmartかglobeのどちら一方が使えれば良い方で、結局今は両方購入せざる得ません。 今いる場所ではglobeが良い方で、下り2-3Mbps 上り0.25-2Mbpsとばらつきが激しいですね。 smartは電波が途切れたり入ったりの不安定でここにいる限り、データ使い切りそうにもありません、、 この様に向かう場所によって全く違って来るので、両方購入するか、SIMロック解除して一台で使うか、この様な選択が必要でしょう。 値段は以下の通りです。 smartbdo LTE 1GB無料サービス付が1998ペソ 300ペソ7週間 500ペソ2週間 月1000ペソ 1日1GBを超えると制限されます。 また期限内でもリミテッドデータを使い切れば止まりはしませんが超低速に突入します。 はっきり言って使い物にならずですね。 globeは3日、7日、一ヶ月とあり最大8GB迄 サービスは350MBだったか450MB月です。 pocketWi-Fiは安く888ペソ もちろんsmartでも同額のpocketWi-Fiの販売もありますが、違いがイマイチ不明です、調べて見ます。 pocketWi-Fiのルーター設定 IPアドレス smart 192.168.1.1 ユーザーネーム smartbro パスワードも同じ SSIDとPassword等その他の設定変更ができます。 globe 192.168.8.1 ユーザーネーム admin passwordも同じです。 どちらも設定機能に大差なし、帯域は20Mのみで40Mは御座いません。 いずれも英語記載はもちろんで、ある程度のルーター設定になれた人でないと厳しいので、既に設定済みのpocketWi-Fiを帰国後旅行者向けあるいは帰省者向けに低額で貸出します。 |
桜島さんお読み頂きまして有難うございます。 4、5日前から非常に暑くなっています、早い所は既に夏休みの学校も御座いますが公立は4月10日の月曜日あたりからの様です。 乾季のシーズンで連日快晴が続いてます、僅かでも直射日光が当たると、虫めがねのレンズを通して焼かれている数分とじっとして入られません、そのくらい痛い暑さです、そのせいでやる気が徐々に薄れて行きますね、数十年前までこんな暑い中をフィリピン各地に出かけていた頃の気力は何処へ、そんな感じです、しかしその経験からの学んだ事は、 急がない、自然な流れで物事を進め、焦る気持ちを抑えできれば時間に拘らない、そして粘る 我々日本社会に浸って来た者にはいずれも非常に困難な事ですが、 いわゆるエクスプレスを望むことがこの国では一番の天敵を生んで来ました。 その中で特に大きいのが、フィリピン人との結婚が大きな節目を兼ねているでしょうか。 つまりパートナー次第で地獄を見るという事ですね、良いパートナーの定義など御座いませんが、しかし生活が傾く様なパートナーを求めて仕舞う事例は非情に多い者ですね、 その要因はやはりフィリピンパブを通した女性との出会いそして求婚、あるいはそれらに関与した人からの紹介婚、そして一介のフィリピン旅行を通し表敬的な出会い、いずれもエクスプレス的な範囲、これらが後にとんでもない結婚下で生活が傾く羽目になるとは予想すらできません。 ですからこの国とお付き合いするのは難しく厳しい様に思います、まっさらな心をお持ちの女性はいくらでもいます、でも時間がなく出会いきれません、例えフィリピンへ来られてもいつも行く場所は毎度決まったフィリピン、定番の様に何処何処は危なく危険だから、先ずはその殻を破った先に真の人々が待っているでしょう、それがマニラやセブ、ダヴァオなどではなく、観光地等とは全く縁のない、日本人1人対フィリピン女性数万人、この様な流れを踏みませんと、騙し騙されたの繰り返しで、金が愛になり兼ねません。 |
BRイシオと謂いますとほぼ海沿いの町でカウアヤンだったと思いますが、たしかカバンカラン迄約30分くらいじゃなかったかなと思います。 あの辺ですと魚は何があがるのでしょうか、 バヤワンは砂浜地帯でして貝類はほぼ取れません、今回はまったくタコを公設市場で見ることはありませんでした。 墨いか、あじ、かたくちいわし、中型クラスのかつお、そして小ぶりのそーだがつお、キハダマグロはわりと売っております。 でも以前はヒノバアンとシパライの間の漁村行くと、地元呼び名でネネカドと謂う小さな平ったい貝が取れ、30ペソも買うと2~3kg買えました。 今回態々いったのですが、乱獲で全然取れなくなったそうです。 イシオを通った事を今でも覚えております。 幾度かバヤワンから早朝薄暗い内にバイクでツーリングしたり、初めて家内をバイクに乗せてバコロドへ行った時など、何度かイシオを通りました。 結婚前の頃ですが、バコロドへ連れて行った時、バコロドチキンハウスへ連れていったのですが、長距離で疲れ果て食べなかった者で、せっかく来たのにと口論となりました、その頃はカバンカランからバコロドのネグロス国道1号線は穴だらけで、タイヤが穴に接触して振動で背中が痛く、帰路はバスで帰ると言い出したので、地理音痴な家内をバコロド市北にあるバスターミナルへ態々送り届けました、もちろんカバンカランやヒノばアン、そしてドゥマゲテ行は南バスターミナル発なのでなく、夕方4時過ぎだったと思います。 最終バスが出たものと思い込み、仕方なく私と一緒に二人乗りで276kmも離れているバヤワン迄帰宅したのですが、その途中カバンカラン過ぎた頃に薄暗くなりはじめ、イシオ付近では雨の中、ポンチョタイプのコート所持もなく、ずぶ濡れになりながら、寒い寒いと謂いながらも他の選択余地はありません、ひたすら根性とパンクしない事を祈る思いで、シパライ、ヒノバアンと走ってバヤワン迄帰った者でした。 そのころはヒノバアンからバサイ間は砂利道で特に州堺は断崖絶壁の道路で道が抉れておりました、この間走ったら見事なセメント舗装道路になっておりました。 着実にインフラは進んでいますね。 そういえばイシオからギマラス島まで直線距離で約29kmくらいだったと思いますが、見えた事がありませんでした。 たぶん水平線ずたいの水蒸気や雲などで気象条件等がうまく重ならないと 見えなかったのかと思います。 明け方は逆に寒いかと思いますが、とっても閑静で田舎の漁村と謂う雰囲気が満ちている様に感じました、その様な落ち着いた地こそ私にとっては本来のフィリピンに触れている気がしてなりません。 そして日本語のまったく届かない場所でありながらも互いに何とか通じあう様努力し、互いが通じ合った時の感動と喜びがたまりません。 セブやマニラ等の年柄年中うるさ過ぎて、一時はよくとも慢性的だとどうもあいません。電話も聞こえない程のガヤガヤした雰囲気が生にありません。 |
カビテ様 私も東南アジアの旅の中でもフィリピンとはなぜか相性が良くてたびたびバックパックしています。同様に都市部は一刻も早く抜け出して地方のフィリピンらしいところへ向かうのが常です。 最近はじゃぱ行きさんと同伴の日本人客がいないのでいいですね、昔はそういう日本の方がたくさん飛行機に乗っておられて同類だとみられるのがとても嫌でしたね。 イシオの村には旧日本兵の方が住んでおられましたがつい最近亡くなられました。終戦時に現地除隊を申し出てそのまま残留されたのだそうです。 イシオからシパライへは結構曲がりくねった峠を越えますが前線舗装なので快適ですね。 シパライの現地人ご用達のリゾートに泊まりましたが、漁師小屋みたいな小屋でしたね、でもとてもローカルで地元の方とも話ができていい旅でした。 |
旅の途中最初にイシオにバスを降りた時、旧日本兵の方はご存命だったのですがその時はそんなことを知る由もなく、3度目に訪れたときたまたま集落の方から日本人かと声をかけられ、まさにその声主が旧日本兵のお孫さんだったのです、彼の話によれば技術将校だったおじいさんは現地で除隊を申し入れそのままネグロスにとどまり現地の方の技術支援をしながら生涯を2年前に閉じたということでした、さすがに重い話なので詳しく聞くのを躊躇したのですがお孫さんによればおじいさんの親せきが墓参に来られたそうなのです、この日本兵に何があったのか想像もできませんが、少なくとも戦後祖国のご家族とは連絡されていたようです。 |
カビテ様 おっしゃるとうりです、イシオはカウワヤンから20分ほど北カバンカランから1時間ほど南です、イシオの行政はカウヤンの役場になります。 レイテのレモン峠やカりガラ平原、の慰霊碑を尋ねてみましたが生き残りの兵士たちが建てた慰霊碑はかなりの数がありました、レモン峠の戦いでは対岸セブよりゼロ戦が発進し、兵隊、、物資もオルモックに陸揚げして様ですね、たぶんセブの穴埋めをネグロスから送られたかもしれません、しかしこんな熱いジャングルでしかも兵站もなく弾薬も乏しい中どんなにご苦労されたのかと思うと胸が痛みます、死んだ奴がうらやましい、、、そんな兵隊たちの声が聞こえてきそうでした。 なおイシオの村は日本海軍の砲撃を受けた跡が現在沼としてココヤシの中に点在しています、村の古老が語るには、艦砲射撃の後、被災した家屋を日本海軍の主計?が一軒一軒尋ね、被害に応じた額を保証してくれたのだそうです。 こういう話はあまり戦史には登場しないのはなぜでしょうか? |