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フィリピン人配偶者の失踪 ( No.7757 )
日時: 2012年08月01日 16:11
名前: Annie [ 返信 ]
善行さま、Caviteさま、皆様はじめまして。<br>思い余った末、最終的に辿り着きました。<br><br>初めて投稿させて頂きますのに、新規スレッドまで作成する<br>厚顔無恥を、どうぞお許し下さい。<br><br>今年6月15日、当方の至らなさゆえ、フィリピン人夫Rは<br>一方的に帰国し、現在まで何の連絡もありません。<br>また、居所も不明です。<br><br>R(2003年永住権取得)は、今年、約18年勤務していた勤務先を定年退職し、同勤務先で嘱託として再雇用されていましたが、6月10日に貯蓄残高の少なさを理由にケンカになり、当方が「じゃ出ていけば?」と口走ってしまいました。<br>Rが帰化申請しようとしていた矢先の出来事でした。<br><br>Rの出生証明書、洗礼証明書、学位証明書、本人のパスポート<br>コピー、本国の兄弟の住所+Rの連絡先(但し約18年前の<br>もの)等が手元にございますが、居所の確定は可能でしょうか<br>?連絡先はモンテンルパ、兄弟の住所はケソンプロヴィンス<br>ルセナ市です。Rの親族・知人等に知られる事がなく、<br>R本人に連絡をつける方法はございますでしょうか?<br><br>当方は3度フィリピンに渡航していますが、Rの親族・知人に<br>面識はありません。<br><br>今回の失踪は2度目で、前回は2002年に失踪しましたが<br>Rから連絡はあり、結局有給を消化し、勤務先の社長の<br>お力添えがあり、無事勤務先に復帰できた過去がございます。<br><br>当方は1991年に、神戸にある企業で契約社員として<br>雇用されていたRと出会いました。1992年に日本で<br>Rと婚姻し、1993年に、米国にて、Rの前婚(前妻フィリピン女性・フィリピン国内の挙式)を州裁判所による判決を<br>得て、前妻と離婚し、同州法に基づき、当方と再婚しました。<br><br>1992年の当方とRの婚姻は日本で成立しており、<br>当方自身で、東京のフィリピン大使館に報告済みです。<br>(レッドリボン付きの婚姻証明書あり)当報告は間違いなく<br>本国に登録されるのでしょうか?<br><br>当方どもには、9歳になる実子(女児)がおりますが、<br>フィリピン側には、出生届を出しておりません。<br>こちらのQ&Aを拝読しておりますと、今更ながらですが<br>当方の怠慢と認識の甘さを悔いております。<br><br>最低1度は、Rと穏やかに話し合う必要があるかと思われますので、娘を連れて現地に向かう事も視野に入れておりますが、<br>例えばRの申告等で、当方どもがフィリピン国内の入国拒否<br>あるいは強制送還等のトラブルに巻き込まれる事はあるのでしょうか?Rに1度来日して貰えればよいのですが、本人に<br>その意志が無いと思われますので、仕方ありません。<br><br>現在の結果は当方の自業自得であり、お知恵をお借りしようと<br>思うのも厚かましいお話とは存じますが、何卒よろしくお願い<br>申し上げます。<br><br><br>

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無題 ( No.7758 )
日時: 2012年08月01日 16:26
名前: 善行 [ 返信 ]
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ご相談の内容とは少しずれますが、<br>>州裁判所による判決を得て、前妻と離婚<br>これは、フィリピン国内での裁判による婚姻無効判決を得たのですね。<br><br>日本国内での婚姻手続きがフィリピン大使館に届出されたなら、本国のNSOに登録になっています。<br><br>彼の居所、電話番号がわからないまま、親族にも連絡しないで調査することは無理です。兄弟に連絡がつけば何らかの情報はつかめると思います。<br><br>あてもなく子供を連れてフィリピンに行くのは如何かなと思いますが、入国拒否等の処置がされるようなことはないと思いますよ。

無題 ( No.7759 )
日時: 2012年08月01日 17:25
名前: Annie [ 返信 ]
善行さま<br><br>はじめまして。このたびは、お世話になります。<br>お手数をおかけしますが、どうぞよろしくお願い致します。<br><br>混乱を招く表現で申し訳ございません。<br>正しくは、Rの前婚(前妻はフィリピン女性T、RとTの<br>挙式地はマカティ・フィリピン)を米国州法に基づき、<br>R自身が米国に滞在の上、州立裁判所に離婚訴訟を起こし、<br>前妻Tと裁判離婚をしたわけです。(当方は日米重国籍者です)<br>あくまでも、米国内での成立です。<br><br>フィリピン国内では、当方夫Rと彼の前妻Tの婚姻は<br>そのままで、裁判による婚姻無効判決等はありません。<br><br>当方と当方夫Rの日本における婚姻は1992年9月、<br>当婚姻をフィリピン大使館に届出したのは、同年12月です。<br>1993年5月30日付、NSOの書類によりますと、<br>「当方と当方夫Rの婚姻記録はない」との事です。<br><br>Rの失踪後、約18年前にRから教えられていた連絡先サウス・グリーン・ヴィリッジ、ローズマリーストリート、モンテンルパに3度EMSを送付していますが、追跡画面を見る限り、<br>到着はしているようです。Rは帰国後、元勤務先の総務担当者に<br>電話をしており、着信番号通知から、Rの携帯番号が<br>判明しております。1度自宅からかけてみましたが、<br>数秒のちに電話が切れました。数度折り返しましたところ、<br>つながりませんでした。<br><br>再び不明瞭かつ不適切な表現で恐縮ですが、<br>Rの親族その他に「Rに親族も知らない日本の家族がいる」旨を知らせずにRの居所の確定をしたい・・という事です。<br>こちらの状況ではいかがでしょうか?<br><br>また、ご心配頂き、本当に有難うございます。<br>もちろん、あてもなく幼い娘を連れてフィリピンに<br>いきなり出向く事は致しませんので、ご安心下さいませ。

無題 ( No.7760 )
日時: 2012年08月01日 17:41
名前: 善行 [ 返信 ]
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1993年頃ですと半年過ぎたくらいでNSOに入っていないことはあったと思います。その当時なら、海外での離婚が成立すれば、フィリピン大使館からは具備証明書が発行されて、日本国内での再婚は成立していて、その報告がフィリピン大使館に提出されていれば問題ない婚姻でしょうから、単に取得時期が早かったのではと思います。それを確認するなら、もう一度取得してみるいいですね。<br><br>携帯番号(シムカード)を変えていなければ、日本からの国際電話ではなくフィリピン国内でその番号にかければ、何らかの進展が有るかも。

無題 ( No.7762 )
日時: 2012年08月02日 05:03
名前: Annie [ 返信 ]
善行 さま<br><br>おはようございます。<br>ご多忙中に係わらず、ご丁寧なご回答有難うございました。<br><br>今後の為、再度NSOに申請したいと存じますが、<br>まだフィリピンに出向く予定がございませんので<br>善行さまにお願いできれば、嬉しく存じます。<br>お手数をおかけして、誠に恐縮ですが、<br>ご依頼の詳細をお知らせ頂けませんでしょうか?<br><br>再び当方の稚拙な表現で、誤解を招き、申し訳ございません。<br>まず1992年に日本で婚姻し、<br>その翌年1993年、米国で当方夫Rと前妻フィリピン女性の<br>裁判離婚後、再婚したのですが、<br>米国州法による婚姻ゆえ、フィリピン大使館発行の<br>具備証明書の提出はありませんでした。<br><br>当方と夫Rの婚姻は<br>1992年日本国内+1993年米国内の2回です。<br>当方の戸籍に反映されているのは、1992年日本国内の<br>婚姻のみです。(1993年米国内の婚姻は、日本側に届けて<br>おらず、戸籍には反映されていません)<br><br>夫Rの日本における滞在資格(日本人等の配偶者)のベースは<br>1992年の日本国内での婚姻です。<br>当方が在東京フィリピン大使館に婚姻報告した婚姻は<br>1992年日本国内のものです。<br><br>本来ならば、米国州法による離婚判決後、婚姻すべきであるのが<br>逆になっているわけです。<br><br>当方の稚拙な表現でご迷惑をおかけしますが、<br>ご助言を頂ければ幸いでございます。<br>どうぞ今後ともども、よろしくお願い致します。<br><br>

無題 ( No.7766 )
日時: 2012年08月02日 08:52
名前: 善行 [ 返信 ]
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書類取得については、この掲示板上部の「DFA認証」のところからもオーダーできますが、私に直メールを頂いても対応可能です。<br><br>米国内の婚姻はセレモニーのみの米比両国間の正式な婚姻ではないと思われますし、それを日本国内に報告することはできませんね。<br><br>従って、1992年の婚姻がフィリピン大使館より「具備証明書」を取得して日本の役場に婚姻届出されて、その後のフィリピン大使館への報告に基づき、NSOに反映されているはずです。そのフィリピン大使館への届け出の控えとか何かフィリピン大使館から頂いたものはなかったですか? ただし、前婚姻が無効となる前に具備証明書が発行されたのは、何か裏ワザ使ったのでしょうね。<br><br>今、何を調査したいかで取得書類はAnnieさんとの婚姻証明書だけでいいのか、Rさんの前婚姻証明書(無効裁判後の備考付)と婚姻記録証明書を取得して、今までのすべての情報を確認するかです。<br>この内容次第ですが、たとえば、前婚姻が無効とされていなく、その事実が入管に分かった場合は、永住権も剥奪されることがありますので、この際、全てを調べるのもいいですね。

無題 ( No.7768 )
日時: 2012年08月02日 09:04
名前: Cavite [ 返信 ]
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ちょい、初めから整理しなおしませんと全体的な構図が解り難いですね。<br><br>□ 1992年に日本でRと婚姻<br>□ 1993年に、米国にて、Rの前婚(前妻フィリピン女性・フィリピン国内の挙式)を州裁判所による判決を得て、前妻と離婚し、同州法に基づき、当方と再婚しました。<br><br>■ 1992年の当方とRの婚姻は日本で成立しており、<br>当方自身で、東京のフィリピン大使館に報告済みです。<br>(レッドリボン付きの婚姻証明書あり)当報告は間違いなく<br>本国に登録されるのでしょうか? <br><br>レッドリボン付きの婚姻証明書があるんですよね、それで本国NSOへ登録されてるのでしょうか?  相反した筆問に読めるのですが、どう云う意味でしょうか?<br><br>1 疑っておられ偽造婚姻証明書+レッドリボンと謂う意味でしょうか<br>2 書類は本物とするならば、どの意味合いのご筆問でしょうか<br><br>ただ、この当時は偽造証明書だったとしても出所を詳しく調べませんでしたので。疑えばきりがありません。 登録があるか無いかはNSOへ婚姻証明書の申請をするのが良いでしょう。<br>仮に無かった場合は、現地妻の身分です。 お子さんの出生はフィリピン大使館へ報告されてますか?<br><br>それから婚陰暦はあわせてどの位の年数でどのくらい同居されてましたか?<br><br>フィリピン人夫の行方は両親か、兄弟親族を辿るのが近道かと思います、ほぼ何方かと連絡取り合っている可能制大です。この国ですからいきなり帰国しても全く他人や知人関係程度ではそうそうそう長く住み続ける者ではありません。<br><br>モンテンルパ市、兄弟の住所はケソンプロヴィンスルセナ市です。<br>住所は詳しくST迄把握しているのですか? 各証明書程度では住所が大まかですし、足跡は聞きだせるかも知れませんが住んでいるとは限りません。夫の生まれた地に両親か、親族がいれば手がかりは掴める事が多いかったですね。<br><br>この住所から察しますと、モンテンルパはメトロ圏マニラの南側でラグナ湖畔の畔でラグナ州との境に近いですね、しかし人口は45万人はいますよ、人人だらけ、おまけに込み入った家が乱立して探すのには容易な土地柄じゃありません。<br><br>ケソンプロヴィンス(州)ルセナ市はケソン州の州都でメトロマニラのケソン市から何社もバスが出ています、早ければ4時間~5時間で行くことが可能です。交通のハブになるのでルセナ市へ向かうバスは特に多いです、電車だとPNR(フィリピン国鉄)も御座います本数が少ないので不便です。<br>ルセナの方がまだ探しやすいです。<br><br>生まれは何処ですか、故郷に何方かご親族が残っていますか?<br>

無題 ( No.7776 )
日時: 2012年08月02日 18:00
名前: Annie [ 返信 ]
善行 さま<br><br>お忙しい中、ご親切に応対頂き、深く感謝しております。<br><br>「1993年度、米国内の婚姻はセレモニーのみで、米比両国間の正式な婚姻ではないと思われますし、それを日本国内に報告することはできませんね」← 仰る通り、当方夫Rと前妻フィリッピン女性(挙式地マカティ)の離婚判決も、判決後の夫Rと当方の再婚は米国内では合法で、少なくともフィリピン国は承認不可と認識しております。それゆえ、この離婚判決をフィリピン国に<br>報告しておりませんし、判決後の当方どもの再婚も然りです。<br>(米国内で成立した再婚を届けていない理由は、すでに1992年の婚姻が、当方戸籍に反映されているからです。今さらながら認識の甘さを悔いております・・)<br><br>1992年度の日本国内での婚姻ですが、(善行さまやCavite<br>さまもご存知の方と存じます。今は故人となられたのでは)<br>在沖縄の弁護士にご相談申し上げ、お世話頂きました。<br>それで、具備証明書が発行されたわけです。<br><br>1992年の婚姻が反映された後、在東京のフィリピン大使館に<br>当方自ら(郵送にて)婚姻報告をしました。<br>大使館から書留で送付されてきたのは、オフィシャル・レシート<br>及びレッドリボン付きの婚姻証明書です。<br><br>1993年米国内の離婚判決及び再婚は、フィリピン本国に<br>報告をしておりませんので、NOSには記録がないはずです。<br><br>NSO発行の夫Rの結婚記録を見れば<br>1992年の当方と夫Rの婚姻が記録されており、<br>夫Rの前婚も重ねて記録されているわけですね。<br><br>「前婚姻が無効になっておらず、その事実が入管に分かった場合は、永住権も剥奪されることがある」← とはいえ、永住権申請<br>時に、発覚しなかったのは、運が良かったのでしょうか?<br><br>昨年、夫Rは自ら日本に帰化しようとしており、<br>法務局に相談に出向きましたが、帰化申請の調査で、当事実が<br>発覚するのでしょうか?何だか不思議ですね・・<br><br>お手を煩わせ、誠に恐縮ですが、直接メールさせて頂きますので<br>どうぞよろしくお願い申し上げます。<br>

無題 ( No.7777 )
日時: 2012年08月02日 18:21
名前: 善行 [ 返信 ]
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以前は重婚者であっても在マニラ日本大使館及び日本の入管に於いても調査はされていなく、何も問題がないかのように在留資格・ビザが発給されてきました。<br><br>フィリピン大使館に於いても同様に、日本国内での婚姻に向けた具備証明書も偽造の婚姻歴のない証明書で発給されていたと思います。運が良かったのではなく、日本側が提出された書類を調査していなかっただけです。<br><br>現在は、フィリピン大使館もその身分については提出された書類をよく確認しているようで、偽造書類では受け付けられなくなっています。<br><br>帰化申請ではどこまで法務局が提出された書類を在マニラ日本大使館に確認依頼をしているかもです。それがされれば、重婚は判明しますので帰化もできないでしょうが、永住権も剥奪されることになります。<br><br>在沖縄の日本人に帰化された弁護士なら以前お世話になったことがあります。東京でお会いしたことがあります。その当時で80歳は過ぎていて、ご健在なら90歳くらいにはなるのではと思います。<br><br>直メール頂ければもう少し突っ込んだお話もできると思います。

無題 ( No.7778 )
日時: 2012年08月02日 19:06
名前: Annie [ 返信 ]
Cavite さま<br><br>はじめまして。お忙しい中、ご親切にして頂き、誠に有難う<br>ございます。稚拙な文章で申し訳ございませんが、<br>どうぞよろしくお願い申し上げます。<br><br>1992年の婚姻が反映された後、在東京のフィリピン大使館に<br>当方自ら(郵送にて)婚姻報告をしました。<br>大使館から書留で送付されてきたのは、オフィシャル・レシート<br>及びレッドリボン付きの婚姻証明書ですが、<br>当方が不思議に思う理由は、具備証明書の発行元である<br>在沖縄領事館の指示で、「婚姻報告は在東京のフィリピン大使館で受け付けるから、そちらで手続きを」と言われたからです。<br>また、婚姻報告を在東京フィリピン大使館に出したのは<br>1992年12月ですが、1993年5月にNSOで調べたところ、「当方と夫Rの婚姻記録がない」と返答されました。<br>真偽はともかく、大金を積めば、NSOの記録(あるいは記録の<br>一部)の抹消が可能・・という話を聞いた事もあります。<br>ご助言通り、再度NSOから証明書を取得致します。<br><br>当方と夫Rの間の実子9歳ですが、フィリピン大使館には<br>出生届を提出しておりません。大使館から必要書類一覧も<br>頂いていましたが、認識の甘さと怠慢により、未提出で非常に後悔しております。Caviteさまのご考えを拝読しましたが、<br>正にその通りだと思います。親が日比双方の国籍を取得しておき、最終的に選択するのは、子ども本人・・だと仰っていますね夫Rが帰国した今となっては非常に難しいのでしょうか・・・<br><br>当方と夫Rの婚姻歴は、今年で20年目になります。<br>同居歴は、同じく20年です。<br><br>ずっと夫Rと同居しておりますが、仰る通り、夫Rは<br>自身の姉や兄、前妻フィリピン女性T、その間の4人の娘等とは<br>連絡を取り続けておりました。兄の病気見舞いを理由に<br>2002年に1回目の単身帰国、翌2003年に2回目の<br>単身帰国(当回は、「もう日本には戻らない」と帰国後に、連絡があり、大騒ぎになりましたが、勤務先の社長のご尽力で、1ヶ月後、日本に戻りました)、2010年、前妻との間の長女の<br>結婚式出席との理由で、単身帰国しております。<br>2012年、定年退職後、同じ勤務先で嘱託として勤務して<br>おりましたが、一方的に退職し、6月15日に帰国しました。<br>申し上げたとおり、当方は夫Rの親族・知人には一切面識も<br>なく、「日本の家族の存在」は伏せていたはずです。<br><br>夫Rの連絡先モンテンルパの連絡先はST名まで分かります。<br>ローズマリーST、B-5となっております。<br>(20年前の前妻Tとの同居先です) 夫Rの姉はケソン、<br>タヤバス、ピラールST、となっております。<br><br>出生地は、146 RED V.ルセナ市ですが、<br>2004年前後に亡くなった夫Rの兄の未亡人+甥・姪が<br>います。また、ダバオにいた兄も、2005年前後から<br>ルセナ市に戻っているそうです。両親は、夫Rが3歳頃に、<br>2人とも亡くなっています。<br><br>夫Rの親族の電話番号等も数名分、手元にありますが<br>何しろ20年前のものなので・・何ともいえません。<br><br>まず、夫Rの居所を特定して、穏便に話し合いを・・と<br>思っていますが、いかがなものでしょうか?<br><br>ご多忙中、お手間を取らせ、大変恐縮ですが<br>何卒よろしくお願い申し上げます。<br>

無題 ( No.7780 )
日時: 2012年08月03日 10:18
名前: 善行 [ 返信 ]
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約20年前の具備証明書発行が沖縄領事館でできたのかは定かではありませんが、出来たとしたなら婚姻の報告も沖縄で受理できたものと思います。でも、今更ですから、今できるのは再度NSOに申請するしかありません。東京の大使館が受理したのならNSOには登録されるはずです。<br><br>その通り名はありますね。Bはブロック(丁目)でLot No.(番地)もあると思いますが、今まで誰がその家を管理されていたのでしょう。そこにいるとすれば、探すことは出来るかも。

無題 ( No.7781 )
日時: 2012年08月03日 18:01
名前: Annie [ 返信 ]
善行 さま<br><br>お世話になっており、大変有難うございます。<br><br>先ほど直メールさせて頂きましたので、真に恐縮ですが<br>ご覧下されば幸いです。どうぞよろしくお願い致します。<br><br>夫Rの本国での連絡先モンテンルパですが<br>約20年前には、こちらの住所で前妻Tと娘達が住んでいたとの事です。ずいぶん年月が経っていますので、現在は不明です。

無題 ( No.7782 )
日時: 2012年08月03日 18:06
名前: 善行 [ 返信 ]
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了解しました。

無題 ( No.7783 )
日時: 2012年08月03日 19:30
名前: Cavite [ 返信 ]
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善行さんが指摘しています、20年前ばかりでなく2007年以前の婚姻証明書等は重婚調査もしないですし、今の様に婚姻に際して独身証明書の提出も無かった時代が永遠と続いておりました。<br>そして在フィリピン日本領事館も発行元調査等も含め調べなかったですし、当然日本側の入管でも相手国から発行するがままに提出書類については調べませんでした。<br><br>っと謂う事で、既に大方お察しがつくと思いますが、2重婚でも3重婚でも、好きなだけ繰り返すことが容易な時代でした。<br>従って、夫Rが気化申請を興していればどうなっていたか解りませんでしたよ、それとも途中で解ったのか?<br>如何せん当人が一番よく知っているはずです。<br><br>先ずは善行さんがご説明をされた様にNSOから婚姻証明書の取得を試みて下さい、さすれば発行されるか如何で結果はついてくると思います。<br><br>また、彼の出生地ケソン州ルセナ市に両親が暮らしていたとすれば、何方かが入れ替わって住んでいる可能制が大で、フィリピン人の習慣から見ても親族間の連絡は殆どが取っている場合が多いので探りを入れて見るべきでしょう。

無題 ( No.7784 )
日時: 2012年08月03日 19:38
名前: Cavite [ 返信 ]
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夫Rがフィリピンにいられるのは前妻との間の子が、夫Rを養っているからでしょう、つまり夫RはAnnieさんとの婚姻期間中数十年間前妻との間の子が大きくなるまで影で仕送りしていたんだと思いますよ、Annieさんから見れば不幸にも切れていないのが今回の引き金に&#32363;がった様に感じますね。<br><br>贔屓につながりますが、こう謂う状況下ではともかく夫Rは気化は望まない事です。 そして探せば相手もAnnieさんの噂を聞いて出て来るし、見つかりますよ。先ずはルセナに行かれては如何でしょうか。

無題 ( No.7786 )
日時: 2012年08月03日 23:45
名前: Annie [ 返信 ]
Cavite さま<br><br>こんばんは。いつもお世話になり、大変有難うございます。<br>お忙しい中、ご親切に応対して頂き、感謝しております。<br><br>NSO発行の証明書の件は、すでに善行さまに連絡済みで<br>お世話になる事にしました。本当に有難うございました。<br><br>提出された必要書類の調査が厳しくない時代ゆえ、夫Rの再婚も<br>永住権も問題なかったのですね。なるほど、そうだったのですね<br><br>夫Rは、帰化を希望しておりましたが、何を画策していたのでしょうか・・永住権で不自由ないはずでしょうに・・法務局まで<br>帰化について相談に出向きましたが、結局夫Rの交通違反歴を<br>問題にされ、違反日から1年経過した後で、申請するように<br>指導されました。仰る通り、申請すれば、大変な事態を招いたでしょう。帰化すれば、何か夫Rの利益になるのでしょうか・・<br><br>ご指摘通り、夫Rと前妻T、その間の4人の娘とは<br>「切れていない」状態だと思います。20年前、未成年だった<br>娘4人の為に、送金する必要がある・・というのは理解できますが、おそらくフィリピンにいる前妻Tとも婚姻が続行しているはずです。従って、現在は、元のフィリピン側の家族と一緒にいると思われます。<br><br>夫Rの給料・ボーナス等は、当方が全て管理しておりましたので<br>Caviteさまの仰る通り、本人の毎月のこづかいでも始末して<br>送金していたのでしょうね。夫Rは「飲まず、吸わず、買わず、打たず」で穏やかな外見、周りからは愛妻家・子煩悩で通って<br>おり、仕事は真面目で、今回の失踪を知る人は驚愕しています。<br>夫Rの「切れてない状態」は別として、家庭内では、Rから良くして貰ったのですが・・当方に対する「罪の意識」に起因する<br>行動だったのでしょうか・・<br><br>当方とRの間で「切れてない状態」が話題になり、口論が始まる時、Rが言うのは「当方がRをフィリピンの家族の元に押しやる」という事です。Rの失踪に対しては、当方にも責めを負うべき非がありますが、何か釈然としません・・<br><br>居所特定について、貴重なご助言有難うございます。<br>早速、検討してみたいと思いますが、現地では、出来るだけ無用な諍いは、避けたいと思っております。当方自身で捜した方が<br>よいのでしょうか?また、情けない質問ですが、何と理由付けして、Rの親族等に尋ねれば、無用な諍いを避け、危険を回避出来ますでしょうか?現地入りする場合は、まず当方のみの単身です。(状況が安定しておれば、娘9歳を同伴しようと思います)<br><br>特に、今回は愚痴混じりの情けない話になってしまい、<br>本当に申し訳ございません。どうぞお許し下さい。<br><br>毎回、お手間を取らせて、誠に恐縮ですが、何卒よろしくお願い<br>致します。<br>

無題 ( No.7788 )
日時: 2012年08月04日 08:53
名前: Cavite [ 返信 ]
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Annieさんおはよう御座います。<br><br>>> 帰化すれば、何か夫Rの利益になるのでしょうか・・<br>気化によって利益になるかどうかは人それぞれですが、文章を読む限り想像できる事は、フィリピン人夫Rにはフィリピン国内に前妻とお子さん4人、正確には今も妻かも知れません、それはNSOを調べることで判明、<br><br>核心に触れた場合、気化が適ったとして<br><br>1 永住権を手にしている夫R自身に選挙権が与えられる、日本人パスポートが手に入る、永住権剥奪の条件として、違法薬物、売春、その他この様な条件かなと思います、拝読する限りかなり真面目な性格故、永住権に支障がでる様相は考えられません。<br><br>日本人パスポートを手に入れなければならない差し迫った状況にも感じません。<br><br>しかし、夫Rには手に入れるだけの事情がありますね、夫Rが気化いたせば日本人、一軒それで何があるの? これが大有りです。<br><br>彼には母国に4人の子がいる事をAnnieさんはご存知のはずですよね、どうして夫Rが気化を望んだか? 母国にいる子から気化となった夫Rを見ればどう云う存在でしょう、夫Rの奥底が見えるでしょう! Annieさんは近すぎる存在が故に見えそうで見えないのです、仕方がないと思います、第3者だから見えるのかも知れません。<br><br>>> おそらくフィリピンにいる前妻Tとも婚姻が続行しているはずです<br><br>そう、思って頂いて謂いとおもいます、<br><br>>> Rの失踪に対しては、当方にも責めを負うべき非がありますが、何か釈然としません・・<br><br>仰る様に釈然とはしません、お子さんもいる訳ですしね。<br><br>ただ、離れて仕舞ってから解る事だってありますよ、修復が可能なら相手の立場を呑み切る事で解決する場合も御座います。その決意の時期が来たのかも知れませんね、南国の人は働き出したら止まりませんが、止まったら止まったで動きません、最終余生は母国で時間が止まった様な暮らしをしたかったのではないでしょうかね、元々がそう云う生活でしたからね。<br><br>個人的な体験ですが、私がフィリピンでゲリラ生活を送っていた頃は、訓練と思うと謂うか唱え生活をしていた頃、常に脳裏には日本がありましたよ、フィリピン人妻に私の心は解りませんよ、<br>しかし、今の妻なら逆になってますので互いに理解できています。<br>Annieさんはその様な相手の感覚をできるだけ努力されて包んであげないとそうそう異国で居座り続けられる者ではありません、これは永遠の課題ですね、20年以上日本で生活されても払拭できないんですから、でも母国に残したお子さんの存在が大きく結果的に引き寄せたのではないでしょうか。<br>

無題 ( No.7789 )
日時: 2012年08月04日 09:16
名前: Cavite [ 返信 ]
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アイコン>> Rの親族等に尋ねれば、無用な諍いを避け、危険を回避出来ますでしょうか? 現地入りする場合は、まず当方のみの単身です。(状況が安定しておれば、娘9歳を同伴しようと思います)<br><br>例え、母国フィリピンで暮らす前妻やお子さんが、日本の事実を初めて知ったところで、「今さら」です、20年以上もの期間ですから、考えすぎです、堂々と日本の戸籍謄本を英訳してでも持ち込んででもその様な巡り合わせが来たなら見せてあげて下さい、お互いの為にも、これ以上地下に押し込んでおくべきでは御座いません。 夫RはAnnieさんが日本から訪ねて来ていると親族ら噂を聞けば、それはびっくりもしますがそればかりではなく、先方から逆に飛んで出て来ると思いますよ、幾年夫婦やっていたんですか、幻生活じゃないのですから、その様な控えめは無用です、是非もっと自身を持ち気力を復活させて下さい。<br><br>善行さんにもご相談されてフィリピン側の事務所から人の派遣要請を受けられては如何でしょう、<br>私がフィリピンにいる頃はこの様な案件も含め受け手伝ってましたが、お互いが会いたがっている案件の範囲に感じます、その中でどうしても単独では地理や交通ルートにも限界が、そして、日本とは比べものにならない位、好ましくない治安なのでまいって仕舞いますから、そこは多少の費用を供出されても力をお借りした方がより万全で確実かなと思います。

無題 ( No.7792 )
日時: 2012年08月05日 06:15
名前: Annie [ 返信 ]
Cavite さま<br><br>おはようございます。<br>お忙しい中、ご親切なご助言を大変有難うございます。<br><br>毎回、貴重なご意見・ご助言に深く感謝しております。<br><br>夫Rの帰化が許可されれば、晴れて「日本人」。となれば、当方の意向など関係なく、「日本人」の子として招聘出来る・・と<br>いう事ですね。やっぱりそうですか。理屈とすれば、理解出来る範囲ですが、未成年ならともかく、現在34歳、27歳、24歳22歳の娘たちの呼び寄せとは・・?叩けば埃の出る身でありながら?子を思う親の気持はいずれも同じでしょうが、何だかおかしい気もしますし、この様な発想に対して悲しいような気もします。複雑な気分です。そこまで夫Rの子に対する思いは深いのでしょうし、子を取り巻く環境は厳しいのでしょう。この様なモノの考え方が、Caviteさまの仰るところの不の国フィリピンという事なのでしょうか?<br><br>当方は日本人として、また米国人として、日米両国に誇りを持っております。よぼどの事情がない限り、他国に帰化するとは考え<br>られませんが・・<br><br>夫Rと婚姻手続き中に「夫Rの娘たちを日本側で引き取ろう」と<br>提案しましたが、断られました。夫Rが、事実上、きっぱりと<br>前妻Tと切れておれば、当方としても、夫Rの娘たちの事を考えていけたはずでしたが。これはこれで、残念です。<br><br>「Annieさんは近すぎる存在が故に見えそうで見えないのです、仕方がないと思います、第3者だから見えるのかも知れません」との<br>ご意見、痛切に感じております。この20年間、見落としていた<br>事が、まだ多々あると思えば、ぞっとします。<br><br>父親が大好きな当方の娘には、かわいそうですが、ご指摘通り、「決意の時期」が来たと思います。<br><br>「余生は母国で時間が止まった様な暮らしをしたかったのではないでしょうかね」 ← その通りだと思います。ただ夫Rの<br>後始末=失踪というやり方がまずかっただけですが。<br><br>「Annieさんはその様な相手の感覚をできるだけ努力されて包んであげないとそうそう異国で居座り続けられる者ではありません、これは永遠の課題ですね、20年以上日本で生活されても払拭できないんですから」←この点は、間違いなく当方の非なのです。仕事で夢を見ていた当方が責めを負うべき事です。<br><br>Caviteさま、本当に有難うございました。<br>

無題 ( No.7793 )
日時: 2012年08月05日 07:09
名前: Annie [ 返信 ]
「気力を復活させて下さい」←励まして下さり、深く感謝しております。どれだけ気持が楽になったか知れません。本当に有難う<br>ございます。<br><br>「善行さんにもご相談されてフィリピン側の事務所から人の派遣要請を受けられては如何」←ご助言通り、善行さまにご相談したいと存じます。<br><br>夫Rとの間に生まれた当方の娘ですが、2003年日本で出生しております。当方の認識の甘さと怠慢から、フィリピン側には、出生届を提出しておりません。遅延として出生届を提出できるようですが、いかがなのもでしょうか?やはり夫Rの協力が必要なのでしょうか?現地でこの件も、Rと話し合うつもりですが。<br><br>当方と夫Rの婚姻が無効になれば、当方の娘は法上「非嫡出」(あるいは「父不明」)の扱いになるのでしょうか?国際私法上でも色々解釈がある様で・・<br><br>Rの失踪は、当方にも非があり、自業自得ですが、出来れば、娘の法的立場に関して「非嫡出」「父不明」扱いを回避したいのですが。<br><br>ご相談が多方面に渡り、お手数ばかりおかけして申し訳ございませんが、どうぞよろしくお願い致します。<br>

無題 ( No.7794 )
日時: 2012年08月05日 07:42
名前: Cavite [ 返信 ]
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>> 理解出来る範囲ですが、未成年ならともかく、現在34歳、27歳、24歳、22歳の娘たちの呼び寄せとは・・? 叩けば埃の出る身でありながら? 子を思う親の気持はいずれも同じでしょうが、何だかおかしい気もしますし、この様な発想に対して悲しいような気もします。複雑な気分です<br><br>仰るとおりです、気化の背面と謂いますか一般に知られない部分なので詳しくは善行さんでないとご説明が難しいですが、日系人、日系血族は3親等までが年齢関係なく日本で制限なしで働く事ができます、身近に日系ブラジルや日系フィリピンは聞く事があると思います、条件等細かなことは知りませんが、この適用拡大が可能と仮に解かったとすれば、ツーリストとしてしか来日できない子に対してどう感じるでしょうか、妻と切れたにしろ、子とは切りすてられるでしょうか<br><br>成人となった今どうして? それは日本に居るからいえる事です。 私がフィリピンにいた頃、生涯をかけて救ってあげよう、継続的に指導いたし、より満ち溢れた教育、そして安定を提供しようと真剣に考えたら結婚以外に補強はなかったです、全てが不の国の社会構成で自力脱出は非常に難しい国です。 そう云う暮らしを身近に見て自身の子へ安定した国で暮らせる様に、息子・娘、結婚していたにしろ、その子まで、したかったんじゃないでしょうか、夫Rの全体像(背)を覗いて頂ければ助かります。<br>この国で住んだ事のある人ならば理解できます、<br><br>夫R(当人)から見る子全てが(日本そしてフィリピン)血族であり平等、人生後期年齢を重ねれる事でよけいその思いは増すはずです、その気持ち、かってな’と思われても、自らの責任と謂われてもです。<br><br>これは父親としての生涯の宿命と位置づけする以外言葉が浮かびません、どちらを選んでも特化しても、もう一方からの避難は避けられません、でも見過ごして置けない良心が働きます。 自身が起こした責任です、そして両家に迷惑を及ぼす、そのしわ寄せが深く関与されているように感じました、お気の毒です。非常に辛い立場をお察し申し上げます。 <br><br>20年以上も暮らした夫Rですからその良心こそ深く刻み込まれていると感じますし、ですから会いに行けば出て来るはずです、またでてこれない理由も見当たりません。

無題 ( No.7796 )
日時: 2012年08月06日 04:56
名前: Annie [ 返信 ]
Cavite さま<br><br>このたびは、お世話になっております。<br>連日、ご親切に有意義なお話を、本当に有難うございます。<br><br>「日系人、日系血族は3親等までが年齢関係なく日本で制限なしで働く事ができます、この適用拡大が可能と仮に解かったとすれば、ツーリストとしてしか来日できない子に対してどう感じるでしょうか」 ← それこそ渡りに船ですね。以前のレス上のあなた様のご意見を拝読し、今考えると、非常に甘い考えだったと後悔しておりますが、万一、当方が不慮の事故等で死去した場合、単にフィリピンに帰国するだけではなく、続けて日本で頑張っていける選択肢のつもりでしたが・・甘い考えがアダとなりました<br><br>「妻と切れたにしろ、子は切りすてられるでしょうか」← 仰る<br>通り、心理的には不可能だと思います。物理的には可能でしょうが。子の幸せを願う気持は、古今東西変わりませんね。されど、<br>日比両国に扉を設け、夫Rのみが行き来できる様なやり方を続ける以上、何とも言い難いものがあります。<br><br>「全てが不の国の社会構成で自力脱出は非常に難しい国です。 そう云う暮らしを身近に見て自身の子へ安定した国で暮らせる様に、息子・娘、結婚していたにしろ、その子まで、したかったんじゃないでしょうか」← 仰る通りだと思います。親心ですね。<br>日本で過ごした20数年間、Rが、どの様な心境を経たのかは、<br>想像できても確証はありませんし、ただ1つ確証出来るのは「Rの子らに対する思い」です。ならば、当方と生活を始める前に、はっきり態度を決め、堂々とフィリピン側の子らと会えばよいと思うのです。そうなれば、当方も支援したいと思います。でも当方の置かれた状況では、気が進まないのが実情です。Rの言動を見て、Rの打算やR自身の人間としての弱さを感じております。何と言っても、現在の結果は当方の自業自得なのでしょうが。<br><br>「夫R(当人)から見る子全てが(日本そしてフィリピン)血族であり平等、人生後期年齢を重ねれる事でよけいその思いは増すはずです」 ← 仰る通り、Rの心中そのものだと思います。<br><br>「これは父親としての生涯の宿命と位置づけする以外言葉が浮かびません」← そうですね。仰る通りです。情けない事ですが、<br>この言葉をお聞きして、初めて思います。現在の当方の心情よりも、ある意味では、Rの方がつらいでしょうね。物理的に当方の娘を遺棄出来ましたが、死ぬまで、その思いから逃れる事は不可能でしょうから。<br><br>残念な事に、Rは困難に向かって立ち向かい、解決策を探るタイプではない様に思えます。今Rは、当方はもちろん、当方の娘も日本で過ごした年月も忘れようとしている様な気がするのは、きっと当方の性格が曲がっているからなのでしょうか?<br><br>「どちらを選んでも特化しても、もう一方からの避難は避けられません」← 結局のところ、Rからの回答はすでに出ていると思います。当方が思うところの誠実な終結ではありませんでしたが。Rも異国の地で20数年間「悪い夢」を見たものです。<br><br>「会いに行けば出て来るはずです、またでてこれない理由も見当たりません」← 話し合いに応じて頂けるのを祈るばかりです。<br>本当に、最後ぐらい毅然としてもらいたいものです。善行さまには、連絡済みで、現地でお世話になる事にしました。よろしくお伝え下されば、幸いです。<br><br>Caviteさん、与太話に係わらず、ご親切にご助言を頂き、お礼の言葉もございません。当方では考えもつかなかった事をご指摘頂き、非常に感謝しております。ご迷惑をおかけして、恐縮ですが今しばらくお知恵をお借り出来ませんでしょうか?厚かましいお願いでしょうが、どうぞよろしくお願い致します。<br>

無題 ( No.7814 )
日時: 2012年08月07日 11:51
名前: Cavite [ 返信 ]
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Annieさん、お子さんの為にも頑張って下さい、謂いたい事は十分解ります、確かに枠に嵌めたルールも大事です、でも夫Rは二家族の父、もう相当数の年月「今更」です、これも含めお子さんの為に破綻はさけていただければと願って止みません、納得はいかないかも知れませんが、お子さん9歳でしょう、父親の必要さが文面からも滲み溢れてます、<br><br>Annieさんがハーフだなんてとてもとても思えないくらいの素晴らしい文書力です、下手な日本人より日本人的に思える程しっかり者に感じてなりません、夫Rさんはフィリピン人です、先の事や細かい事には気遣い難いですから、その分Annieさんが背負って来られたんでしょうね、それはよく伝わって来ております、でもちょっとだけ力抜いていただけたらうまく鞘におさまると思うのですが、

無題 ( No.7832 )
日時: 2012年08月08日 09:16
名前: Annie [ 返信 ]
Cavite さま<br><br>おはようございます。このたびは、お世話になっており、大変有難うございます。情けない話が、ますます情けなくなり、お聞き苦しい事と存じます。どうぞお許し下さい。<br><br>やはり娘は父に会いたい、一緒に生活したいそうで、当方の至らなさが招いた結果から、悲しい思いをさせております。Rの決断<br>は、もはや動かしようのない現実ですが、それは当方とR間の事ですので、最低今後Rには、当方の娘が望む間、面会+手紙や電話の遣り取りをして貰いたいのですが。<br><br>Caviteさまの仰る通り、娘の為に破綻を避けるのも、選択肢の1<br>つだと存じますが、Rは話し合いに応じる気がないそうで、どうしようもありません。<br><br>先日、善行さまのご尽力で、Rに連絡がつきましたが、案の定の<br>返答で、話し合いに応じようとしません。(現在のRの心情や環境を鑑みれば、不思議な事ではありませんが)いきなり本題に入れば、必ず「それでは、日本で過ごした20年間、私の(Rの)娘4人はどうだったのだ?」となるはずで、話がつながらぬ懸念ゆえ、「当方の至らなさは、申し訳ない。戻って来て貰いたい」という方向で、連絡して頂いたのですが、またまた当方の判断ミスでございました。善行さまにも、ご尽力を頂き、お礼の言葉も見つかりません。善行さまに、よろしくお伝え下されば、幸いです。<br><br>Rの居所が確定したわけではありませんが、当方の予想通りでございました。貴掲示板で、ご相談申し上げた初頭には、8月末~9月初旬に、現地入り出来れば・・と思っておりましたが、R自身、話し合いに応じる気がなければ、無駄足ですので、今回は断念せざるを得ません。<br><br>しばらく月日をおいて、再度Rに連絡するか、あるいは無駄足を承知で、現地入りするか・・他に何か方法はあるでしょうか?<br><br>Rが帰国日当日に投函した当方宛の手紙には、「当方の親族が必ず(当方の娘)Mを養育するはず」「Mの学資保険で教育費は賄える」「フィリピンで新生活を始めるから、上手くいけば、MにCallする」とありました。<br><br>娘の心の傷を最小限度に押さえてやりたいと思う限りです。<br>

無題 ( No.7912 )
日時: 2012年09月16日 01:24
名前: Annie [ 返信 ]
Caviteさま<br><br>いつもお世話になり、大変有難うございます。ご迷惑でしょうがやはり気になりますので、紙面上で略式ながら、お礼とご報告を<br>させて頂けないでしょうか?お礼を申し述べるのが、遅くなり、<br>誠に申し訳ございませんでした。唐突にメールを差し上げるのも<br>失礼と思いまして、考えあぐねた末、時期を逃しました。どうぞ<br>お許し下さいませ。<br><br>貴方様がたお2人方のご尽力で、NSOから証明書も無事入手出来ました上、Rに連絡がつき、その後数度、Rから電話が入りまして、ただ今は(不可思議な内容は別として)メールの遣り取りをしております。お2人方のご尽力ゆえ、ここまで漕ぎ着ける事が出来ました。本当に有難うございました。<br><br>Rからの電話+メール内容を鑑みれば、いつ何時連絡が途絶えるか危惧されますが、しばらく様子をみる事に致します。重ね重ねのご迷惑で非常に恐れ入りますが、再びお世話になると存じます<br>今後共々、どうぞよろしく伏してお願い申し上げます。<br><br>善行さまにも、どうぞよろしくお伝え下さいませ。<br>

無題 ( No.7913 )
日時: 2012年09月18日 05:18
名前: Cavite [ 返信 ]
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Annie様の様に婚姻生活の超長い方は、義理は感じずも強い気綱で結ばれている気がしてなりません。 直向きな姿も大事です、更に一歩是非言葉の方でも声として出されればきっと打開の糸口が見え、元の鞘に収まると信じております。<br><br>日比互いの国の常識、非常識はさて置き、過去夫婦間でのみ気付き挙げた信用の置ける姿は互いの心に深く残っているはずです、鏡と信じ、写った心の姿がそっくり戻る(跳ね返る)様に、頑張って下さい。

無題 ( No.7919 )
日時: 2012年09月19日 20:42
名前: 東京 [ 返信 ]
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帰化した日本人の帰化前の子ですが、日本人の子として招聘できるの???善行さん

無題 ( No.7920 )
日時: 2012年09月19日 20:56
名前: 善行 [ 返信 ]
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これは初めてのケースの相談ですね。<br><br>親子関係があるなら短期での招へいは可能と思いますが、<br>マニラの日本大使館に直接聞いてみてはいかがですか?

Re: フィリピン人配偶者の失踪 ( No.8316 )
日時: 2013年05月29日 07:54
名前: Annie [ 返信 ]
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アイコン昨年は善行さま並びにCaviteさまご両人には、大変お世話になり、深く感謝しております。

昨年6月に失踪した夫Rからは、昨年12月から音信が途絶えておりましたが、今年5月26日、以下の様な連絡がメールにて入りました。来月5日(前後?)に、どうやら来日(日本に来る)する様なのですが・・

papa ga byouki natta dakara nagai aida renraku shitte dekinakatta dakara gomenasai.
daitai roku gatsu itsuka (5 nichi) nihon ni ikimasu. mattete ne.

watashi no firipin no pasopoto no copy
mail shimashita node, yubin posto chanto mitte ne. Nanka attara ano copy de Mary no setkasu no shorai
wa anzen desu ne. raigetsu no itsuka au ne. Dengwa suru dakara, mattete ne.

10歳を迎えたばかりの娘は「パパが帰って来る」と喜んでいますが、上記を読む限りでは、何かR自身に関連する用を足しに、一時的に日本にやって来る、あるいは何か魂胆があって、一旦来日する様にしか思えないのですが・・何だか腑に落ちません。

ちなみに永住権保有で、再入国許可は恐らく数次、有効期限は来年の4~6月だと思います。

上記メール受信後、直ちに「空港に迎えに行くから、到着時刻+便名を知らせる様に」申し入れましたが、Rからの返答は、まだありません。

お忙しい中、漠然としたご相談で、誠に申し訳ございませんが、ご助言や留意点等、ご助言頂ければ、この上なき幸いに存じます。


Re: フィリピン人配偶者の失踪 ( No.8317 )
日時: 2013年05月29日 08:11
名前: 善行 [ 返信 ]
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アイコン色々と思うところはあるとは思いますが、自然に迎え入れてあげるといいと思います。その後、徐々に詰めた話もできるはずですから…

Re: フィリピン人配偶者の失踪 ( No.8318 )
日時: 2013年05月31日 16:03
名前: Cavite [ 返信 ]
参照: http://philippin.net/
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アイコン「昨年6月に失踪した夫」 その後2012年7月9日から外国人登録証制度を廃止いたし、代わりに在留カードの切り替えが始まったのはご存知かと思いますが、この切り替えは帰国後なのでお済でないですよね。
まだ期間は御座いますが、来日永住ビザ所持者であっても2012年7月9日から3年以内に切り替えができない者はお持ちのビザを失う事になりますので、その代償はご本人にとって極めて大きな損失となりかねません、もしかしたら何処かで噂を挟まれたのかなぁ?

また、文中では父と謂ってますが、うそ’と詮索したところで新たに見出す者は今更ながらの様に感じます、Annieさんがこの期間にどれだけ心配をし苦しみながら絶え、良くも悪くも色々な方向へ想像された思います、

許して下さいとは謂いませんが、受け入れられる余地がわずかでもあるのならば、どうか幼い娘さんの為にもう一度だけチャンスをやっては如何でしょうか、

困った事ができたらまた、こちらへご相談下さい。




Re: フィリピン人配偶者の失踪 ( No.8325 )
日時: 2013年06月06日 02:46
名前: Annie [ 返信 ]
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アイコン善行さま、Caviteさま、いつもお世話になっており、大変有難うございます。

結局、6月5日の朝、電話があり、「最初にハッキリさせておくが、4、5日で(フィリピンに)帰る。ややこしい話になるなら、すぐ帰る」と言い、何も話になりません。

娘にも同じ事を言っているので、娘は何も言えず聞けず、当方の顔色を
伺い、おどおどしています。されど、父とは一緒にいたいそうで。

本人曰く、「(当方とRとの間の)娘に会いに来た」そうですが、日本に入国したのは、1日前の4日だそうで、関西空港で在留カードを貰えなかったそうです。(Rの失踪後、当方が市役所と掛け合い、Rの転出届を出し、世帯分離をしたからでしょうか・・)


Re: フィリピン人配偶者の失踪 ( No.8326 )
日時: 2013年06月06日 08:19
名前: 善行 [ 返信 ]
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アイコン在留カードは住所を特定しないといけないはずですから、そのために、即時発行されなかったと思います。でも、入国は出来たのですから、とりあえずは滞在可能ですね。娘さんに会うだけの帰国なのかが気になるところですね。

Re: フィリピン人配偶者の失踪 ( No.8327 )
日時: 2013年06月09日 03:23
名前: Annie [ 返信 ]
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アイコン善行さま、caviteさま、いつもお世話になっており、大変有難うございます。ご親切なご助言、深く感謝しております。

結局、言い争いの末、Rは8日早朝に勝手に出て行き、それに気づいた娘が「空港に行こう」と言い出し、学校を休んで、Rを空港から連れ戻したのですが、どうやら予定では8日に帰国するつもりだったようです

5日朝に、Rから、いきなり電話があり、その後当方の家に来ましたが8日(空港から連れ戻した後)、市役所へRの転入届を出しに行ったところ、実際は6月2日に入国していたのに気付きました。本人曰く、4日夜に入国したとの事でしたが・・

本人は、娘に会いに来たというのですが、永住権保持に執心しているように思えます。「娘に対する面会権がある」と言っていますが、失踪後、善行さまやCaviteさま方のご尽力にて、Rから連絡が入り始めたのですが、去年12月から約半年も連絡が途絶えており、今年突然「日本に来る」という様な有り様で、その主張の意図か分からず、今更面会権とやらを主張するのは不思議です。

「お互いに当方とRが助け合う」とも主張していますが、どうやら日本とフィリピン間を行ったり来たりしたい様にも受け取れます。「日本にいて、年に1度か2度フィリピンに帰る」とも言っております。されど日本では61歳のRに仕事は無く、就業出来る見通しはありませんし、当方の現状では、Rを養う財力はありません。

Rいわく、約20年も日本で働き、納税したのだから、社会福祉が使えると。しかし、失業保険はタイムオーバーで、その他は無いはずなのですが・・

Rの思惑が何にせよ、永住権保持を望み、「娘との面会権」を主張しています。定期的に娘に面会して頂けるのは、良い事と存じますが、今となっては、一抹の不安を感じます。

R自身、明言していませんが、永住権保持の為に、当方に協力を求めて
いる様にも思えます。恐らく良くて年1度程度の面会ですから、日本人の娘を持つ父の「親族訪問」も可能かと思いますが、いかがでしょうか


現在Rは、当方の家に滞在しておりますが、当方は娘の応対に戸惑っております。実際、空港から連れ戻したのは娘ですから、当方とRの現状を気づいているはずです。それでもまだ親子3人での生活を望んでおり
、当方の説明にも怒って顔をそむけます。

仮にRの言う「日本にいて、年に1度か2度フィリピンに帰る」という
生活を受け入れたにせよ、フィリピン側は当方の娘の存在を知りませんし、当方も向こうの事情を知りません。厳しい生活の中から、Rの行ったり来たりする費用を捻出しながら、その様子を娘が見て成長していくのには、躊躇してしまいます・・

申し訳ありませんが、今しばらくご助言頂ければ嬉しゅうございます。


Re: フィリピン人配偶者の失踪 ( No.8335 )
日時: 2013年06月17日 04:14
名前: Annie [ 返信 ]
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アイコンいつもお世話になっており、大変有難うございます。ご迷惑ばかりおかけして申し訳ございませんが、ご相談させて頂けないでしょうか?

結局、言い争いの末、Rは11日に逃げ、「知人からチケット代を借り
同日にセブパシフィック便で帰国した」旨の13日付メールが本人から届き、16日になって以下の様なメールが届きました。

arui kedo to hen na hanashi kedo kite kudasai.

when i came back to philippines last june 2012, i was so much engrossed gambling and went to casino almost weekly.

the money hyakku gojumnan gorai little by little i spent gambling. sometime i win sometimes lost. but most of the time i lost.

it took me about six months when i consumed all the money i saved. when all o f that were gone, i was still addicted to

casino and again even without okane i continued to gamble. in the casino some people lent me money as they knew

i came from japan. they lent me money even without collateral. little by little i have to show them what i have and again

they continued to lent me money.little did i knew that they were loan sharks. it took only about four months for them to empty

all what i had and worked for so many years. even my children and relatives ran away from me due to this habit.

it got worst when i confied to these loan sharks that i am still waiting for my pension from japan to come so still money will come to me.

after consulting with some people i was convinced that my pension from japan can start coming to me as soon as possible.

that's why i came to japan and arrived there last june 2, 2013. on june 3, 2013 somebody helped me to get all data regarding

my pension. all the data were gathered and submitted to japan pension service in kobe. i was informed that if this will be approved, i will

receive about more or less gojuman per year onwards. true or not i have no way ok knowing. i was only advised that the pension will be sent


to me to the philippines and they will notify me in case this will be approved. up to when, i have no way of knowing. all the money i used during this

travel was adsvanced to me by this loan shark group. hence the reason i have to go back very quickly for i will be in more trouble.

i did not want to tell you this, because i did not want to involve you in this trouble. to tell you the truth, i am being involved in a greater trouble, day by

day. i don' know when i can get out of this mess. if you do not beieve me it's ok. this is my sole responsibility.

ほぼ1年ぶりに、Rが自宅に来たのは5日でしたが、転入届提出の折、実際の入国は2日だった事が判明しまして、3日間一体どこで何をしていたか不思議だったのですが・・・

Rのメールを読む限り、借金取りに追われており、返済に年金を充てねば大変な目にあうという事でしょうが、言い訳する為の「作り話」の様な気がします・・Rはカジノ遊びが好きでしたが、借金をしてまで・・というのは、にわかに信じ難く・・カジノを巡るこの様な話は、実際によくある話なのでしょうか・・

ご相談させて頂いたのをきっかけに、貴伝言板をよく拝読させて頂いておりますが、Rの思惑は別として、「Rの話を信じれば、ロクな事がない」?この話も、貴伝言板中、よく話題に挙がる「危険度マックスレベル」なのではありませんか?こちらの関心を引き、幾らか引き出せば二重丸、そこまでいかなくとも、(こちらが年金分割をあきらめ)Rは年金を全額手に入れられる・・どんなウソをついても海の向こうでバレない・・なのでは?貴伝言板に巡り合わねば、気がつかなかった事だと思います・・

Rは離婚に応じるそうですが、10歳の娘への面会権を主張しながら、養育費その他には無関心です。

ほぼ1年ぶりのRの入国でしたが、結局のところは、在留カード切り替えと年金受給手続きに終わってしまいました。

現状では、Rと当方では何も話し合えませんし、解決出来ません。お手数をおかけして申し訳ありませんが、お力をお借り出来ないでしょうか



Re: フィリピン人配偶者の失踪 ( No.8337 )
日時: 2013年06月17日 09:36
名前: Cavite [ 返信 ]
参照: http://philippin.net/
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アイコンAnnieさんの投稿読んでいて心中痛み入ります。

 次元の違う相手との婚姻を改めて思い起こして頂きたいと思います、ここだけは絶対譲れない、これ以上一歩も譲れない、

これでは先々破綻を迎える事と成りかねません。

聞けない理由を問い、攻め合っても次元の違う者同士、何の前進も生まれ難い気が致しますが如何でしょうか、

しかし、互いの意見を述べ合って、調整すると謂うお気持ちで望めるのであれば糸口はあるはずです。 
調整とは、例え無駄になるお金と100%Annieさんが解かり切っていても、現時点で相手には理解不能、また理解不能になる環境が生まれ育った地には必ずあるのです。 それを見る、住んで体感しなら結婚に至った私とAnnieさんの違いが出ている様な感じが致します。

僅かでも良いですから話に乗る(受ける)と謂うお気持ちで御座いませんか、 

>> 言い訳する為の「作り話」の様な気がします、

その通りかも知れません、見え見えの嘘、バレバレの嘘を平気で語る、日本では普段あまりない感覚ですが、逆にこの国では普通にありました。 ですから、比国では信じれる範囲が狭い人々経ちで、それが親族一門にあたります、今のアサワ(Annieさん)が結婚をきっかけにその一門に入りきっていると思いますか、

 在留カード切り替えと年金受給手続きに終わってしまいましたと書いて御座いますが、これは在日のご主人に取っては生命線、死活に関わる最重要なものです、如何に血の分けた娘さんとは謂え、在留カード切り替え及び年金受給手続きは、今のご主人からして見れば、謂うまでもない様な気が致します。

ご主人はAnnieさんと日本で四半時暮らした様に、逆に不仲、良仲は別として比国にも同様の家族が存在するとすれば、比国側は終えた過去に拘る人々もいるにはいますが、今を見る方が最優先中の優先です、短中長期目的を求めるとか、望める様な国域にありません、この国に住んだ者なら少しは解かります。

日本では一般的なこうすれば絶対に起きない起き難い、だから先々が楽になり安心が保てる、その結果上手く進むと謂う考えも極一部の上層の人々しか持ち合わせてないと感じたくらいで、一般大衆は持ち合わせられる様な社会状況ではありませんでした。

嘘と思えば、感じるなら、大抵は当たっている方が多かったのを思いだしますが、賭け事が大好きだとしても一定の歳を過ぎたなら、何時かはからくりが見えてくると殆どの人は飽きるのが普通です。 腐った世界にも底があり、やがては底が抜け落ちてようやく目覚める者です、関わる家族としてどう導き指導するかですね。 

文中の内容が本当ならば、比国で住む周辺人に聞けば即解かることです。 取り会えず幾人かの経験者に聞いて方向性を見出し、最終的に自身で行動を起こさなければ良くも悪くも相手に何も伝わって行きませんから、また時間を置いたからといって自然解決も難しい気がいたします。既に時間も相当過ぎてますしね。


Re: フィリピン人配偶者の失踪 ( No.8342 )
日時: 2013年06月19日 04:51
名前: Annie [ 返信 ]
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アイコンお忙しい中、ご親切なご助言、誠に有難うございます。伏してお礼申し上げる次第でございます。

<<次元の違う相手との婚姻を改めて思い起こして

仰る通りだと存じます・・この20年間はこのギャップを埋めるべく、当方なりにRと(日本人の)知人間で奔走して参りましたが、あまり功を奏する事が出来ませんでした。皆さま方は、この点をどの様に、折り合いをつけ、説明をし、収めておられるのか、気になるところではあります。

また、「お世話になった方に不義理を致すな=困った時だけ寄って行くな」「見え透いたウソは注意して使え」「トンズラ=逃げるは最低・無責任・卑怯と世間一般は捉える」等は、Rの母国の状況を鑑みた上で何度説明しても、導く事は不可能でした。理論上は分かっていても、日本という異国の生活に疲れていたのでしょうか・・

フィリピン側の事情を(娘たちとうまくいかない等)聞いていましたので、Rの帰国後、当方が「日本に帰って来たらいい」とメールを打ちましたところ、Rから返って来た返事が上記の内容でした。

<<聞けない理由を問い、攻め合っても次元の違う者同士、何の前進も生まれ難い気が致しますが

仰る通りでございます。とりあえずRには、「また・・ウソ」とは言わず、「話は分かった。出来るだけ早く日本においで。今、こちらから何か出来る事はないか?チケット代はあるか?」とだけ返信をしておきました。

まだ返事は来ませんが、この「ウソ」の意図は「(今現在は)日本に帰る気がない」意思表示か、何か思惑があり、何かの交渉時に、Rにとって有利な事を当方から引き出すつもりだと当方は考えております。

<<僅かでも良いですから話に乗る(受ける)と謂うお気持ちで御座いませんか

この点につきましても、仰る通りでございます。ある程度までの話は受けざるをえないと思っております。10歳になったばかりの娘がおりますし、娘の父という手前、当方の一存で事を進められず、躊躇して考えてしまうのが実情です。

Caviteさまの仰る調整という方向は非常に有意義だと存じます。その様に致したいと思いますので、今しばらくご指導を賜れませんでしょうか?

ほぼ1年ぶり、数日間のRの滞在中、喧嘩が絶えぬ事であり、その実、何も話し合いにならず、Rの言動に業を煮やして「当方と娘には、もう
係わらないで欲しい」と申した事は反省しておりますが、当方はフィリピン側の実情を知りませんし、Rの勝手な諸事情や都合で、数年後に非常に困難な背景を引きずって、日本に戻って来られても困るというのが正直な気持ちです(Rなりのほとぼりが冷め、抜き差しならぬ状況になってから、最後の選択として戻るのでしょうが・・)

<<絶対に起きない起き難い、だから先々が楽になり安心が保てる、その結果上手く進むと謂う考えも極一部の上層の人々しか持ち合わせてないと感じたくらいで、一般大衆は持ち合わせられる様な社会状況ではありませんでした

一般人の主行動は、良いか悪いかは別として、出たところ勝負・後出しジャンケンしかないのでしょうか。Rにすれば、フィリピンにおけるR自身の現状が最優先なのですね。それは理解できます・・

<<嘘と思えば、感じるなら、大抵は当たっている方が多かった

あくまでも推測の域を出ませんが、カジノで散財、あげくに無担保で借金、抜き差しならぬ状態うんぬんは、おそらくウソだと思います。単にカネが要る、欲しい状況にあるのではないかと。そろそろカネも尽きかけているのでは。あるいは、「だから日本には戻れない」という理由づけなのかも。

Rの帰国後、善行さま方のご尽力ゆえに、7月から当方に連絡が入り始めましたが、「年金の手続き」の話が主で、「パスポートのコピーを送れ。娘が会いたいと言っているので会ってほしい」と返答すれば、その後、全く連絡無し。Rと娘はメールのやり取りをしていましたが、昨年12月から半年程、連絡無し。今年5月末になって、当方と娘に連絡が入り、「娘が、娘が大事」と言い始めたわけです。

1年ぶりに再会すれば、「フィリピンは危ないから来るな」と娘に言っていたのが、「いつでも来て、パパは喜んで会う」「家族に紹介する」
「上の3人の娘は結婚して、末娘とは上手くいかん」「これでは我々(Rと当方)はLOOSERだから、お互いに助け合おう」「フィリピンの
連絡先は20年前と同じモンテンルパ。現在はR自身の兄の田舎で、時間潰しに畑をいじってる」等、どこからどこまでが真実か計りかねます

数日前のメールでは「カジノで散財、無担保借金、娘と親族から見放された」と、ウソにも程がありますが、Rがウソをつきたい理由というのは・・?

<<経験者に聞いて方向性を見出し、最終的に自身で行動を起こす

仰る通り、これ以上放置しておいてもどうにもなりませんね。出来うる限り早く行動を起こすつもりですので、厚顔なお願いではありますが、今しばらくご指導頂けます様、伏してお願い致します。


Re: フィリピン人配偶者の失踪 ( No.8346 )
日時: 2013年06月19日 16:25
名前: Cavite [ 返信 ]
参照: http://philippin.net/
[ 編集 ]
アイコンカジノとだけではホテルにある様な高級カジノを指すのか、コックピットを指すのか、正直区別が付き難いです、通常カジノは外人が多いです、フィリピン人で来る方もいますが少数派でしょうか、

一方コックピットとは、鶏の足にナイフを巻きつけて東西に別れて戦わせ、どちらが生き、どちらが死ぬか、ここへ好きなだけの額を掛けます。 2000ペソを掛けたい時は、同じ額の出せる相手を場内で瞬時に探し賭け合う事です、別名賭け事全体をガンボールとも呼ばれます。
通常フィリピン人と謂えばこちらの賭け事の方が田舎の末端まで浸透した賭け事と謂えます、その配下にポーカやチェスが入ってきます。
確かに一度でも覚え味わって仕舞えば精神面で抜け出し難いのは事実です、

ただ私が強く感じた事は「無担保借金」などあり得る国域ではないと謂う事です、借りて返さない、これが半常識の社会、返せない相手に貸した方が悪い、この様な考え方に近い社会に感じます、借りて返さない、ですから貸す前に似合う物を差し出す、あるいは預けるです、それがフィリピンで富を残した質屋です、地元名でポンショップと呼びますが、それが訴人の金貸し屋にインド系フィリピン人にグンバイとかボンバイと呼ぶ低額の高利貸しもおり、年に数人借金取立て者から逆切れされ殺されたと謂うニュースも屡見ました。

従って日本へ来れるだけの隠し費用はあると致せば、実際に賭け事を行っていて穴抜けまで使い切るのがフィリピン人に思えますが、

また別角度から見て、本当にカジノに行くと謂う事は何等かの資金の持ち合わせ(蓄え)があるか、なければ行けない訳で、比国滞在が長期化するればするほどその持ち金も著しく消費するのが普通です、仕舞いに昨日今日やっと食える程度になるのが私が見てきたこの国です。
ですから、近い者同士寄り添う方式で飢えを凌ぐ、そうして纏まらざる得ないのです。 それが親族一門と言うファミリーです。
ファミリーの謂うことは結婚相手の言うことよりも上なのがフィリピンの考え方に感じました。 例え地球の果で暮らそうとともわずかでも余裕(比国と比べた余裕)があれば手を差し伸べる、それがファミリーへの恩返しと固く信じています、特に田舎にいけば行くほどです。

その中に仕事があってもせず、怠け者、小言や暴言など出そうにも思えますが意外に少ないのがフィリピン人の特徴と言えます、特にルソン島の南端にあるビコール地方やフィリピン中部のパナイ島を中心とするイロンゴ圏あたりの人は、集団生活の輪を作るのが上手だったのを覚えています。

夫Rさんがフィリピンでどの様な暮らしをされ、どの程度の家族がいるのか、ちょと先を覗けばRの兄弟、従兄弟、鳩子など
誰がRさんを動かせるだけの力を持ち合わせているのか、親族一門に弱い立場を最大限に活用されては如何でしょう、親族のドンに近づき手助けを求めるのも一つの手段で、比国は以外に女性上位社会、ファミリーのドンも年配女性が多いです。

ちょと無謀だし、費用捻出も大変ですが、娘さんと一緒に無し連絡で行ったら、もしも近く迄尋ねられたRさんはびっくりタジタジになると思いますよ、何故ならば日本から出て行った空白の期間が一夜にしてバレルからです、こんな事は比国のファミリーでも非難され同情は受けないと思います、特に皆さんがRさんの娘さんと解かればことさら、Rさんの態度その者も変わると思いますが、だたこれは結構無謀な手段となりますし、別れる覚悟なら責めてその前の切り札として、日本人妻の意地を見せてやっても宜しいのではないでしょうか、切れかっかった心は再び回復するはずです。

結婚20年もの我慢は、我慢でけでしたか、我慢も仲直りいたせば乗り越える為の我慢、嫌気を指せば、夫Rさんの心にも同じく映る鏡の心に思えます、偉人同士は互いの心を映しあう気持ちで望まないと直ぐに躓いて仕舞います、 本当は料理などやりたくないし自分では下手と思っていても、ご主人からことある度に上手いな、こんな料理フィリピンじゃ食べたことが一度もなかったと言い続けられたら、嫌でも答えるしかないじゃないですか、この様な語源をちょっぴり交えて話す様に心がけては如何でしょうか、


Re: フィリピン人配偶者の失踪 ( No.8351 )
日時: 2013年06月21日 04:13
名前: Annie [ 返信 ]
[ 編集 ]
アイコンCaviteさま、善行さま、いつもお世話になり、深く感謝しております

また、ご多忙中に係わらず、ご親切なご助言を本当に有難うございます

<<親族のドンに近づき手助けを求めるのも一つの手段で、比国は以外に女性上位社会、ファミリーのドンも年配女性が多い

Rの親族は、両親ともに他界しており、親代わりだという長姉が、タヤバス・ケソン市にいるそうです。ご健在であれば、70歳過ぎのはずです。住所・電話番号・フルネームは知っていますが、20年前のものです。

2番目の兄はルセナ市(あるいはマニラ近郊)との事です。70歳前後
こちらは電話番号のみです。

2番目の姉はアメリカ在住。その他の親族は全く不明です。

ちなみに、Rは6人兄弟の末で、上から長姉(タヤバス・ケソン)、長兄(他界)、2番目兄(ルセナあるいはマニラ近郊)、3番目兄(他界
)、2番目姉(アメリカ在住)でございます。

Rの故郷は146 Red V.Rucenaですが、おそらくモンテンルパの自宅にいると思います。Rは大変な事になっている・・と言いますが、所持金が少なくなっているのは事実としても、平和に生活しているのでしょう。

20年間、Rは本国の背景を隠し通していた様に思えますので、これはいい機会だと存じます。この際ですし、(直接訪ねるかどうかは思案中ですが)Rの自宅~タヤバス~ルセナを回ってみたいと思っております

訪問したい上記3ヶ所は、どの順番で回ればロスが少ないのでしょうか
?どの順番で回ればよいと思われますか?日程的に5、6日(あるいは1週間)程度では難しいでしょうか?

ほぼ1年が経ちますし、これ以上放置していても、どうにもなりませんゆえ、出来うる限り早く訪問するつもりですが・・

<<これは結構無謀な手段となります

仰る通りですが、この様な機会が来ると20年間考えておりました。我
々の訪問により、この先どうなるのか分かりませんが、当方の決断ゆえそれはそれで良いと存じます。訪問の結果は当方の責でございます。

ただ、娘と当方の身の安全だけ懸念しております。我々を歓迎してくれるとは思っておりませんし、向こうで要らぬ摩擦を起こす気は毛頭ございません・・

<<嫌気が指せば、夫Rさんの心にも同じく映る鏡の心に思えます
<<互いの心を映しあう気持ちで望まないと直ぐに躓いて仕舞います

正に仰る通りでございます。的確なご助言、伏してお礼申し上げます。

<<この様な語源をちょっぴり交えて話す様に心がけては如何でしょう

有難うございます。その様に致します。

解決まで、お手を煩わせ、誠に恐縮ですが、今後ともども、どうぞよろしくお願い申し上げます。


Re: フィリピン人配偶者の失踪 ( No.8353 )
日時: 2013年06月21日 08:50
名前: 善行 [ 返信 ]
[ 編集 ]
アイコン心情的な部分はさておいて、フィリピンに出向いてみようというのはもう少し様子を見るほうがいいのではと思います。

ただ、実務的には、タヤバスとルセナは隣の市ですが、過去の住所を探していっても見つかるか確証はありません。モンテンルパは以前確認していますのでたぶんすんなり探せるのではと思います。位置的にマニラから出発すれば、モンテンルパ-ルセナ-タヤバスの順番ですが、時間的に考えれば、まずは、モンテンルパですね。ルセナとタヤバスは1泊2日ですか。

不意に訪問するのなら、相手の出方次第ですが、かなり危険が伴うものと思いますので、自己防衛及び同行する者の安全も考慮しPNP(国家警察)等のボディーガードも検討する必要があるのかもしれません。


Re: フィリピン人配偶者の失踪 ( No.8355 )
日時: 2013年06月21日 12:43
名前: Cavite [ 返信 ]
参照: http://philippin.net/
[ 編集 ]
アイコン紛らわしいですが通常ルセナと言えばケソン州の州都じゃないかと思われますが、同名を名乗る地名はフィリピンでは非常に多いのも確かでどこの州とかも合わせて知る必要が御座います。

ケソン市は首都圏最大の市で人口おおよそ280万人越えと謂われてまが、首都圏ケソン市の北東部のラメサ貯水池とマリキナ川を間に挟んでサンマテオ市があり、その間にご指摘のタヤパスがあるのですがそこを指しているのでしょうか? 

http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&ll=14.715369,121.105943&spn=0.034825,0.038581&t=m&brcurrent=3,0x0:0x0,1&z=15

現地一般人の場合であれば、マニラ国際空港からですと、SMフェルヴューと書いたバスへが空港ターミナル脇を通過するので
http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&ll=14.510661,121.006529&spn=0.017429,0.01929&t=m&brcurrent=3,0x0:0x0,1&z=16


乗車いたし、バタサンヒルズ付近、コモンウエルズ小学校付近で下車、ジプニーへ乗り換えて向かうコースになろうかと思いますが、直線距離はたいしか距離でもないのですが、慢性渋滞の場所を殆ど通るので何回いっても時間が読めません。

ケソン州都のルセナでしたらケソン市クバオから沢山ルセナ行きのバスが出ていますが、4時間~5時間見た方がよいでしょう。
ルセナ行きのバスが通過する場所
http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&ll=14.541133,121.017838&spn=0.034853,0.038581&t=m&z=15&brcurrent=3,0x0:0x0,1

ルセナ市の場所
http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&ll=13.941065,121.596336&spn=0.279563,0.308647&t=m&brcurrent=3,0x0:0x0,1&z=12

ルセナはマリンドゥケ州やロンブロン州方面へのハブ港になるのでそこそこどのバスにも乗車するお客さんが多いですね。 クバオ迄行かずとも南高速とエドア大通りの大きな交差点下付近でもルセナ行きが通過するので乗車できますが、時間帯によっては始発で満席となれば、たぶん座れないかもしれません。 予想以上に大きい交差点なので交差点中心部よりマカテー市側(北側)200~300m後退した場所で待たないとバスは左折する為に止まってくれません。

それから最後にモンテンルパ市は首都圏の南端で比較的空港から近い距離に御座います。 代1ターミナル前からスーカットロードを通って、時間帯にもよりますが、50分~1時間ちょいあればそっち方面に着きます、ここはバスはなく、乗り合いタクシーかジプニーになります。

もちろん地理を含め言葉のできない場合は、空港タクシーを利用するか、何方かサポート役を雇った方が無難でしょう。

モンテンルパからルセナへいく場合、ルセナ行きのバスはサウスエクスプレス(南高速道路)上を走るのでたぶん捕まえる事ができないと思います。
http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&ll=14.406958,121.046548&spn=0.034874,0.038581&t=m&z=15&brcurrent=3,0x34674e0fd77f192f:0xf54275d47c665244,1


Re: フィリピン人配偶者の失踪 ( No.8356 )
日時: 2013年06月21日 12:54
名前: 善行 [ 返信 ]
[ 編集 ]
アイコンCaviteさん指摘のケソン市はパヤタスです。私が以前住んでいた場所ですね。タヤバスはケソン州ルセナの北に位置します。

Re: フィリピン人配偶者の失踪 ( No.8357 )
日時: 2013年06月21日 13:24
名前: Cavite [ 返信 ]
参照: http://philippin.net/
[ 編集 ]
アイコン失礼致しました。こっちですか?

http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&ll=13.983545,121.661224&spn=0.139756,0.154324&t=m&z=13&brcurrent=3,0x0:0x0,1

航空写真だと更に家の屋根まで確認できます。
http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&ll=14.036634,121.65247&spn=0.034931,0.038581&t=h&z=15&brcurrent=3,0x0:0x0,1

仮に住所が解かる場合は、できるだけ拡大されてから適当に「各家」にカーソル合わせて、右クリック⇒この場所についてを更に左クリック、すると画面左側に住所が表記されます。
これでおおよその見当がつきます、場所によっては住所そのものが表記される優れものです。


Re: フィリピン人配偶者の失踪 ( No.8359 )
日時: 2013年06月23日 02:55
名前: Annie [ 返信 ]
[ 編集 ]
アイコン善行さま

お忙しい中、ご親切にして下さいまして、大変有難うございます。

<<フィリピンに出向いてみようというのはもう少し様子を見るほうがいいのでは

今日、明日に出発・・という訳にも参りませんので、早くて8月下旬~
と考えておりますが、善行さまの方でいつ頃が良いというご指示がございますか?

<<タヤバスとルセナは隣の市ですが、過去の住所を探していっても見つかるか確証はありません

仰る通りでございます。何分にも過去の住所+電話番号でございますし見つかる確証がない事も承知しております。また、お尋ね先の方々がすでに他界されている可能性があるのも然りです。いつもながらのお心遣いに感謝しております。

<<不意に訪問するのなら、相手の出方次第ですが、かなり危険が伴うものと思いますので、自己防衛及び同行する者の安全も考慮し

防御策を検討致します。現地では出来うる限り、摩擦は避けようと思っておりますが・・

ルセナ・タヤバス付近の宿泊施設はいかがでしょう?どこかお薦めの場所はございますか?


Re: フィリピン人配偶者の失踪 ( No.8360 )
日時: 2013年06月23日 03:33
名前: Annie [ 返信 ]
[ 編集 ]
アイコンCaviteさま

お忙しい中、ご親切にして下さいまして、誠に有難うございます。

<<通常ルセナと言えばケソン州の州都じゃないかと思われますが

紛らわしくて、申し訳ございませんでした。ケソン州のルセナ+タヤバスでございます。

ルセナの方は、146 RED V.LUCENA。タヤバスの方は、
22G CKL PILAR ST.TAYABASでございます。

ご教示下さった地図を見ましたが、おかげさまで、おおよその見当はつきました。お心遣い、本当に有難うございます。

モンテンルパ~ルセナ~タヤバスの3ヶ所となると、かなりの移動時間が、かかりますね。

当方は地理にも明るくありませんし、タガログ語も出来ません・・マニラ以外で、英語はよく通じるのでしょうか?


Re: フィリピン人配偶者の失踪 ( No.8361 )
日時: 2013年06月23日 22:15
名前: 善行 [ 返信 ]
[ 編集 ]
アイコン英語はどこに行ってもそこそこ通じますが、基本はタガログです。タガログが理解できないでウロウロするのは危険です。また、片言の日本語が話せるフィリピン人は危険度が増しますので、気を付けないといけません。

グーグル等でルセナとタヤバスを調べてみましたが、タヤバスではCKL PILAR St.がヒットしません。ルセナ市内にはM.H. Del Pilar St.がありますね。CKLはDELかも。。。ルセナの住所では、Red V..Barangay Ibabang Dupay, Lucena Cityがヒットし、146は番地でしょうが、現在はブロック番号、ロット番号が付いているものと思われます。


Re: フィリピン人配偶者の失踪 ( No.8362 )
日時: 2013年06月25日 05:58
名前: Cavite [ 返信 ]
参照: http://philippin.net/
[ 編集 ]
アイコンタヤバス市役所042-713-0078 位置と基本情報です
人口約7万1千人 世帯数1万5千 バランガイ約66地区
残念ですが、掲載された通り名は解かりません。
市役所へ直メールを出して聞くのも一つの手段です、存在する通り名であればセヴェルレジスターセクションなら可能性は大きいかもしれません。
また市役所の北側と南東側にそれぞれ2箇所程バンターミナルがあるようですが、バスターミナルの確認はできないのでおそらくマニラからの直行バスはないのかも知れません。 ただし、ルセナからですとかなり近い位置なのでよういですね。

http://tayabasweb.philippinegovernment.org/index.php?option=com_content&view=frontpage&Itemid=1

意見ですが、日本へ来られた費用が幾分なれどある事は確かなので、もう少し衰弱するまで待たれた方が宜しいかも知れません。 また、ご主人の向こう側の奥さんおよびお子さんが気になります。お子さんも成人なされ婚姻生活されている者と推測いたします、

今までも散々感じてきたかと思いますが例え結婚なされても、体だけは結婚しますが、心では中々結婚状態に入っていない、つまり血族以外は中々信用しない国民と幾度も感じたと思います。 一時的なも(小旅行期間)のは判断できないので、これが正目に反応するか、あるいは裏目に反応するかは難しいと言えます。


Re: フィリピン人配偶者の失踪 ( No.8363 )
日時: 2013年07月02日 15:35
名前: Annie [ 返信 ]
[ 編集 ]
アイコン善行 さま

いつもお世話になっており、大変有難うございます。

体調不良の為、ご返信が遅くなり、誠に申し訳ございませんでした。

<タガログが理解できないでウロウロするのは危険

仰る通りですね。当方も娘もタガログに疎いので、一抹の不安を感じております。現地で、お力添え頂ければ嬉しゅうございます。

<片言の日本語が話せるフィリピン人は危険度が増します

ご親切なご助言、本当に有難うございます。

<タヤバスではCKL PILAR St.がヒットしません。ルセナ市内にはM.H. Del Pilar St.がありますね。CKLはDELかも。。。

手持ちの資料を見比べてみますと、ご指摘通りCKLはDELでございます
タヤバスは、Rの親代わりだという長姉の住所ですが、長姉がRに送ったエアメールでは、22 G Del Pilar St. Tayabas Queson と記されております。

<ルセナの住所では、Red V..Barangay Ibabang Dupay, Lucena Cityがヒット、146は番地でしょうが、現在はブロック番号、ロット番号がある

ちなみにRが卒業した小学校は、バリオ・イババング・ドゥパイ小学校と聞いております。マン・カルメル・セミナリー(サリティア・ケソン州)、聖カルロス・セミナリー(マカティ)、聖アルフォンソス・スクール・オブ・せオロジー(ルセナ市)でございます。

モンテンルパの住所に娘が手紙を送りましたところ、Rから「受け取った」という返事がありましたので、こちらの住所は正しいのではないでしょうか・・

毎回、雲をつかむ様な相談で、恐縮しております。どうぞ今後共々、よろしくお願い申し上げます。

猛暑に突入して参りますが、季節柄ご自愛なさいませ。


Re: フィリピン人配偶者の失踪 ( No.8364 )
日時: 2013年07月02日 16:16
名前: Annie [ 返信 ]
[ 編集 ]
アイコンCaviteさま

いつもお世話になり、大変有難うございます。
体調不良の為、ご返信が遅れ、誠に申し訳ございませんでした。

<日本へ来られた費用が幾分なれどある事は確かなので、もう少し衰弱するまで待たれた方が宜しいかも

ご親切なご助言、誠に有難うございます。出発の準備をしながら、もう少し様子を見てみたいと存じます。

<向こう側の奥さんおよびお子さんが気になります。お子さんも成人なされ婚姻生活されている者と推測

当方はRの一族と全く面識がなく、Rから聞いている話を総合すると、向こうの妻は63歳、4人の娘は上から既婚35歳、既婚28歳、既婚25歳、未婚23歳だそうです。どうやら上3人は結婚して、モンテンルパの家を出ており、末娘は卒業したばかりで、どうやら妻+末娘と同居していると思われます。

先々週、当方の娘がモンテンルパに手紙を送ったところ、「受け取った
」という返事が、Rから来ましたので、おそらくそちらにいる・・と存じます。

当方も20年間、気にして参りましたが、知りようもないのが現状です

<一時的なも(小旅行期間)のは判断できないので、これが正目に反応するか、あるいは裏目に反応するかは難しいと言えます

仰る通りですね・・現状としてRからメールはあれど、前年同様、ある程度の期間を過ぎれば、向こうからの連絡は途絶えるでしょうし・・

無謀な手段であれど、それを選択したのは当方であり、その結果はすべて当方に帰します。ただ、こちら側の身の安全確保は考慮すべきかと。
ご親切なご助言、本当に有難うございます。

ご指摘通り、もうかなりの時間も経過していますし、何か打つ手があれば・・と思うこの頃です。

毎回、雲をつかむ様な相談で、恐縮しております。どうぞ今後共々、よろしくお願い申し上げます。

猛暑に突入して参りますが、季節柄ご自愛なさいませ。


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