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投稿者:wajin128
まず先に【言葉】有りき ? 魏志倭人伝、後漢書、隋書では【邪馬壹】【邪馬臺】【邪靡堆】【邪摩惟】などと様々な文字が使用されています。 ーーーーー この理由を説明します。 古代中国人は文字をどうやって作ったのでしょうか。 文字以前に有ったのは【言葉】です。   この【言葉】に文字をあてはめて作ったのです。 漢字は【偏・旁・冠・脚・構・垂・繞】で構成されています。 この中で【旁】は【音符】を、そして【旁】以外は漢字の意味 (義符) を表現しています。 -------------------- たとえば【ヒ】の音に【皮】を当てています。 この【皮】の声符に【衣】の義符を合せて【被】の文字を作っています。 したがって【皮】の声符には意味が有りません。   【被】の意味は【布団】という意味がありますが【衣 (おおいかぶせる)】が義符になっています。 例えば【壹】の旁は【登】【澄】と同様に【豆】ですから、読みは【dou4 (ト)】です。   そこで【邪馬壹】は【ya ma to】と読みます。 しかし宋以降は、こうしたルールが崩れて漢字の読みが変化しています。 漢字の読みと、その漢字の【旁】の音が80%近くが同音です。   この事は、かつて【旁】が音符だった事の証明と言えるでしょう。 言葉が先にあり、その言葉に合わせて漢字(文字)は作られています。 たえば【馬】を【ma】【ba】【me】と呼ぶ地域が在ります。   また韓では【靡】を【mi】と発音しますが【邪馬壹】を【ya mi to】と思って【邪靡堆】の漢字をあてたと思われます。 また【邪摩惟】の【惟】は【隹】の形声文字です。   【隹】の声符は【zhui1 (ト)】です、したがって【邪摩惟】の読みは【ヤマト】になります。 地域あるいは政権によって、漢字の音は変化しています。 漢字の音が変化した時にはやむを得ず、元の読みを保つために他の漢字を使用しました。   こうしたことを【仮借 (当て字)】といいます。 単純に【壹】を【臺】の誤写と決め付けるのは問題です。   https://blogs.yahoo.co.jp/wajin128/36991928.html  
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