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投稿者:オヤジッチ
> 玉璽は何らかの証紙に押したか、ひょっとすると純粋に象徴的な存在で実際に使われることはなかったかもしれません。 ↑Wikipediaに以下の記事がありました。  伝国璽(でんこくじ)は、中国の歴代王朝および皇帝に代々受け継がれてきた玉璽(皇帝用の印)のこと。 秦の始皇帝より以前は、周王朝37代にわたって保持されてきた九鼎が帝権の象徴であり、それをもつものがすなわち天子とされた。周が秦に滅ぼされたとき、秦は九鼎を持ち帰ろうとしたが、混乱のさなか泗水の底に沈んで失われたという。秦朝は新たに玉璽を刻し、これを帝権の象徴とした。 やはり象徴的なものだったようですね。 いずれにしても、この時代の印は封泥用の印で、 書類は木簡を結えた(冊=束ねた木簡)紐の結び目を粘土で固めた(封=四角(寸)い粘土(土土))に押した(封印)もの(→柵封)ですネ。 ということで、『王遣使詣京都帶方郡諸韓國及郡使倭國皆臨津搜露傳送“文書賜遺之物”詣女王、不得差錯』とありますが、文書(送状)と賜遺之物(贈物)に相違がないかを搜露(確認)したと言うことですが、そのために、送状(木簡)と行李(送箱)を開けたのか、封泥が改竄されていないか、開封されていないかを確認しただけなのか。 いろいろ疑問がわいてきて、キリがないですネ。(-_-;)
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