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投稿者:松本晴雄
 富士山が世界文化遺産に登録されるのは、「信仰」が主テーマである。わが町の雲見浅間神社の祭神は磐長姫、富士山の姉神である。富士山信仰と受け止めて良いと思う。          ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆  中田祝夫編「江戸時代の伊豆紀行文集」に、山本金木(かなぎ・一八二六~一九〇六)の『雲見神社参詣記』がある。遠州・井伊谷神社宮司、四〇歳のときで、参詣したのは慶應二年(一八六六)三月二八日である。ちなみに金木は遠州報国隊に参加した人物である。 それには「伊豆の国なる雲見嶽に鎮座されます大神は、剱太刀御名にかかせるがごと、岩が根の常住に、玉の緒の長からむ事を守らせ給うを、玉襷かけて、我も人も朝夕に拝み奉れるからに」とあるように、はるか遠方の地より崇拝されていたのである。  この年「雲見講」がつくられ、年ごと二人ずつ参詣することが決まる。そして、くじ引きにより金木と中村貞則が選ばれ、遠州の地を離れたのは三月二三日である。  沼津港より船に乗ったのは二七日早朝で、海程一三里、松崎港に着く。それより急峻な山道を一里半、雲見の神職・高橋家に着いたのは日暮れもすぎていた。休む間もなく、翌早朝の大神参拝のため、海辺に出て禊ぎをする。  二八日、朝早く大神を拝むべく、高橋に先導を願い、童子二人に神饌、御酒を背負わせて烏帽子山とも呼ばれる浅間神社へ登る。  金木の表現に「御山は一枚の巌の海中に突き出たるにて、屏風を立てたらむ如し。三方は荒海にて登りゆく東の方のみ磯波に砂を積み上げて陸(くが)に続けり。海に向える方は壁立巌のみにて、草も木も生いたたされども、陸に続きて登り行く道は、松・桜・柏など生い茂げれる。この御嶽は往古より杣人(そまびと)の入る事を禁むとて、余り大きくなけれど、年を経た木立茂げれ。三合目あたり女人堂というものあり、この所より上に女の登るを禁じる。麓より大宮まで、八丁ありと言うがさほどない心地す。されどいと険しき山路なるが上に、あいにくの雨さえ降り出し、難儀しつつ頂に到りて、大前に拝み奉りぬ」(中略)。  大空の左の方にさし出でたる巌はこと険しく、容易くは登り難ければ、右の方なる巌の上に這い上がりて、両手に力を入れてしかと張り付き、頭をさし出し見下ろせば、わがいる下は青浪立ち渡るに、足裏も振るわれて、そぞろ寒けく成りぬ。 この折にも雷のごとく轟く音が時折聞こえたのは、山々の巌が海中に崩れ落ちると言うが、いと畏し。されどこの御嶽ばかりは朽ちて崩れる巌でないと聞き、心が落ち着く。この所を大御嶽と呼び、小御嶽・千貫岩なども海中に立つ。  この神社、往古は石の祠で、(今の神社右方に、小さな窪みのところなり)。今より八〇〇年前に木造で建て替え、往古の御木像と御鏡とを移す。屋根は茅葺きであったが、二四、五年以前に更に造り替えて瓦葺き、漆喰で塗り、彩色したという。女人堂にも彩色した御木像があるという。  さてその往古の石の祠はと聞くと、今は朽ちてはて跡形無しという。しかし考えるに、往古の社は女人堂にて、それより上へは男でも登るを禁じたであろう。  石の大宮というは、この巌嶺に鎮まりいる伝えの、訛りであろう。百年ばかりの間に、石の祠が残りなく朽ち果てるはずはない。かつこの頂上の巌の形、大宮に似たので下より仰ぎ見て、しかと言い伝えられしものであろう。(自分も、昨日の夕暮れこの里に着いた時、この巌を仰ぎて茅で葺いた大宮と思ったものだ。今朝また大宮によく似たれば、岩の形ではない、建物と疑ったほどだ)。  毎年六月朔日、八日、一六日と三度の御祭りがあるが、その祭りのたび普段は見ることのない撞木鮫、身の長さ一丈余りのものと、大きな亀が浮かび出て、終日、御山に添いて回っていたのを、皆人が巌上より臨み見るに、いづれの年の御祭りにも出ないことあらじとぞ。ただし亀は稀には見えざりる事もありという。  神主は高橋丹波守とて、中古、ここを領地として、小田原北条に属した末裔なりと。実に北条氏政・泰秀・氏則より送られし書き物がありて見る。  この雲見村は九〇戸ばかり、往古より長寿な者が数多ありという。今日は終日、雨降りとなり、ついに高橋家にとどまる。 雲見神社縁起(大略) 雲見大神に参詣する人は、富士を禁(い)みて、かの嶺のことは、仮初めにも言わずと、世の人は言うが、書記やわが蔵書に、磐長姫の怨み話などはない。  雲見神社も信濃も、富士と同じく浅間といい、また雲見大神も富士大神も、同じ駿河国鎮座するのも、御姉妹なれば仲睦まじいこそである。しかし雲見神は質素、富士神は顕明であるが、裏と表をなし、すべて大方のものは相反するもの、互いに競ううちに助け合いて立ちゆくものなので、必ず力を合わせあうことを私は疑わない。だから私は、年中、この二神を心底から奉る。長しえなる岩のごと、堅磐に常盤に木花の栄えることを願い、祈り奉るばかりである。 雲見風景を詠める長歌  かけまくは 畏(かしこ)かれども 久方(白妙)の 雲見の神は 世の人の 齢守りて 移ろい変わらぬ 岩耶姫 神の命の 鎭まれる 奇しき岩嶺と 玉襷 かけて参(まい)来て 登り立つ 麓の道は 磯波の 真砂打ち寄せ 沫雪と 踏みもなづめり 九十九折り かさしき山路 楚(しもと)取り 草根にすがり 頂に いよじ登りて 磐の上ゆ 鯨寄る 千尋の底の 青渕の 巡れる見れば 心さえ 目さえくらみて そぞろにも 寒けくなりぬ 白浪の 寄する裏回(うらみ)に 青波の 立てる奥辺(おきべ)に 空量う 大船小舟 行き交いて 飽かぬ眺めの 果ても無き 愛(は)しき岩根に 大神の 鎭まりまして 君が代の 動くこと無く 国土の 揺ぶ事なく 永(とこと)はに 守り賜える 事の尊さ
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