投稿者:粗忽屋
オヤジッチさん、
テーマが変わったので、別スレにしました。
> 開封は邪馬臺國であれば、邪馬臺國で(封泥が)出土する可能性がありますが、どんな印文でしょうか。
>「皇帝」印でしょうか。玉璽とは別に封印用の印があったのでしょうか。
とても面白い疑問ですね。私も興味津々です。
根拠はありませんが、玉璽は何らかの証紙に押したか、ひょっとすると純粋に象徴的な存在で実際に使われることはなかったかもしれません。
実務にかかわる封泥用の印は別にあったような気がします。
それはどんな印面であったのか・・・・・?
「封泥 出土」などでググってみると、実際に出土した封泥の画像がいろいろ出てきますね。
でも郡や県など地方の管理役人レベルのものがほとんどのようで、中央官庁から地方へ送ったと思われるもの、まして皇帝直属の機関からと見えるものは見つかりませんでした。
実際に存在した数からいっても、圧倒的に地方発の方が多いでしょうね。
東京国立博物館の所蔵品の中に、宮廷の財政・物品管理などを行う「少府」の封泥や、皇室の軽食?を担当する「湯官」付属の「湯官飲監」の封泥があり、これが一番“中央寄り”でしょうか。
ただ卑弥呼さんのような蛮族の長に物を送る際に、皇帝印が押されたのかというと、疑問です。。。。
物を与える指示を出したのが皇帝であっても、押された印はそれを担当する官庁の印であったように思えます。
中国での封泥研究書もかなりあるようですので、きっとその中にはいわゆる“王爾”に相当する送付印について書かれたものもあるでしょう。
こういうテーマは、蔚山人さんがいろいろご存じではないかと思うのですが、いかがでしょうか?