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投稿者:松崎の商人徳左衛門
尚左堂(なおさどう)宝暦七年(1757)~ 文政三年(1820年歿、64才) 江戸時代の浮世絵師、戯作者、歌人 寛政以後、石川雅望に狂歌を学んで文学にも親しみ、沈金彫りや貝細工などにも長じた多芸な人であった。狂歌に関しては判者にもなっている。   古代 尚左堂大人(うし)神風の伊勢に集りしたふを   むたりこまの花むけすとて 一ひろのものを刷りて送りぬ   ついて友垣の送りたふ歌をもかいつけることになむ 露霜の煩ひとなし格衣ころも菊ほど綿をきませば       素相庵津歌人 参宮の人を送れば愛(いと)しほど心やまし身に泪こぼるゝ  寉辺佐保丸 綾にしき飾る門出の伊勢をどり踏み出す足に送る足□   柄寿窓朔日 ころは秋千種の花の君が旅門出わかれの菊みさかづき     □□□□ あづまぶり諷ふて来ませと松坂や歌の音頭をとれる人をば   仁義堂導守 立旅よ帰も無事のまめ男いせ物語聞かんとぞまつ       東山堂敉良 餞別の歌のこころもまつと里はやくあづまへかへり手にはと  野辺亭廣道 門出をいはふてあける□□れる□御帰をまつのはにそふ    一暚舎夢成 みはしらの神へまうする人なれば帰りくる身も片やくととして 藤蔓人 いせの海人のとれる鮑の渡会をめぐりて戻れたまの旅路に   手柿延人 神風の伊勢物語吹きひろげはやくあづまへ操戻せかし     巌亭苔住 玉くしげはこぶ二見の浦からも思へ蒔絵のまつはこなたと   田原常則 伊勢へたつをりよしといふ濱嶽に吹く神風のおとづれをまつ  家建留住 ひじき藻のよるてふ伊勢へ立つ人によめるワカメをはなむけにせん 貢庵則次 君が行く旅の日数も五十鈴川やがて帰りにあひに山かな    三辻庵門住 さしのぼる旅はしばしとおもへどもまつに名勝はつきよみの文  平直道 踊りたる旅にありとも鷄鵄石とひこたへよき便りをそ待つ    少々家守 君やがてめでたくキチといのる也けふ思ひ立つらるしせぬ宮   □勇戌 いせ諭さあらば鈴のまいらるる三番そうそう御帰りをまつ    寿朝成 君はたつワれは戻れる旅をくり別れ二見の浦の参宮       花 盛 道中も留守の御宿もつつがなし内外の神に参人なら       千鳥濱住 みざかなのゐのこの頭は戻□に誓いて送る歌の壄噲(やかい)  武人面成 今朝たりて行くる旅路はいせ嶋や足も丈夫に帰給れ       無叓舘四交 梅紅葉桜もみじの旅催ひ小春にならば帰り花□□        門礼舎春人 旅ころもワかれにひ々る袖が浦ひたに過ごさず立ち帰れなみ    唐橋渡 一心をかけてまうでる旅ならばたふとき神にちかしかしづけ    住吉浦辺 金銀にさしつかへなく道中をしゃうきの□のはなむけにせん    堀出釜成 諸ともにわれも我もと十帰を花のお江戸でまつとなり      花林堂音浅 歌の友問ふもやさしき栁こり小春をかけてよりもこよかし    連訓舎綾人 別れ話ををしめばいとし小車のはやく廻りて帰たまはれ     □□庵□喜 門出を祝ふ社中の百人首いせのみやけの歌を待つのみ      花下長 のぼりては戻りたまへや伊勢の宮めぐる博多のこまの花むけ   山加亭まえ行 君ゆかば春とぞ思はん伊勢のその不行桜の花のいろまで     記志丸 旅ころもけふ立つ花や伊勢人によくおもはれとこひこうじかな  蓑笠亭槌成 伊勢道にありと聞なる扇山や其名もはねてお帰をまつ      若木春若 津の殿は御立しやと雨が降る君が門出の此の日和よき      布引多喜人 鳥がなく東ゆ伊勢へ行く君をはやく帰れと願ふしなしな     紀持方 紀行もとめるといふな大井川よし連臺の筆にのすとも      □下住 路みちの名物をみなされ歌にあぢわいかぐ口も達者に      春日野丸 はるると思ひ立つ旅天照す神も納受やしまさん紺さん      隺羽風 また旅は初かふむりやけふすてに伊セのさうじを道開きにて   手管長文 常盤木のいろもかわらで旅ころも行きと帰りを待つとらなり   少々道頼 蔦かつら錦にいとをみわけの手綱や出たつ駒のはな向      印肉墨 友とちの旅のワかれに酌む酒は玉の杯ぞこまめもなく      酒蔵亭文吉 名所は画に写すとも旅日記かへらん時をうつし終ふな      温故堂ヒ持 十日行くとふとよしぬのくさづみやもひもあらずかくかへれあそ 鐘下庵深雪     御方々の志のうれしさに   ウンといふつらのことばを力にて       アとの苦ハなく渡会(わたらい)の旅  尚左堂俊満
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