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ハチはなぜ大量死したのか
ローワン・ジェイコブセン 投稿日:2018年10月07日 20:39 No.13




頭が痛い、お腹の調子がわるい、風邪をひいた、咳がでる。頭痛薬、整腸剤、風邪薬、去痰剤……。なにかというと、私たちはすぐに薬を飲む。そしてなんとなく治った気分になる。この間に起こったことは一体何だろう。生命現象における動的平衡がいっとき乱れ、そのシグナルとして不快な症状が表れ、まもなく動的平衡が回復されたのである。薬が何かを治してくれたわけではない。薬は単に、不快な症状が表れるプロセスに介入して、それを阻害しただけである。ひょっとするとその介入は、動的平衡状態に干渉して、復元を乱しただけかもしれない。

動的平衡は、生物の個体ひとつに留まっているわけではない。平衡が動的であるとの意味は、物質、エネルギー、情報のすべてが絶え間なく周りとのあいだで交換されていて、その間に精妙な均衡が保たれているということである。動的平衡の網目は自然界全体に広がっている。自然界に孤立した「部分」や「部品」と呼ぶべきものはない。だから、局所的な問題はやがて全体に波及する。局所的な効率の増加は、全体の効率の低下をもたらし、場合によっては、平衡全体の致命的な崩壊につながる。

その原題を「実りなき秋」(Fruitless Fall)と名づけられた本書『ハチはなぜ大量死したのか』(ローワン・ジェイコブセン著・中里京子訳)は、アメリカのミツバチのあいだに急速に拡大しつつある奇妙な病気、蜂群崩壊症候群(CCD, Colony Collapse Disorder)について克明に書かれたものである。二〇〇七年までに北半球のハチの四分の一、三百億匹が死んだというのだ。

薄皮を一枚ずつ剥いでいくように謎を追う筆致はスリルを極め、近年読んだ科学ノンフィクションの中でも出色だ。

この本を読みながら、私の頭の中で、ずっと二重写しになっていたことがある。それは狂牛病の問題だった。狂牛病禍は、食物連鎖網という自然界のもっとも基本的な動的平衡状態が人為的に組み換えられたことによって発生し、その後の複数の人災の連鎖によって回復不可能なほどにこの地球上に広まった。

乳牛は、文字通り、搾取されるために間断なく妊娠させられ続ける。そして子牛たちは、生まれるとすぐに隔離される。ミルクは商品となり、母牛の乳房を吸うという幸福な体験を覚えた子牛を母牛から分離するのが困難になる前に。子牛たちを、できるだけ早く、できるだけ安く、次の乳牛に仕立て上げるために、安価な飼料が求められた。それは死体だった。病死した動物、怪我で使い物にならなくなった家畜、廃棄物、これらが集められ、大なべで煮、脂を濾し取ったあとに残った肉かす。それを乾燥させてできた肉骨粉。これを水で溶いて子牛たちに飲ませた。死体は死因によって選別されることなどなかった。そこにはあらゆる病原体が紛れ込んだ。それだけではない。安易にも人々は、燃料費を節約するため、原油価格が上がると工程の加熱時間を大幅に短縮した。こうして、羊の奇病であるスクレイピー病に罹患して死んだ羊の死体に潜んでいた病原体が、牛に乗り移った。消化機能が未完成の子牛たちに感染することなど、病原体にとってそれこそ赤子の手をひねるよりも簡単だったに違いない。ほどなくして、病原体は、牛を食べたヒトにも乗り移ってきた。草食動物である牛を、正しく草食動物として育てていれば、羊の病気が種の壁を越えて、牛やヒトに伝達されることは決してなかった。牛が草を食べるのは、自然界の中で自分の分際を守ることによって全体の動的平衡状態を維持するためである。三十八億年の時間が、それぞれの生命に、それぞれの分際を与え、その関係性に均衡をもたらしたのだ。できあがるまでにとてつもない時間がかかる動的平衡は、しかし、ほんのわずかな組み換えと干渉と介入があれば、一瞬にして破られることがある。

植物と昆虫の共生関係は、自然界の動的平衡が最も精妙な形で実現されたものだといってよい。花は、私たちヒトの心を和ませるためにあるのではない。ハチをはじめとする虫たちの心を捉えるため、進化が選び取ったものである。もし、私たちが和むとすれば、それは均衡の精妙さのためであるべきだった。私たちはその観照をたやすく放擲して、ただひたすら効率を求めた。高収益をもたらすアーモンドの受粉のために、ミツバチたちは完全に工業的なプロセスに組み込まれた。そして極端に生産性を重視したハチの遺伝的均一化が進められた。ハチを病気や寄生虫から守るため、各種の強力な薬剤が無原則に使用された。
この結果、何がもたらされたのか。ミツバチたちのコロニーは、崩壊寸前の、まさに薄氷の上におかれたのだ。

そしてそれがやってきた。狂牛病のケースと全く同じく、それは人為が作りだした新たな界面の接触を利用して、たやすくハチに乗り移ってきたのだ。ハチは狂いだした。細かく役割分担されていた集団の統制がたちまち乱れ、ハチたちはある日一斉に失踪する。女王蜂と夥しい数の幼虫、そして大量のハチミツだけが残され、巣は全滅する。

病原体の正体はなお明らかではない。この点も狂牛病と似ている。この本の三章、四章にあるとおり、ここには病気の媒体としてある種のウイルスが関与しているように見える。ハチのコロニーが崩壊した巣箱を再利用すると、新しいコロニーも全く同じ症状に陥るからである。スクレイピー病が発生した草地で、新たに羊を飼うと感染が起こることに酷似している。原因が未知のウイルスなのか、あるいはその他に起因があるのか、それは今後の研究に期待するしかない。

本書は単に、ハチの奇病についてレポートしたものではない。より大きな問題についての告発の書であり、極めて優れた環境問題の書であるといえる。それは私たち人間が、近代主義の名において、自然という動的平衡に対して無原則な操作的介入を押し進めた結果、何がもたらされうるか、すでに何がもたらされたかという告発である。狂牛病は、そして蜂群崩壊症候群は、まぎれもなく動的平衡状態が乱されたことを示す悲痛な叫び声であり、自然界からのある種の報復でもある。

では、私たちは一体どうしたらよいのだろうか。その答えも本書の中にある。病気に対して手当たり次第、薬を飲むごとく、操作的な介入を行うごとき行為の果てに答えは存在しない。答えは、自然界が持つ動的平衡の内部にしかない。病気に耐性を持つハチとして本書で紹介されるロシアのミツバチたちが身をもって示したことは何だったか。病気への対応は、乱された動的平衡状態が、次の安定状態に移行する過程で見出される復元力(リジリエンス)としてしかあらわれることはない。本書の最も重要なメッセージはここにある。復元もまた動的平衡の特質であり、本質なのだ。

事態はさらに深刻であり逼迫している。私たちはひょっとするとその復元力さえも損なうほどに、自然の動的平衡を攪乱しているかもしれないのだ。

ある人が私に語った言葉が忘れられない。狂牛病を防ぐために何をすればよいか。
それは簡単なことです。牛を正しく育てればよいのです。_福岡伸一




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