強迫性障害はこういうもの? - 公認心理士が回答する無料相談掲示板

公認心理士が回答する無料相談掲示板


| トップに戻る | 検索 | ▼掲示板作るならRara掲示板 |

強迫性障害はこういうもの?
蒼灯 投稿日:2021年04月02日 17:31 No.1423
はじめまして。Yahoo!知恵袋からきました。
自分でも気にしなくてもよいと思うのですが、強迫性障害はこういうものであるのかが知りたくていくつか質問させてもらいます。

まず自分の症状のことです。 頭の中で行う強迫行為がメインの確認強迫なのですが、ネットで調べても自分のようなパターンの人を見かけることがなく、ただ強迫観念と思われる考えがあり、それに対して頭の中で対応しているという点でそういうものなのかなと思っています。

私の場合は記憶に関することで不安になるというものです。
今しがたしていたささいな行動や1時間前にしていたことを頭の中で思い出すというものです。「覚えていない気がする」とか「あれ?これしたっけ?」と思うとスイッチが入るように確認しだすかんじです。
軽いのはすぐ確認して済むのですが無意識にした行動まで確認がくることもあり正直きついなぁてかんじです。最近はそれが嫌で、した行動をいちいちメモしたり、外出したら外の写メをとるだとかしてしまっています。おかげで何かと行動するのが辛くなっています。こういうパターンもあるのでしょうか?

また別の話になるのですが、私には強迫観念Aと強迫観念Bというように(あくまで自分の中での区別ですが)別々の観念があるのですが、ある時期からそれまできつかったAの方が特に何かしたわけでもないのにすっと弱く(今でもたまには浮かびます)なってしまい何故??と悩んでしまいました。こういうこともあるんでしょうか? 。

他にも気になるのは、強迫行為(というか儀式)のみが残るということもあるのかということです。
というのも起床時に「覚えていない」ような気がして不安で、確認行為をしていた時期があり、その時にチェックリストのようなものを作って確認をして安心を得ていました。
が、今となっては不安もないまま確認行為のみが残り、むしろそれがうまくできないと逆に恐怖を抱いてしまっている状態になってしまいました。 思い出せないと半日ほど振り回される日もあり、さすがに無理だとなり、今はこのリストを少しずつ減らしているところなのですが、不勉強なものでよくわかっておらずこれは強迫行為なの?こういったものが強迫性障害なの?とよくよく考えればどうでもいいようなラインで悩んでしまっています。こういった儀式行為のようなものだけが残るものなのでしょうか?

何だか抽象的な質問で申し訳ありませんが回答のほどよろしくお願いします。


矢野 投稿日:2021年04月02日 19:41 No.1424
今していたことや、1時間前にしていたことを頭の中で思い出すというのは、珍しいですけれど、よくある強迫行為です。正確に思い出せないと動けなかったり、メモに書き出さないといけない人もいます。わりとこの強迫行為の方は、「思い出せなかったからといって、何が起こるわけではないんだけど、やらないと気がすまない」という感じになることが多いです。

強迫観念は流行みたいなものがあって、そのときどきによって、主たる強迫観念は変わり、相対的に他の強迫観念は気にならなくなります。ただ、それは本質的には気にならなくなっているわけではないのですね。

強迫観念には、「火事になったらどうしよう」「手が汚れていたらどうしよう」という言葉で表現できるものと、『納得がいかない』『もやもやする』という感覚のものがあります。このようなタイプは、不安を消すために強迫行為をするというより、『強迫行為を納得がいくかたちでしないと駄目』という感覚になると思います。


蒼灯 投稿日:2021年04月06日 15:14 No.1426
迅速な回答ありがとうございます。 こちらの方が返信遅れてしまいました。
ようやく色々とわかったかんじです。

やはり自分のは珍しいパターンだったんですね。でも思い出すまで動けなかったりずっと考えているてのはわりと陥っている気がします。
最近はこの確認行為がひどくなっていて、「思い出す→安心」でなく、「思い出す→それは本当に今日したことなのか→さらに思い出して確実にわかることを記憶の中で探す→安心する」だとか「確認行為自体をしたのは今日なのか?」だとかどんどん細かくなってきていて少し疲れている状態です。

強迫観念にも流行があるんですね。強迫観念Aの方は、以前はほぼ一日中浮かんでいたかんじでしたが、今は特定の条件下で浮かんだりよぎったりする程度(それもかなり弱くなった)になったかんじになっています。前は「ひたすら怖い」だったのですが今は「浮かんでしまったなぁ…気持ち悪い」ぐらいになった印象です。

儀式行為の話は参考になりました。確かに考えてみれば私は強迫行為が順番通りに正しくできている=安心てイメージでとらえているなぁと思いました。これ覚えていたら大丈夫てかんじでしていたので。
これとは別にふいによぎる不安に対しては、その場で思い出し行為をしているのですが、これとは少しタイプが違ったということなのですね。


蒼灯 投稿日:2021年05月26日 16:01 No.1459
お久しぶりです。また質問をさせてもらいます。自分ではどうすれば良いかよくわからなくて困っています。

以前の回答からようやくわかったのですが、私は確認というよりは浮かんだ疑問をスルーできないみたいです。〇〇したのはいつだっけ?今日は〇〇したよね?だとかふと気になったことがわかるまで頭の中で考え込んでしまうみたいです。わからなかったら実は覚えていなくて記憶なくしているのでは…という想像がよぎり怖くてはっきりさせたいかんじです。単にもやもやしてすっきりしないのが嫌なかんじという時もありますが。

で、この疑問に対処するために、最初は日々のことを書いた日記を利用していました。要はノートを見たら頭の中で何分も思い出す必要がなく自分も不安で苦しまなくて済むという考えだったんだと思います。それ以前ははっきりするまで悩んでいたので。
ですが、日記も万能ではないので一度でも覚えていなくて不安になったことがあると(例えば献立メニューやその日した用事などたいしたことではないです)次の日からはそれも書くといった具合にどんどん追加されていきました。
これはその日に確認として頭に浮かんで対応できなかったもので次に浮かんだ時に対応できないと怖いとなったので…という形で追加されたものでこの調子でどんどん増えていき、 記述する時間も長くなってしまいました。今では1時間半から2時間半ぐらいかけて日記を書いています。生活の中心が日記を書く時間を確保することに向けられていてそれ以外の用事ができなくなってきているかんじです。

またこれとは別に正確に書かなければならないという気持ちも強く(書けない=忘れていると思ってしまうなので)最近は描写がどんどん細かくなってきてページ数も増えています。
例えば、昨日の今ぐらいは何していた?と不安を感じたら、思い出したりして頭の中で確認をするのですが、厄介なのはその後で、ノートに記さないといけないと思うあまりその「確認自体」をいつどこでした?まで覚えていなくてはならないと思ってしまっていて、それをノートに書ける=覚えている=安心となる構図になってしまっているかんじです。

最近は確認の内容まで覚えていないとおかしいと感じていて、必死に内容を覚えたりメモしたり写メしたりして…とどんどん作業が増えてしまっていて、正直辛いです。今はピークが過ぎたのか単に私が慣れてきたのか多少はマシになりましたが。
(こういったノートに書き出すというのは強迫行為に当たるのでしょうか?ネット検索してもあまり見当たらないのでよくわからなくて。)
今では外出などでノートを書く時間がとれなくなると不安になるので外出する予定が入るとそれだけで気が滅入ってしまいます。

これが強迫行為なのかはわからないのですが、どう対処したらよいのか悩んでいます。調子の良い日はもう書かなくていいかと思えるのですが、明日以降に書かなかったことで確認がうまくいかず不安になるのは嫌という気持ちがあり、いきなりやめるのは難しいかんじです。

長々とわかりにくい文章になりすいません。ただどうしたらいいのかわからなくて毎日悩んでいます。
無理難題かもしれませんが、何かアドバイスのほどありましたらよろしくお願いします。


矢野 投稿日:2021年06月01日 16:52 No.1461
この日記を書くという行為は、強迫行為になります。整理整頓と不確定性への非耐性、確認強迫といった属性があると出てきやすい強迫行為です。ちなみに、頭の中でリストを作る(整理して記憶しようとする)も強迫行為です。

日記を書く行為がどんどん発展していっていますし、「正確に書かなければならない」となってしまいます。

曝露としてですが、嘘の日記を書くことをおすすめします。「日記を書かない」だと、多分、やめることが難しいです。そのため、「嘘の日記」を書いて、記憶の混乱を図るのです。そして、記憶が混乱して、詳細を覚えていないけれど、生活に支障が出るか?考えてみてください。


蒼灯 投稿日:2021年06月20日 11:26 No.1480
お忙しい中、返信いただきありがとうございます。

実は頭の中でリストを作ることはすでにしてしまってます。今はそれをメモに書き出しておいて→後で日記を書く際に確認用(ちゃんと覚えていて書けているか)として使っています。以前はまだメモなしで書いている時期もあったのですが最近は写メと並行してこちらの記述も増えているかんじです。

嘘の日記ですか…何だか難しいような。日記を書く際に自分でもネックになっているのが書いた後に本当に「「今日」の出来事」なのかを気にして頭の中で証拠探しをしてしまう時が多々あるのですが、このような場合でも有効なんでしょうか?


あと少し話は変わるのですが、
強迫行為を「減らしてなくす」ということは可能なのでしょうか?

というのも前述の日記を書く話の中で明らかに比重が大きいというか細かく書きすぎている時間帯がありまして。
その時間帯は、就寝前のことなのですがこの時間はこの時間でメモに書き出すという強迫行為を行っています。
だいたい入浴後から就寝までの行動や思考をつぶさに書き出すというもので、これを書き終えないと寝られないというかんじのものです。就寝の準備をしている際にふと考えていただけのことまで書き出す時もあり自分でも細かすぎるのでは思う日もあります。
以前はそれほどではなかったのですが、いつの間にか文章量が増えてしまいました。

ただ、何日か繰り返す内に不要な記述を自分なりにはずしてみたところ少しですが減らしていくことは可能でした。このまま記述を減らしていくという形でよいのでしょうか?それとも潔く「やめる」べきなのでしょうか?

何度も何度も質問ばかりですいません。回答のほどお願いします。


矢野 投稿日:2021年06月22日 19:56 No.1481
「今日の出来事なのかを気にして、頭の中で証拠探しをする」という行為は、頭の中での強迫行為になります。
そのために、嘘の日記を書いて、頭の中をごちゃごちゃにして、記憶を辿れないようにするのです。
そして、「もう、わけがわからない。思い出せない…」と諦めがついたら、思い出そうとする行為が止まります。
むしろ、このような場合に有効だと思います。

強迫行為を減らしてなくしていくことは、ほぼほぼ不可能です。
それは、強迫症がそもそも、「強迫行為が止めたくても止められない病気」だからです。
なので、チャレンジしてみて、できたらラッキーくらいで思っておいたほうがよいです。

日記の記述を減らしていくことがうまくいっているのであれば、減らしていってみて下さい。
できれば、すっぱりやめるにした方がよいです。


蒼灯 投稿日:2021年07月31日 16:29 No.1489
お久しぶりです。
度々ですいませんが、また疑問に思うことがでてきたので質問させてもらいます。

実はずっと気になっている強迫観念?が一つあります。
以前の書き込みに「強迫観念A」とぼかして表現していたものですが詳しく書くと名前の強迫観念です。
自分の名前が実は正しくないのでは?という考えがとまりませんでした。名前だけでなく漢字や読み、名字に至るまで何度も疑う時もありました。
こういった考えも強迫観念にあたるのでしょうか?
今現在は落ち着いてきたのですが、一時期は何かの拍子にその考えが頭の中で浮かんできてただただ恐ろしかったです。同じような人がいないので、 強迫観念かすらわからず打ち消し行為をしているのだから強迫観念だろうと考えてひたすら耐えていたというかんじでした。

で、本題はこの後の話です。

この時期に強迫行為としてだと思うのですが、朝一と就寝前に必ず自分の名前の確認(これが正しいとわかるメモを見ます)を見ては自分の考えは合っていると安心してから行動していました。
正直かなり負担でした。
ですが、ある日「夜」の確認の方をあっさりやめられることができました。理由は朝だけすればよいと思えたことと同居する家族に見つかりかけて気まずくなったからでした。
以降は確認も特に復活することもなくむしろあっさりやめられたことが不思議でした。
ちょうどこの観念が少し弱くなった時期だったので、これはタイミングがよかったということなのでしょうか?

この要領でやめるのはやり方としては正しいのでしょうか?

私の場合、強迫観念が浮かぶ→行為をするというよりも特定の時間にスケジュールに決められたかのように強迫行為(確認だとか)をする→できたので今日も安心だといった行為の方が多くて、調子がよい時はこの行為は意味がないからやらなくてもよいのでは?となりがちです。
なので試しに例えば朝の時間の確認はしないで過ごしてみる…といった方法をとってみてもよいのでしょうか?

うだうだと悩まずに試してみたら良い話なのですが、間違った方法をとって悪化していくのは正直避けたいところですし、先生のご意見を聞いてみたいとも思ったので質問させてもらいました。よろしくお願いします。


矢野 投稿日:2021年08月13日 08:23 No.1491
「自分の名前が正しくないのではないか?」というのは強迫観念です。強迫症というのは、病的疑惑と呼ばれる症状があり、このような客観的にはほぼ確実なものに対して疑いを持ち苦しみます。

このようなタイプの強迫観念は、『腑に落ちる』ことを求めるのですが、いくら強迫行為をしても『腑に落ちる』という感覚にたどり着けないのです。
しかし、まれに何らかのタイミングで『腑に落ちる』ことがあります。
「朝だけすればよい」というのは、そのように、「腑に落ちた」という感覚なのだと思います。
強迫行為を完全に止めるわけではないので、このようなことは、意外とよくあります。

やり方として、間違っているわけではないのですが、症状を完全に良くすることはできないのです。
この方法だと名前の確認を全部止めることができないのです。

確認行為が形骸化した儀式のようになっていて、確認するという目的を持っていない場合、とりあえず儀式をすればいいという形になります。
朝の時間の確認をしないで過ごしてみるという方法を試してみて、それで良くなれば、それでいいです。
通常、強迫観念は無視できないのですが、ある程度、症状が軽ければ、強迫観念を無視して行動できます。
もし、強迫観念を無視できない場合は、曝露をした方がよいでしょうね。


蒼灯 投稿日:2021年10月15日 01:35 No.1532
返信ありがとうございます。
こちらの方がかなり遅れてしまいました。すいません。

つまり「腑におちる」というのは、今まで5回していた確認が何かの拍子で3回に減らせたことぐらいで根本的には解決になっていない…?という理解で正しいでしょうか?

確かに名前の強迫観念については、今は落ちついていて、
仮に浮かんでも確認方法があるから大丈夫だぐらいで止まっています。観念がよぎる機会が、書類を目にするだとかなので日常的にはそう多くないですし。浮かんでもギリギリ流せてはいます。


少し話はかわります。

別の確認行為の話ですが、以前書き込んだように確認を減らそうとしているのですが、やはりある一定からは無理のようで、そこで曝露を試してみようとしたのですが、やり方をこだわりすぎて前に進めない印象です。

どうもこうしなければならないのではとこだわったり、この方法で本当によいのかと迷ってしまうような…かんじで。
自分では言い訳してるのかな…?と思うのですが、どう気持ちを持っていけばよいのかわからなくて困っています。間違いでもいいからとにかくやってみると考えたら良いのでしょうか?

また自分の場合は、儀式的な確認に対してなので「この時間の確認をしない」という方法なのかな…と試そうとしているのですが、上記のように考えてしまい、そもそも踏みとどまってしまいます。
何か良い方法はありますか?


矢野 投稿日:2021年10月16日 11:00 No.1536
『腑に落ちる』について
症状には、よりますが、また気になる可能性が残っています。根本的な解決に至っていたい場合が多いです。

『確認しないようにする』で上手くいかない場合は、確認することができないように工夫をしてみる方がよいです。曝露に関しては、最近、動画をとったので、そちらも、参考にして下さい。
https://youtu.be/EqGcD-SiY-I


蒼灯 投稿日:2021年12月02日 15:41 No.1584
お久しぶりです。
また質問ができてしまったので相談させてもらいます。度々申し訳ありません。

強迫行為に対して行う強迫行為があるのですが、このような場合の曝露はどのようにすればよいのでしょうか?

以前の書き込みにも記したのですが、私の場合は強迫行為に対しても確認行為があるように思えるのです。

例えばの話ですが、朝に机にスマホを置いたとします。

→昼頃だとかに、ふと自分はいつスマホをここに置いたのかを気にしてしまい頭の中で思い出し行為をします。どのタイミングでとかをあれこれ思い出すかんじです。

→その後この思いだし行為を行っていた場所だとか時間は何時ごろだとかどのように考えたかを正確に覚えておかなければいけないと思い、思い出したりメモをしたりする行動をとります。

なので一度確認が始まれば二重の苦しみが生まれるようなかんじです。

「覚えていないのではないか?」ということが不安なのは共通しているのですが、 前者は「今、覚えていないかもしれない」と不安で、後者は「後々にこの時間帯は何をしていたと気にするかもしれないから覚えておこう」というかんじです。
曝露しようにもどのように取り組めばよいのかわからず悩んでいます。
何か対処法などはありますか?


矢野 投稿日:2021年12月03日 11:13 No.1585
スマホの例に関して言えば、メモをデタラメに書くという曝露がいいと思います。そして、正確な時刻がメモを見返してもよく分からないという状態にするという感じです。
また、頭の中で、デタラメな時間を何度も唱えてみて、正確な時間が分からなくなるという曝露もよいです。
そして、覚えてなくても、正確性がなくても、生活に支障がないということが体験的に分かっていくといいです。


蒼灯 投稿日:2022年01月05日 16:31 No.1602
返信いただきありがとうございます。
アドバイスの通りにメモを書いている時間帯でとりあえずデタラメに書けそうな時間から試しに書いてみました。

以降はその時に感じた感覚なのですが、これで曝露になっているのかをお聞きしたいです。自分ではいまいちよくわからないので。

・翌日にその箇所を読み返すと本来と違うことが書かれていても思っていたよりも気にはならない。本来は何をしていたかまだ覚えていたからかもしれないが。

・でたらめを書いている認識なので、書いている際は面倒だし気持ちはよくない。何しているんだろうとは思う。

・今までは抜けがないように正確に書かないと思っていたことがそれほどたいしたことでないように思えた。

・続けていると、とうとうわからない日が来てしまい本当は何考えていたかな…?と考え込んでしまった。
この時は頭の中で考え込んで正しい内容を思い出す行為をしてしまった。

このようなかんじです。
この感覚を続けていけばよいのでしょうか?

情けない話ですが、デタラメを書くというのがいまいち理解できていなくて(アドバイスをもらっているにもかかわらず)、わざわざしなければならないのだろうか?と避けてしまい、いつもの如くメモを書き続けてしまいます。でもこの作業が辛いのもわかっているのに…と弱い自分に呆れてしまいます。返信のほどよろしくお願いします。


矢野 投稿日:2022年01月06日 02:38 No.1604
とりあえず、曝露をやってみるということが大事だと思うので、良いと思います。

>・翌日にその箇所を読み返すと本来と違うことが書かれていても思っていたよりも気にはならない。本来は何をしていたかまだ覚えていたからかもしれないが。

『思ったよりも気にならない』というのは、とても良い気づきです。
本来は何をしたか覚えていたというのであれば、デタラメな感じがまだ足りなかったのでしょうね。


>・でたらめを書いている認識なので、書いている際は面倒だし気持ちはよくない。何しているんだろうとは思う。

このモヤっとする感じを体験することが曝露と言えます。


>・今までは抜けがないように正確に書かないと思っていたことがそれほどたいしたことでないように思えた。

これも、よい気づきですね。『正確に書かなくても、意外となんとかなる』という体験が、強迫観念を抑えてくれます。


>・続けていると、とうとうわからない日が来てしまい本当は何考えていたかな…?と考え込んでしまった。
>この時は頭の中で考え込んで正しい内容を思い出す行為をしてしまった。

正しい内容を思い出す行為は、強迫行為ですね。
この行為をしてしまった後は、もう一度、曝露をしてみると良いです。
むしろ、感覚的には、偽物の記憶を自分に信じ込ませるという感覚がいいと思います。


>このようなかんじです。
>この感覚を続けていけばよいのでしょうか?

そうです。

>情けない話ですが、デタラメを書くというのがいまいち理解できていなくて(アドバイスをもらっているにもかかわらず)、わざわざしなければならないのだろうか?と避けてしまい、いつもの如くメモを書き続けてしまいます。でもこの作業が辛いのもわかっているのに…と弱い自分に呆れてしまいます。返信のほどよろしくお願いします。

デタラメに書くというのは、意外と難しいですものね。
避けてしまうという感覚があるのであれば、それはきちんとした曝露になっている可能性が高いです。

アイデアとしては、他の人の日記(ブログ)を色々と読んで、その主語を自分にして、自分がそれをしたと思いこむといった曝露をしてみるといいかもしれませんね。


蒼灯 投稿日:2022年02月19日 15:46 No.1649
返信いただきありがとうございました。

とりあえずこの感じ方が合っているとわかり、安心しました。

ただデタラメに書くは続けているのですが、最近はまた覚えてないことが怖くなり意識して覚えようとしてしまいます。

よくよく考えたら今までの自分のサイクルとしては「覚えておく→日記に書き出す」ことで「(それが出来たら)安心する)」というものなのでデタラメを書くにあたりそれをしないことに恐怖しているのだから当たり前?なのですが。

これではいけないと思いつつも、自分でこれだけは覚えておきたいとメモをして、残りをデタラメに書くような半端な方法をとってしまっています。

何だからちが明かない気がしているので、ひとまずはこの時間帯以外に挑戦してみる方がよいのでしょうか?それとも突き詰める方がよいのでしょうか?


また、今の段階で聞く話ではないのかもしれないのですが、デタラメに慣れて?いけば次のステップとしてはどのようなことに取り組めばよいのでしょうか?
やはり思い切って書くのをやめてみるとかでしょうか? それとも自然に書くのをやめたりするのでしょうか?
どうなっていくのか全く想像もつかないもので…
デタラメを書いていくのは構わないのですが、普段書いてる日記の時間が長すぎて最近では日記のために毎日過ごしているようで辛くて…早く解放されたい…でもやめるのもどこか気になる…と毎日葛藤してしまっています。


蒼灯 投稿日:2022年03月08日 11:04 No.1661
申し訳ございませんm(__)m。途中送信になってしまっていました。改めて訂正版を書き込みます。

返信いただきありがとうございました。

とりあえずこの感じ方が合っているとわかり、安心しました。

ただデタラメに書くは続けているのですが、最近はまた覚えてないことが怖くなり意識して覚えようとしてしまいます。

よくよく考えたら今までの自分のサイクルとしては「覚えておく→日記に書き出す」ことで「(それが出来たら)安心する)」というものなのでデタラメを書くにあたりそれをしないことに恐怖しているのだから当たり前?なのですが。

これではいけないと思いつつも、自分でこれだけは覚えておきたいとメモをして、残りをデタラメに書くような半端な方法をとってしまっています。
何だからちが明かない気がしているので、ひとまずはこの時間帯以外に挑戦してみる方がよいのでしょうか?それとも突き詰める方がよいのでしょうか?


また、今の段階で聞く話ではないのかもしれないのですが、デタラメに慣れて?いけば次のステップとしてはどのようなことに取り組めばよいのでしょうか?
やはり思い切って書くのをやめてみるとかでしょうか? それとも自然に書くのをやめたりするのでしょうか?
どうなっていくのか全く想像もつかないもので…

デタラメを書いていくのは構わないのですが、普段書いてる日記の時間が長すぎて最近では日記のために毎日過ごしているようで辛くて…早く解放されたい…でもやめるのもどこか気になる…と毎日葛藤してしまっています。
一度環境を変えればやめられるかもと短期アルバイトをしたのですが、やはり書かないのが怖くて隙間時間を使ってでも完成させようとしてしまいこのやり方では無理なようでした。あと一歩が踏み出せないかんじです。


蒼灯 投稿日:2022年03月17日 18:35 No.1663
別の話題になるのでわけて書きこみさせてもらいます。

私の場合は、すべて覚えていないといけないという気持ちにとらわれることが多く、特定の作業に決まった順番を決めて行動したり、確認をはさむという強迫行為をよくしてしまいます。
最初のうちはこれで安心はしているのですが、そのうちに途中の確認をすることで余計に不安になったりするということに気付きます。
で、ならこの確認はしなくてもよいのだからやめようとなるのですが、そのタイミングになると「やめる」という方法をとってもよいのか?とためらいまくってしまいます。

いずれは何も確認しない状態になるべきだしと悩む必要はないのですが、このやり方が間違えていたらどうしようという気持ちが強くて一歩踏み出せないです。
たぶん自分に自信がなくて、よくわかってもいないのにそんなやり方に決めてよいのか迷ってしまっているのだと思いますが。

実際のところこの確認を減らしていくというやり方は誤りなのでしょうか?
毎日確信が持てなくて確認行為を続けている日々に嫌気だけがさしていて、でもやめてよいかがわからないし…となっています。
何度も同じようなことばかり書き込んでしまっていると思いますがアドバイスのほどお願いします。


矢野 投稿日:2022年03月26日 04:05 No.1667
曝露は、全てを徹底的にするということが大事なので、『覚えておきたいメモ』は、せずにデタラメに書いたほうがよいです。

曝露が上手くいっていると、『メモをしていなくても、生活は回っていく(問題なく過ごせている)』と実感してくるはずです。このような実感が出ていないのであれば、どこかで上手く行っていない場所があると思います。
このような実感が出てくれば、自然とメモをしなくてもいいかなと思えてくると思います。メモは、自分の生活と関係ないと分かるのですから。

もしくは、日記を書いたら、捨ててしまうか破いてしまうといいかもしれません。


『日記を書かないことが怖い』ということについては、デタラメに書いたり、省略して書くということが良いかもしれませんね。大事そうなことだけを、デタラメに箇条書きにして、3-4行書くとかもいいかもしれません。



確認を挟む行為は、強迫行為(メンタル・チェッキング)ですね。
確認は、記憶が不確かになるので、心配が増える行為になってしまいます。

ポイントとしては、『やり方が間違えていたら、どうなるのか?』を知ること(意外と大したことが起きないことが多いです)、『間違えていたら…?』と考えている時点で、ほぼ間違いが発生していないということです。

『確認を減らしていく』という治療の方向性は、正しそうな気がするのですが、実際には難しいです。

例えば、鍵の確認であれば、実際に鍵を開けて外出してみます。
書類の確認であれば、軽微なミスであれば、わざとミスを出してみたりします。
このように、確認を止めるのではなく、実際に問題を起こしてみる方が早いですし、実際にできる可能性は高いです。

他にも、音楽をかけながら、確認をしてみる、普段と手順を変えて確認してみる、途中で作業を中断して確認作業をしてみるなどの手順に関する曝露をしてみることも必要です。


蒼灯 投稿日:2022年05月01日 18:38 No.1688
返信いただきありがとうございました。

アドバイスの通りに「徹底的にデタラメを書く」をがんばって少しずつ実践してみたのですが、その事で質問があります。

「デタラメに書く」を実践したみたところ以下のようなことがありました。

① 本当のことをメモしないようにしていたら、猛烈に寂しさのようなものを感じてしまい、その感情が気持ち悪く辛い時がありました。
本当にこれでよいのか?大丈夫なのか?という考えもよぎりました。

②メモしなくて楽になるはずなのにそれをどこか嫌がる自分がいる気がして、またメモへと手が伸びてしまいます。もうやれないのか残念…のように名残惜しむ感じがしました。

③以前の書き込みでも書いたように別に覚えていなくても良い情報なのは理解できたのですが、いざ気になった際に正確な日付(例えば何月何日にその話はしただとか)がわからないと不安になり、書いておけば済む話だと思ってしまう。その方が安心だと。


曝露をしているとこのような感情が出てくるものなのでしょうか?③は何となくよく言われているのでわかるのですが、寂しさを感じることなどあるのでしょうか?
またこの感情が現れた際は放っておくという対処法で良いのでしょうか?
何だか分かりにくい質問ですが回答のほどよろしくお願いします。




お名前
メール
タイトル
URL
削除キー ( 記事を削除する際に使用 )