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なんだか心配な南海フェリー
淀川コナン 投稿日:2024年02月28日 20:59 No.4450
クレジットカードのタッチ決済による南海電鉄との共同割引施策「スマート好きっぷ」は先進的な取り組みであり、私も活用しているんですが、船内売店の営業が廃止(廃止前も、徳島港停泊中のみ営業という、和歌山発便では使い物にならない状態だった)され、2019年12月デビューの「フェリーあい」に続く僚船の造船計画が見えてこないなど、心配な面もあるんですよね。

まさか「フェリーかつらぎ」が引退したら「フェリーあい」1隻のみの減便体制になってしまう、なんてことにならないかと不安になってしまいます。


byungo 投稿日:2024年03月03日 10:39 No.4452
40年近く就役してたスオーナダフェリーの進光丸があるから大丈夫。
ニューくにさきは、意外にも旧淡路フェリーボートの明石海峡大橋架橋後に備えた、鳥取三洋の井植オーナー家が所有だから鉄道建設・運輸施設整備支援機
構と共有しなくて済むって解釈しないと。
 1956年4月30日竣工、日立造船向島工場建造の南海丸 → なると丸[31]
南海丸遭難事故に遭い、引き揚げ修復後、「なると丸」に改名。1964年宇和島運輸に売船というか正確には被傭船、「わかくさ丸」と改名。
宇和島運輸のフェリー化に伴い引退、1974年(昭和49年)フィリピンに売船、"Solar"に改名[76]。
 1948年8月18日竣工、1959年6月5日就航、川崎重工業泉州工場建造の須磨丸[32]
もと川崎汽船建造、関西汽船(用船)、宇和島運輸を経て日海運輸より買船。
1973年、フェリー化に伴い引退、フィリピンに売船、"Green Leaves"と改名。
 船舶にも、大手や私鉄や公営鉄道車両のまだ状態の善いのを田舎の電鐵に払い下げとか、宇和島運輸わかくさ丸の船員らが濃霧の明浜町沖で座礁沈没[79]
させたのが1965年(昭和40年)10月竣工・就航。波止浜造船建造の宇和島運輸の貨客船兼自動車渡船のおれんじで積荷とか引き揚げてからハワイ沖えひめ
丸みたいに漁礁になってますよ。
https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?page=ref_view&id=1000142912/
『波濤百年』(宇和島運輸 1986)というタイトルの社史 の所蔵されてる図書館にまず行きましょう。
広別汽船の出資させられ、九四フェリーみたいな破綻寸前で波止浜造船の傘下
にて再建できたから、林兼造船にてうわじま2を建造出来たの。




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