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【900系】阪急電鉄旧型車両スレ6【2800系】別室Part2-4

1: 名無し:2018/02/20 08:50 No.156
スレチですが、
京都市交・近鉄の乗り入れでも、
地下鉄線内において、
南行(奈良方面行)は「急行」表示、
北行(国際会館行)は竹田到着直前に
普通表示に変えています。

2: 板主:2018/08/30 21:52 No.520
500以上レスが付けられないので、新スレを作れという表示なのでこのスレを流用しましょうか。。。

>>498
とてもありがとうございます。旧三国駅の写真も懐かしく拝見しました。
急行でも止まりかけの速度で通過して行く姿が愛おしいです。
自分も研修施設に関しては、写真のような位置まで入ってみたいと思います。

この場所の東に隣接して「宮崎俊雄商店」という、廃金属の処理を行う会社があるので検索して
http://www.miyazaki-metal.com/company.html
年表を見ると、1981年頃に自分が上で言及した北大阪病院のある東西の道路と宝塚線は立体交差化
されたようですね。更にこの会社も17年前に「ミヤザキ・メタルサービス」に社名変更されています。

>>499 京阪では枚方市の本線と交野線が分岐するあたりに、JR西では天王寺の環状・関西・阪和線が
分岐するあたりに研修施設があったように思います。ダイヤモンドクロスが廃止になった時のテレビでは、
全国で唯一の平面交差などと言ってましたが、他社でも存在していますね(路面電車系は別にしても)。

3: 板主:2018/08/30 21:54 No.521
>>500
洞爺丸台風で多数の犠牲者が出ていますし、池上氏の解説によると紫雲丸事故をきっかけに全国の
学校にプールが整備されて行ったそうですね。「きたぐに」事故の3年前に寝台特急「日本海」も
北陸トンネルで火災を起こしています。急行「日本海」ではC57-1が土砂に乗り上げて横転して
います。30年以上前の「NHK特集」で当時の写真が出ていました。ビデオして残しています。
同機は何度も致命傷を負いながら生き続けています。

4: 板主:2018/08/30 22:04 No.522
十三駅で撮影された剣太郎セガールとみれいゆのお茶のCM
https://www.youtube.com/watch?v=_xF2Ca9Pp4E

旧三国駅北側の神崎川に掛かる道路の橋(今もあります)で撮影された
バージョンもあったように思いますが、どうだったでしょう。

C57-1の解体修理の際に慣れない作業員がレンズを割ってしまい、それが30万円もするとのことでした。
鷹取工場にあった廃品を使って代用したかと思います。同機は梅小路や山口線のイメージが強いですが、
現役時代は常磐線、東北本線、総武本線など東日本エリアでばかり活躍していました。

5: 板主:2018/08/30 22:15 No.523
スレタイは元々「無題」でしたが、改題しました。

寝台特急「日本海」や急行「きたぐに」の火災に関しては「上田晋也のニッポンの過去問」でも
やっていたのですが、当該回の過去ログは掲載されていません。
http://www.tbs.co.jp/nippon-kakomon/

6: 板主:2018/08/30 22:34 No.524
何べんも連発で悪いです。
ミヤザキ・メタルサービスさんの下記のページに地上時代の宝塚線の写真が出ています。
http://www.miyazaki-metal.com/know.html

同じページにでっかく「宮崎俊雄商店」と書かれていた時代の工場が写っています。

7: 名無し:2018/08/31 10:19 No.525
まちがって>>1を書いてしまいましたが、
使っていただいて助かります。

私が「急行」日本海に乗ったのは、昭和43年8月
でしたので、その後まもなく日本海の名称は
寝台特急に使われることになったのですね。
たしか、「よん・さん・とお」と言われた
大改正での変化だったのかもしれません。

29日、9日ぶりに阪急を見てきました。
十三駅3号線はホームドア用柵ができて
かなり経ちますが、まだ稼働しておらず、
下り列車の発車時には、
最後部車を除く各両毎に1名の警備員と
7両目と8両目の境あたりに運輸部?職員が
白旗を持って、「発車よし」合図を行って
いました。皆さん汗だくの様子でした。

8: 板主:2018/09/02 18:40 No.526
昭和43年10月のダイヤ改正は有名ですね。前も書きましたが「準急」がなくなった
改正です。現在のJRでは「急行」すらもなくなってしまいました。

昭和43年は阪急では神戸高速〜山陽への乗り入れが始まった年で、翌年には堺筋線との
直通や宝塚線の昇圧、更に次の年には万国博輸送などがあり、また梅田駅も新築中で
様々な出来事が目白押しの時期だったのでしょう。

山陽電車線内で試運転する阪急・阪神電車などです
www.geocities.jp/zouketu1/sitetu/sanyo/sanyo2.htm

山陽200形の内、300形への更新から漏れた車両が6両、高速開通後も1年ほど残ったようですが、
本線の西端や網干線での使用がメインだったため、阪急・阪神電車との離合はなかった可能性が
高いですが、試運転期間であれば何度も顔をあわせていると思います。

9: 名無し:2018/09/04 08:52 No.527
渡り板についてですが、
新1000、1300系には
それらしいものすらありませんね。
顔がやや平面的に感じる所以でしょうか。

10: 板主:2018/09/04 19:06 No.528
「阪急2300−車両アルバム.16−」を見ながら書いておりますが、
ご指摘のように初めの頃は渡り板がない写真が掲載されていますね。

現1000・1300系は幌枠の銀の縁取りがないことも「のっぺらぼう」な印象を
与えているかもしれませんね。3桁車も幌枠の縁取りといいますか出っ張りが
ない時代は、鼻筋が通っていないように見えます。でも1100号に銀色の縁取
りを付けたのは似合わなかったと思います。

P6も標識灯や大型の幌があった時代はダイナミックな感じがしますが、
後年に埋め込み式になったり幌がなくなったら控えめな印象になりました。

11: 板主:2018/09/04 19:16 No.529
この本を見ますと、1988年に2311Fの2370号がアルストム台車を履いている写真が出ています。
角度的に見づらいですが、そのように思われます。2340などはエコノミカル台車のままです。

自分はエコノミカル台車だったのが89年の表示改造時にミンデンドイツに交換されたものと思って
いましたが、その間に一時だけアルストムを履いていたようです。同じ頃に2361もアルストムに
なったのでしょうかね。2331と2884はもうしばらくしてからミンデンドイツになったのは覚えて
います。

5000系に編入された2081〜2086、2181〜2186は元々はエコノミカルだったのが、一旦は全車
アルストム台車に変更され、更に一部がミンデンドイツに履き変わったと聞いております。あと
5230Fの2091と2052もなぜか両者の台車が入れ替わっていたような気がします。

12: 名無し:2018/09/05 01:23 No.530
2000,2100,2300系は新時代を担った
画期的な名車でしたが、それぞれ
初期車のFS333から後期者のFS345に
なる途中に空気バネ台車が採用され
ましたね。
宝塚線では2100系の2156F、2021系の
2081F,2084Fの各6両編成がなつかしく
思い出されます。
汽車会社製という響きにも、
何とも言えない印象を受けました。

13: 板主:2018/09/05 07:35 No.531
どうもです。自分の家ではアンテナが壊れてテレビが見られなくなってしまいました。

昨日の投稿のあと、しばらくしてから3330Fが回送で京都方面に徐行で走るのが見えました。
ガラスが割れた場合に備えてか、鎧戸は全て閉められていました。
3330のヘッドライトが点灯しており、終電だったのではと思われます。

>>12
>汽車会社製という響きにも、
>何とも言えない印象を受けました。

自分もそう思いましたね。60系にも汽車製がいました。

2011でミンデンドイツが試用されて2017に移りましたが、
その後の時代の2011は他の前期車と同じくアルストムを履いていたのでしょうか。

この写真だと分かりにくいんですが
http://www.rokko1go.jpn.org/main/photo/page/pp055_hkjiko1.htm

2084Fのエコノミカルも元は2068Fが一時的に装着したもので、
後の時代の2068Fはミンデンだったかと思います。

14: 名無し:2018/09/06 22:00 No.532
2011のFS344を2017へ移した後は予備のFS333を活用したようです。
2068FでKS66を使用したところ高速運転時WN継手との相性が悪く異常振動が発生したためFS345に履き替えています。
当時宝塚線は最高速度80km/hの時代で、その程度ならエコノミカル台車でも問題は無かったようです。

15: 名無し:2018/09/07 01:14 No.533
宝塚線の昇圧時点'69(S44).8時点では
2156Fは2109を入れた7連、
2081F 2084Fは投入以来の6連でした。
数か月後の宝塚線8連化開始により
2156Fはさらに2160を入れ、この2両は
FS345台車でKS台車との混結となりました。
また、2081Fに2040+2090が、2084Fには
2041+2091がそれぞれ加えられ、やはり
空気バネ台車との混結のためか、運転台同士
向かい合った編成になりました。

16: 名無し:2018/09/08 19:55 No.534
自連高さがずれて自然開放しないようにするためですね。
中間に入った金属バネ車は満車時の車体沈下を考慮して台車と車体間にライナーを挟んだので
空いている時は空気バネ車より車高が高くなっていました。

17: 名無し:2018/09/09 09:47 No.535
>>16
金属ばね車のほうが圧縮幅が大なのですね。
何か逆のイメージでした。

>>15
8連化した2081F 2084Fは、年末年始など
雲花以西に乗り入れるため、度々梅田側6連化
されて普通や臨急に使用されました。
金属ばね車もこの梅6編成に入っていました。

18: 板主:2018/09/10 18:40 No.536
各位
台車の件、ありがとうございます。少々忙しくて、すぐに書けませんでした。

自分は2000系列の初期車が装着していた台車がアルストムであると知ったのは後の時代に
なってからでした。1000系列のとは見た目が違っており、別の台車かと思っていました。

2011は後年はアルストムだったのですね。
空気バネ台車と金属バネ台車が混合される場合の編成の組成についても、
色々と苦労があったのも後年に知りました。

かなり以前に書きましたが、今津線の1形と600系の連結が接続された部分に
近寄って撮影された写真を見ると、半分くらいしか噛み合っていませんでした。
昔ならこれでも許されたのかもしれません。

19: 板主:2018/09/10 18:57 No.537
× 連結が接続された部分
◯ 連結器が接続された部分

間違ってばかりで悪いです。

2000、2071系(全90両)は
2062〜2070、2071〜2080、2087〜2091、2092〜2094
2012〜2020、2171〜2030、2187〜2191、2042〜2044の54両がミンデンドイツで、
更に2100系の6両のミンデンが2000系のアルストムと交換されたので、結果的には60両がミンデン
だったことになると思われます。2030が能勢電移籍時にアルストム化されたので61両かもです。

20: 板主:2018/09/10 19:37 No.538
ご承知の通り、2081〜2086Fも後年に2081、2181、2082、2182あたりを除いてミンデン化されました。

21: 名無し:2018/09/11 09:08 No.539
>>18
このスレは板主氏の丁寧な対応と幅広い知見で
話題がどんどん広がっているように思っています。

>>15
8連化後の梅6編成について、
'70(S45)の万博開催時のエキスポ直通にも活躍しました。
期間前半には宝塚発が2本設定されていて、
そのうちの1本にはこの6連が使用されました。
他には、2150F 2161F なども梅6編成で
活躍しました。

22: 板主:2018/09/15 07:32 No.540
どうもありがとうございます。
2021系が独立した編成で走っていた時代のお話は素晴らしいですね。

自分などは他形式の最中に入っている姿の方がなじみ深いので、
いろいろお話を聞いていると「へぇ〜」と思うことばかりです。

ただし、2079であるとかの運転台が残った状態で走っているのは
見ていますね。運転機器はもう搬出されていたのかもしれません。

元電動車はパンタグラフの台とかも残っていて、冷房改造後スッキリ
したのはよかったですが、何か面白みに欠けるようになりました。

エキスポ直通はおおむね2000〜5000系だったと思いますが、
1010、1100系も入っていましたかね??

梅田〜北千里のエキスポ準急で運用される神宝線車は1010、1100、3000、3100系
あたりかと思われますが、エキスポ準急専用で他の運用には入っていないのでしょうか?
出入庫を兼ねた正雀発着列車とかはあるかもしれませんが。。

23: 名無し:2018/09/15 16:47 No.541
万博開催時期のエキスポ直通、エキスポ準急について
断片的なメモですが、列挙します。

>>21 エキ直のダイヤは6.15月に変更になったようです。

エキスポ準急について(多彩な顔ぶれだったようです。)
3/15日 3150 3060 1114 1100 (以上宝塚線所属) 1116(神戸線)
5/13水 1020(神戸線)
5/23土 711 1117(神戸線)
8/16日 105-1511
8/18火 702
9/5土 1603
9/12土 101 104 2316 2327

エキスポ直通について(1010,1100系も担当したようです。)
5/28木 2325 三宮行のメモ(∴神戸線所属)
7/24金 1112 7/25土 1100
9/1火 2060-2019(7)    等々です。

24: 板主:2018/09/17 09:37 No.542
どうもありがとうございます。1010、1100系もエキスポ直通で
走っていたのですね。本当にこの時代は顔ぶれも華やかですし、
素晴らしい時代だったと思います。

自分は土曜日に万博記念公園に行ってきました。6年ぶりに
モノレールに乗車し南摂津から中央口へ。70年当時は万国旗が
並んでいた階段は今もありますが、ポールは近頃撤去されて
しまったようです。蒸気機関車も撤去されてしまいましたね。

右記のラジオの収録http://www.expo70-park.jp/event/11842/
観覧するなりして、帰りは山田までモノレールを利用して阪急へ。
車庫には新型車の姿も見えました。

普段なら山田から徒歩なのですが、先日の台風で西口が使えなく
なったため、モノレールを使いました。運賃が少々高いですね。

帰りは3305に乗車。しんがりを務める3391は元3427で、以前書き
ましたように「万国博へは阪急電車で」の広告にも登場した車両
です。万博からの帰りにふさわしい(?)編成に乗れました。

25: 名無し:2018/09/17 19:42 No.543
>>22
神宝線車両のエキスポ準急は、専用運用で正雀に入庫などは
なかったと思いますが、確定的なことはわかりません。
エキ準をした前日や翌日には宝塚線で走っていますので、
正雀車庫で滞泊などはなかったはずです。

一方、エキスポ直通のほうは、当日朝の運用後、エキ直を
して、また当日の夕方に神宝線の運用に戻っています。
特に宝塚線では、平日朝8連で運用後、梅6編成となって
エキ直をして、夕方帰線後また8連になったりしていました。

26: 板主:2018/09/18 17:40 No.544
>>25
ありがとうございます。
ひょっとしたらイレギュラーな運用があったかも知れないと思いお尋ねしました。

27: 名無し:2018/09/18 19:56 No.545
今日20日ぶりに阪急に乗ってきました。

十三駅3号線はホームドアが作動していました。
可動部が透明でやや圧迫感が少ないようでした。
発車時に、車両ドアを閉めた後でホームドアが
閉まっていましたが、これって順番が逆?

神戸線の猪名川鉄橋東詰め浜側の「鎮守の森」
の木々が阪急の土木部職員らしき人たちによって
伐採されているようでした。
台風21号の暴風で傷んだのかもしれませんが、
あの地域独特の風景だったので残念です。

28: 名無し:2018/09/19 18:40 No.547
>>26
いやいや「イレギュラー」もあったのかもしれませんよ。
当時のことを知っておられる方がこのスレをみておられ
たらよいのですがね。
私は万博開催時期、基本的に通学時に十三ー梅田間で
宝塚線車両内から眺めるだけでしたので、断片的な
情報で申し訳ないです。

29: 板主:2018/09/19 21:09 No.548
>>27
自分は稼働初日に神戸に行く用事があったので、帰りに2号線で降りたついでに
3号線の様子を少し見ていました。確かに透明のドアなので圧迫感は少ないです。
今里筋線のはかなり威圧感があります。ホームドアと車両のドアの開閉の順序は
社によって色々あるようです。

>神戸線の猪名川鉄橋東詰め浜側の「鎮守の森」

自分はその存在をはじめて知りました。
また勉強させていただきたいと思います。

>>28
>いやいや「イレギュラー」もあったのかもしれませんよ。

まったくご指摘の通りでありました。
イレギュラーがあった可能性はありますね。

>断片的な情報で申し訳ないです。

どんな些細な情報でもありがたいものです。
断片的な情報から色々と推測するのも
鉄趣味のひとつの面白さかもしれません。

30: 名無し:2018/09/21 14:26 No.549
>>23
'70.3.15日のデータのうち、
3060は3062かもしれません。
改めて当時の手帳を確認しますと、
3060の一の位0の部分がにじんでいて、
2に見えなくもないです。
度々不正確な情報で申し訳ありません。
17時ごろ、千里山駅付近で見学しました。

>>24
私の資料にも「阪急に乗って万国博へ」というタイトルの
3427号が先頭で走る新聞広告切り抜きがありました。
正面左上部の旧方向幕は白幕(無表示)で、
向かって左サイドに丸いエキスポ準急標識、
右側に祝日本万国博のやはり丸い標識を付けています。

31: 板主:2018/09/23 19:48 No.550
>>30
大変ありがとうございます。
自分は阪急に限らず万博時代の鉄道車両(主に大阪市営、北急、国鉄)が、
万博の看板や装飾などを取り付けて走る姿が大変気に入っております。

ネットに掲載されている写真はいつ削除されてしまうか分かりませんので、
出来る限りPC上に取り込み、ものによってはプリンターで印刷しています。
部屋の中に1015や地下鉄6006のエキスポ準急の写真を飾っております。

32: 板主:2018/09/23 20:01 No.552
当時の千里線や京都線の梅田〜淡路には、

おおむね19Mの2ドア・・・・・P6、710系、1000系列の2ドア車
おおむね19Mの3ドア・・・・・1000系列の3ドア車、2000系列以降の形式、60系(左右のドアの位置は少々異なる)
おおむね17Mや15Mの2ドア・・700系オリジナル車および750形

といった面々が出入りしていたことになりますが、
いちいち整列乗車だの、ましてやホームドアなど言われなくても、
みなさん整然と乗り降りしていたのでしょうね。

33: 名無し:2018/09/24 17:48 No.553
>>32
乗客もおおらかだったですね。
というか、自己責任をしっかり認識していたというか。

旧国鉄の旧型客車などはその典型例で、
出入り口もほぼ完全開放状態で走行して
いましたからね。
それでも落下などの事故もほとんど
なかったわけですね。

34: 名無し:2018/09/24 20:10 No.554
>>32
竣工当時の現梅田駅は停車位置を示す表示灯がホーム下にあって、各系列に合わせた位置が点灯する仕掛けになっていました。
神宝線は19M3扉に統一されてからは使用中止になって、その後撤去されました。
京都線はどうだったのでしょうか?

35: 板主:2018/09/25 19:41 No.555
>>33 今は不寛容社会で、とても行きづらくなってきたと思います。
旧型客車では側面ドアだけでなく、最後尾の貫通路が「何もなし」でも
誰も問題にしませんでしたよね。

>>34 残念ながら自分は全然知らないです。京都線の梅田駅の現駅舎は、上で書いた
「おおむね19M」以外の車両は700系(15両)しか出入りしていないと思われ、なおかつ
現駅舎に移って5年後に700系は姿を消しているので、どうだったのかなと思われます。

神宝線は現駅舎に移ってからも10年ほど900・920・800系(90両)が走り続けたので、
対応が必要だったと考えられます。600系は現駅舎には旅客車として来ていないと思います。

36: 名無し:2018/09/26 19:20 No.556
920系8連では、19m車7連より
短くなっていたと思います。

37: 名無し:2018/09/27 19:31 No.557
きょうは阪急に乗ってきました。

久しぶりに宝塚線に乗って石橋まで行って
箕面線を見たかったのですが、13:04頃、
岡町駅で何かあったようで、
梅田13:20発急行が約20分遅れになるなど
かなりダイヤが乱れていました。
後日にお預けとなりました。

京都線では1307Fがが走り出していました。
3300系のどの編成が廃車になるのでしょうか。

1115Fが京都線で新造試運転をしていました。
これでいよいよ3000系も消滅かもしれませんね。
今日は3054 3062の姿を瞼に刻み込みました。

38: 板主:2018/09/27 20:42 No.558
>>36
17M車の8連だと136Mで、19M車の7連だと133Mですから、ほぼ同じですね。
(1M未満は切り捨てて計算しています)
現在ネタですが京都線の10連と神宝線の10連であれば、1M違っているはずですが、
自分にはなかなか違いが分かりません。8両編成であれば80cm違いですけど。

>>37
1307の方は登場からもう1か月くらいになるかも知れません。
3000系の終焉が迫っているのは確かですが、3062は前回の検査から
1年も経っていないくらいですので、大丈夫ではと思っております。
しかし乗ったり撮影したり出来るうちにしておけば良いと思いますね。

39: 板主:2018/09/27 20:58 No.559
神戸高速への阪急の乗り入れは1010・1100系以降ですが、当時はまだ2ドア車もいましたよね。
昭和44年に1200系もわずかに乗り入れた話も聞いています。

阪神は大型車しか乗り入れていませんが、3011形は高速開通後もしばらくは2ドアで後に3ドア化されました。

山陽はバラエティに富んでおり、250、270が小型の2ドア、300が小型の3ドア、2000系列は
2ドアと3ドアの両方、3000系は全車3ドア、700系は20Mの4ドアとなっておりました。

山陽電車のうち、阪急・阪神電車までやって来たのは2000系列以降(ツリカケ2700系含む)ですので、
900・920・800系も彼らとは対面しているかと思われます。810系も昭和46年頃までに離合していると思われます。

40: 板主:2018/09/28 00:15 No.560
宝塚本線であれば、昭和33年頃だと、

・小型3ドア車(300形以前)・・・本線運用は終了していたかも
・小型2ドア車(320・380・500形、550形、610系)
・中くらいの3ドア車(600系)
・中くらいの2ドア車(900・920・800系)
・大型2ドア車(810系、1000系列)
・大型3ドア車(1030、1108以降)

などが混在し、かつ1つの編成の中に複数のタイプが
混じっていることもあったことになりますね

41: 名無し:2018/09/28 16:42 No.561
>>38
1307Fはもうひと月になるんですね。
私は体が動くうちに、と昨年から月2回程度
しかも日中のみ見学しております。
したがって、確認運用数は限られています。
京都線については、40編成前後でまずまず
多いのですが、神宝線は少ないですね。

42: 名無し:2018/09/28 16:51 No.562
>>24 >>30
3427号は3400番台が先頭に出る6編成のうち3本目でした。

当初は3855以外の4連だったのかもしれませんが、
3321-3421+3345-3855-3427
で万博輸送に活躍しました。

3321-3421は、3318Fの中間に、
3345は、T化して3891となり3314Fの中間に、
3855は、3315Fに入っていて廃車となり、
3427は、Tc化され3391となり大規模更新、
ということで、3427(3391)がTc化され
改番されたものの、やや活躍の度合いがある
ように思いますね。

43: 名無し:2018/09/29 18:53 No.563
>>40
昭和33年頃の宝塚線なら 500-300-500+320(380)+320(380)の小形5連が普通で結構走ってました。
1100系の3扉車(1108~)が登場したのもこの頃で、それ以外の3扉車は600系と300形だけでした。

44: 板主:2018/09/29 22:35 No.564
各位
ありがとうございます。

>>41
やはり自分にとって「1307」とは以前に存在した方になりますね。。。
年長の方だと1301~1305は3代目という認識になるのでしょう。

>>42
万博当時、3427をしんがりとする編成はお書きのような面々だったのですね。
今日は3309Fの2両目と3311Fの3895に乗りました。3895の車内プレートは少々小さめです。

>>43
となりますと、>>40で書いた6種類が一堂に会していた訳ですね。
自分は正雀で300形が他形式の中間車としてのみ活躍していたころの
「ピクトリアル」を見せていただいたことがあります。

また台風が接近していますね。明日はスルッとKANSAIバスまつりにでも行こうかと
思っていましたが、中止になってしまいました。去年も台風でなくなっています。
不要不急の外出は控え、安全な場所にいるのが良いですね。

45: 板主:2018/09/29 23:09 No.565
1形、300形は最終的には大半が付随車に、1000形や2021系は全車付随車に(2030は移籍時にT化)、
2200系は先頭車が制御車として残った以外は全車付随車に・・・歴史は繰り返しますね。

付随車および付随化された車両が一定数他形式に編入されるのであれば、まだまだあります。
1300系が1200系に、2000系が各系に、2800系が2300系に、6000系が7000系に・・・

46: 名無し:2018/09/30 10:12 No.566
>>40
さすがに昭和33年頃はわかりませんが、
昭和36('61)年頃はかすかな記憶があります。

550形最後の6連が宝塚線にいて、遠足で乗車しました。
編成は、550-551+552-553+554-555
他は、600 603 606 612 616 617 618 620
940 943 945 1140 1141 1142 1143 1144 1145
1102 1105 1200 1202 1204 2081 2084 2087
2152 2154 2156 2159 2162 などですべて6連ですが、
2081 2084 2087 2159 2162 あたりは翌S37からかも。
また、934 611 613 などが先頭のメモもあり、
不確かです。
この段階でも一応6種類の乗降口になりますね。

47: 板主:2018/10/02 22:11 No.567
>>46
ありがとうございます。
様々な編成が入り乱れて活躍していて、番号を見るだけでもワクワクしてきます。

本当に昔の阪急は、阪急以外の鉄道も本当に面白かったです。
自分が年齢を重ねたからそう思うのではなく、リアルによかったのです。
テレビも歌も昔がよかったです。
2021系は昭和38年=1963年〜ですね。

自分は今日、神戸から帰ってくるのに6150の特急に乗りました。神戸三宮19時21分発かと思います。
元2200系に乗ったのは久しぶりでした。貫通路ドアを見たら6150は縦長でしたが、隣の7505は
小さいままでした。京都線は5872や桂行きの7850に乗りました。

48: 名無し:2018/10/04 09:24 No.568
>>47
ご指摘を受けて、車内に掲示されていた車検票?を
メモした資料を見てみました。

やはり2021系はS38になってからでした。
トップナンバーの2021がS38-9新造、
宝塚線2021系トップ編成の2033がS38-10新造、
2021系最終の2091はS39-5新造で、
3001新造S39-12のなんと半年前だったようです。
また2100系も全車S37新造をメモしていました。
やはり、記憶には年代錯誤がありますね。

49: 名無し:2018/10/06 08:34 No.569
ついでに車検票メモより、
1034はS34-10新造、1145がS35-8新造
となっていました。
S35-11新造の2001とほとんど同時期に
走り出しているんですね。

50: 名無し:2018/10/06 20:26 No.570
1190形はS36年建造ですね。2300系も3300系登場と同じS42まで建造されています。

51: 板主:2018/10/06 21:10 No.571
2年前の8月5日に書いた内容を転載しておきます。

>1960(昭和35)年 08月 1144~1148、09月 1606-1656、12月 1053~1056、1355~1357
>1961(昭和36)年 10月 1190~1195、1358

>旧型スレ5によれば↑の通りだそうです。
>昭和35年生まれは14両、36年生まれは7両の計21両で、
>なおかつ2000、2300系の第一陣より年下になるのは14両になります。
>1000シリーズは全部で138両でしたので、その1割は2050や2301よりも年下ということです。

>現在能勢電で走り続けている車両と同い年か1年下なのに30年以上前に消えている
>車両もあることになりますね。

そもそも1010・1100系は第一陣の竣工が昭和31年で、1300系は昭和32年なので、
2000系列とは生まれた時期に大差がありませんね。

52: 板主:2018/10/06 21:18 No.572
今から30年前に2897が廃車になったと知った時は、
まだ若手の5100Fよりも1年下で、なおかつ5300系と同い年の車両が
廃車になったと言うことで、とても複雑な気持ちになりましたorz

2800系の最終車(2894)は6350Fと2年しか違いませんよね。

53: 名無し:2018/10/07 07:45 No.573
>>47
6150の特急運用、いいですね。
乗ってみたいものです。
平日の朝夕には優等運用もあるようですね。

今津北線の6025Fも、6125には小窓がないのに
となりの6026には小窓があって、ちょっと
気になるところです。

54: 板主:2018/10/10 10:07 No.574
自分は8月9日に梅田行き特急として西宮北口に入線しつつある同編成を見ています。
優等に入ってもラッシュ時だけなんですね。
本来なら小窓に貼られているシール類も、化粧板の上に貼られておりました。

6000系が7000系を内包している編成は過去に存在したものを含め、
この編成だけですよね。逆パターンは多数あるかと思います葉。
とはいえ6060も6150もTcなので、メカ的には7000系ということになります。

この2両では増結用としては使えないけど、7005-7105ならば増結用
として使えるので、こんな編成になったのでしょうか。

55: 板主:2018/10/10 10:12 No.575
次の日曜日に天王寺公園で鉄度うイベントがありますね。
http://www.hankyu.co.jp/railfan/topics/181005exciting.html
5000系関連の品々が多数発売されるようで、どれも魅力的なのですが、
あいにく仕事が入っており行くことが出来ません。他の機会でも発売してもらえないでしょうか・・・

あと、いつも見ている「鉄道ファン」では、「鉄道コレクション」
能勢電の500形についての情報が出ております。
https://railf.jp/news/2018/09/30/154500.html

自分にとって能勢電とは320や500形がいちばんイメージ的にしっくり来ますねえ。

56: 板主:2018/10/10 10:35 No.576
鉄度う→鉄道 ですwww

3300系(3950形は除く)や5000系は1969年まで製造が続いているので、今は未だ49才の車両もいますが、
既に大半の車両が50才を迎えていますし、残る車両の多くも来年には50才を迎えることになるだろうと思います。
(5563は「休車」のようです)

しかし2300系だと50年を超えて活躍し続けたのは、
2301×2を除く、2010年以降に在籍した面々に限られますね。

そうなると、最後まで残った4本のうち、2341〜と2391〜を除く22両になりそうです。
2313-2333-2363+2322-2372
2315-2335-2365+2320-2340-2355-2370
2321-2371+2316-2336-2366
2325-2375+2318-2338-2368

逆に2328は2001年に2312と差し替えられる形で引退していますので、
34年くらいで終わったことになります。相方の2378もそうなるでしょうか。

57: 名無し:2018/10/11 00:38 No.577
>>54
6050 6150は、なぜ6000系になったのか、
ずっと引っかかっています。
現状の編成では、7050 7190(仮)を名乗っても、
いいと思いますし、
そもそもなぜ2251 2250ではだめなのか。

また、電気的には7000系なのになぜ
日中の特急運用から外されているのも・・・。

58: 名無し:2018/10/12 17:15 No.578
テレビニュースで大阪モノレールに
17年ぶりの新型車両導入という
ニュースをやっていました。
3000系を名乗るとのことでした。
ああ、阪急の3000系が消えるという
その時に・・・。

59: 名無し:2018/10/13 20:05 No.579
先日、8304車内に「車検票」がありました。
8300系まではまだ表示されているのですね。
大規模更新車では見られなくなってしまい
ました。

60: 板主:2018/10/15 20:14 No.580
返信までにかなり時間を要してしまい申し訳ございません。
ここのところ早朝から夜までヘトヘトでしたorz

先週木曜日は19時37分に梅田の改札口を通っていますが、京都線沿線の家に帰るのに、
十三まではおもしろがって神戸線の特急に乗りました。

淀川を渡ってから保線基地を眺めている最中に後ろを振り向いたら、9号線に
5100系と思われる編成が佇んでいるのが見えました。1号線に降りてから
9号線方面を見ても、夜だし車番なんて分かりませんね。

61: 板主:2018/10/15 20:18 No.581
>>57
6050や6150は車掌室を仕切るドアがなく、中間車になった際に施錠が
大変だからでしょうか。自分にはよくわかりません。

2200系は6000系の一員になりましたが、6000系が2200系の車体をベースに
作られたことと、電動車がいなくなったことが原因でしょうか。でもこれを
言い出したら、3000系は2071系をベースに作られ、2071系に電動車がいなく
なっても3000番台を名乗ったりはしていません。

その上で6050や6150、あるいは7000系に編入された6000系のT車が7000系の
一員になっても良さそうな気もしますが、阪急は他形式に編入されても基本的に
車番は変わらないようなので(山電だと2000系列が3550、3560番台に変わったり
しますが)、それを踏襲しているのかもしれません。

2200系が6000系の一部になったパターンは、歴史的に見ればレアなのかもしれません。
他には本当の初代1300形→750形、5650形→5550形があります。6000系T車でも能勢電に
行ったのは7000番台を名乗っています。

62: 板主:2018/10/15 20:28 No.582
>>58
テレビで見たモノレール3000系の車番は3150でした。この車番を見れば、阪急の3150を
思い出しますよね。ちなみに昨日京阪で乗った車両は2332(昭和39年、神戸川崎製)でした。

京阪2200系は昭和60年に作られた最終のT車ですら廃車されてしまい、どんどん寂しい
状況になりつつあります。

>>59
リニューアル車では設置されていなかったのですね。
あまり気に留めていなかったので、今言われて初めて気づきました。

63: 板主:2018/10/15 21:00 No.583
京阪の駅などで配布されている「月刊島民 中之島」の本年10月号は見応え充分です。
京阪の歴史や開業当初の路線図など、一冊の半分が京阪ネタで占められています。
新京阪開業時のパンフレットも出ています。是非、受け取られてはいかがでしょうか。

あと「ホッと!HANSHIN」の10月号では、以前このスレでも話題にした九条の歴史が
出ています。これも持ち帰る価値があります。

64: 名無し:2018/10/16 12:07 No.584
>>60
現役で仕事をされている方はなかなかお忙しいことでしょう。
あまり気にされず、まったり(ゆっくり)でいいと思います。

私は、幼少時代から自宅から宝塚線を見ることができ、
学生時代には10年以上、阪急にほぼ毎日乗車していましたが、
その後1983年4月以降は環境が変化して、出張や帰省時のみ
にしか見ることができなくなりました。

65: 名無し:2018/10/17 10:14 No.585
15日(月)に阪急を見てきました。

Wellcome Kansai という全文英語の
ステッカーが一部の車両に貼られていました。
阪急も外国人観光客を見つめているのですね。

1015Fは宝塚線で走り出していました。

1年ぶりで石橋まで足を伸ばして
箕面線2編成を見ました。
5132と5134でした。
伊丹線と異なり、こちらは3000系が
早々に淘汰されて
ドキドキ感はなくなりました。

66: 名無し:2018/10/18 10:20 No.586
昨日(17日)朝、大井川鉄道で倒れていた電柱に
電車が接触する事故があり、テレビでも映像が流されました。
元近鉄特急のような車両でした。
当鉄道はおそらく狭軌なので南大阪線で走っていた車両かなと
思っていました。

67: 板主:2018/10/18 18:56 No.587
各位、ありがとうございます。

阪急の公式HPに7454と7310の運転台撤去後の姿が掲載されています。
2+6に分割できるように運転台を残しておけば良かったのではと思うのですが、
7310自体が試験車でもあったので、このような処置がなされたのでしょうか。
昨今の5000系や5100系(一部除く)のように完全中間化するのではなく、昔ながらの
処理の仕方です。

>>64
1983年ですと、吊り掛け19m車は数を減らしつつ支線で現役中、
新性能の1000シリーズは1350形の2両を除いて全車活躍中、
3000、3100(各々非冷房車に限る)、3300などは冷房&表示同時改造中・・・といった時代ですね。
昔の「阪急電車」は本当に自分を魅了してくれました。

>>65
阪急が外国人観光客をターゲットにするのはとても良いことです。

しかし新大阪線(十三〜新大阪)、なにわ筋線、なにわ筋連絡線、曽根〜大阪空港の
連絡線などをぶち上げているのは如何なものかと思います。前の3つは昔から話が
ありますが、曽根〜空港のはムチャクチャだと思います。

池上氏の解説によると、30年くらい経つとまた時代は繰り返すとのことです。
会社というものは、おおむね40数年で全員が入れ替わってしまいますし。
JALでもあの事故後の入社が95%以上だそうです。
(それ以前に入社の人でも関連会社へ移籍している人もいるかと思います)。

68: 板主:2018/10/18 18:57 No.588
>>66
南大阪・吉野線の16000系3編成が大井川に移籍しましたが、その内2本が現役を続けています。
その内のどちらかが事故に遭遇したことになりますね。

大井川に移籍した車両は、塗装がボロボロで、元京阪3000系でも富山に行ったものや
京阪で残っていた1編成と比べると、明らかに状態が悪かったです。

自分は28年前に汽車(C56 44)を利用した他、10年あまり前に金谷で車両を観察しましたが、
線路や枕木もやせており、元近鉄6421系が車体を揺らしながら去っていったのが印象
深かったです。

69: 名無し:2018/10/20 09:32 No.589
>>67 >>64
再掲になるかもしれませんが、1983.3.14月の朝33本を見ています。
当時平日朝は34本が最大運用数でしたので、下記「不使用」のうち
1編成は使用されていたものと思われます。

1010/1100系は、1108 1113 1114 1115 1116の5編成が本線用で
当日朝は1116(1192)は不使用でした。

2100系は2156 2161の2編成で、2150はすでに分割されて箕面線用かも。

3000系は、3052 3060 3068 3070
3100系は、3150 3152 3154 3156 3158 3160で安泰でした。

5100 5102は、10連で朝の区間急行担当、5108が梅田側8連で雲雀運用、
5106 5128 5140 5146が8連で、5140は当日朝不使用でした。
5136は半月ほど不使用で、同20日(日)に1個パンタ化発見のメモがあります。

6000 6001 6002 6003 6004 6005 6006 6007 6008 は新鋭の主力、
6007Fもまだ8連の整然とした編成でした。

7000系は、7002 7004 7008が所属していて、7008が不使用でした。

70: 名無し:2018/10/22 17:57 No.590
>>67 >>64
これも再掲になるかもしれませんが、1983.3時点の京都線状況です。

嵐山線用4連は 716 1602 1604
普通用6連は、2301 2303 2305 2307 5300 5301 7301
に加えて3300系21編成でした。
3301* 3329 3307 3305 3308 3309* 3310* 3311*
3312 3313 3314 3315 3316 3317* 3318* 3326
3330 3325 3324 3323 3327
で、*は冷房改・方向幕改造済、3305 3308は長期不使用中

普通用7連は、2311 2321 2313 2323 2315 2317 2325 2319
2812 2813 2814 2815 5302 5306 5311 5323 5324 1303 1307

急行用8連3扉は、2811 2816 2817 5304 5308 5313 5315 5317
5319 5321 7300 7302 7303 7304
で、堺筋急行は5300系のみでした。

特急用8連2扉は、6350 6351 6352 6353 6354 6355 6356 6357
で、6330はまだ未登場でした。

71: 板主:2018/10/23 21:27 No.591
>>69>>70
詳細にお書きくださりありがとうございます。
神宝線には疎いですが、京都線に関しては当時の情景がよみがえってきます。

710系はもう4連1本だけなのですね。710系も1600系も元々の数が少ないですが。
京都線の上り線はまだ桂駅北方で嵐山線の下を潜っていましたし
桂駅が工事中の頃は梅嵐急行が桂止まりにされていました。

6330編成は、竣工してから1ヶ月ほどの間、試運転を続けていたという
書き込みを見た覚えがあります。

72: 名無し:2018/10/24 20:21 No.592
24日(水)に阪急を見てきました。

話題の7324Fにはお目にかかれませんでした。
2両目の7840は元7990を電装化したのでしょうか。

9300系は9300Fが久しぶりに走り出していて
日中は全特急9300系でした。

伊丹線では3054Fが走っていました。
S39に宝塚線で竣工した3003号が身内のように
感じます。

宝塚線では検査出場直後の6013F6両目の6652に
乗りました。
車体外部はたいへん美しいというのに
車内は色あせた壁面のままでした。

73: 名無し:2018/10/26 12:53 No.593
>>69
すでにこの時期には、
2077 2081 2084 2087 など
8連化までされていた2021系は
姿を消しているのですね。
中間化、付随車化が進んでいた
のでしょうね。

74: 名無し:2018/10/26 21:52 No.594
>>67
子供の頃、曽根ー神崎川線といううわさ?を
よく耳にしました。
宝塚線の混雑を豊中から車庫線を営業線化
複々線にして、曽根以南をバイパスする役割
のように計画されていたようです。
今の利倉から豊中南郵便局付近を通る構想
だったのかもしれません。

75: 板主:2018/10/27 09:03 No.595
>>72
自分は一昨日の昼12時17分〜18分に掛けて、梅田駅の3F改札付近にいました。
(TOKKの11月1日号などを入手するため)
7本入線していたのですが、すべてが9000・新1000系列という面々でした。

7840は7990を電装化したものですね。元からM化できるような構造で作られていたのでしょう。

阪急は大掛かりな内装更新はせずとも、2300系表示なし車のようにシールででも対応した方が
いいような車両を昔から見かけますね。製造から年数が経っていない車両でも、例えば表示改造前の
2300、3000系などの状態もよくなかったです。

地下鉄60系の「タイムトレイン」はこのイベントのためだけに、シールを貼ったと思われます。
www.geocities.jp/globaltera/60timetrain.htm

76: 板主:2018/10/27 09:04 No.596
>>73
1983年時点では、2021系の単独編成はなくなっていますね。運転台やパンタ台が残存していたり、
番号が変わっていないままの元電動車はいましたね。3082Fに入った2077は印象深く覚えています。

>>74
ありがとうございます。
他に神崎川〜新大阪〜淡路、十三〜新大阪〜淡路、南千里〜桜井などが計画されていました。
北千里から北に続く路盤は箕面線に接続するための線ではないですね。
あと神崎川関連ではご承知の通り千日前線の延伸も考えられていました。

77: 板主:2018/10/27 09:08 No.597
一昨日はTOKKとともに阪神の11月号ももらってきました。
その中に大野川を転用した緑道に付いての記載があります。

自分はこの大野川と以前から申し上げている中島大水道の位置関係が分かりませんでしたが、
下記のページを調べたら、明治時代に大野川と中島大水道を接続し、前者の接続部よりも
上流の区間、後者の接続部よりも下流の区間を廃止して(暗渠にして?)1本になったようです。
nihon-taikiosen.erca.go.jp/taiki/nisiyodogawa/pdf/aozora/106a270.pdf

地図で見ると大野川緑道は、途中までは直線的で、そこから先はウネウネしているので
疑問に思っておりましたが、直線的な区間は元々中島大水道だったことになるようです。
人工的に作らなければ、あんな直線や角は出来ないだろうと思います。

ちょうど昨夕、関西テレビで塚本周辺を歩くというのをやっていましたが、中島大水道に
「グリコ橋」という橋が架かっていたようです。
www.aozora.jpn.org/pdf/dayori2.pdf

78: 板主:2018/10/27 10:19 No.598
新京阪鉄道は十三から阪神姫島まで線路を建設して、神戸方面へも行けるようにする考えを
持っていたという話を読んだことがあります。阪神は小型車ばかりだったので、線路設備の
改良などが必要だったと思われます。

79: 名無し:2018/10/28 04:24 No.599
>>72
YouTubeによると6013F8連は24日から営業再開したようです。
以前は8042Fと組んで朝の10連専用運用だったようです。
日中にはここ3年間ほどみることができなかったです。

>>78
京都線には新京阪時代のいろいろな遺構があるようですね。
名古屋延伸構想は有名ですが、阪神乗入は初めて伺いました。
駅には将来の待避線増設を見込んで広い敷地を確保したとか。
西京極の上り線側線ガード跡は現在も残っているのでしょうか。

80: 板主:2018/10/28 16:05 No.600
>>79
一応「新京阪 姫島」で検索して、おそらく一番上にヒットするであろうページをご覧ください。

西向日の構内が広くなっているほか、西京極は貨物駅を作るつもりでいたので、ガードが残っていますね。
同駅より地下に入るまでの区間は、線路が3本敷けそうな感じがします。

あと崇禅寺から南方に向かう電車が、東海道線の手前で右にカーブを切る手前ですが、
この線路をほぼ直線のまま延伸したような場所に細長い土地や、柴島浄水場の土手があります。
自分はこの土地は官営鉄道の名残ではないかと見ています。

Wikipedia「上淀川橋梁」の項目もご覧ください
https://ja.wikipedia.org/wiki/上淀川橋梁

81: 名無し:2018/10/30 02:30 No.601
>>76
3082Fについて自分のメモを見直してみました。
2077を入れて8連になっているのは、'80(S55).10頃ですね。

'73(S48).10~'74(S49).10には、2022を入れて8連に、
'75(S50).10~'76(S51).10には、再び7連になっていて、
2022号は'76.10には京都線から戻った2054Fの3両目に入って
8連になっています。
しかし、'77.10にはまた2022を入れて8連となり、
'79.10にはまた7連でメモしています。
この時点で2022は2172となって2054F3両目に入っています。
そして、'80.10に板主氏ご記憶の2077を入れた8連になっています。
'82(S57).3.26には、冷房・方向幕改造されて7両目に2177号と
メモしています。
この件は、2077号の誤記ではないとは思いますが、
何か資料等があればご指摘ください。

このように、挿入される2021系もいろいろと差し替えられた
経緯があったようですね。

82: 板主:2018/11/01 08:11 No.602
2177は冷房機がまばらに並んでいる昭和50年代前半=1970年代後半頃の改造様式ですから、
昭和50年代後半=1980年代前半頃に表示幕と同時改造し(幕は行灯の位置と同じ)、冷房機が
中央に密集するタイプの3082F(2077を編入)とは関係なさそうに思われますね。

1990年頃よりも前の2021系=2071系で、なおかつ3000/3100系編入車はよく意味のわからない
場所のチェンジがあったかと思います。これに対して5000系編入車は、特に00〜06編成に関しては
70年代後半からリニューアルまで、メンバーが変化することがありませんでした。

おそらくは装備している機器の関係もあるのでしょう。3031の梅田寄りには以前は2074がいましたが、
後年は2173に差し替わりました。また能勢電へ譲渡する中間車は「完全中間車だけ」という方針でも
あったのか、3060Fに編入の2000系2053は撤去車2188に差し替えられました。

そのため、2000、2071系で平成時代初頭に解体された運転台もモーターもない車両はToだけでした。

83: 名無し:2018/11/01 10:17 No.603
>>82
ありがとうございます。
冷房改造時期によっていろいろなタイプが
あるのですね。
そこまでは全く知りませんでした。
また。自分の資料を調べてみます。

84: 板主:2018/11/01 23:10 No.604
A:昭和50年代前半=1970年代後半頃の改造(冷房機がまばらに乗っている)
3058、3060、3064、3066、3068、3070、3072、3074、3076、3080
3150、3156、3158、3160

B:昭和50年代後半=1989年代前半頃の改造(表示幕も同時に取り付け。冷房機が中央に密集)
3050(2073)、3052(2179)、3054(2079,2088)、3056(2080,2055)、3062(2175)、3078(2075)、3082(2077)
3152(2178)、3154(2171。同車のみ2062に編入されていた時代に冷房施行済みだったので、表示のみ設置)
()内は表示改造後の時代に編入されていた2000、2071系

C:Aの形態の車両を昭和60年代〜平成元年にかけて表示改造したもの(表示幕の場所は行灯とは別)
3060(2188)、3064(2190,2059)、3066(2093)、3074(2191)、3076(2076)、3150(2176)
()内は表示改造後の時代に編入されていた2000、2071系

編成単位で活躍の2000系は全てAに、
2300系はすべてAかCに、
3300系や能勢電1500系はすべてBに該当します

85: 板主:2018/11/01 23:19 No.605
1つ上の投稿で、Bの行は1989年代前半〜ではなく1980年代前半の間違いです

後年になると
・3550と2073を外して6連になった3050Fは元5000Fの2184、2085を編入して再度8連に
・2079は震災廃車2087の代替で3159へ
・2088は表示幕改造車初の廃車に
・2178は神戸線の3054に入り再度8連に
・2171は2代目3022に
・2059は2090に差し替え
・2176は伊丹線3081あたりに編入

更に2000、2071系はAの形態の車両に後ほど表示改造を施しても、5000系編入車と2171は
元々の行灯の場所に表示幕が設置されました。能勢電の1700系も移籍時に表示幕改造されましたが、
行灯の場所に表示幕が設置されています。

このため、梅田から7両目が元5010の2090に差し替えられた3064Fは、冷房機の設置間隔こそ
変わらないものの、表示の場所が2090のみ他車と違っておりました。

86: 名無し:2018/11/02 20:14 No.606
>>84 85
大変詳しい、分かりやすいご説明を
ありがとうございます。

3000,3100系と2021系中間化車について
冷房改造と自動方向幕化が別々だったのか
同時だったのかすら忘れてしまいました。

あとサイドランプ改造(扉開閉と非常表示?)
もメモしています。

87: 板主:2018/11/03 09:13 No.607
人から聞いただけなので、ハッキリしたことは分かりませんが、
菱形のパンタが2台乗っていて、すでに冷房改造が施された車両は、
骨組みの関係で元々の行灯の場所に幕を設置することが出来ず、
やむを得ず別の場所に穴をあけて幕を設置したらしいです。

パンタ車だけでなく、他の車両までわざわざ移設して取り付けたのは、
揃っている方が綺麗と考えたからでしょうか。

非表示幕車の最中に表示幕の使用を停止した車両を編入したパターンは、
伊丹線で何例かあり、その中には行灯と使用停止した幕の場所が違って
いる例もありましたが(3081編成中の2176など)、表示幕の使用を続けて
いて、かつ場所が違うものが混在したパターンは2000年暮れごろからの
3064Fだけかと思います。

能勢電に移った3156F=3170Fはそのまんまの場所ですが、表示幕のメーカー
だったか機種が違うから可能なのだそうです。

88: 名無し:2018/11/03 15:09 No.608
>>78
やはり子供時代に阪神電車で姫島駅?(淀川駅かも)で降りて、
新しくできた大きなプール(ラサといったような?)に
一度だけ行った記憶があります。
阪急に比べて河口に近い新淀川の川幅が長く感じたものです。

89: 板主:2018/11/03 21:11 No.609
ありがとうございます。
自分はこの3日間、タイミングよく阪神電車を利用しておりますが、姫島〜淀川の新淀川でも
十三付近に比べればかなり広いですね。なんば線のところになれば更に幅が広いです。

小学校の時に親に車で連れてきてもらった時は、信じられないくらい広く感じられましたが、
10年ほど前に=近鉄直通直後に見に行ったら、昔よりも狭く感じられました。脳が色々と
記憶を補正していたのでしょう。

本線の鉄橋は1967年までは、今の位置よりもかなり低い位置に架かっていました。
もしかしたら、今のなんば線の橋よりも水面に近いかも知れません。
この橋も堤防を切り裂いて架かっていたので、高い位置に架け替えられました。

90: 板主:2018/11/03 21:14 No.610
淀川の南に並走する、今は暗渠となった中津運河に架かっていた鉄橋は今はありませんが、
橋台を流用して人や自転車が通れる橋があります。あの高さを維持したまま淀川の上に突入
していたなんて凄すぎです。

4年前にあの位置の堤防上に立って、その橋と淀川の水面を見たら、ほとんど同じ高さに見えました。

もっとも阪神の淀川に架かる2つの橋や淀川大橋のあたりは、高度成長期の地盤沈下などで、
架橋された時よりも、橋と水面の距離が縮まった可能性もあります。

「ラサ」に関しては以下に記述があります。
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:Khz7iR2-wREJ:www.homemate-research.com/bc182/27113/ &cd=9&hl=ja&ct=clnk&gl=jp&client=firefox-b

91: 板主:2018/11/03 21:35 No.611
自分が言及している橋です
atamatote.blog119.fc2.com/blog-entry-440.html
ameblo.jp/ironmaiden666666/entry-12231792717.html

新淀川が完成後も、現在で言う此花区側では存続していたに「中津川」が描かれている地図もあります。
今は暗渠となり上には高速道路が通っています。、暗渠の先で六軒屋川や正蓮寺川になっているかと思われます。
blog.livedoor.jp/osakawalker/archives/cat_50051548.html
西成線の表記が少し見えます。大開(おおびらき)町は松下電器発祥の地とされ、
松下幸之助氏も本籍を動かさなかったようです。

環状線野田駅から始まる大阪市場への貨物線から分岐した
レンゴーなどへの専用線が、この地域まで伸びていましたね。

こちらにも「ラサ」の記述があります
ameblo.jp/tetsudotabi/entry-12141434024.html

92: 板主:2018/11/03 21:46 No.612
長々と書いてしまいすみません。
今日は大阪側5001(2代目)の最も神戸よりも5004号に乗ったほか、
帰りは運転台撤去車にも乗りました。やはりジェットカーは加速が違いますね。
身体にもかなりGが架かるし、連結器付近もミシミシ言ってます。

姫島を過ぎてから、大野川緑陰道を見つけました。あのあたりは
中島大水道の跡になりそうです。大物以西では近鉄電車を見られるのも
とてもうれしいです。

武庫川駅の北側に続く線路の跡を見て、かつては蒸気機関車が走っていたのだなと
思いにふけりました。本線の武庫川駅で切符とかを落としたら最悪ですね・・・
(尼崎や芦屋も同じです)

今津駅は経営統合と高架工事が前後していたら、両駅舎はもっと接近していたでしょうし
連絡線も出来ていたのかも知れません。とても惜しいです。

93: 名無し:2018/11/04 16:33 No.613
>>89
確かに阪神の鉄橋は水面に近かったような。
阪急神宝線のようなトラス橋?(ギザギザの鉄枠)
がなくて怖かったものです。

>>91
ame をググってみました。
やはり淀川駅だったようですね。
大きな川沿いを歩いてラサプールに
行った記憶があるのですが。

94: 名無し:2018/11/06 02:48 No.614
「ラサ」はプールだと思っていたのですが、
スケートリンクという記述しかありませんね。
もう50年以上前の記憶ですから・・・。

阪神には数年前、親戚の葬儀に参列するため
梅田ー野田間に乗車しましたが、
それが何十年ぶりの阪神乗車だったと思います。

1963(S38)年頃に、父に連れられて甲子園球場に
高校野球(作新学院の試合)観戦に行ったときの
アルバムが残っています。
梅田ー甲子園間に乗っているはずですね。

95: 板主:2018/11/06 09:22 No.615
阪神なんば線の橋は中央部のみトラスがあるようですね。
https://www.asahi.com/articles/ASL7231X9L72PTIL002.html
1967年まで存在した本線の橋は、短いトラスが連続した橋だったようです。

梅田〜野田も福島駅の前後が地下になるなど、かなり変貌してしまいました。
線路の跡にはホテルが建っているはずですし。JR福島駅南に平行する道などは
阪神の旧線路を反映しているかと思います。

1963年に乗車された頃でしたら、福島〜野田では阪神が環状線よりも高い位置を
走っていましたが、翌年、環状線の高架化により逆転する形となりましたね。

96: 板主:2018/11/06 09:52 No.616
話が変わりますが、能勢電1700系のうち阪急時代の晩年が4両編成だったのは
1754=2代目2050Fだけで、あとはすべて3両で走っていたものに、別編成から
捻出のT車を補って能勢電に移籍したかと思います。

それらのT車8両のうち元5230Fの2057を除く7両は3000、3100系の(当時の)
非表示編成から捻出されたものです。
2053、2061、2063、2072、2078、2177、2187
これらの車両は、編入先の編成が内装更新されていた場合は、更新されていたはずです。

97: 板主:2018/11/06 09:52 No.617
一方で、能勢電に移籍する前提のなかった撤去車は、編入先の編成が内装更新されて
いても、更新されていなかったかと思われます。
2071、2173、2189 (2074は非更新車の3157に連結されていました)
(2089は2000系に編入されていたかと思います)

この動きにより、3159F中の2087を除いて、2000系列を連結する3000、3100系の
非表示車はなくなりました。幕を持たない神宝2000系列も5230F中の2091、2052を
含め3両だけになりました。

98: 名無し:2018/11/06 17:05 No.618
'80-10現在の編成一覧から2021系に関係するものを
あげてみました。
個人的なメモですので誤りがあるかもしれません。

2021系新造の1963(S38)年から17年目というのに
バラバラにされているのですね。
この系列の特異な運命を物語っていますね。

まだ冷房改造、自動方向幕化などまちまちのようです。

また、右側に一覧をあげて2029が不明だったというのも判明しました。
またご指摘ください。

Ta
2150-2100+2151-2101+2152-2102-2055-2103
2161-2111+2154-2104-2059-2105+2159-2110
3060-3505-3555-3010+3061-2053-3532-3011
3062-3506-3556-3012+3063-2025-3533-3013 2025
3068-3511-2187-3018+3059-3531-2072-3009 2037 2072
3070-3513-2087-3020+3071-3514-2063-3021 2087
3150-3600-3650-3100+3151-3611-2176-3101    2026
3152-3601-3651-3102+3153-2028-3607-3103 2028
3154-3602-3652-3104+3155-2030-3603-3105 2030
3156-3604-3653-3106+3157-3605-2173-3107 2023
3158-3606-3552-3108+3159-3610-2188-3109 2038
3160-3608-3553-3110+3161-3609-2189-3111 2039
Ko
2050-2000-2090-2001+2070-2002-2051-2020 2090
2054-2004-2172-2005+2065-2015-2066-2016 2022
2092-2042-2174-2043-2056-2006-2057-2007 2024
2058-2009-2052-2008-2089-2003+*2094-2044 2089
2068-2018-2069-2019+*2060-2010-2091-2011 2091
2062-2012-2171-2013+2064-2014+2067-2017 2021
3050-3500-3550-3000+3051-2073-3529-3001 2073
3054-2079-3502-3004+3053-2088-3530-3003 2079 2088
3056-2080-3503-3006+3055-2153-3517-3005 2080
3058-3504-3554-3008*+3069-3512-2177-3019 2027
3064-3507-2190-3014+3065-3508-2155-3015 2040
3066-3509-3559-3016+3067-3510-2093-3017
3072-3515-2078-3022+3073-3516-2061-3023 2078
3074-3519-3561-3024+3075-3520-2191-3025 2041
3076-3521-3557-3026+3077-3522-2076-3027 2076
3078-3523-3558-3028+3079-2075-3524-3029 2075
3080-3525-2071-3030+3081-3526-2074-3031 2071 2074
3082-3527-3560-3032+3083-2077-3528-3033 2077
5000-2184-2085-5040+5030-2083-5500-5050 2034 2085 2083
5001-2081-5501-5051+5003-2183-5503-5053 2081 2033
5002-2181-2082-5041+5031-2182-5502-5052 2031 2082 2032
5004-2084-5504-5054+5005-2185-5505-5055 2084 2035
5006-2086-5506-5056+5007-2186-5507-5057 2086 2036
5008 5010 5012 :6連
*運転台撤去
2021~2041(2071 2091):42両----2029?   以上

99: 名無し:2018/11/06 17:07 No.619
テキスト文書からコピーしたら
右側の2021系車番がくっついて
しまいました。
見にくくて申し訳ありません。

100: 板主:2018/11/06 17:38 No.620
>>98-99
ありがとうございます。2029は3052Fに入っていたのでしょう。
2089は2058Fに入っていましたね。後年、梅田側2058=神戸側2044の編成には
半年ほどだけ2883が入っていたりしました。

自分も触れたように、2074と2173が入れ替わりますね。
また2087が2188の場所に移り、2188は2053の場所に移ります。
捻出された2053は能勢電に行きます。

2187と2072は3068F出身、
2061  は3070F出身
2078と2061は3072F出身だったのですね

101: 名無し:2018/11/06 19:48 No.621
>>100
ありがとうございます。
見直してみると、宝塚線の3052Fをぬかしていました。
たしかに2029号が入っています。
2021系全車42両の行方が確認できました。

102: 板主:2018/11/07 07:51 No.623
どうもです。
ついでなので、平成元年度〜3年度に解体された2000・2071系15両です。

Mc:2007、2016
Mo:2001、2009、2043
M :2015
Tc:2065
To:2056、2060、2071、2074、2089、2094 (梅田側撤去車)
To:2173、2189 (神宝側撤去車)

彼らはおおむね30年前後での引退です。2089-2189は26年程度かと思われます。

先日書きましたように、完全中間T車はすべて温存されました。
完全中間車という範疇で考えても解体は2015のみです。
Tcも2065を除いて能勢電に行ったようです。
というよりは、相当数が撤去されていたことの裏返しでもありますが。

103: 板主:2018/11/07 07:52 No.624
2065-2015-2016は編成ごと廃車されています。
甲陽線で走る同編成のラガールカードを持っております。
最晩年にこの姿になる前は2060を挟んだ4連でした。

元メンバーの2066は表示改造もされて、2002年頃まで走りました。
(2100系の改造を除く純粋な2000系の表示改造は2066と2069のみ)

2000系のラガールは1992年のさよなら運転の頃にも発売されたような気がします。
ラガールではなく記念乗車券だったかも?この頃、駅に掲出されていたポスターには
2044の写真も使用されていました。非冷房の2050の写真もあったように思います。

104: 名無し:2018/11/08 12:11 No.625
'80頃が3000系の全盛期だったのかもしれませんね。
この後、やがて今津北線や同南線用に6連化(3連化)
される編成が出てきますね。

>>102
「2000 2071系」という表示が正確な書き方になりますね。
さすが板主氏だと思います。

Mo Toという表示も何かしっくりと実感できなかった
記憶があります。「o」は何の略なんでしょうね。

2025号は3062Fが宝塚線に長くいたので、よく覚えています。
パンタグラフを撤去され、パンタ台や避雷器はそのままで
走っていました。
当時はあまり悲壮感を感じなかったのですが、自分の年齢が
若かったからかもと、昨今思い返しています。

105: 名無し:2018/11/08 20:36 No.626
Oはオペ(手術≒改造)の意味と聞いたことあります。正しいかは?ですが。。。

106: 名無し:2018/11/09 01:43 No.627
>>105
なるほど。
ありがとうございます。

107: 板主:2018/11/09 20:14 No.628
1987年度だと3000、3100系154両はすべての編成が2000・2071系(30両)を編入し、
8連23編成を構成していました。本当に「華麗なる一族」です。

京都線は通勤用としてずっと2300系を作っていましたが、神宝は昇圧の段取りに併せて
形式が変化して行ったので、2000〜3100系までを一団と見なすことも出来ようかと思
います。2300系は78両、2800系と合計すると134両ですが、2000〜3100系はその倍
の268両も建造されました。

パンタが撤去された姿は痛々しいと思う時もありましたが、冷房改造されて屋根がスッキリ
すると、それはそれで面白味に欠けるようにも思えました。

Oに関しては自分も説を聞いたことがあって、乗務員ドアを埋め立てたのでCがOになった
というものです。真偽はわかりません。

108: 名無し:2018/11/11 19:18 No.629
メモを見直していましたら、
2025号は'70.11.28土に
2162-2112-2025-2113+2164-2114
を見ています。
2025は17年どころか新造7年後には、
こんな運命になっていたのですね。
当然T化されているものと思われます。

109: 名無し:2018/11/12 16:41 No.630
>>103
2000系全廃の際には、いろいろ惜別の試みが
あったのですね。
3000系が消えようとする現在は全く動きが
ないような・・・。
もう阪急としてもそんな配慮がないのか、
余裕がないのか。

110: 板主:2018/11/12 18:04 No.631
>>108
ウィキによりますと、宝塚線の昇圧の翌年である1970年に
2021・2022・2024・2025・2037および2072・2073・2075・2076・2088の10両が
2000系と3000系に組み込まれたとなっていますね。
自分は以前に2021号が1970年当時冷房無しの5000系に編入された話も聞いていますが、
一時的なものだったのかも知れません。

2021系と同じように保守が厄介だったり、あるいは希少性ゆえに電装解除される
例としては、1000形や2200系があると思います。大阪市営では1200形→5700形、
6000、6100形→5800、5900形を谷町線の50系に編入した例があります。

111: 板主:2018/11/12 18:04 No.632
>>109
最後の編成は2070の3連で、さよなら列車の乗客は公募制でした。
(それまでは友の会のメンバーが乗車していたような)
区間は西北〜梅田、西北〜三宮と2パターンあり、選択できるように
なっていたかと思います。

余談ですが、自分は30年前の今頃は、毎夕、郵便ポストを眺めては
「8000系試乗会の返事が来ていないか」とイライラしていました。
結局、いいお返事は来ませんでした。一方で現・長堀鶴見緑地線の
70系の試乗会@南港には行けました。試験線を2往復しました。

112: 板主:2018/11/12 18:08 No.633
2000系のさよなら列車は各々の区間を「往復」ですね。

2800系は7回行われていますが(正雀〜三宮×2、正雀〜桂〜梅田〜正雀×4、正雀〜十三〜西北
〜宝塚〜十三〜正雀)、その内、正雀〜三宮と京都線内の往復の2回に参加しました。

三宮からの帰りは西宮車庫にも入り、当時最新鋭の8200系の車内にも入りました。

桂へ行った時の車内では、特急時代の2816@淡路のラガールを購入したかと思います。
通常のラガールとしては花博ステッカー付きの2814の柄のを持っています。

113: 板主:2018/11/12 18:12 No.634
東淀川の踏切廃止が全国ニュース(テレ朝)でも取り上げられていますね。。。
前から廃止されるのは聞いていたけど、具体的な日程を知ったのが先週の木曜日くらいで、
最後の写真を撮りに行けませんでした。おおさか東線も出来たら線路が10本になるのかも。

114: 板主:2018/11/12 18:16 No.635
10chに変えたら、東京メトロ6000系の最後でヲタどもが狂喜乱舞している姿が・・・
1968年から50年間ありがとうございました。同年代の大阪市営30系前期車や60系の倍くらい走りましたね。

東京に行ったものの鳴かず飛ばずだったやしきたかじん氏が、千代田線のトンネルを掘るバイトをやっていた
という話を聞いています

115: 板主:2018/11/13 19:50 No.636
今日のニュースでは、おおさか東線の来年開通する区間が紹介されていましたが、
東淀川駅付近の線路は8本のままでしたね。すみませんでした。

元は阪和貨物線も含んだ旅客計画だったのに、こっちは廃止になってしまいました。

臨港貨物線や南海天王寺支線、旧淀川貨物駅&電車区を介した環状線と片町線の接続、
巽信号所のデルタ線、片町線〜網島駅〜環状線・・・など大阪市内でも残していれば
よかったと思う路線がそこら中にあります。

116: 名無し:2018/11/14 08:38 No.637
>>110
'70.11.30月に
2087-2038+2071-2023+2074-2026+2089-2039
という編成になって宝塚線に転入しています。
したがって、2071F 2074Fは独立した6連として
宝塚線で使用されたことはなかったのですね。

ただ、2026号は上記編成が梅田側6連化した際に
顔を出したことがあったと思われます。

117: 名無し:2018/11/14 19:40 No.638
>>110
2021号は何とも奇妙な一生を送った車両ですね。
T化後は2062Fや3058Fを渡り歩き、晩年にはなんと
M車にもどって2代目3022になったのでしたっけ。

118: 板主:2018/11/15 22:57 No.639
>>116
>>110で書いた車両のうち8両は、6連貫通編成の中間車ですね。
手をつけやすいところから初めて、最終的には運転台車ばかりが
残ったという感じでしょう。

>>117
自分は2021→2171が3058に入っていたというのは知りませんが、
5010に入っていたというのは知っています。

119: 板主:2018/11/15 23:00 No.640
六甲事故の際に初代2050が廃車、それを埋める形で能勢電に行くはずの2154が阪急に残存、
それを埋める形で3154Fの2030が能勢電に移籍、それを埋める形で5010Fの2171が3154Fに編入
(このため2171は他の7両と冷房機の設置間隔が異なる)、それを埋める形で休車の2886を
5010Fに編入という形に落ち着きました。更に2886は5563と場所がチェンジされて5202Fに
入りました。

120: 板主:2018/11/15 23:09 No.641
今日、9300Fに乗車したら手すりが変わっているのに気づきました
前のだと手すりの存在に気づきにくいし、指が一周しないので、
なんか掴みにくかったです。

>>119の投稿をまとめると
各々1つ右の車両の代車をしたことになります
2886→2171→2030→2154→初代2050

7306Fが7両で登場したことと、この動きが関係していると聞いたことがあります。

121: 名無し:2018/11/16 17:15 No.642
>>120
9300Fは今年夏ごろに3か月ほど
走っていませんでした。
その際に改良したのでしょうか。

9301Fもその前に5か月ほど入場、
座席関係をいじっていたらしいです。
しかし、乗ってもあまり変化がわかりません。
昨日9401に乗りましたが、カタカタと
音がしていてよくかんでいました。
ディスクブレーキでも「かむ」現象が
あるんですね。

やはり昨日、9305Fは11013列車で走行中にベルが鳴って
長岡天神駅で車両点検し約4分遅れで発車、
しかし、十三到着時点ではほぼ定時に回復しました。
ただ、午後には8303Fに振替られていました。

9300系は酷使されている感じですね。

122: 名無し:2018/11/16 23:00 No.643
今阪急にディスクブレーキ付きの車両はありませんよ。かつて1166,1167号車で試験が実施されたのが唯一。

123: 名無し:2018/11/17 02:13 No.644
>>122
そうでしたか。
素人な面をお見せしてしまいましたね。

ブレーキ時に車輪を締め付けている鋼鉄や合金(レジンジュー)が
車輪のわずかな凹凸によってカタカタと発音する、と聞いていま
したので、最近の空気バネ台車は「ディスク」ブレーキなのだと
勝手に思い込んでいました。

124: 名無し:2018/11/17 13:43 No.645
5306Fが入場、なんと廃車も取沙汰されているようです。
私的メモから45年間の大まかな変化をまとめてみました。

'73(S48)9.14 5306-5856-5866-5406+5307-5857-5867-5407
で初確認。5407 5856の「車検票」では48-8製造となっていました。
<5304は48-10製造となっていたようで、逆転していたかも。>
この後5年半が最も華々しい時期で、急行を中心に特急(ノンストップ)
運用にも度々活躍しました。
'79(S54) 3.8 5連化 5306-5856-5406+5307-5407
'80(S59)9.13土 6連化 5306-5856-5406+5307-5865-5407
'82(S57) 9.9木 7連化 5306-5856-5866-5406+5307-5865-5407
以降36年間この編成で普通運用を中心に活躍したことになります。
停車駅が増えた後の急行、準急を含んでいることはもちろんです。

比較的シンプルな変化の一生と言えるかもしれませんね。
間違いなどあればご指摘ください。
 

125: 名無し:2018/11/17 17:05 No.646
>>124
'80(S59)は'80(S55)でした。

126: 板主:2018/11/19 08:18 No.647
みなさま、どうもありがとうございます。

以前にも書いておりますが、9300系はフラットがかなりひどく感じられます。
自分は京都線の線路脇に住んでいますが、時と場合にもよりますけど、かなりの
音を立てて走る場合も少なくないです。夏場に窓を明けっ放しにしている場合は、
ひどい騒音です。鉄ヲタですが、この音は走行音ではなく騒音に感じますね。
それに対して新1300系は音もなく忍び寄るような感じです。

127: 板主:2018/11/19 08:19 No.648
5306Fのことは初めて聞きましたが、復帰してほしいですね。前期製造車で唯一
車体更新はしていない編成だと言うことで、どうなるのか。先輩たちも多いですが。

今のところ新1307Fの登場による廃車は出ていないと思います。必ずしも、
従来車の引退(除籍日ではない)の翌日に新車が走り始める訳ではなく、
しばらく共存することもありますが。

128: 板主:2018/11/19 08:21 No.649
話が変わりますが・・・

昭和40年代後半から60年頃に掛けては、620両もの車両が冷房改造を受けており
(能勢電1500系も含む)、それとは別に19M2ドア車の3ドア化工事や、冷房と同時の
表示幕改造(3300系など)、710・810系の更新工事など、手間のかかる大改造工事が
連発していました。

冷房改造は毎年平均41両が改造されていたことになる訳で、すべて8両編成だと換算
すれば、年に5編成も改造されていたことになります。

ということは、それだけ車両の数に余裕があったと考えられます。ギリギリだったのかも
知れませんが。

129: 板主:2018/11/19 08:27 No.650
この17年ほどは毎年僅かずつの改造しか出来ていないように感じられ、5000系を除く
6000系以前の形式は、ごくわずかしか「リニューアル車」が誕生しませんでした。
5300系8連のように「前の様式」での更新が21世紀初頭まで続いていた形式は別としますが。

従来車も「余裕を持たせる要員」として、あるいは鉄道利用者は減ったけれども、
高齢者が増えたり外国人観光客が増えたための、増発や増結のために活用して
もらいらいと思います。京阪は新3000系にもプレミアムカーを新造しますし、
JR西は新快速にAシートを設定するようです(グリーンの復活にはなりませんでした)。

自分が9300系の情報に疎いのは、結局のところ、9300系以外が登板する種別に
ばかり乗車しているからでしょうね。

130: 板主:2018/11/19 08:35 No.651
特急はすぐに満席になるし、立ち客も含め混雑するので避けていますからね。

あと北急8007編成が「リニューアル」されていますね。先日乗って気づきました。
阪急のリニューアル車とは違って、壁紙を貼っただけのようにも感じられますが、
いずれにせよ内装が美化されて良かったです。

131: 板主:2018/11/20 01:57 No.652
こんな時間になんですが・・・

昨日、あれから車に乗る機会があり、おそらく15年ぶりくらいに、
車に乗った状態でならば30年ぶりくらいに正雀の外周を眺めてきたの
ですが、5407は標識灯は外されていましたが、側面の車番の周りが
チョークで囲われたりしてはいませんでした。5307なども見えましたが、
編成の並びがメチャクチャになっているようでした。

あと5416あたりも幕が外れたような状態で工事中のように見えました。
JR側には9303Fの中間車が見えました。

132: 板主:2018/11/20 01:58 No.653
もちろん自分が運転している訳ではありません。そもそも免許ないし。
また徐行や路駐などもせず、JR側から薫英の方へ走り抜けて行く間に
見ただけです。3417と思われる褐色の撤去車も見えました。

自分自身が色々と揉める原因になるので主に過去形の話で進めて下さる
ように言っておりますが、今日はかなり久方ぶりの正雀だったので書き
ました。JRで岸辺を通り過ぎる時も、受け入れたくない現実を見るのが
嫌なので、最近は背を向けて通り過ぎますね。

133: 名無し:2018/11/20 17:04 No.654
>>131
5407などが廃車、即解体ではないようで、
ホッと一安心しました。

>>132
私も若い頃、正雀車庫外周を時々歩いたものです。
'75~'78ごろのメモが残っています。
今より開放的?で、車庫内の車両もたくさん見えた
感じですね。
国鉄ぎわの連絡線路もそのままでした。

以前にも書き込んだかもしれませんが、
'78.3.29水のメモです。
4001 4501 5418 2358 2353 6452 5414 5404
2395 2393 670 5405 2367 2371 1651 5412
3361 3356 2071 6115 2862 5103 5420
955 951 カバー包装車 672 669 639 2015
車両の並びから見て、外周を左回りに歩いたメモのようですね。

134: 板主:2018/11/22 20:47 No.655
ありがとうございます。

国鉄・JRへの連絡線も残しておけば良かったのにと思います。
人間はそんなに遠い将来まで見通すことはできません。私の
経験では、捨てずに取っておいたものが、時間が経ってから
役に立つ例が多々ありました。

当日の車両のお話ですが、今は亡き電動貨車やかなり前に消えた車両から、
今もいるor最近までいた車両まで色々いますね。610系は能勢電への移籍待ち
でしょうか。

135: 板主:2018/11/22 20:49 No.656
今日は昼13時台後半に特急で正雀を通過しましたが、
踏切通過時に一瞬見えただけですが、3317とおぼしき車両が
一部のガラス部分がビニールが覆われた状態で佇んでいるのが見えました。
つまり、その位置より本線側に車両がいませんでした。

相当痛んでしまっている車両を後生大事に取っておくかと思えば、
リニューアル車両があっさりと解体されることもあり、よくわかりません。

この月曜日は、桃山台のあたりから摂津(市役所)方面に行くのに、
車のナビで距離的に一番短くなるルートを検索したら、岸辺のアンダーパスを
潜って地上に出、JRの線路脇を走り、右折して薫英短大への道へ行くという
結果が出ました。当日、正雀の車両たちを車から見るとは思いませんでした。

136: 名無し:2018/11/23 17:34 No.657
>>134
そうですね。いろいろと思い出します。
4001 4501 についてはその特異な姿が頭に浮かびます。
2395 2393 などは当時編成両数の関係でT車が外されていました。
2071 2862 2015 などはそれぞれ改造中だったのでしょう。
6115 5420 などは新造営業開始を控えての留置のようです。
工場内の車両も今より見えやすかったと思います。

137: 板主:2018/11/23 22:35 No.658
4001や4501に関してはまた画像を見ておきます。
2300系が冷房改造の前後に変則的な5両を組んでいたのは
車両アルバム.16でも見ました。
2071や2015は冷房改造中、2862は3ドア改造中と言ったところでしょうか。

JR側も今では植物が植えられて垣根のようになったと言いますか、
先日通った時には見にくく感じました。

今日は烏丸20時34分発梅田行き9401の特急に乗りましたが、
8両ともかなりの混雑で、なおかつ9401は終始フラットが
カタカタと音を立てて気ぜわしかったです。近鉄電車みたいに
柔軟に編成が長くなれば有り難いです。

138: 名無し:2018/11/24 17:27 No.659
4301という車両もあったような。
神宝線には、元200の4207 4208 4209 4210
がいましたっけ。
時折、軽快にバラスを積んできて停車し、
線路ぎわに下ろして走り去って行きました。
運行標識は丸型の「貨」でしたので、
幼少時の私は貨物列車だと認識していました。

139: 名無し:2018/11/25 20:24 No.660
4301は新京阪が建造した電気機関車ですね。晩年は正雀車庫で牽引車としてS61年まで使われていました。

140: 板主:2018/11/25 21:40 No.661
4301は車庫だけでしか走らないので、最後は籍のないまま存在していたのでしたかね。

自分はWikipediaと交友社の「鉄道ファン」のHPが、現在進行形の情報を知る唯一(唯二)の情報源ですが、
やはり5306Fは廃車になってしまったようですね。それと同時に自分が先週車庫で見た5315Fの7連化に
向けた工事も行われているようです。

少し前までは2000〜3100系や2300系の減少を気にしていたのに、今では6000系や5300系まで淘汰
される時代になってしまったのかと思っております。さすがの阪急電車でも40代半ばに差し掛かると
廃車になる車両が出てしまいます。能勢電への譲渡は廃車の範疇には含めません。

141: 板主:2018/11/25 21:49 No.662
2301Fが嵐山線から引退した時は「とうとう引退か」「桂まで来れば
いつでも会えたのに」などと思っていましたが、この当時同編成は
45才でした。でももう随分働いた車両として認識していました。

3000系は2008年に初めての廃車が出ましたが(3072F)、
これは同系の登場から44年目のことでした。廃車が本格化した
2011年は47才でした。

自分は3300系以降の車両はいつまでも若手の感覚のままですが、
リニューアル車などもいるものの、彼らも決して若手ではない、
後悔しないために今から出来ることをしておくのが大事なのかも
しれません。8000・8300系ですらもう30代に入る訳です。

142: 板主:2018/11/25 23:04 No.663
昭和50年代(昭和49年末〜60年3月頃)の10年間で、神宝線は600系から1000系列
非冷房車まで年齢差が最大35年もある200両以上の面々が一挙に廃車されています。

600系=12両、900・920・800系=90両、810系=26両、
1000系列非冷房車=74両、能勢320・380・ 500形=36両(最終廃車は61年)

これらの多くは6000系や7000系によって代替されたことになるかと思います。

更に引き続いて1000系列の冷房車や2000系・5200系の廃車が続き、
昭和49年の末から平成5年夏まで17年ほどは、常に廃車が発生する状況にありました。

新1000系列登場後の今の時代は、この時代と似たような状況になるのかも知れません。

143: 名無し:2018/11/26 19:32 No.664
>>140
やはり5306Fは廃車でしたか・・・。
本当にショックですね。

会社側は「計画に沿って容赦なく」、という
感じですね。

もはや、5100 5300系、いや7000系についても
7025や7016は余剰がらみの譲渡ということでもあり、
時代の流れとは言え、寂しい限りです。

阪急がすべて9000系以降の車両になった時には、
もうあまり見に行く意欲がなくなる気がします。

144: 名無し:2018/11/26 20:18 No.665
5100や5300系も制御装置や論理装置などの電子部品が入手出来なくなっていることは十分考えられます。5306F廃車は部品取りの側面もあるかと。

145: 板主:2018/11/27 07:08 No.666
2000年1月1日現在では、新系列高性能電車で事故や震災を除いて廃車が
発生しているのは2000(2071、2100系含む)、2800系、5200系だけで、
それ以外の形式は全車健在でした。表示幕車両も全車存在していました。

この時点では最年長の車両もまだ39年数ヶ月であり、40才を超えている
車両はいませんでした。1989年3月に1010、1100系が全廃された際に、
阪急で最年長だった車両は28年数ヶ月で、今の8000Fよりも若かったことに
なります。92年4月には能勢電610系が廃車されましたが、やはり40年には
届いていませんでした。

146: 板主:2018/11/27 07:19 No.667
もちろん、3300系以降はまだ一部が廃車になっただけで、大半の車両が
残っている訳ですから、完全になくなるのはまだまだ先のことでしょう。

5000系はリニューアル直前に正雀の方から「60年使う」と聞いていますので、
残る10年は今津北線で活躍が続くものと思います。

5100系に関しては制御系を中心に何らかの工事を行うと聞いたことがあるの
ですが、結局は何もせずだったのでしょうか?リニューアルも2編成に施された
だけでしたよね。

147: 板主:2018/11/27 07:30 No.668
JRになってからも例外的にクモハ12や42が各々2両ずつ残りましたが、
いずれの場合も先に1両が廃車され、もう1両はしばらく活躍したかと
思います。これも部品取りだと思います。南海から福井の京福へ、JR
東日本から四国へ車両が譲渡された際も、部品取り名目の車両も回送
されていますね。

阪急は車体を丁寧に更新することは昔からやっていますが、2ハンドル
車においてメカ系の更新は2300系をチョッパにしたくらいしか思い当
たらず、消極的なのかと思っています。2800系も一度は計画されました
が、廃車されることになりましたね。

148: 板主:2018/11/27 07:56 No.669
810系や710系が車体更新したものの、想定以上に生活水準が高まって
通勤電車にも冷房化の波が押し寄せたため、冷房改造するのに難のある
両形式は廃車が早まったと正雀の方から聞いたと書きました。

9000系よりもコストダウンをはかった新1000系列を量産することで
廃車が早まった車両もいるかと思います。

それにしても1000〜1014の120両が5年で出来ましたが、3300系は
昭和42年から44年の2年あまりで同じ120両が製造されており、如何に
急激な増加であったかが分かります。しかも3300系の製造と同時代に
廃車されたと考えられる京都線系車両は、45年3月に引退の200系2両
しかなく、万博や堺筋線を始めとした車両需要の増加が著しかったかが
分かります。

149: 板主:2018/11/27 08:20 No.670
連発して書いて悪いです。
920系が廃車になった昭和57年当時、神宝系で最年長車は810系の32才で、
810系が廃車になった昭和60年当時、神宝系で最年長車は1010系の29才でした。

本線運用という点では昭和52年当時、神戸本線では47才の900系が走っていますが、
翌年には18才の2000系が最年長になりました。宝塚線も昭和53年に最年長だったのは
1000形の24才くらいになるかと思います。

京都線系も昭和53年頃には梅千系統が走る区間や正雀出入庫系を除けば、当時18才の
2300系が最年長になっていたかと思われます。

阪急神宝線で急激な車両の入れ替えは、昭和50年代の10年間、あるいは平成4年の夏まで
含めた17年間が最も著しいと思います。その後は増結車の製造などを除けば、14年間も
新車が途絶えることになります。※142の投稿ですが、600系は18両ですね。

150: 名無し:2018/11/27 21:35 No.671
>>144
今津北線の3000系が1個パンタ化されたのも
予備用に取っておくとのことでしたね。
西北側2両目のみ1個パンタ化されていました。

>>141
私はさらに古い時代(年齢)のためか、
2000系以降が「新車」でした。
1010/1100系が「中車」(外観上1200系も)、
それ以前の吊り掛け車群が「古車」でした。
そのため「新車」が廃車されていくこと自体
違和感があります。
というか、1010/1100系も廃車が早く過ぎた
ですね。本当に美しい車両でした。

151: 板主:2018/11/28 07:41 No.672
3000、3100系のパンタは阪神大震災で壊れたものがありました。
5000、5200系では破損したのはなかったのでしょうか。

3000、3100系は回生ブレーキではないから、本来は1台でも充分集電
できると思うのですけどね。McとMに分乗していたのをMにまとめる
必要性はあったのでしょうか?

幼少期の自分も同じように2000系以降を「新しい電車」、1000系列以前を
「古い電車」と認識していました。おっしゃるように自分も「新しい電車」が
廃車されていくのには違和感がありますね。

1000系列は30年前後での廃車であり、今で言えば8000系が廃車されて行く
ような感覚です。でも年齢はともかく見た目が「古い電車」なので、廃車されても
何も違和感がありませんでした。当時の自分に取っては920系などと同様の
「古い電車」でしたので。

152: 板主:2018/11/28 07:48 No.673
昔の古い電車(客車とかも含む)はデザイン的に古いと感じるだけでなく、
幼少期の自分は時としてこわい印象を持つ車両もありました。これは古い
家や病院などをそう感じるのと同じではないかと思います。顔つきも朗ら
かなものから厳めしい顔までいました。一方で昭和30年代に登場した車両
のデザインは、その後も長く引き継がれ、今見ても古さを感じないものが
多いです。

153: 板主:2018/11/28 21:56 No.674
今日の昼12時35分過ぎの淡路発北千里行きの3366は超満員でしたね。
昼からの授業に出席する関大生が多いのでしょうか。若者が多かったです。
関大前は北側に改札がありますので、北千里側の車両が混む傾向にあります。

昔に比べて客数は減りました。でも混雑度は上がっているのでは・・・と
体感的に感じます。いつもそうですが、種別による偏りが激しいのでしょうかね。
必要に応じて夜でも10両とかがあれば良いのにと思います。

いつも万博方面に行った際に立ち寄り、直近だと4月に山田に行った際にも入店した
コーナンの千里山田店が全焼してしまいました。一体何があったのかと思います。

154: 板主:2018/11/28 22:14 No.675
2800系の2880番台が抜かれた際は、当時の普通はすべて7連以下
だったので何とも思いませんでした。

しかし普通列車も8両で走るようになった1989年以降に、8両が7両に
減らされるのはとても残念な気がしますね。本格的に発生し始めたのは
2300系7連の廃車に併せた3300系の7連化ではないかと思います。

この時代は水無瀬なども8両対応され、河原町の2号線を除いて全駅が
8両対応になっていたかと思います。

155: 名無し:2018/11/29 11:21 No.676
>>151 152
私は、1000系(以降)が阪急初の「高性能」電車という
何かの記述を読んだことがあり、また外観も
かなり柔らかい「女性的」な印象で、それ以前の
920形などとは決定的な差異を感じていました。
920形以前は「男性的」な顔で、さらに近代化以前の934形や
いぶし銀の顔つき600形などは、板主氏の「こわい」印象に
つながるのかもしれません。

2000系以降もどちらかというとやはり「女性的」な顔だと感じます。
ただ、9000系は威圧感があってやや違ってきました。
新1000系は「中性」といっては失礼でしょうか。

156: 名無し:2018/11/29 19:38 No.677
>>153
3366号に乗っている関大生たちは、
乗っている車両が自分の年齢よりもはるかに上で
自分の親よりも年上かもしれないことを
認識しているのでしょうか。
そんなことは考えもしないのでしょうね。

157: 板主:2018/11/29 22:00 No.678
>>155
ありがとうございます。
幼稚園児頃の自分は1000系列は丸い顔の古い電車、
3桁は四角い顔の古い電車と、なんとか区別は出来ていましたね。
ただこの頃はまだカルダンや吊りかけなど分かるはずもない年頃でした。

先週月曜日に正雀の横を通った際、5100系の原型顔(奇数車)が先頭と
なって走っているのを見ました。とても懐かしかったです。2000系に比べると
面長になり、2000系のような柔らかい印象からは少し外れる気がします。
(5132などパンタが運転台の上にもある車両は更に面長に見えたものでした)

158: 板主:2018/11/29 22:06 No.679
7320Fは「えなり君」などとも言われているようですが・・・
9300系は彫りが深いと言いますか、外国人的な顔立ちかも知れません。
古い方の1000系は正面ドアが付いているけれども、やはり湘南型の
流れを汲む顔だと思います(国鉄で言う70、80系やEF58の2代目の車体など)

今の1000系は鼻筋がないからか、ちょっと何とも言えない顔でしょうか・・・

600系は弓なりになった雨樋と言いますか、あの印象が「こわい」顔つきに見えました。
国鉄の客車で花魁列車(建築限界を測定する車両)がありますが、あれを宮原で見た時も
グロテスクな感じがしました。旧型客車は古い日本家屋のようで、内部も木造で電球の
光も見方によっては寂しげでした。

159: 板主:2018/11/29 22:12 No.680
>>156
3366は昭和44年生まれなので、彼らの約30年上ですから、
親世代になりますね。しかしデザイン的に古びてこないし、
そんな前から走っている車両だとは誰も思わないでしょう。

昔みたいにあからさまな差がないですから。

同じように大差を感じられなかったからか、
旧1000形は竣工時に新型車とは思われなかったそうですね。

160: 名無し:2018/12/01 07:43 No.681
「顔」の話題で思い出すのが、窓枠のHゴムです。
特に先頭車正面の窓の白いものは表情を変えていました。

古くは610系の後半(たしか617号以降)や1100系の前半
(2扉車だった1100~1107)などは美しさを表現していました。

これも既出ですが、1100号のアルミ枠化はなんとも
不似合いでしたね。

161: 名無し:2018/12/01 13:53 No.682
800系 710系などは晩年に前照灯が
2000系以降のものになっていました。
運転上は改善したかもしれませんが、
外観的には、せっかくの「男顔」が
「去勢」された印象でした。
せめて突出型ライトのままで2照灯化
してほしかったものです。

162: 名無し:2018/12/02 03:22 No.683
一昨日、阪急に乗りました。

9401号はまだカタカタと音がしていました。
制動時にも続いていましたので、かなり重症?

同日、四条大宮の嵐電駅前は黒山の人だかり。
あれは嵐山への観光客だったのでしょうか。
何分毎かの単行ではとても乗車できるような
人数ではありませんでしたが、嵐電は連結運転
しているのでしょうかね。

163: 板主:2018/12/05 21:52 No.684
ここのところ猛烈に忙しくて、なかなか書けませんでした。

今日は帰りにスーパーに寄ったら、レジで前の人の購入金額が
2307円、支払額5310円、おつり3003円となっていたので、
何だか見たことがある数字ばかりだなあと、ひとりでにやけていました。

1000系列はHゴムの有無で表情が異なりますね。
710・810系に関しては、何かの本で「原型のよさ」を特集した記事があり、
そこではヘッドライトの交換で顔が変わってしまったことを残念がる趣旨で
書かれていました。P6の幌が変わったことに付いても、否定的な意見を持つ
人がいますね。

164: 板主:2018/12/05 21:52 No.685
国鉄でも153系から始まる顔がデカ目からシールドビームに変わると、
更には運転台の高さが変わると、少々控えめな顔つきになったように思います。

最近は嵐電に乗っていませんが、昔は連結運転もしていました。
京福は今でこそ京阪グループですが、昔は車両などは阪神との繋がりが
大きかったですね。現・叡山でも元阪神や武庫川製の車両がいますし、
福井地区でもそうでした。ただ福井では阪神車両は消えましたし、
武庫川製も1両になったはずですね。

165: 名無し:2018/12/08 07:40 No.686
>>163
私もいろいろな場面で阪急の車番を連想します。
車のナンバープレートをみては、阪急車両を思い
出して昔の情景を振り返っています。

166: 名無し:2018/12/08 11:19 No.687
正雀車庫の外周を歩いた記憶から、
思い浮かんだことですが、当時、
外ぶちの道路との境界には
黒ずんだ枕木のような木が有刺鉄線を
伴って建てられていました。
あれは、元枕木だったのでしょうかね。
もっとも、線路ぎわにはどこにでも
あの木製のものが並んでいた気がします。

167: 名無し:2018/12/08 16:33 No.688
>>111
You Tubeに2070F3連のお別れ運転の映像が
ありました。
車内で記念のラガールカードを販売する様子
などもありました。
板主氏は乗っておられたのでしょうか。
たとえ映っておられても承知するすべも
ありませんが・・。

168: 板主:2018/12/10 07:21 No.689
>>165
自分も車のナンバーだったり、ICOCAの残高だったり
予期せぬところでなじみのある数字が出てくると何か
見入ってしまいますw

>>166
正雀もそこら中の線路ぎわも古い枕木を転用した柵が
ありましたね。今でも十三の旧淀川女子のあたりなどは
木の柵が残っていたかもです・・・

>>167
自分は2000系の惜別列車には乗っていませんね。
唯一乗車した惜別列車は2800系だけです。
他形式の中間車や能勢電に行ってからではなく、
本来の姿としての2000系に神戸本線で乗った機会は
かなり少ないです。

100km/hを超えたあたりから感じられる2000系独特の
振動というのも自分は意識して感じたことがありませんでした。

169: 名無し:2018/12/11 15:55 No.690
かつての宝塚線ではカーブ区間も多く、
とても100km/hには達しませんでしたが、
十三・三国間、石橋・池田間は60km/h前後まで
スピードが出ていました。
昔の吊り掛け車のうなり音は相当なものでしたが、
2100系のKS台車車やFS345車でも60km/hで
振動がありましたね。

2300系や3000系、3300系の音が云々される昨今ですが、
静かなものですよね。

170: 名無し:2018/12/12 19:55 No.691
昔の宝塚線は80km/hが最高設定でした。その関係で2100系の定速運転設定は最高が80km/hでした。
昇圧後はパワーが上がり加速が良くなって90km/hまで上がりました。920や810系は特に速くなった感じでした。
現在は100km/hまでOKになりました。

171: 名無し:2018/12/14 02:16 No.692
宝塚線は旧能勢街道に沿って建設されたためか、
梅田から北進と北西進を繰り返しています。
旧三国駅北方の急カーブ、服部(天神)駅北方、
地上時代の曽根駅南方、豊中駅北方、蛍池南方、
石橋駅北方などかなり低速までの速度制限がかかる
カーブで、徐行と力行をくりかえしていました。

172: 名無し:2018/12/14 19:39 No.693
私は、宝塚方先頭車に乗ることが多く、
2105 2108 2110には頻繁に乗っていたはずです。
6連時代はともかく、7連化、8連化が進む時期には
2100系は池田(雲雀花)以南の運用に就くことが多
くなり、2021系に比べて急行運用は少なくなった
記憶があります。

173: 名無し:2018/12/14 20:00 No.694
2100系は最高速度が90km/hになってから性能不足が目立ち
冷房化すると重くなってますます性能不足になるため能勢電へ移籍しましたね。

174: 名無し:2018/12/15 11:26 No.695
阪急では最後まで非冷房でしたね。
しかも昇圧時に動かした運転台側の
1個パンタで不格好なままでした。
能勢電で長く活躍できたのが幸いでしたが、
1500番台というなんとも馴染みのない
車番になってしまって断腸の思いでした。

175: 名無し:2018/12/15 18:19 No.696
冷房改造して重たくなったというのは、
1010・1100系も同様でしたね。

1010系はMMユニット、中間のT車も
冷房改造されないままでしたね。
結局改造されたのは、1026(4) 1030(2)
1032(4)の10両だけでした。
T化された1000系4両もそのままでした。

1100系は、1102(4) 1104(4) 1106(4)
1108(4) 1110(4) 1113(4) 1115(4)
が冷房改造しました。
1112(3)はどうだったのか忘れました。

176: 名無し:2018/12/15 20:11 No.697
1010,1100系は昇圧時電制を廃止ししモータをそのまま使用したので90KW→110KWにアップしたが
2100系のモータは複巻を直巻に巻変えた際も100KWのままでした。
2163以下の最終編成は150KW化されギヤ比も2000系と同じになって実質2000系化されました。

177: 名無し:2018/12/17 08:46 No.698
2162Fは出力アップ時、台車の軸ばね用
オイルダンパを取り付けて出場しました。
当時は神戸線用には取り付けられていましたが、
宝塚線用には不要ということで、外されていました。
しばらく宝塚線で使用され、何か付いているのが
わかりました。
その後、神戸線にも不要だと判断されたようです。

178: 名無し:2018/12/17 20:33 No.699
FS345系の軸バネはエリゴバネ(コイルバネをゴムで包んだもの)に取換えた際軸バネ部のダンパが取外されました。
それ以降跳ねるような感じの乗り心地になりましたね。

179: 名無し:2018/12/20 17:25 No.702
板主様
お身体などお悪いのでは、と気にしております。
御忙しいのであればよいのですが。

180: 板主:2018/12/21 07:26 No.703
はい。元気に過ごしておりますが、なかなか書けません。
少しお待ちください。

181: 名無し:2018/12/21 08:31 No.704
わかりました。
安心しました。

182: 名無し:2018/12/21 08:38 No.705
>>177
2162Fの昇圧改造(1個パンタ化)は、'66.12.14に
見たメモがあります。
おそらくこの際に出力アップされたのでは、と
思います。
製造後4年ほどで「2000系化」されたことになります。
翌'67.10.18に神戸線に移動をメモっています。

183: 板主:2018/12/22 05:21 No.706
>>169
自分は京都線での経験が主ですが、2300系の汽車会社のエコノミカル台車に
関しては振動や乗り心地の面で、いい印象は持っていませんでしたね。
ただし、趣味的には好きでした。特に梅嵐急行で走ったりするときなどは。
淡路の複雑なポイント上を走るときも、えらい音を立てていました。

2100系ですが能勢電に行ってから当面は鋳鉄のブレーキを使っていたとかで、
移籍してから見に行くと、まるで昔の電車のような感じがしました。

>>170-171
三国駅が今の姿になった際に、100キロが可能になったのでしたかね。
現在の高架線を通過列車がスイスイと走る姿を見ると、直角のような
カーブだった地上駅時代が愛おしく感じられます。

豊中も急カーブだったのが変わりましたね。元々の線路の場所は、
今はバス乗り場になっているのではないでしょうか?白い駅ビルは
今も健在だったかと思います。

184: 板主:2018/12/22 05:22 No.707
曽根の南側は確かに高架になってからはカーブが緩和されていますね。
昔は急行でも結構ゆるやかなスピードでしたから。三国ほどではないにせよ。
北側の構内踏切と黄色いトゲトゲが懐かしいです。ボーリング場の絵もかなり
古いものですね。

>>172-174
2100系の処遇に関しては阪急車内でも色々なプランがあったと聞きます。
具体的にどうだったのかは知りません。能勢電の在来車の廃車時期と合致
したから移籍できたのかと思います。

2153と2159だけは例外的に3000系の編成内で冷房改造され(のちに2代目2055と2059)、
2153に至ってはこの番号のまま表示幕も設置されていたかと思います。

185: 板主:2018/12/22 08:07 No.708
>>175
1010・1100系の冷房改造では1050形は対象から外されていたようですね。
1000形も屋根の形状が違うからか、対象外だったようです。

冷房改造車は宝塚線向け8連4本と、今津線向けの1030×6連の38両でした。
従って、神戸本線を1010・1100系の冷房車が旅客運用に就くことはなかったと思います。
1050形を除く1010・1100系の約半数は冷房車になったことになりますね。

>>176
2162を梅田側先頭とする編成は、実質2000系と言うことで京都線でも走りました。
万博関連を除くと、3本線全てで旅客運用がある車両は珍しいかと思います。

186: 板主:2018/12/22 08:08 No.709
>>177-178
たしかにこれで乗り心地は劣りました。ただそうしても、当時在籍していた
先輩車両と比べれば良い乗り心地だったのかも知れませんが、後に空気バネ
台車が主流になってくると、見劣りするようになってしまったのかもと思います。
さらに保線もどんどん手を抜いているように感じられます。

若年層が2000〜3100系の乗り心地に付いてボロクソに言っているのはとても
嫌でした。本来はこんな乗り心地じゃなかったのに・・・。狭軌ですが、泉北
あたりが同系の台車を使っていたかも知れません。

187: 板主:2018/12/22 21:43 No.710
>>184の「2153と2159」は「2153と2155」の誤りです。

188: 名無し:2018/12/22 22:31 No.711
南海電車の標準ミンデン台車は7000系と旧1000系(ヒゲ新)のM車が履いていました。
両車は廃車になりましたが旧1000系の台車は今も6000系T車の一部に活用されています。
空気バネということもあって他のSミンデン台車よりは柔らくて良い乗り心地です。
たくさんあった標準ミンデン台車も阪急3000系と東武6050、8000系の一部に残るだけとなりましたね。

189: 名無し:2018/12/26 19:29 No.712
今日(26日)阪急に乗ってきました。
おそらく今年最後になるかと思います。

京都線では、3328Fが8連に復帰、5315Fが7連化
悲喜?こもごもですね。
5415,5316なども廃車になってしまうのでしょうか。

宝塚線では、5100 5104 5106の3編成が急行を担当、
5100系の存続も心配されるご時世になりました。

神戸線では、6050Fが姿を見せてくれて、これもまた安心
しました。

京都線の淡路・上新庄間の北陽高校あたりのカーブに
大きな土のう袋のようなものが線路わきに置いてありますね。
もうかなり前から見かけるような気がするのですが、
何なんでしょうかね。
それと、淡路付近の高架が現在の駅の南側にそびえています。
淡路駅はかなり南よりに移るのでしょうかね。

身体が元気なうちに、来年も見に行きたいと思っています。

190: 名無し:2018/12/28 06:27 No.713
26日に乗った特急9310では、冬休みの小学生高学年と
思われる少年二人が先頭の映像を動画撮影していました。

私の小中学生時代には、おもちゃのような二眼カメラで
阪急を撮影しては興奮したものでした。
今や死語となった「フィルム」をうまくかませるように
挿入し、手動で回したものです。
撮影後も手動でくるくる回してフィルムを巻き取って
取り出しました。
現像と引き伸ばしを写真屋さんに依頼し、数日後
受け取りに行く時の興奮も思い出しました。

191: 板主:2018/12/29 22:13 No.714
>>188
自分は泉北線内で南海6000系を見ていたと思われます。
6000系も近い将来代替されることになっていますし、
私鉄の103系と言われた東武8000系も数を減らしつつあります。
これらの形式は非常に長らえていますが、だからこそ惜しい気もします。

>>189
自分は3300系以降はいつまでも若手のイメージのままなので、
廃車になるのはどうも違和感があります。5100系も来年には48才であり、
数を減らしても仕方のない状況ないのかもしれませんが、還暦近い2000系
(能勢電1700系)や3000系がまだ活躍を続けている状況だから、廃車される
のはより一層違和感を覚えるのかも知れません。

192: 板主:2018/12/29 22:15 No.715
1000・1300系登場後はどうも車両の扱い方がある意味乱暴になってきたように
すら思えてきます。昔だったら廃車されるはずのなかった車両までが廃車されて
いるように感じます。ただし、過去の規模の大きかった車両の入れ替え(神宝線
だと昇圧の頃や1975年〜1985年或いは1989年ないしは1992年まで)と比べる
と必ずしも異例とか、前例がないという訳ではないのかもと思う部分もあります。

自分は偶然ですが、先週2度上新庄のご指摘の場所の線路脇を歩いております。
何の袋なんでしょうね。

淡路駅も高架になったら、何とも味気のない駅や駅前になるのかなと思います。
今でも南側の商店街はアーケードをはがされたり、商店が潰されたり、非常に
空虚な状況になっています。JR淡路駅との連絡がどうなるのかも気になります。

193: 板主:2018/12/29 22:17 No.716
>>190
昔はフィルムが高かったし、結果が分かるまで=現像が出来るまでには時間が
かかったし、お金も掛かったし、本当にこれという1枚しか撮れませんでした。
親からも「無駄な写真を撮りやがって!」などと言われて叱られました。

今は撮った直後に結果が分かるし、お金も掛からないし、有り難い世の中に
なりました。動画も同じで、8mmもゼンマイで撮れる時間が限られていたし、
現像もしないといけないし、もう隔世の感がありますね。

写真も動画も今の子たちには有難味がないかも知れません。

「アタック25」のパリ旅行を賭けた映像の問題が始まる時、
児玉さんはいつも「フィルム、スタート」と言っておられました。
後年はビデオテープだったり他のメディアになっていたのでしょうが、
昔ながらの言い方をされていたのかも知れません。

194: 板主:2019/01/01 07:33 No.717
2019年になりましたので、EXPO直通仕様の2019の画像を・・・
http://www.dagashi.org/rail/rail18.html

現在は1706として活躍中です。

昨日は京阪電車で2600系基本番台の2705の準急に乗りました。
2000系としてデビューしてから今年で60年、還暦を迎えてもなお
優等で走る勇士が素晴らしすぎました。片持ち式の幌も良いです。
帰りは2200系の2305(昭和40年、川重製)でした。

195: 板主:2019/01/01 08:53 No.718
昨日乗車したのは2703です。押し間違いました。
2000系としての竣工は1966年製なので最も新しいグループになります。

196: 名無し:2019/01/03 06:37 No.719
2019年、1969年(S44)の宝塚線昇圧から
半世紀になるのですね。
またじっくり振り返りたいものです。

>>194
京阪はやはり昔の薄い緑色がしっくりします。
昨年は、数回のみ祇園四条・出町柳間で
乗車しただけでした。

197: 板主:2019/01/03 17:13 No.720
京阪の一般車、特急も見慣れた以前の塗装の方がよかったですね。
近鉄特急なんかも全然しっくり来ないです。

京阪は戦後、何度も塗装を比較、検討してようやく緑の濃淡や
赤と橙になりました。

近鉄特急の10000系は当初、窓周りが橙、腰板や幕板が藍色でしたが、
10100系ではこれが逆になり、以降の時代まで続いています。

30年ほど前の一般車の塗装変更は特に違和感はありませんでした。

阪神の優等車両も株主総会で「巨人を連想させる色」なので変える
ようにという発言があったとNHKでやっていました。

阪急では8000・8300系登場時には大幅な塗装変更も検討されたそう
ですが、反対意見があって6300系同様の白線だけに収まったようですね。

198: 名無し:2019/01/04 18:53 No.721
>>196
昨年の記録を見なおしてみました。
4/9 2719 7/17 2614
の2回2両のみでした。
10/9に860に乗っていますが、
京都市交区間でした。

199: 板主:2019/01/05 17:08 No.722
ありがとうございます。

保存されている116号車に乗ると、運転台と客室の仕切りが引き戸であることも
京阪電車的な要素だと感じます。運転台車が編成の途中に入り得る5ドアの5000系や
かつての特急3000系までが引き戸になっていますね。

P6のブラインドは現役当時も緑だったのでしょうか。

標識灯の上下の向きは今も走り続ける2600系基本番台を見ても、
京阪・新京阪の伝統を継承しているのが分かります。

200: 名無し:2019/01/05 19:21 No.723
南海も運客仕切扉は引戸ですね。今の基準では常時貫通する仕様では運客仕切扉は引戸にする必要があります。
新1000,1300系の前面扉は非常用なので運客仕切扉は開戸でOKなのです。
JR西も521系以降引戸になっています。

201: 板主:2019/01/07 07:19 No.724
今は基準が変わっているのですね。

今日をもって昭和生まれが全員30才以上になり、
明日からは平成生まれでも30才の人が出てくることになりますね。

30年前のあの日のことを今も深く記憶しております。
新聞も残しています。

202: 名無し:2019/01/09 15:32 No.725
>>192
5000系更新のため5100系から改造編入された
5100系T車5660番台ももう鉄くずでしょうか。
もったいない話です。
せめて番号がそろう車両について、
5114-5664-5665-5115
5116-5666-5667-5117
5118-5668-5669-5119
として能勢電などで使用できなかったものかと
思います。
5119は休車の後、すでに鉄くずでしょうか。

203: 板主:2019/01/09 19:10 No.726
1月4日(金)のテレビ大阪の夕方のニュースで妙見口駅が映っておりました。
5138か5136が改札口を向いた状態で止まっていました。
未だに梅田向き先頭車が北を向いている状態には違和感があります。

元5650形は早々の廃車が見通せていたのなら、私が先日乗車した北急8007編成の
ように壁紙(と思われる)によって内装を美化していたかも知れませんが、ちゃんと
本格的な更新はなされていましたよね。

もっと言えば、2000・2071系に5000系リニューアル車と同等の壁紙を貼っても
よかったのでは??とさえ思ってしまいます。元5000系の一員で最後まで活躍した
2090の引退と、元々2090が挟まっていた5010編成の6連化は2年しか差がありません。

204: 板主:2019/01/09 19:12 No.727
5100系のMc3両は5130号車を完全中間T車化しなければ使い道はあったかも
知れません。今のところ5100系のMcは廃車or電装解除で8両消えています。
これらも部品類を供出する意味合いがあったのかも知れません。

ちょっと話がずれますが、阪急は冷房改造、車体更新、内装更新、表示幕改造を
同時に行う傾向にあったので、例えば内装がかなり痛んでいても、他の更新時期が
まだであれば、そのまま存置されており、何とかならないものかと思っていました。

こういう時にこそ、壁紙で対応していればよかったのにと今更ながら思えます。
2300系のうち非表示で残った面々はあまりに酷かったからか、90年代半ば頃には
綺麗にされて行きました。

205: 板主:2019/01/09 19:14 No.728
阪急は他私鉄に比べて表示幕化の進展も遅れた感じに思えますが、他社における
表示幕改造は必ずしも「大規模な更新」と絡めている訳ではないので、進み具合も
早かったのかなと思っています。

山陽や京阪ならば正面ドアに小さめの幕を付けているだけですし、近鉄は幕板の
上に飛び出す形で幕の装置を付けました。阪急の場合は顔の表情がかなり変わって
しまうし、結局は大規模な更新を兼ねての改造になってしまうのでしょう。

206: 名無し:2019/01/11 19:43 No.729
>>189
いまさらですが、訂正させてください。

12/26の日中に見た編成で、
神戸線の6050Fとあるのは5000Fでした。

また、宝塚線6000系では当日の日中運用は、
6000Fのみの確認でした。
ほんの少し前まで宝塚線では、6000系が大挙して
走っていたのですが、これもまた
時代の流れなのでしょうか。

207: 板主:2019/01/12 17:59 No.730
ここのところ、やたらと7両編成になった5315Fを見ますね。
昨日は乗車しました。決まって5865に乗るようにしています。
1両だけ引き離され、貫通路ドアの窓も小さく、冷房機も小型の
もので目立っております。2017年に全般検査を受けているようです。

昨日は3年ぶりに神戸高速鉄道まで乗車しました。駅の仕様や音楽が
花隈は阪急式、それ以外の東西線の駅は阪神式になってしまったのは
ちょっと残念です。神戸高速まで来たなあ〜という感じがしません。

帰りは新開地21時44分発の1008号車の特急に乗り、十三に着いたのが
22時15分過ぎ。4号線には6000Fが入線してきました。

その後、5号線に移動しましたが、警備員さんがいるだけでなく、
駅員さんも台の上で旗を持って確認されているようです。

208: 板主:2019/01/12 18:33 No.731
警備員さんや駅員さんがいるのは、同じ島式ホームの上でも4号線側です。
一応、補足と言うことで。。。

先日書いたことの続きですが、7000・7300系も更新が進んできましたが、
それ以前は内装の状態がかなり良くなかったですね。去年で全車30代と
なりましたが、30数年手つかずの車内はかなり痛々しいです。

3300系は冷房改造時に内装まで手をつけたのかどうか知りませんが、
仮に手をつけていたとしても、その時から33年以上経っており、
黒ずんでいるような木目も見掛けます。2000系列とは違う退色の仕方です。

塗装車は非塗装車と違い、数年おきに外観が美しくなるのは良いですが、
内装もやはり時折、壁紙でもいいので貼り直さないと印象が悪いかと思います。

一時期、出入りしていたビルのエレベーターも最近壁紙が貼り直されて綺麗に
なりました。

209: 板主:2019/01/12 18:36 No.732
あっ、7327Fは1989年生まれなので今年で30才です。
内装は8000・8300系式なので他とは違いますが。

8000系列も8108などのように部分的に内装の補修を受けた車両が見られます。

210: 板主:2019/01/12 18:50 No.733
お知らせ

大阪地下鉄の駅でもらってきたチラシより
2月23日土曜日に
「大阪・まち・再発見 2018年度 ぶらりウォーク」という催事の第7回目
「鉄道車庫をめぐる」というのがあります。

御堂筋線江坂駅の近くにある江坂公園に当日9時半〜10時に集合し、メイシアター⇒泉殿宮
⇒片山神社⇒JR吹田駅⇒東吹田検車場⇒阪急正雀駅前⇒庄屋公園(休憩適地)⇒阪急電鉄正雀工場
⇒味舌(ました)天満宮⇒大阪モノレール摂津駅⇒鳥飼車両基地⇒別府(べふ)公園⇒井高野駅までの
13キロを歩くという内容です。

東吹田検車場では中も見学できると言うことです。

残念ながら自分は当日は仕事が入っており行くことが出来ないのですが、
興味のある方は参加されてはいかがでしょうか。13キロだと厳しいという場合は
途中でドロップアウトでもいいかも知れません。完歩が必須なんてことはないでしょう。

申し込みは不要で参加費も無料です。雨天決行ですが荒天時は中止だそうです。

211: 板主:2019/01/15 18:10 No.734
1010・1100系の廃車から30年が経とうとしていますね。
阪急の電車として平成時代を迎えたのは1026、1106Fの8両だけです。

1000形を加えると90両で5100系と同じ両数、1200系を加えると110両で
3000系(114両)に近い数です。更に1350形の2両を加えると112両になります。
神戸本線では昭和52年に運用を終了していることもあって、昭和50年代の宝塚
本線では1000系列の存在感は非常に大きかったです。

212: 板主:2019/01/15 18:11 No.735
昭和50年代中盤頃はまだ3桁車が支線運用で走っていたこともあって、より一層
宝塚本線で1000系列を見る機会が多かったように思います。自分は夕方に十三駅の
4号線に準急で登場する姿をよく見ました。

すでに梅千系統の普通でしか走らず、7両2本しかない1300系(1600系を加えても3本)しかない
京都線の住人である自分には、1000系列が8両や優等でも走る宝塚線が羨ましく思えました。

213: 板主:2019/01/16 07:16 No.736
冷房改造され無塗装のアルミサッシを設置された車両は幾分か近代的に
見えました。1000系列の冷房改造前の屋根は810系など以前の車両よりも、
私には古く見えることがありました。

運転台撤去部分も乗務員ドアを埋め立てるなりして「スッキリした」
などと当時の「阪急沿線」には書かれていました。その一方で
「もう先頭に立つことはない」寂しさも感じたものです。

2000系列以降とは違う、ライト類を板で塞いだだけの撤去車も、
これはこれで趣きがありました。

214: 名無し:2019/01/19 13:22 No.738
>>204
5100系McでT化もしくは消えた8両というのは、
5103 5111 5112 5119 5120 5129 5130 5144
でよろしいでしょうか。

215: 名無し:2019/01/19 13:28 No.739
>>207 208
昨年、設置工事中の3号線では、
各車両ごとに1名ずつの「警備員」(最後尾を除く)と
それらの合図を統括すべく中央付近の「駅員(社員)」が
お立ち台で車掌に旗を振って完了合図をしていました。

216: 名無し:2019/01/19 13:35 No.740
16日(水)に今年初めて阪急に乗ってきました。

京都線乗車中にOH終えて西北にもどる7004F 8連と
試運転の6020F 3連を見ました。

7004号の顔を見るのは10年ぶりぐらいかと。
6020Fは昨年暮れの12月25日に試運転中に故障?
したらしいですが、まだ不調なのでしょうか。
たしか20年ぐらい前、甲陽園駅で脱線した事故が
ありましたが、この編成? などと気になりました。

217: 名無し:2019/01/19 23:07 No.741
甲陽園駅で脱線した事故車は6020×3連ですが今回の故障?とは関係ないでしょう。

218: 名無し:2019/01/20 20:14 No.742
>>211
最後まで残っていた1026 1106の各4両ユニットは、
番号上は1010系と1100系なのですが、
1026の4連は昇圧前からかなり長期間宝塚線で使用され、
一方、1106の4連は昇圧前後以降、冷房改造時期も
ずっと神戸線や今津線で使用されましたので、
馴染みの度合いは逆転した記憶になっています。

219: 板主:2019/01/21 18:27 No.743
>>214
それで当たっていますね。

>>215
現在の4号線もお書きのような感じで人員が配置されていると思います。
(しっかり見た訳ではありません)
十三の東側の商店街を駅方向に歩いていると、2号線に停車する1両目のドアが
視線の先に来るかと思いますが、3号線のホームドアのない部分も柵が設置
されたため、視界が遮られる形になってしまいました。余談ですが、線路脇の
そば屋も閉店してしまいました。

>>216-217
甲陽園の脱線事故に付いては知りませんでした。
2008年に6110が脱線したのは覚えています。急カーブなのでフランジが
乗り上げたのでしょうか。

>>218
ありがとうございます。
2ドアとして最後に作られた両編成が最後まで阪急に残り、
3ドアとして最初に作られた1030と1108が能勢電に行ったのは
決して偶然ではないようにも思っております。

220: 名無し:2019/01/21 20:19 No.744
甲陽園駅の脱線事故についてはこちら↓

http://www.mlit.go.jp/jtsb/railway/rep-acci/RA2009-7-1.pdf

記事によると6010Fですね。

事故後駅暫くして分岐器を撤去し2線から1線に変更する工事がおこなわれました。

221: 名無し:2019/01/22 02:29 No.745
>>220
貴重な資料をありがとうございます。
6010F3連化直後のタイミングだったのでしょうか。

カーブ区間のポイントを低速で通過する際には
けっこう複雑な力がかかるのですね。

関東方面でも同様の事故があり、脱線車両車端部の
乗客(男子学生?)が亡くなった記憶があります。

222: 板主:2019/01/23 19:33 No.746
今日は桂車庫構内を行き交う5324Fを見ました。塗装がやり直され、
クーラーのキセも交換されていました。

>>220
ざーっとですがPDFを読みました。
比較的規模の小さな、死傷者もない脱輪事故でも
しっかりレポートが書かれるのですね。

>>221
2000年3月に営団日比谷線の中目黒駅から少し恵比寿方向に行った
地上線で中目黒へ向かう03系が脱線して、対向する東武車両の車体を
大きくえぐってしまいました。

営団の両脇で並走する東急東横線は護輪レールが設置されているのに
営団にはなかったので批判されたように思います。

2013年で日比谷線〜東急東横線の直通はなくなりました。
代わって、東横線は渋谷で副都心線と接続し、更に西武池袋線や東武東上線へも
乗り入れるようになりました。横浜では横浜高速と乗り入れています。中目黒では
東武本線系の車両と東上線系の車両が顔を合わせますし、非常に楽しい場所です。
https://www.youtube.com/watch?v=vdjRPhOGgMg

東横線と目黒線との並走区間ではメトロ南北線、都営三田線、埼玉高速の車両も
見られますし、凄まじいことになっています。今後は相鉄線との直通も予定され
ています。

223: 板主:2019/01/23 20:00 No.747
東武の初代日比谷線乗り入れ形式は2000系ですが、
アルナ製であることもあってか、どことなく阪急的な要素が感じられます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/東武2000系電車

224: 名無し:2019/01/24 15:47 No.748
>>214 219
5100Mc 8両それぞれの思いがありますね。

5103 5112は全く先頭に出ないまま
廃車になりました。
5101~5109の奇数車は専ら中間でした。
5109は能勢電に行ってから日の目を見ました。
5112~5118の偶数車もほとんど先頭には
立ちませんでしたが、5118は変則的でしたね。

5120 5129も全く先頭に立たなかったはずですね。
5120番台の偶数車は5128のみ先頭でした。
したがって5121~5127の奇数車はお馴染みでした。

5130はなんというか衝撃的な改造でしたが、
神戸線では先頭で活躍していたというのに、
何か理由があったのでしょうか。
ただ、5000Fに入って現役でしたっけ。

5144も神宝線では先頭に立つことはなかったようですが、
新製直後、京都線で普通をしている写真が雑誌に載りますね。

225: 名無し:2019/01/25 17:33 No.749
>>224
5111~5119の奇数車について記述を忘れました。
5両とも長く先頭車として活躍しました。
それだけに、廃車や中間化は残念です。

226: 名無し:2019/01/25 17:35 No.750
>>222
板主氏は関東方面についても幅広い知見を
お持ちのようで、今更ながら感心させられます。

227: 板主:2019/01/27 18:28 No.751
>>224-225
5100系に限らず、旅客列車の先頭に立ったことが絶無か殆どない
運転台車もありますね。増結用2連の神宝京側の車両なんかは、
回送や車庫の中だけでしか使われていないかも知れません。

3100系の3100号も晩年に伊丹線に来た時に初めて先頭に立った
という話も聞いています。

短編成化する際には使われていなかった運転台に出番が回って来ることも
往々にしてある訳でして、特に利用者が減少している今の時代は、運転台を
温存しておく方がいいのではと考えています。

3058F3008の運転台も残っていれば、編成を組み替える際の
自由度が上がっていたのではと思うことがあります。

5130は保育社の本で梅田駅に停車する姿が出ていますね。
5144もネットで京都線の特急として走る姿を見たことがあります。

228: 板主:2019/01/27 18:50 No.752
>>226
個人的には最近の鉄道は昔に比べると面白味に欠けると思うのですが、
首都圏は他の地域にはない面白さがあるので、前から興味を持っています。

先日書いたような直通運転も面白いですね。

東急東横線〜日比谷線、日比谷線〜東武伊勢崎線の乗り入れは1960年代
前半に開始されていますが、阪急は東急〜日比谷線の乗り入れを堺筋線
直通の際に参考にしたと言われています。

東急東横線〜東武伊勢崎線への3社に股がった直通は地下鉄車両を含めて
ありませんでした。

21世紀になって始まった東急田園都市線〜半蔵門線〜東武伊勢崎線・
日光線への乗り入れでは各社の車両とも3社に股がった車両運用があります
し、東武線内では日比谷線と半蔵門線の地下鉄車両の並走が見られます。

小田急線〜千代田線、千代田線〜常磐緩行線の乗り入れも、以前は
地下鉄車両のみ3社に股がった運用がありましたが、近年では各社の
車両が3社に股がって運用されています。小田急の車両が千葉県や
茨城県に顔を出したり、JR車両が小田急線内とはいえ準急や急行の
表示を出して走っています。

小田急は国鉄御殿場線に片乗り入れし、民営化後には相互乗り入れに
なりましたが、この時代はJR東日本と東海の車両が、小田急と千代田線の
接続駅である代々木上原にて顔を合わせていました。後に小田急の片乗り
入れに戻り、このような光景は見られなくなりました。

229: 板主:2019/01/27 19:15 No.753
JR東日本も貨物線を使った転線などが面白いと感じています。

横須賀線列車は1980年の秋から現在のルートを走るようになりました。
(東京〜品川は地下線へ、品川〜大船は貨物線へ移行)
品川〜鶴見間は東海道線や京浜東北線と分かれ、内陸部を走るのが興味深いですね。

21世紀になってからの湘南新宿ラインも、北行きを例に出すと鶴見で他2線と
別れ、更に東急下神明駅付近で東京地下駅へ向かう線路と分かれて山手貨物線
に入るところが萌えます。池袋〜赤羽も距離が短い赤羽線(埼京線)ではなく、
貨物線を経由して走る姿が面白いです。

湘南ライナーなどは前述の横須賀線に線路を譲った代わりに作られた貨物線を
経由しますが、これも東戸塚〜鶴見で長大トンネルを通ったり、鶴見や武蔵小
杉での他線との離合が面白く、You Tube の前面展望をよく見ています。

230: 名無し:2019/01/31 03:44 No.754
昨日(30日)京都線ダイヤ改正後初めて
阪急に乗ってきました。

快速特急増発や車両改造など、世間では
休日ダイヤのついてにぎやかなようですが、
平日ダイヤも運用面などかなり変更に
なったようですね。
日中だけの概観を記します。

日中の準急は全て8連化され、朝夕も
7連の準急は数えるほどに激減したようです。
非常時のズレや特発など代替運用を簡潔化
するためなのかもしれません。

ダイヤ面では、下り準急の特急接続が茨木市から
高槻市となり、特急の水無瀬あたりからの続行
状態が解消されました。
上り普通は相川で、準急と特急の2列車待避となり、
準急の摂津市あたりからのノロノロもなくなった形です。
下り普通は茨木市(2列車)と相川(1列車)で優等待避する
パターンとなり、運用が変更、梅田での「高」と「北」の
交換がなって、1運用増えた形です。

車両面では9303FがOH終えて試運転でした。
塚口では3062Fの姿を見て満足でした。

231: 名無し:2019/01/31 03:50 No.755
>>230 文言訂正です。
梅田での「高」と「北」の交換が「なって」は、
交換が「なくなって」でした。

232: 名無し:2019/01/31 18:46 No.756
>>222
30日には5424号にも乗りました。
車外はきれいでも車内は変化なしでした。
5323Fと5324Fの両端各2両は、新造以来
優等列車経験がないのですね。

233: 名無し:2019/02/01 09:50 No.757
>>228 229
なるほど。
機会があれば私も勉強させていただきます。

私は1970年代にTv放送されたドラマ「水もれ甲介」(でしたっけ)
に影響されて、都電の庚申塚あたりを見に行った
記憶があります。
下町の人間味あるドラマでした。
石立鉄男、原田大二郎、村地弘美、それに先日亡くなった
赤木春恵さんなどが好演されていました。

234: 板主:2019/02/03 10:43 No.758
どうもありがとうございます。

昨日は山陽電車まで乗りました。5.5往復以上することが
確定しているので「連絡回数券」を買いました。

十三からは7120の高速神戸行き、高速神戸から新開地は阪神9210に
(急行系車種ですが「普通」で来ました)、新開地以西は山陽の5605に乗車
しました。阪神9210は新開地の中線に到着後、奈良行きの表示になりました。

ただし、神戸高速や山電、神鉄では大阪難波までの切符しか売っていないという
有様です。張り紙を見たら近鉄降車駅で精算するように書かれておりました。

神戸市バスも平成になって初めて乗車しました。

235: 板主:2019/02/03 10:54 No.759
18時台になって十三に帰ってくると、人身事故でダイヤが乱れているという
案内がありました。京都線の最寄り駅では肉声ではなく、予め作成された
日本語、英語、中国語、韓国語の音声案内がありました。今の時代は何でも
出来るのですね。

5323Fは知る限り、かつての準急、現在の準急、97年登場の快速、
21世紀になってからの急行には登板しているかと思います。

5324Fは1990年前後の時代は6両編成でも走っており、嵐山行きの
急行としても走っていますね。レギュラーの急行編成と違い、
行灯の急行表記が真ん中にあったので、目立っていました。

5301、5311、5312(5320と入れ替わっていた時代)などの
嵐山行きの臨時急行も見ています。

236: 板主:2019/02/03 11:00 No.760
俳優さんの話ですが、石立鉄男氏だと「鉄道公安官」が思い出されます。
あと「トミーとマツ」ではエンディングで、黄色やオレンジの101or103系が
映っていたように思います。

赤木さんは自分たちの年代だと「金八先生」ですね。荒川の土手の向こうを
常磐線や東武などが走る風景も映っていたかと思います。野村教頭役で出演
されていた早崎文司氏は大阪経大出身です。

237: 板主:2019/02/03 11:54 No.763
首都圏の路線は文字で書くよりも実際の映像をご覧頂く方が
分かり易いかと思います。

横須賀線(上り)の前面展望
https://www.youtube.com/watch?v=UepzFTIvf1E
33分頃からご覧下さい。まず鶴見線の下を潜ります。
右に京浜東北線や東海道線などが見えています。

鶴見駅にはホームがありません。34分46秒過ぎから、坂を上り
京浜東北線や東海道線などと分かれて左にそれて行きます。

40分を過ぎたあたりから、左手に東海道新幹線が現れます。
このあとしばらくは並走や立体交差が続きます。

47分45秒頃の二叉路を左に進んで、品川へ、更に東京駅
地下ホームへ進んで行きます。

続いて、湘南新宿ラインのルートです。映像はスーパービュー踊り子ですが
https://www.youtube.com/watch?v=fZYNdUjEPxg
先ほどと同じように2時間29分15秒過ぎから内陸へそれて行きます。
そして二叉路(2時間41分20秒頃)では右側に進路を取り、山手貨物線に進入して
新宿へ行きます。1分59秒台の機関車との並走と子供たちの反応も面白いです。

238: 板主:2019/02/03 11:55 No.764
つぎは湘南ライナーです
https://www.youtube.com/watch?v=jK2xsibsuEM
元々の貨物線を横須賀線走行経路としたために、新たに建設された貨物線を走ります。

41分台で東戸塚を過ぎると、内陸のトンネルに入って行きます。一時的に外に出ますが、
完全に外に出るのは51分台の鶴見の手前です。京急を右目に走ります。京急の花月園前
駅は来年3月に「花月総持寺駅」に改称予定です。

53分20秒頃から京浜東北線や東海道線を跨いで、その直後に横須賀線や
湘南新宿ラインの走行路線の下を潜り、更にそれらを右目に見ながら武蔵
小杉に達します。その後は、湘南新宿ラインと同じ経路です。

最後に、小田急新宿駅に常磐線車両が乗り入れた映像です。
https://www.youtube.com/watch?v=h-iZb6m-UyY

239: 名無し:2019/02/05 11:12 No.765
5100系の思い出をもう少し。

5100の0番台は梅田側4連、
5110番台は神宝側4連、
5120番台は神宝京側3連、でした。

1970年新製当時、
5100-5650-5651-5101+5120-5670-5121
5102-5652-5653-5103+5122-5672-5123
の2本が京都線で急行を担当して驚かされました。

5130から5134は3連、5136以降は4連と2連でした。
したがって、中間T車は5681号からずれ始めました。
中間T車は偶数車と奇数車で床下器も若干違っていて
役割も異なるようですね。
偶数車は最終5692まで、奇数車は最終5685まで
製造されました。

240: 名無し:2019/02/06 19:26 No.766
>>239
5681号からずれ出したというのは、
5671号からですね。
初歩的ミスで申し訳ありません。
偶数車も5690号からずれています。
そのままの車番で能勢電で走っているようで
ややうれしい感じがします。

241: 名無し:2019/02/06 20:44 No.767
5650形は偶数車に2両分をまかなう70KVAのMGとバッテリを積んでました。
その後5100形偶数車のMGを4両分まかなう大型のものに取替えた際撤去されました。現在でもバッテリの有無の差はある。
3連の場合の中間車は5650(偶数)が使用されたので偶数車のほうが多いですね。

242: 名無し:2019/02/08 01:47 No.768
>>241
そうでしたか。
最近箕面線で5132F 5134Fをみて、
中間T車の編成にひっかかっていました。

243: 板主:2019/02/08 21:22 No.769
ここのところ、山陽電車に乗る生活が続いております。
水曜日は3050に、今日は3611に乗車しました。
あと1回、3000番台に乗車していますが、車番を忘れてしまいました。

新開地の中線に登場当時の姿に復元された阪急8000Fがいるのを見ました。

阪急5100系は資料によっては昭和46年〜49年に製造されたとなっていますが、
実際は52年まで製造が続いていますね。冷房の室外機は2800系のMcを3ドア
改造した際に取り外したものを移設したはずです。

244: 板主:2019/02/08 21:27 No.770
2800系のMcは14両いて室外機は42台ですから、10.5両分捻出できますから、
昭和51年や52年に製造の車両は、流用した機械を使っていることになります。

21世紀になってからの5000系への編入を除けば、他形式への編入は元5132Fの5671と5682が
5203Fに編入されたのが唯一でしょうか。8両時代は2881-2887も編入されていました。

昔の神戸線はとても華やかだったし、山陽・阪神との離合も素晴らしかったです。
もっと楽しかった時代に神戸線や乗り入れ各鉄道に乗っておけば良かったです。

↓5123も走っています。3本線で活躍した車両ということになります。
https://www.youtube.com/watch?v=EgDOCraAd64
www.geocities.jp/okonominet/sanyoudensyakonjyaku.html

245: 名無し:2019/02/09 07:53 No.771
>>239
5100系の新製は1971(S46)年でした。

車検票メモでは、5101は46-6 5145は46-1
とありますが、5137 5139は48-3でした。
必ずしも番号順に竣工したのではないのですね。

中間T車の件では、5655号もいつも気になります。
早くに5654号(5104F)から離れ、特異な人生、
たしか5104Fが7連化され神戸線で使用されて
いたはずです。

246: 名無し:2019/02/09 17:42 No.772
>>245
5104Fは7連から6連化されるのですね。
5104-5654-5105+5124-5674-5125
須磨浦特急にも使用されていました。

247: 板主:2019/02/11 10:30 No.773
5104Fも三本線で走っていますね。京都線時代の写真↓
http://www.pluto.dti.ne.jp/~nikijin/eisenbahnen/hankyu2/

万国博関連、2000系、5100系、7000系、古くは800、814系くらいじゃないと
旅客列車としての3本線運用は無いですね。万国博関連だけの入線だと、京都本線を
走るのは梅田or十三〜淡路だけになりますが、一方で千里線にも入線できています。

248: 名無し:2019/02/11 17:14 No.774
S55('80).10メモによりますと、
神戸線の5100系は、
5104-5654-5105+5124-5674-5125
5144-5145+5126-5676-5655-5127
5130-5680-5131+5122-5672-5123
5132-5133+5134-5684-5685-5135
5140-5141+5142-5143+5110-5660-5661-5111
6連の編成は当然、須磨浦公園まで乗入したはずです。
さらに>>244にあるように中間車2両が、
5203-5243+5233-5671-5682-5244
となっています。
2両の並び順が注目ですね。
>>241記述の改造前ということでしょうか。

249: 名無し:2019/02/11 20:24 No.775
5200系は梅田寄りのMc'、M'車(上記の編成では5203、5233)に2両分を賄うMGが搭載されているので、5100系とは逆に5650偶数車(MG付)が三宮寄りに連結されています。MGが1両飛ばしで付きます。

250: 名無し:2019/02/13 17:47 No.776
>>247
なつかしい写真集ですね。
板主氏がおっしゃるように本当に
いろいろな車両たちが生き生きと
走っていました。

1970.9.6日の1037号(1112F)エキ準は
この後、万博入場客集中によるダイヤ混乱で
宝塚線帰線ができず、神戸線に入って翌日朝運用後
再び宝塚線に戻っています。

251: 板主:2019/02/15 18:03 No.777
山陽電車まで行く生活も終わってしまいました。
6往復=12回の乗車でした。高速神戸or新開地以西は阪神車両の時もあったので
山陽車両に乗った回数は12回未満と言うことになリます。自分にはなじみのない
霞ヶ丘行きの電車がトンネル内で待機している姿にも萌えました。

今の神戸線は僅かの例外を除けば7000、8000、9000、1000系ばかりになり、
面白味に欠ける布陣となりました。阪急〜山陽の乗り入れも短縮されましたし。
30年前の今頃は、個人的には「メチャクチャ面白かった時代の最後の頃」です。

252: 板主:2019/02/15 18:13 No.778
以前ならば、御影駅のすぐ西にある引き込み線に山陽電車が入っているのを見ると
いよいよ神戸までやって来たなと思ったものです。あの付近から海方向を見ると、
高速道路に掛かる2連のアーチが見え、港町を思わせる光景に映りました。

1970年9月5日(土)は、万博閉幕を8日後に控え、最後のチャンスと言うことで
83万5832人も押し寄せた伝説の日ですね。会場内に取り残された人が5000人、
梅田まで来てもそこから先の交通手段が無いので大阪駅のコンコースで野宿
したり、曾根崎警察に詰めかけたりする人が大勢いて、大混乱になったようですね。

6日(日)の大混雑が車両運用にも大きな影響を与えていたとは知りませんでした。

253: 名無し:2019/02/15 19:29 No.779
>>251 252
私は結局、阪急車が乗り入れている時期に
山陽区間には乗車しないままでした。
しかし、2021 2300 3000 5000 5100 6000 7000
とちょっと思い浮かぶだけでも多彩な車種が乗り入れ
しましたね。
六甲事故で阪急側が相互乗り入れに「嫌気」を持ったとのことですね。

254: 名無し:2019/02/15 19:35 No.780
昨日2月14日(木)、阪急をみてきました。

全線とも盛んに運転士実習が見受けられました。
自分が乗車した京都線特急<11013>列車では、
指導員が時折速度メータを冊子で隠して試して
いましたが、あれは実習者には負担でしょうね。

上新庄付近の土のう袋はそのままですね。あそこは
周辺より低地なので、地下水でも出ているのでしょうか。

1016Fが正雀から回送で下って行きました。
いよいよ3062Fは終焉でしょうか。

255: 名無し:2019/02/16 02:12 No.781
>>253
2000系化した2162Fも須磨浦公園まで乗り入れて
いますし、数的には少ないのかもしれませんが、
2000系も山陽区間に入っていましたね。

256: 板主:2019/02/16 20:54 No.782
山陽との乗り入れが終わった理由として六甲事故がよく話に上がりますが、
事故から14年もありますし、単に時代が変化して、阪急は8両で短距離の乗り入れに、
阪神は6両で長距離の乗り入れに移行しただけではないのですかね。

阪急と山陽が互いに乗り入れるメリットが減ってきていたのではないかと思います。
趣味的には面白くないですけどね。

257: 板主:2019/02/16 21:11 No.783
30年前の平成元年から3000系初廃車の2008年までの19年間で、能勢電譲渡以外で
廃車になった神宝線車両は、平成元年度〜3年度に解体された2000系列15両、
5200系25両、21世紀になってから運用を離脱した2000系列10数両、2800系4両(2842は除く)、
3161×3、震災関連だけで決して数は多くありません。

平成元年度で神戸本線から2000系の編成単位、5000系表示無し編成、5100系、5200系、
2800系T車が消えましたが、この動きで廃車になった車両は少なく、おおむね活躍場所が
変わったために、私は面白さを感じなくなったのでしょう。(3058Fの本線離脱も同じ頃でしたかね?)

258: 板主:2019/02/16 21:16 No.784
他形式の編入にも興味がありますが、5230Fや5203F、5000Fや5002Fを除けば、
8両のうちせいぜい1両か2両含まれているだけでしかなく、自分はそのような少数派を見て
惹かれていただけなので、それらの車両が離脱しても、車両全体の数には大きな変化は
無かったのでしょう

編入だけではなく編成の並びも萌えました。2000系の8両は4+4や2+3+2がいて、パンタが連続したり、
運転台の残存や撤去に法則性も無く、また神出鬼没な形で2071系が編入されていたりして、
たまに十三の176号の踏切で待っていて2000系が来ると大いに魅了されたものです。

多数の車両が能勢電に移りましたが、そう言った楽しさを能勢電移籍後には味わえなくなり、
顔ぶれに大きな変化が無くても、面白さを感じなくなったのかも知れません。

259: 板主:2019/02/16 21:19 No.785
ワンハンドル形式に付いても、神戸線では多種多彩な増結・解放運用があり、十三の1号線で
到着時のおばちゃんの声の放送を聞いているだけでもワクワクしました。

高速神戸以西では阪神電車とも離合し、須磨浦公園まで行っていたのが懐かしいです。
私も山電方面への出張のついでに板宿界隈を歩いて地上時代を偲びました。

260: 名無し:2019/02/18 19:54 No.786
6008Fが4連化されたようで、伊丹線の3000系もあと少しとなってしまう模様です。あれほどたくさんいた3000系に終焉の時を迎えるとは、時の流れは残酷です。

261: 名無し:2019/02/19 19:53 No.787
1017Fも近々出るようなので、3000系は年度末で終焉ですかね。
最後に神戸本線を高速走行して欲しいです。知り合いの元運転士氏は
とにかく良く走る車ですと言ってました。

262: 板主:2019/02/19 20:04 No.788
鉄道ファンのページだと3062Fは2017年10月に正雀を出場、
https://railf.jp/news/2017/10/24/180000.html
3054Fは同年12月に出場していますね。
https://railf.jp/news/2017/12/15/130000.html

どうなることでしょうか。

6008Fは製造から40年ほど経っていますけど、6000系以降のような
編成の構成だと中間T車4両が余ってしまいますね。1000系はもっと
早いうちにT車などが余剰になってくると思います。

263: 板主:2019/02/19 20:30 No.789
7000系は8年で210両が製造されました。
1000系は5年で136両が製造されました。
似たようなペースになると思います。

7000系の場合は輸送力増強のための車両も入っていますが、
おおむね8年で920、800、810系、1000系列、能勢電行きの
主として2100系の合計200両以上を置き換えています。

7000系の登場による世代交代よりも1000系の登場に寄る世代交代を
しみじみと感じてしまうのは年齢を重ねたからでしょうかね。

264: 板主:2019/02/19 20:33 No.790
920、800、810系、1000系列は920系の一部を除いて30代で終了している
訳ですから、3000・3100系よりもずっと短命でした。逆に3000・3100系が
長命だったことも、交代劇を感慨深いものにするのかも知れません。

265: 板主:2019/02/19 20:40 No.791
「7000系の場合は輸送力増強のための車両も入っていますが」と
書きましたが、6000系が製造されていた時代は600・900の廃車と
610系の能勢入線(廃車は1両だけ)しか減少はなく、6000系の方が
よっぽど輸送力増強目的で作られている車両が多いことになりますね。

少し前にも触れましたが、5100系も50年代前半まで作られています。

266: 板主:2019/02/19 20:59 No.792
あと車両ネタではないですが、ラガール=レールウェイカードの発売を
やめてICOCAに置き換えるというのは、よろしくないと思いますね。

このことはガチで考え直していただけないかと思っています。

ラガールは降車駅の改札機で、磁気(でしか発行できない)乗車券と
二枚一括投入することで当該乗車券の区間外まで乗っても精算機を使わずに
駅を出ることが出来、また区間外からも券売機を使わずに乗車出来ます。

今後は確実に利便性が低下することになるので、先が思いやられます。

267: 板主:2019/02/20 20:40 No.793
920系の廃車は昭和54年から57年に掛けてなので、
初期の廃車は6000系に、中後期の廃車は7000系に置き換えられたことになりそうです。

6000系は旧2200系を含めると昭和50年代前半の5年で134両作られていますから、
これも現在の1000系の製造スピードと同程度ではないかと思います。

9000系と1000系は13年で224両製造されましたが、
6000系と7000系は13年で350両製造されているので(更に5100系の一部車両もあるので)、

この時代の製造数は猛烈だったことになりますね。

6000系や昭和50年代になってからの5100系の製造数が同時期に廃車された車両の数を
大きく上回っているだけでなく、車体のサイズもかなり違いますから、そう言った
意味でも、相当な輸送力の増強が実行されたことになりそうです。

268: 板主:2019/02/21 22:30 No.794
自分ばっかりですみません。

3000・3100系は300形の内15両、320、380、500、90、96形、559、561(合計73両)の代替と輸送力増強のために数が多いです。
時期的に見て2000系は1形最終の32や300形の内5両、98形(合計5両)あたりの代替も兼ねているかと思います。
5000系や3561は上記2両を除く550形(14両)の代替も兼ねているのではと思います。

1960年代の10年間は92両が去っていますが(能勢電や広電への再就職もありますが)、元々車両数が多くない中での
92両なので、割合としては大きいと思います。

269: 板主:2019/02/21 22:34 No.795
神宝線で動きが大きかった時期をまとめると、
・1950年代中盤 =1・51形を各々1200系・610形に改造
・1960年代の10年=上記の通り
・おおむね昭和50年代の10年    =1500Vツリカケ車の全廃   (6000系〜7000系前期車の新造)
・おおむね昭和60年〜昭和63年の3年 =1000系列カルダン車の全廃  (7000系後期車の新造)
・おおむね平成元年〜平成4年の3年 =2000系能勢へ&5200系前期廃車(8000系の新造)
・平成18年以降(省略)

上から3、4、5番目は一続きのものとして捉えることも出来ますので、
結果的には4つの時期が動きの多かった時期になるかと思います。

8000系は基本編成となる8000〜8008Fと8020×6までの78両は3年数ヶ月で登場していますので、
やはり6000、7000、1000系と大差のないピッチで登場していますね(年産26〜27両くらい)。

270: 名無し:2019/02/22 20:01 No.796
当時のアルナ工機製造能力からもそれ位ですかね。
増産体制のため工場をリニューアルした直後に電鉄の資産損失が大きくなり
その後の展開は皆さんご存知の通りとなりましたw。

271: 板主:2019/02/22 21:30 No.797
鉄オタ選手権見ました。
化粧を落としたメーテルは意外に普通の女性でしたね。
(悟空が言っていた通り)

大阪地下鉄は今までと違って公営であるからこそ免除されていた税金や
受けられていた補助がなくなるから堅実にならなきゃならないのに、
地盤が悪く津波の恐れもある埋め立て地に1000億円のビルを建てるとか
アホなことを言ってますね。第2のWTCを建てるだけではないかと思います。
同社は大阪市が全ての株を持っているので市の外郭団体と言えます。

舞洲への延伸もされる可能性が高まってきました。こちらは以前から
計画があって既にトンネルもありますが、それでも750億円も掛かるとか。

272: 板主:2019/02/22 21:33 No.798
阪急の車両に付いては8000系が一通り出た段階で阪急では1000系列が、
能勢電では610系が姿を消し、能勢電の1000系2本を除いて新系列に統一
されましたし、廃車を急ぐ必要はなくなっていたのではと思っています。
まだ使える車両を潰す方が無駄だったのではと思っています。

他社でも昭和50年代頃までは、誰の目にも明らかな新旧ないしはサービス
面で格差のある車両同士が一緒に走っていましたが、60年代や平成になると
格差も解消され年齢を重ねた車両でも何とも思わなくなりました。

京阪ではバブル期に5000系を除く3000系以前の車両を一掃する計画が
あったそうですが、3000系を廃車した時点でバブルが弾けて中止になった
そうです。1000系や2600系はこの中に入っていたのかは分かりません。

273: 板主:2019/02/22 21:47 No.799
あとTOKKの2月15日号は是非もらっておくべきですね。
配布終了が迫っていますから、お早めに。

274: 名無し:2019/02/23 11:02 No.800
>>264
「車検票」メモでは、
934 935 936が14-8(S14年8月製造)とあります。
近代化中間化以降のS50年前後にメモしたはずで
これでも30歳中盤ですね。
戦中戦後の激動を経て走っていたわけです。

275: 名無し:2019/02/23 11:10 No.801
連続で悪いですが、同じく「車検票」メモから、
3000 3001は、39-12製造、
最終編成の3082は、42-8製造とメモしています。
大量17編成がこの2年9か月の間に投入された
わけですね。

276: 名無し:2019/02/23 16:24 No.802
>>271
そのようなTv番組は見ません。
以前にも書き込みましたが、
何か特別のイベントでは
日常の状況(車両運用や運転の様子など)は
わからないと思います。
しかも、タレント(やや有名人)がワアワアと
うれしそう(得意げに)に振る舞ったり、
最近は、鉄オタを明らかにするNHKアナもいて、
何か違和感があります。

277: 板主:2019/02/23 20:02 No.803
>>274
今で言うと7000系と同じ位の年齢と言うことになりますね。

>>275
阪急は秋頃に第一編成が登場することが多いですね。
3000系と並行して3100系も作られていたので、年に51両ほど
作られていたことになります。

3000系は新幹線を除けば最強の電車という話も聞いたことがあります。

>>276
自分の親も同じような理由で「タモリ倶楽部」の鉄道の回は見ないですね。
「ブラタモリ」は散々見ているようですが。自分はおっしゃるようなガヤが
ある前提で見ておりました。

278: 板主:2019/02/23 20:12 No.804
Wikipediaの3000系の項目を読んで、
山電姫路までの乗り入れ時に通過するトンネルの高さが理由となって、
冷房改造時は残っていたモニタールーフが後年撤去されたというのを
最近になって知りました。

279: 名無し:2019/02/24 19:27 No.805
>>277
ありがとうございます。
2ch(5ch)であれば、こっぴどく攻撃されるはずだと
ひやひやしていたのですが。

「新幹線を除いて最強」というのは、3054F 3056Fが
製造1年後に3552 3553を宝塚線用3100系に譲り、
3517 3518 を編入して4M2Tになったことを
表現したものと記憶しています。
3517は今津北線最後の3000系6連3056F5両目で
最近まで健在でしたね。

私は板主氏より10歳前後年長と思っていますが、
親御さんに近いのかも、と苦笑しています。

280: 板主:2019/02/26 19:31 No.806
NHKのあの番組はバラエティ番組ですからね。
以前だったら、鉄道趣味人が集合する番組はなかっただろうと思います。

シリアスな内容だったらテレ東系の「ガイアの夜明け」や
「カンブリア宮殿」で鉄道会社を扱う回を見ますね。

フジ系の「超潜入!リアルスコープハイパー」で鉄道が扱われるときは、
バラエティとはいえVTRの作りは相応に良かったと思っています。

281: 板主:2019/02/26 19:32 No.807
自分の親はテレビや芸能との相性が悪いですね。テレビで出演者が
「気動車」のことを「電車」と言ったら激高してましたね。

昔の人が動力方式に関係なく、鉄道のことを「汽車」と言っているのと同じ
ことでしかないと思うのですが、やたらと正確さを求めては怒ってました。

「新幹線を除いて最強」に付いてのご解説ありがとうございます。

282: 名無し:2019/02/27 17:33 No.808
>>281
私も「気動車」を「電車」と表現されるのには
とても違和感を感じます。

関西圏では、利用線区などを「阪急」「国鉄」などと
表現することが多かったと思います。
私の親の世代は、「国鉄」のことを「汽車」「省線」、
阪急京都線は、「新京阪」と言っていました。

思うに関西の通勤圏(ゲタ電が走っていた西明石ー京都間など)の
外の地域では、鉄道の利用頻度自体が減少傾向ということもあって、
表現が曖昧となり、おおむね40歳前後以上の年代では、鉄道を
「汽車」と表現していました。
それが、東京圏中心のテレビやインターネットなどの影響もあってか、
鉄道=電車ということになり、非電化区間などの認識もないまま
30歳代以下の世代は「電車」と表現しているようです。

283: 名無し:2019/02/27 20:05 No.809
とうとう3062Fが正雀に回送されたそうです。残る3000系は3054Fのみとなりました・・・。
さよなら運転はないのでしょうか。3100系のようにヘッドマーク掲示だけの可能性もありますね。

284: 名無し:2019/03/01 20:31 No.810
今日3月1日阪急に乗ってきました。
大学生と思われるスーツ姿や中学生と思われる
集団が目立ちました。

上新庄付近の土のう袋は、信号機や鉄柱の足元
あたりに置いてあるようですね。
埋込の地下から何か湧出しているのかも。

塚口駅伊丹線ホームの線路北側の
簡易ホーム?のようなものを撤去する作業が
行われていました。
あれは何だったのでしょうかね。

285: 板主:2019/03/01 22:45 No.811
今日は3407の快速急行と3310の普通で帰宅です。本当は快急では3308の車掌台
部分に入りたかったのですが、先に乗車した人に入られてしまいました。
今日はかさ張る荷物があったので、あの部分に置きたかったのです。

>>282
過去に書いたかも知れませんが、
宍戸錠氏は21世紀になってからのテレビ出演時に「省線」と発言しておられましたね。
浜村さんや上岡さんも「新京阪」という単語を発されていました。

286: 板主:2019/03/01 22:46 No.812
自分の知り合いだった1978年生まれの熊本の子たちは、JRのことを汽車と言ってました。
(あそBOYではありません)

首都圏や京阪神のJRでは緩行線が電車線、快速線が列車線ですので、今でも例えば
大宮から上野に行くのに「電車よりも列車で行く方が速いよ」という言い方をする
人もいるようです。(電車線=京浜東北線、列車線=東北線=愛称:宇都宮線)

287: 板主:2019/03/01 22:47 No.813
>>283
ちょうど回送された時間に家に居て、金属バネ台車が走り去って行く音が聞こえましたので、
「どっちかだな」と思いました。3054Fと連結して8両で惜別運転をするのでしょうか?
(2800系や1010・1100系のときは4両ずつになっていたのを合体して8連を構成しました)

>>284
今日から就活スタートですからね。
塚口については分かりません。
「石本自転車」の店の方が、朝の番組で“人間国宝さん”に認定されていましたよ。
自転車の修理だけでなく、車いすの修理もするのは珍しいとかだそうです。

288: 名無し:2019/03/02 19:16 No.814
>>285
3407
3331Fは当日梅田14:16発準急をして
いて、3332号に上新庄ー茨木市間乗車
しました。
元運転台はきれいに撤去、大きな荷物も
十分持ち込めるスペースですね。
3300系8連も準急担当ですら減少して
いるようです。

3310
3327Fは当日梅田12:22発北千里行でした。
今回の改正で、平日日中の梅北は7連オンリー
になっているようですね。

289: 名無し:2019/03/03 12:03 No.815
>813
3062Fと3054Fの連結は先頭部のコックや空気ホースを撤去してしまっているので
そのままでは無理でしょうね。やって欲しいですが。。。

290: 名無し:2019/03/04 01:35 No.816
淡路駅周辺高架工事の威容が
新幹線車中からも見えるとのことです。
新大阪ー淡路間は、阪急より先に
JRが開業することになりましたね。

かつて、蒸気機関車が煙をあげて
あそこを通過していたのを、
うっすら覚えています。

291: 名無し:2019/03/04 17:28 No.817
>289
3000系の最終8連ですか・・・。
感無量ですが、どちらのユニットを
先頭にもってくるかも気になりますね。
宝塚線育ちの私には、3003号はやはり
不可欠ですし、3062Fも宝塚線使用が
長かった編成ですし。

1010系のお別れの際にも、1026より1029が先頭に
なった方が私にはしっくりしたと思います。
宝塚線で長く活躍してくれました。
神戸線よりも長期間だったのかもしれませんね。

292: 板主:2019/03/06 08:33 No.818
>>288
どうもありがとうございます。
>>289
同様の形態になって、かつ自動連結器にて運転台同士で連結されたのは、
嵐山線時代の2319Fが故障したため梅田側に2316-2336-2366を連結して、
正雀まで回送されたくらいでしょうか?完全な牽引であれば、電気的には
繋がっていなかったのかも知れません。
>>290
最近まったく放送されていないのですが、NHKで深夜にフィラー番組として
放送されている蒸気機関車の番組で、昭和46年頃のカラー映像だったと思い
ますが、城東貨物線を走る機関車が映っていました。

293: 板主:2019/03/06 08:33 No.819
また朝日放送「映像タイムトラベル」で城東貨物線を取り扱った回もありました。
ナレーションの玉井孝氏は2016年に亡くなられました。1967年の北千里開業時には
自動改札機の仕組みを紹介されています。

新幹線からの景色は知りませんが、淀川の堤防に沿って走る、市バスの37系統や
93系統から柴島付近の新しい高架が見えます。
>>291
「1010・1100系」という言い方をされるので、その順番だと梅田側に1010系を
持って来たのかも知れません。2800系は番号が若い順に連結したのかも知れません。

294: 板主:2019/03/06 08:36 No.820
Wikipediaの阪急3300系の項目に2012年の編成表が出ていますね。
元々8両だったのが7両にされたのは3311Fだけです。

すでに3892と3894が休車になっていますが、離脱する前は何処に
いたのか見当がつきません。

295: 板主:2019/03/06 09:17 No.821
あと3325-3401+3314以降の6両が2001年頃には一時的なものかも知れませんが
8両だったので「元8両編成」ということになります。

1989年12月16日のダイヤ改正で3300系3本が8両化され、その後順次8両化が
進み(13編成かと)、6両編成は3314、3318、3325の3本だけとなり、また4両の
休車が発生したのまでは覚えています。

wikiに寄ると3317-3417が搬出されたと言うことなので、90年代の前半ごろ
から25年以上、3300系には常に休車がいたと言うことになると思います。

296: 板主:2019/03/06 09:19 No.822
3325-3401+3314以降の6両が2001年頃には一時的なものかも知れませんが
8両だった・・・というのは前スレでご教示いただいたものです。
自分自身では見た覚えがありません。

297: 名無し:2019/03/08 15:58 No.823
>>293
ABCの玉井氏 なつかしいですね。
阪急80周年記念ビデオでは、同じく
ABCの村田アナがナレーションされた
と記憶しています。

298: 名無し:2019/03/09 19:07 No.824
You Tubeによれば、7021Fが入場とか。
当該先頭車は小窓のない7000系最後車とか。
中間の7551 7581 を7001Fにもどして
7001Fを更新してほしい気がしますが。

299: 板主:2019/03/12 18:54 No.825
調べたところ、城東貨物線の蒸気機関車が映っているNHKの番組は
「昭和のSL映像館2『九州・四国・西日本編』」でした。

C58 205+D51+DD51の三重連です。ただし3両目はディーゼルです。
本の僅かの間ですが、赤川鉄橋を渡る姿が映っていました。

>>297
玉井さんは浴室で倒れての急逝だったそうです。
村田さんは鉄道関連のビデオや阪神淡路大震災からの
復興の番組でもナレーションをされていました。

>>298
Hマーク亡き後の小窓無し車は、どうもあの位置が間延びする
ような気がします。Hマークは17年で終了しましたが、今の
マークは今年で27年にもなるのですね。

300: 名無し:2019/03/13 19:46 No.826
>>299
玉井氏 そうだったんですか。
やや小太りの体型だったような。
穏やかな印象の方でした。

城東貨物線、昭和のSLでしたか。
私もDVDに落としているはずなので、
また見てみます。

中学生当時、龍華機関区を見学しました。
大阪すぐ近郊の機関区というのに、
あの蒸気独特の煙った空気と臭いに
包まれていました。

301: 名無し:2019/03/19 18:41 No.827
早くも3月下旬、春分の日も間近です。
36年前、1983年(S58)は3月20日(日)、21日(月祝)の連休でした。
当時、宝塚線には、
1108-1153 1113-1155 1114-1015 1115-1037 1116-1192
2156-2108 2161-2110 3052-3007 3060-3011 3068-3009
3070-3021 3150 3152 3154 3156 3158 3160 5100-5115(10)
5102-5113(10) 5106-5117 5108-5119(10) 5128-5121
5136-5139 5140-5127 5146-5149 6000 6001 6002 6003
6004 6005 6006 6007 6008 7002 7004 7008
の37編成が本線用でいました。
2150は2/21まで8連で見ていますが、その後不明。
そろそろ能勢電への準備だったのでしょうか。
箕面線には、1111(4) 1034(4)がいました。

302: 板主:2019/03/20 08:37 No.828
>>300
玉井さんに付いてのブログです
http://mediawatcher.seesaa.net/article/447716487.html

龍華は跡形もなく消えたように思います。
都会にあった国鉄用地がどんどん消えていきますね。
山手線・京浜東北線品川〜田町も同じような運命を辿るのでしょう。
↓は1965年の新宿です。
https://mainichi.jp/graphs/20180127/hpj/00m/040/003000g/10

>>301
古き良き時代ですねえ。1010系や前パンの2100系、表示無しの本線運用の
3000・3100系・・・。そして今も走り続ける面々。1983年だと3154Fなどは
冷房なしかと思います。

303: 名無し:2019/03/21 19:34 No.829
>>302
そうですか!
龍華機関区は消滅していたんですね。

当時、C58やD51ばかり残存する中で、
キュウロク(9600)がかなりいて
感激したものでした。

304: 名無し:2019/03/23 16:16 No.830
龍華機関区へは、関西線で天王寺から
久宝寺まで乗って、歩いたような記憶です。
たしか天王寺の次の駅が久宝寺駅だったような。
当時未電化でキハ35、36の長大編成が走っていました。

305: 板主:2019/03/24 10:13 No.831
ありがとうございます。
龍華がなくなって、上下線が分離していた久宝寺駅が一体化したはずです。

1973年に奈良以西が電化されると、亀山方面への直通はなくなりました。
昔は東京発〜湊町など行きの客車急行「大和」など優等列車も走っていたのですがね。

東部市場前はJRになってから出来た駅ですが、平野や加美は昔からあります。

306: 名無し:2019/03/25 19:33 No.832
本日(25日)阪急に乗ってきました。

崇禅寺駅の下り線路が微妙に移動しているようですね。
高架工事の進捗に合わせた変更なのでしょう。

また、各駅のホーム端には写真(動画)撮影すると
思われる方々が大勢セッティングしていました。
春休みの大学生?でしょうか。
それとも、どのような方々なのでしょうかね。

307: 板主:2019/03/25 22:12 No.833
今日の自分は新大阪に行ってました。
久しぶりにレギュラー運用で201系が新大阪に出入りする姿を見ました。

梅田貨物線のホーム無しの線路と、1番線の間には元々線路があったと思われる空間が
ありますね。そんなに詳しく線路配置の変遷を見ていなかったので分かりません。

午前10時台でしたが、JR西日本、JR東海、JR東海ツアーズ、日本旅行の窓口とも、大きな荷物を
持った外国人観光客で長蛇の列が出来ていました。ガラス戸の外にまで続く長い行列になっていました。
それ以外のコンコースや飲食店でも外国人が目立ち、どこの国かと思うような光景でした。

Wikipediaで「マルス」を見る限りでは、海外でJR乗車券は買えないようですし、
券売機を使うよりも安心だから大行列になるのでしょうか。

あと、2Fで1回しか使っていない青春18きっぷが落ちていたので、西日本の改札係の方に
渡してきました。昨日、常磐線の柏で購入されたもので、同駅のスタンプが押されていました。
本人の手元に返ることを願っております。

308: 板主:2019/03/25 22:33 No.834
崇禅寺は柴島浄水場の桜並木が美しかったですが、今後は
車窓からこのような光景も見られなくなるのでしょう。

千里線の神崎川に架かる橋は、官営鉄道時代からあまたの車両が
通り過ぎたのでしょうが、役割を終えてしまいました。官営鉄道
由来の路盤や構造物はほぼ完全になくなるものと思われます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/上淀川橋梁

以前にもご紹介した、南方〜崇禅寺間のSSカーブ
https://orange.ap.teacup.com/kuniko/1656.html
Aの赤文字の下あたり=現在線よりも南側にあった旧線路跡は、高架工事が始まる
までは少しだけ空地になっていたかと思います。陸橋のある踏切の南方側です。
今は資材が置かれているかもです。

現・上淀川橋梁が出来た際に、既存線と出来るだけなめらかに線路を接続できるように、
一旦北に曲がるカーブを作り、その後で南に曲がるカーブを作って淀川に達したので
でしょう。ちょうど尼崎に入線する福知山線が高速でカーブできるように一旦西側に
大きく湾曲するのと同じかと(JR東西線開通にあわせて今の姿に。そしてあの事故)。
この線形が阪急に継承されてSSカーブになったのではと思います。

309: 名無し:2019/03/26 21:36 No.835
>>305
関西線の天王寺ー久宝寺間の駅について。
そうでしたか。快速列車に乗ったか何かで
天王寺の次が久宝寺停車だったのかもしれません。

>>308
阪急崇禅寺ー南方付近のルート歴史について。
これも驚きですね。
詳しい経緯があるのですね。
新淀川沿いで水はけも悪かったのかも。

そういえば、例の上新庄の淡路寄りの
土のう袋留置付近では、、土木部職員が
多数作業していました。
どうも水はけに関連しているような・・・。

310: 名無し:2019/03/27 17:02 No.836
>>305
そうですか。
奈良以西の電化は1973年だったんですね。
私が龍華に行ったのは、その5、6年前に
なるかと思います。
だだっ広い機関区には架線など見られず
大きな煙った空が広がっていたような。

311: 板主:2019/03/30 09:12 No.837
>>309
崇禅寺から梅田へ行く際、東海道線の手前に右に曲がるカーブがありますが、
このカーブを曲がらずに直線に進むと細長い土地やそれに続いて柴島浄水場の
土手に差し掛かります。自分はこの土地や土手は、現・上淀川橋梁が出来た後
の時代に、官営鉄道の線路が敷かれていたのではないかと考えています。

Wikipediaの図によると、初代・上淀川橋梁時代の官営鉄道の線路は、崇禅寺
以西はほぼ直線で敷かれ現在の柴島浄水場の中を通っていたことになりますね。

>>310
万国博の頃、関西の国鉄で電化されていたのは、東海道・山陽線(和田岬線除く)、
阪和線(羽衣線も含む)、大阪環状線、桜島線、片町線(長尾以西)だけでした
から、電車が広まって行ったのはずっと後の時代になりますね。

あと機関車が折り返す関係で、福知山線の尼崎〜塚口が電化されていました。

阪和貨物線は電化路線でしたので、龍華の近辺も一部は1973年以前から電化されて
いたことになりそうです。

312: 名無し:2019/03/31 17:21 No.838
>>311
阪和線は電化されていましたね。
20系でしたっけ? 終焉を迎えるということで
鳳電車区にも訪問したと思います。

阪急では、1017Fが営開したとのこと。
旧1100系も1117が最終でしたので、
何とかこの編成で打ち止めになることを
祈っています。
というか、代替で廃車になる編成が
出ないように祈っています。

313: 板主:2019/03/31 21:34 No.839
阪和線を走っていて、一の位が0なのは40系か70系ですね。

今の阪急の車両置き換えは何か乱暴なようにも感じますが、上で書いたように

>6000系は旧2200系を含めると昭和50年代前半の5年で134両作られていますから、
>これも現在の1000系の製造スピードと同程度ではないかと思います。

>9000系と1000系は13年で224両製造されましたが、
>6000系と7000系は13年で350両製造されているので(更に5100系の一部車両もあるので)、

>この時代の製造数は猛烈だったことになりますね。

過去の事例を見ると決して意外なことではなく、前例を踏襲しているのかも知れませんね。
想い出のある車両たちが急速に姿を消して行くのは非常に寂しいものです。

5000系はあと10年かそこらは今津北線で頑張ってくれそうです。3054Fは次の元号まで残ってくれるかな??
2000系は還暦を迎えてもらいたいです。

314: 板主:2019/03/31 21:54 No.840
明日になると怪しそうな占い師とかが「自分の予想が的中した」とか言いそうです。

色々と思想にも関わってくるので、あんまり書かない方が良いのですけど、こういう経験は何回も
するものではないので書きますが、次期天皇陛下が崩御されると追号となる元号を、軽々しく予想
するのは如何なものかと思っています。

昭和天皇はご存命の時には「昭和天皇」ではありませんでした。崩御されてから「昭和天皇」と
呼ばれるようになりました。

イチロー氏の引退、内田裕也氏、萩原健一氏のご逝去も何か時代の変わり目なのかなと思います。

315: 名無し:2019/04/02 17:53 No.841
>>313
阪和線の旧型電車は、やはり20系でした。
1966、1967年あたりで廃車されんですね。

社型国電と言われ、国鉄に買収される前の
民間鉄道製だったようです。
色あせたオレンジ色の車体だったと思います。

板主氏と年齢差を感じる事例です。

316: 名無し:2019/04/02 20:20 No.842
阪和線の旧型電車20系、阪和線の前身阪和鉄道のモヨ100、モタ300などですね.モヨ100は阪和間の特急として表定速度82km/h程の高速で走ったことで有名です。
ヨは横座席(クロスシート)、タは縦座席(ロングシート)の意味です。
お古いネタで失礼。

317: 板主:2019/04/03 08:50 No.843
どうもありがとうございます。
元・阪和電鉄の車両がそのような形式名を持っているとは知りませんでした。
窓の上下にシルやヘッダーのない、近代的な外観の車両もいたかと思います。

買収国電は東海地方や山陽地方に多く、関西では唯一の例ですが、同時に最も後の時代まで
本格的な運用がなされていたのが、阪和形の車両になるかと思います。

色々と勉強させていただいているので、古いネタこそ役に立ちます。

318: 板主:2019/04/03 08:59 No.844
昨日は仕事で上本町に行っておりました。
春休みだからか、地下鉄がとても空いていました。

昼に近鉄大阪線地上ホームに車両を観察しに行ったら、改札外で山陽電車の
はっぴを来た男性社員たちが、自社沿線をPRする袋に入ったチラシ類を配布
しているのが見えました。

しかし大阪線から降りて来る人や乗る人の反応は今ひとつに見え、
「10年前に線路が接続されたとはいえ、大阪線から山電さんは2回乗り換えが
必要だし、心理的に遠く感じられるのでは」「連絡運賃表も阪神元町までしか
なく、その先があることを知らないのでは」とか「近鉄さんも沿線に桜の名所
とか多数ありますしねぇ・・・」などと話しかけてみました。

余計だったかも知れませんが・・・

319: 名無し:2019/04/05 19:20 No.845
>>313
6000 7000系が大量投入された時期も
集中していたのですね。
代替で廃車された車両も多かったはずですが、
自分の年齢が若かったこともあるのか、
あまり悲壮感はありませんでした。

さらに古い事例になりますが、
2352 35-11から2376 38-7で2年8か月
中間の2396は、42-6新造
2001 35-11から2070 37-12で2年強に42両、
2021 38-9から2091 39-5で7か月に42両
とかなり集中投入されていますね。

320: 板主:2019/04/06 16:46 No.846
今の時代は、廃車数=新車数または廃車数>新車数ですが、
以前は廃車数<新車数でした。輸送力増強で多数の車両が必要になりましたからね。

京都線の場合は、5100・5300系が登場するまでの新形式は、すべて輸送力
増強用になるかと思います。支線用の10・200系は1300〜2300系あたりで
代替されている格好になっているとは思います。また北大阪1形は早々と
他社に行きました。

2000系列や3000系列は、当時の在籍車両数が今よりも少なかったことを考慮すれば、
驚異的な早さで増備されたことになると思います。

>代替で廃車された車両も多かったはずですが、
>自分の年齢が若かったこともあるのか、
>あまり悲壮感はありませんでした。

結局これなんでしょうかね。もっと言うと昔と比べれば
今の世の中はつまらなくなっているし。。。
つくづく、昔は良かったと自分は思っています。鉄道関連以外でも。

321: 名無し:2019/04/06 19:19 No.847
>>294
3892 3894 の件、私も気になっています。

1997-10編成表(保育社カラーボックス)によると
3892号はすでに休車となっています。
3894 3895はまだ3322 3422 で3311Fに入っています。
3895が3335号と連結されて3311F3両目にいるのは、
T化中間化前後でもそのままという阪急らしい「仕業」
なのでしょうね。
3894はT化中間化後も3311Fに入って8連で走っていた
のかもしれませんが、今となっては確認しようがありません。

322: 板主:2019/04/07 09:19 No.849
平成元年12月のダイヤ改正後、数年以内に3300系は8両編成13本と6両編成3本に再編され、
4両が休車になったと思います。この4両に3892や3392が含まれていたと思います。社紋が
現行のものなので、92年9月時点では走っていたものと思われます。3392は10年近くの時を
経て復活したのではなかったでしょうか?

3894に関しては3311Fに入り続けていたとすると、同形式の出力でMT同比だとパワー不足な
上に大阪市営との協定もあるので堺筋線に来られなくなると思います。

323: 板主:2019/04/07 09:50 No.850
21世紀になった頃に京都本線・千里線は臨時を除いて6両編成がなくなり、
その結果、休車の4両のうち3892を除く3両も、順次復帰して行ったかと
思います。3314、3318、3325には様々な流転を経たメンバーが差し込まれて
7両になっているかと思います。

324: 名無し:2019/04/09 17:42 No.851
大阪市交堺筋線乗入に関するMT比については、
よく言及されていますね。
市交乗り入れ当初は5連が一般的で
4M1Tだったと思います。
一部オールMの6連や万博エキスポ直通準急で
7連もあったとのこと(過去スレ)で、
こちらは6M1Tでしたね。
3300系投入当初は、
3301-3801-3851-3351+3302-3802-3352
の4M3T編成があったと記憶しています。
本線の急行や特急をしていた記憶がありますが、
このMT比では市交乗り入れはなかったのでしょうか。
T車が3861号まであるということから、上記7連は
3311-3811-3861-3361+3312-3812-3362
まで6編成あったということでしょうか。
私は、3301 3303 3305 の3編成はメモっていますが、
後は不詳です。

325: 名無し:2019/04/09 20:18 No.852
大阪市交堺筋線乗入に関するMT比については、当初編成の3/2以上を電動車とする取決めでした。当時は5連で1C8M制御のため必然的に4M1Tとなります。
3300系は1967-12月竣工で堺筋線開業まで時間があるため上記の4M3T編成が製造され6編成で合っていると思います。
1968年になると開業準備で3400形(Mc’)が製造されるようになり暫定で6M1Tのような編成が生まれています。
最終的にはMc-M’-Tc+Mc-Mc’とMc-Mc’+Mc-T-Mc’の2種の5連x24編成120両になるように製造されましたが
実際にはそうはならず7連や6連で本線運用につくこともありました。
Mc-T-Mc’のT車は3851~3861(奇数のみ)です。

326: 名無し:2019/04/12 08:39 No.854
昨日(11日)阪急に乗ってきました。

河原町13:40発特急13019列車の運転士は、
長岡天神駅で下車した母子の3歳ぐらいの
男児にホームに出て、ポケットから出した
カードか何かを手渡していました。
ちょっとほっこりする光景ですが、私めも
ほしいなあ・・・。

3359号は今年2回目の乗車しましたが、何か
安堵の感があります。

淡路駅で何十年ぶりかで下車しましたが、
工事関係のためか、南側への通路が閉鎖されて
いました。

327: 名無し:2019/04/13 02:59 No.855
9302F 
11日に乗車、久しぶりに走っていましたが、
扉付近の手すり棒が設置されていました。
9303F
ずっと走っていませんね。
OH後の不調の模様で気になります。
扉付近の手すり棒設置工事入りして
いるのでしょうか。

328: 名無し:2019/04/15 18:04 No.856
淀川のJR京都線橋げたにトラック?が接触した
ニュースで、住所が東三国と報道されていました。
ちょっと違和感がありますね。

329: 板主:2019/04/15 19:12 No.857
>>324-325
初期の3300系に関するご解説ありがとうございます。

万博閉幕後ですが、1970年代に急行や特急で走る写真を見たことがあります。
ということは7両を組んでいた編成がいたのでしょうね。
3300系の非冷房の8両編成は知りません。

>>326
20年ほど前に3359を先頭とする堺筋急行を堺筋本町で撮影しました。
3309は大阪市営90周年の本で天六の1番線に停車する姿が掲載されています。
直通開始直後ではないかと思います。

>>327
分かり易い手すりに更新されつつあるのですかね。正直言って9300系本来の
手すりは何処にあるのか分からず、戸惑うことが多かったです。あそこに手を
廻すと、ドアが開いた時に手が巻き込まれそうな気がしたものです。

330: 板主:2019/04/15 19:13 No.858
>>328
自分もそのニュースを見ましたが、住所上は東三国なのでどうしようもないですね。
まるで地下鉄みたいですが。

NHK大阪局(関西にあるNHKの他の放送局も?)は4月から、JRの路線名を言う際や
表示する際に、これまでの正式名称から愛称に言い換えると説明していました。

昨日の御坊駅での脱線事故も終始「きのくに線」でした。分かり易さを優先した
そうなのですが、自分は正式名か、正式名と愛称の併記でお願いしたいと思いますね。

ただし今までも、東海道線や福知山線は正式名で書いているのに、片町線だけ
「学研都市線」と表現されていたり、ゴッチャなケースもありました。

331: 名無し:2019/04/19 12:39 No.859
昨日18日、阪急に乗ってきました。

9303Fも久しぶりに走り出していて
9309F以外9300系10編成でした。
ただ、この状態でも午後からは一般車が2運用
特急をするようですね。

3328Fが7連になっていました。
この関係もあってか、日中の準急は3300系ゼロ
でした。平日はこういう日が多いのでしょうか。

332: 板主:2019/04/21 09:25 No.860
3328編成の7連化はまた一時的なものでしょうかね。

神宝線でも箕面線や伊丹線に一時的に入る本線用の編成や
神宝本線間でトレードが行われる編成は決まっているようですし、
それと同じことなのでしょうか。

1990年前後は788Xを外した7300系の7両、5877や運転台同士を外した
5317Fの6または7両、5301、5311、5324編成の一時的な6両編成もよく見たものです。

5301、5311は比較的後の時代まで6両を保ち、堺筋線内でも見たものです。
5882と2357が正雀の東端で直列に置かれていて、5000系と2071系が連結
されているみたいに見えました。

普段はそんなに意識しませんが、3300系の準急は見たら走っているという
感覚なので、たまたま見かけない日もあるのかも知れませんが、大抵は
走っている・・・という状態ですかね。

333: 板主:2019/04/21 09:32 No.861
1982年からの京都線の準急は行灯が「特急|急行|準急」だったので
準急を点灯することが出来ました。

しかし89年の改正から走り始めた8両編成の場合、5300系は「特急|堺筋|急行」
だったので点灯できませんでした。

前者の準急も淡路以西は各駅停車だからか、点灯していない場合もあったように
思います。朝の日光の関係で、準急は薄暗くしか見えないので、消えているように
見えただけかも知れません。

5300系8連の行灯は次第に「堺筋|急行|準急」に変更されました。
いわゆる梅田発15時半の特急には当初は入らないようになっていたようですが、
表示幕改造が進むと非表示のままの編成も投入されるようになり、
2枚看板が見られるようになりました。しかし「特急」の行灯は表示できませんでした。

河原町到着後は天六まで回送した上で天下茶屋行きの普通となり、折り返しは堺筋急行と
なって、河原町からは梅田行きの急行として復帰するというスジだったようです。

334: 板主:2019/04/21 15:14 No.862
快速急行登場後の神戸線の行灯は「特急|快準|急行」でしたかね。

自分は30年前に、神戸線でも「急行」が一番右端に点灯しているのを
見てびっくりしたものです。非表示車の快速急行は一度も見ることが
ありませんでした。夜の遅い時間だけでしたからね。

1997年3月以降の京都線非表示車は「急行|快速|普通」だったでしょうか。
2305、2307、2311の3本と5301編成が対象でした。5311がいつ表示改造
されたか忘れましたが、97年3月以降の改造であれば、変更されていること
になります。

京都線の急行から2800系が引退し、非表示車としては5300系だけが運用
されている時代、臨時急行で用いられる編成(2300、3300、5300系の6両)は
標準的な「特急|急行|準急」の行灯でしたので、側面を見ただけで、
臨時か通常の急行か区別がついたものです。

335: 名無し:2019/04/23 00:34 No.863
車両側面の列車種別表示を「行灯」というのですね。
これまでも話題になっていますが、2000系以降で
赤色の特急、オレンジ色の急行、緑色の準急表示
の電灯が新設されて驚いたものです。

それまでの車両は、扉付近に種別表示板を
差し込む「枠」が1両に1か所ずつ両側にあって、
「準急」「急行」の鉄板(といっても
一辺15㎝程度だったと思いますが)を
いちいち人手で入れたりはずしたりしていました。
普通列車は何もつけていませんでした。

京都線(新京阪)では2扉の車体側面中央部に
横長の表示板を差し込む方式でした。

いつ頃からか省略されるようになってしまいましたが、
今ではもう考えられないような作業ですね。

336: 板主:2019/04/23 19:57 No.864
正式には何と言うのか知りませんが、行灯とか表示灯とか色々言われているので
自分も行灯と言ってみました。

自分は阪急でサボ(側面の板)が使われているのは見たことがないですね。
1000系列以前は差し込む枠があったのは知っていますが。

新幹線でも当初はサボで、表示幕はしばらくしてから採用されたものですから、
比較的後の時代でもサボは健在だったことになりますね。

337: 名無し:2019/04/23 21:08 No.865
行灯ですが、色々と開設をしてくれているサイトがありますね。
https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=66335847

私は昭和48年生まれの5300系と同世代の人間ですが、上のサイトの1番(仕切りがあるタイプ)の記憶があります。
今となっては、あの表示も味がありましたね。

338: 板主:2019/04/29 20:30 No.866
お返事が遅くなってしまい申し訳ございません。

表示部分には細かい違いがありますね。
更に言うと縁取りも角張ったものから丸みを帯びたものまでありました。
3300・5000系からが丸いタイプでしたかね。

それよりも前の形式は、同じ場所に表示幕が設置されたものに付いては、
多少左右方向に表示窓を拡大した上で、丸みの付いた枠になったと思います。

2800系は3ドア改造時に行灯の場所が変わっていますが、角張ったままだった
ので、枠ごと移設した可能性があります。

339: 板主:2019/04/29 20:41 No.867
公式の情報ですが、能勢電の1753編成が引退するようですね。

これによって、2100系の最終6両をパワーアップして2000系に編入した
車両たちはすべて消えることになります。

能勢電に来たのは2044、2092と2042=1733の3両。2043と2094は早くも
平成時代初頭には廃車・解体。2093は数年前まで活躍。

能勢電で活躍する元2100系は2代目2050の2054=1754のみとなります。
同編成には元2000号車=現1734が入っていますが、保存対象になるでしょうか。

完全中間車なので難しい感じがしますけどね。2050は2代目ですし。

5300系の5306編成の運転台車4両や5415、5316も籍を失ってしまったようで、
悲しさが増す今日この頃です。

340: 板主:2019/05/02 23:03 No.868
ついに改元されましたね。

30年前の1月7日(土)は雨の日でした。親が梅田に買い物に
行くと前々から言ってたので号外を持ち帰ってもらいました。

朝に昭和天皇が崩御されたのを受けての新元号の発表、そして
翌日付けでの改元なので、今回のように大はしゃぎするなんて
ありえませんでした。

事故廃車や能勢電への移籍は廃車には含めないとすると、
昭和時代に廃車になった新系列高性能電車は2817×7と2883の
8両だけで、それ以外の車両はみんな健在でした。一方で
1026と1106の各々4連や8000×8もいました。

能勢電も320・380・500シリーズはこの2年ほど前に全廃と
なりましたが、610系はそもそも移籍されなかった1両を除いて
全車健在でした。

同年3月で旧1000系列がいなくなった阪急で最年長の車両は
2050や2301を梅田側先頭車とする編成で、まだ28年5ヶ月位の
若さでした。

能勢電610系も最年長ですら36年でした。台車や機器は流用ですが。

流用車を除く阪急の旅客車両で、阪急時代だけで最も長生きしたのは
2355か今走っている3054や3003、若しくは昨年に消えた3050や3001あたりに
なりそうです。600系もかなり長命ですが、49年で終わっていますからね。

341: 名無し:2019/05/03 16:41 No.869
>>339
そうですか!
いよいよ旧2162Fも全廃なんですね。
宝塚線に投入され、貴重というか
数奇な運命でしたね。
2162号は向って右側の運行標識位置が
内側によっていましたね。

2代目の2050は2154に戻してほしいものです。
2000系より2100系が早く廃車になり、
3000系より3100系が早かったのも寂しさを
増幅させます。

5300系の廃車については、もう唖然とするしか
ありませんね。
「籍を失う」と表現されているのは、解体ではなく
どこかへ第2の人生・・・と期待できるのでしょうか。

342: 板主:2019/05/04 17:21 No.870
自分の情報源は各社公式のHP、Wikipedia、「鉄道ファン」HPだけですからね。
実際のところどうなっているのかは全く知りません。

鉄道以外でもネットというものから距離を置くようになりましたね。
ろくなことが書かれていないし、つまらん動画が次々にUPされるし。

電車内でも誰でも彼でもがスマホに夢中になっている姿は異様に映りますね。
少しでも時間があったらスマホを見る。こんなんで仕事や勉強に身が入っているのかと思いますよ。
仕事や勉強に関したページでも見ているのであれば、この限りではありませんが。

2162の編成は番号上は2100系でも、実態としては2000系の一員なので京都線でも
走っていますね。2163→2093は前に昭和44年から3066Fに挟まったままだったと教えて
下さいました。

343: 板主:2019/05/04 17:32 No.872
昨日は令和最初の鉄道利用となりました。
5854→7118→7675→5800でした。

平成最後の鉄道はN700系の「のぞみ」でした。N700Aかどうかまでは覚えていません。
平成最後の阪急は何番だったか思い出せなくなりました。

川西能勢口では1755Fや5136Fを見ました。
5316Fも移籍時に従来デザインで内装更新をしているようですね。
表示幕改造時にも更新しているので20数年ぶり2度目と言うことになりそうです。

5000系は84〜90年に改造されて、00〜07年にリニューアルされたので、
内装は充分美しかったのに更新されたことになりますね。

344: 名無し:2019/05/09 06:27 No.873
昨日20日ぶりに阪急に乗りました。
新元号初の乗車でした。ただし記録は
2019年としてまとめています。

3305Fは日中準急で活躍していましたが、
4両目の3817の床下がガラガラでした。
もしかしてT化されているのでしょうか。

5317Fは最近出場してクーラーも新型に
なったようですが、5800と5900のは
従前のままですね。
もしや、とまた不安がよぎります。

塚口では、5118 3054を見ました。
ここだけタイムスリップした感じで
落ち着きました。

345: 板主:2019/05/11 21:35 No.874
投稿されてから今までの間に3817や5800、5900は見られていませんが、
3817はT化すると出力が不足するように思えますし、
室外機が4台の車両のキセ更新車は、デザイン的には以前のものと大差
ありませんので、更新されていることに気づきにくいだけかも知れません。

また見ることがあれば書きます。

やはり2000系以来の「阪急電車」は落ち着きますね。
リニューアル車もあまりにゴテゴテしているのは落ち着きがないです。
3300系リニューアル車くらいの内装が一番良いかと思います。

346: 板主:2019/05/12 00:05 No.875
旧1000系列の運転台同士部分は幌がかなり長く見えますね。
https://www.youtube.com/watch?v=vR1I4pN1BIE

347: 名無し:2019/05/12 19:07 No.876
>>345
ありがとうございます。
たしかに普段の乗車では床下器までは
なかなか見えませんね。
エアコンの関係では、メトロ車66系の
古いタイプのエアコンは黒ずんでいて
汚い印象ですね。

348: 名無し:2019/05/12 20:53 No.877
3817ですが4/1付の編成表(ファンクラブ会報)ではM'です。8連固定では補機(MG、CP)は2組あれば良いので撤去(予備部品確保?)されたかもです。
1C8M制御ですから3817だけT化はないでしょう。
3305(Mc)-3805(M')-3341(Mo)-3817(M')-3355(To)-3306(Mo)-3806(M')-3391(Tc)
昔の感覚からいくと妙な編成になってますね。

349: 名無し:2019/05/13 11:34 No.878
>>348
ありがとうございます。
3341と3817は番号上は離れていますが、
新造以来の連結のままなんですね。

350: 名無し:2019/05/17 08:56 No.879
>>343
乗車された車番を見ると、
宝塚線では数少ない7000系
7018F 7015F だったんですね。
7018Fは8連固定編成としては
貴重な「原型」らしいですね。

京都線の車番から、梅田側4両目に
乗車するようにしておられるのかな、
と思ったりしました。

351: 板主:2019/05/20 09:09 No.882
>>347
66系の前期車両で未更新車だと、顔の額の部分も激しく痛んでいるのもありますね。
黒い部分が色あせて、VVVFのマークもすすけているのがあるかと思います。

66系に限らずですが、無塗装車は時間が経つに連れ、車体が黄ばんだり黒ずんだり
してきますし、もっと高い頻度で磨いてほしいと思っています。10系や60系も更新
されると、見違えるように綺麗になりました。

66系は足回りを見ると、台車枠は塗装されているのに、車輪部分は塗装されていな
さそうな状態のも見ますね。

352: 板主:2019/05/20 09:10 No.883
>>350
特に意識してはなかったのですが、階段や改札口の場所から
知らず知らずのうちに4両目くらいが多くなっていたのかも知れませんね。

神宝京側の先頭車=最後尾に乗ることも多いですが、梅田側の先頭車=
最後尾に乗ることは少ないですね。1駅だけとかなら乗りますが。

自分は神宝線には疎いですが、確かに以前は宝塚線でよく見た7000系の編成が
神戸線で見られるようになっているのには、何となく気づいていました。

あと新幹線N700系はすべてN700Aに改造済みでした。
試作編成が廃車されてしまい、リニア・鉄道館に展示されるとのことです。

353: 名無し:2019/05/20 19:28 No.884
>>350
5854号は梅田側5両目でしたね。
すみません。

1983年3月まで在住した私は、宝塚線編成の宝塚側が
圧倒的に多かったですね。
三国、服部、曽根、岡町、豊中、蛍池・・・と、
かつては全て出入り口が宝塚側にありました。
したがって下り普通列車は先頭が一番混雑して
徐々に減っていくという状態でした。
しかし、急行は先頭がすいていて徐々に混雑する
状態だったと思います。

354: 板主:2019/05/22 20:22 No.885
今日は3418に乗りました。
運転台が完全に撤去されているバージョンでしたが、
Moで簡易運転台機能がないのは珍しいかも知れません。
元運転台側の木目が綺麗だったので、後に完全撤去に
なったのかも知れません。

三国は地下の通路がありましたね。
曽根は構内踏切がありました。
そして黄色いトゲトゲも。三枝の国盗りゲームでも出題されていました。

355: 板主:2019/05/22 20:22 No.886
豊中は下り線は宝塚方に改札口がありましたし、自分も出入りしています。
上り側は今も立っている白いビルや陸橋のところの2Fに改札口があり、
改札を抜けてから梅田方面へはそのまま階段を下り、宝塚方面へは跨線橋を
通って階段を下りていたかと思います。梅田方面乗り場の先端付近には池も
ありました。今は線路の跡地にバス乗り場がありますね。

蛍池も構内踏切と黄色いトゲトゲがありましたかね。
岡町は地上時代は乗り降りした記憶がないですね。通過ばっかりかと。
高架後も2004年の秋に一度だけ乗降した記憶があります。

356: 板主:2019/05/22 20:28 No.887
川西能勢口の梅田方面行きは宝塚側に改札口がありましたかね?
能勢電と並んであったように思いますが。
南北方向の幹線道路に面した位置ではないかと思うのですが。
ハッキリとは覚えていません。

宝塚方面行きも宝塚側に改札口があったかどうかは忘れてしまいました。

能勢電の国鉄前行きが廃止されても、所々線路が残っていましたが、
かつてはこの幹線道路に「能勢電の踏切」もあったのでしょう。
自分は国鉄前までの区間は乗ったことがありませんでした。

357: 板主:2019/05/23 20:29 No.888
三国の通路は地下というよりは、単なるガード下や築堤に掘られた穴と言った
方がよろしいかも知れません。

358: 名無し:2019/05/24 12:23 No.889
>>357
私も昔の情景を思い出しながら
そのように思い出しておりました。
三国駅の線路(ホーム)は、踏切があった地上の
梅田方よりやや上がっていたように思います。
したがって「地下」通路は、地上レベルか
半地下の高さだったかと。
ちょうど急カーブの真下あたりでしたかね。
改札口が地上でしたので、上りホームには
少し階段を上がっていたと思います。
よく言われる「中2階」という感じでした。

359: 名無し:2019/05/25 10:58 No.890
三国駅はかつて周辺に事業所が多く、
準急が停車していましたが、
いつ頃からか通過になりました。

高架化後はどこの駅かわからない
ようなホームになってしまいましたね。
駅の東側にスーパーダイエーがあった
のは既出の通りです。

360: 名無し:2019/05/27 20:03 No.891
今日27日のABCキャスト「なんでやねん」で
京阪淀屋橋延伸の経緯についてやっていましたね。
環状線の桜宮駅あたりから梅田への乗入計画もあったとか。

361: 板主:2019/05/29 09:35 No.892
京阪梅田乗入れの名残の1つとしてあるのが、上新庄の大カーブですね。
駅南側〜新幹線〜北陽高校のあたりのやつです。

上新庄からカーブせずにそのまんま南へ行くと桜ノ宮や赤川に達します。
同線は本線の野江で分岐した新路線と赤川で合流して梅田に行く予定があったそうです。
梅田へは城東線が高架になることによって捻出される廃線敷を使うことになっていました。

ところが城東線の高架化が進まず土地が捻出できなかったために、
既存の北大阪電鉄(十三〜豊津)を買収して淡路に繋げ、未成線の淡路〜天神橋を作ったという訳です。

それ以前の計画としては、新京阪は野江から分岐して淀川を渡り、大山崎辺りで再び淀川を
渡って淀あたりに至る計画だったようです。

362: 板主:2019/05/29 09:35 No.893
その後、天神橋〜西院が開通しますが、元の計画である上新庄から赤川を経て梅田へのルート、
京阪本線も千林から分かれて赤川経由で天神橋へのルート、更に後の時代には天神橋〜梅田間を計画
したものの何れも断念したようです。前者が実現していれば至近距離に2本も淀川を渡る京阪の橋が
架かっていた可能性があります。


京阪の未成線や城東線の地上線だけでなく京橋や桜ノ宮、網島は遺構も多いですね。
30数年前までの旧淀川電車区、貨物の淀川駅もありますし、環状線や城東貨物線から
それらに至っていた線路の名残もあります。大昔の放出方面から網島の線路跡もあります。
それに片町線の京橋〜片町もあります。京阪の地上線も何となくイメージできます。

https://ja.wikipedia.org/wiki/淀川貨物線

363: 名無し:2019/05/29 20:22 No.894
地上時代の上新庄駅(現在の丁度R400が終わって勾配が始まるあたりからホームがあった)
には下り線ホームの東側に結構広い資材置場がありそこに架線柱も建っていました。
梅田分岐線のことは当時知らなかったので、何のためにあるのか不思議に思っていました。

364: 名無し:2019/05/31 12:40 No.895
板主氏、さすが大阪近辺の鉄道変遷には豊富な知見ですね。
以前、関西のニュースは録画している旨、言及されていた
ように思います。
キャストの「なんでやねん」のコーナーは、興味深く視聴
するテーマがあります。
担当の古川アナは、かつて浦川アナの代行で大役をこなし、
このところ安定感もでてきました。
先日の川崎での殺傷事件では現場まで出張してリポート
していました。

365: 名無し:2019/05/31 22:13 No.896
31日のキャストニュースによれば、
環状線の201系も引退とか。
103系の後を追うように、ですね。

366: 板主:2019/06/01 18:17 No.897
ありがとうございます。
混雑度合いなどを勘案して新型車両=323系は3ドアとされ、
阪和線や関西本線に直通するものも含め、すべて3ドア車で統一
出来ますので、時間の問題だとは思っていました。

おおさか東線の北区間といった新たな働き場所もある一方で、
西日本所属車でも廃車が発生しており、僅かではありますが
陰りが見えてきましたね。

関西の201系はやはり京阪神緩行線でのイメージが強いです。
関東からの転属ではなくすべてが新車ということで画期的でした。

367: 板主:2019/06/01 18:37 No.898
三国駅の話ですが、「洋服の青山」がある東西の通りの踏切がなくなって
以降は、十三方面から見るとその付近から下り坂が始まり、一旦着地して
踏切を通過し、すぐに築堤の上に上って駅に入り、急行でも30キロ制限で
ゆっくり通過し、鉄橋の上も全車両が同カーブを抜けるまではゆっくり走
行していましたね。

三国駅の高架化の際は、この坂道の東側に一線付け足され、元々の下り線を
壊して、その場所に現在の下り線の高架線が作られたように思います。

三国は旧駅の面影が全くないですね。唯一、線路と並行している道路の橋が
あのすぐ西側を宝塚線の橋が存在したことを物語っています。急カーブのあ
った場所はすでにマンションや公園になっています。

368: 板主:2019/06/05 19:46 No.899
山陽電鉄「3030号ツートンカラー復刻・貸切列車の運行イベント」開催
https://railf.jp/event/2019/06/05/051500.html
http://www.sanyo-railway.co.jp/media/1559624453.pdf

369: 名無し:2019/06/06 15:03 No.900
旧三国駅で思い出したことに、
庄内駅で優等列車を待避した上り普通列車は、
先行の優等列車が三国駅手前での30km/hの徐行する
影響を受けて、かなり信号制限を受けていました。

370: 板主:2019/06/09 10:08 No.901
庄内駅で優等列車を待避した上り普通列車だと、その先にある区間は勾配で
尚且つカントもキツいため、立っている場合は足を踏ん張って乗車したもの
です。急行だと勾配も一気に駆け抜けますし、遠心力が強く働くので傾きも
感じられず、快適に乗車できます。

確かに明治以来の築堤の上で、赤や黄色の信号を見たことがあるような気も
します。

自分は最後尾車に乗ることが多かったですが、1993年頃のある日に8000号の
普通に乗って三国駅に差し掛かった際、30キロで通過すべきところを45キロ
ほど出ていて大丈夫かと思ったものです。

道田橋(どうでんばし)付近のカーブでブレーキが掛かるはずが、時々この
カーブを高い速度で通過して行く場合がありました。今は直線ですけどね。

明治以来の築堤から服部のカーブまでは昔のままであり、親しみが持てます。

371: 板主:2019/06/09 10:21 No.902
もう今から36年か37年前になりますが、服部の駅前で青芝フック・キックのご両人が、
テレビ番組の企画で使い終わった磁気切符を繋いで帯状にし、カセットテープのように
音を録音できるかという実験をされたような気がします。

フック氏は豊中市在住と書かれていますね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/青芝フック・キック

372: 名無し:2019/06/10 20:31 No.903
>>370
庄内の上り坂を上るモーター音、特に釣りかけ車は
唸り音ともいえる独特なものでした。
晩年の710や1600系が十三の淀川橋に上る唸り音も
耳に残っています。

373: 名無し:2019/06/13 19:35 No.905
きょう13日に半月ぶりで阪急に乗ってきました。

午前中に高槻市東方ポイント故障があり、準急に
運用変更がありました。
梅田10:46発の1303Fが高槻市で打ち切り、桂に入庫、
代わりに梅田12:26発のスジに3331Fが入り、以降
10分1サイクルずれていました。

また、特急は何とか特発なしで乗り切りましたが、
梅田10:30で振替入庫予定の8303Fがそのまま
特急をしていました。

崇禅寺の構内線路は、どうも少しずつ動いている感じ
ですね。上下線の間隔が広がっているような・・・。

先日3305Fの3817の床下について触れましたが、
きょうは3329Fの4両目3424の床下もガラガラ状態を
発見しました。

午後7301-7451+4053が桂から下ったようです。
4053のOHか何かだったのでしょうかね。

374: 板主:2019/06/14 23:38 No.906
1991年6月14日金曜日は熱海駅から新幹線0系に乗車しましたが、
東京駅のポイント故障とかで、1時間以上ホーム上で待ったのを覚えています。

仕方ないので、南側の窓から東海道線を走る湘南電車のグリーン車を眺めていました。
まだこの頃は、国鉄末期の財政難ゆえ、特急電車のグリーン車を転用した車体断面や
高さが著しく違う車両も連結されていたのが思い出されます。他方、ステンレスの
サロ124や125もデビューしていました。

そしてこの日、鳥飼基地にて300系を初めて見ました。
翌年、3月14日土曜日から営業に入りました。
この頃放映されていたJR東海のCMを記憶しています。

今年は1991年と、来年は1992年と日付と曜日が同じになるはずです。
2015年は1970年と同じでしたね。

レスは後ほど致します。

375: 板主:2019/06/18 08:10 No.907
>>372
YouTube等では吊り掛けサウンドが収録されているものもありますね。
吊り掛けの方が電車っぽい音なのかも知れません。そして音が非常に
大きかったです。幼少期の自分は、同じ形をの車両(1300系と1600系の
ことですが)なのに何であんなに音が違うのだろうと思いました。

>>373
自分は日曜日に京都線を使用したら、複数の駅の改札外や構内に盾を持ったり、
紺色のヘルメットを着用した警察官を見ました。G20のためかと思いましたが、
千里山の事件のためにいたのかも知れません。

自分は4050形(4250形)が実際に走っているのは一回も見たことがないですね。
登場から37年も経つのですが。920系の生き残りであり、もう4203よりも年齢が
上になったことでしょう。存在しているだけであり難いです。

崇禅寺の駅の上下線間に関してはまた見ておきます。

376: 板主:2019/06/18 08:28 No.908
自動改札50年のイベントを見に行った後に、北千里から阪急が確保していた
土地に沿って北方向に歩いたと過去スレに書いております。報じられている
道も歩いていますし、コーナンにも入っています。

千里山駅はいつのまにか線路の上を横切る高架道路が造られ、少々重苦しい
感じがするようになった次第です。

377: 名無し:2019/06/18 17:54 No.909
>>375
たいへんな事件で千里線が注目されましたね。
ニュース映像でも千里山駅を走る大阪メトロ車が
映し出され、よくご存じない視聴者は阪急の車両と
認知されたかもしれませんね。
北大阪急行の江坂以北が南北線というのも、
今回のニュース報道で初めて知りました。

378: 名無し:2019/06/19 08:49 No.910
4050形は元969 980 971 972 でしたっけ。
客車当時はイコライザー式台車でしたが、
現在は旧1010 1100系のFS324アルストム台車
のままでしょうかね。
M車であれば、吊り掛けモーターの音が・・・。

379: 板主:2019/06/20 08:21 No.911
>>377
東京製作の番組の方が、地図などで「北大阪急行(電鉄)南北線」という表記を
より使っていたように思います。大阪のスタッフだと普段から知っている路線
なのでので「北大阪急行」で良いだろうと考えるのに対し、東京のスタッフは
聞いたこともないような路線でしょうから、何かで正式な路線名を調べた上で、
「北大阪急行(電鉄)南北線」と表記したのではないかと思います。
>>378
元969、970、971、972の4両ですね。台車が交換されたほか、帯が追加されたり
していますね。電動車だったら吊り掛けの音が聞けたかも知れません。廃車時
期があまり変わらず、またより新しくて車体も大きい710・810系や1200・1600系
ではなく950形が起用されたのは何か意味があるのでしょうかね。

380: 名無し:2019/06/24 16:29 No.912
梅田駅の天井配管?から大量の雨水が
3316号の屋根に滝のように落ちている
視聴者投稿の映像がTv放送されていました。

観測所のデータにはのらないような局所的な
集中豪雨も珍しくないようです。

381: 板主:2019/06/25 07:09 No.913
自分は土曜日の夜中のニュースで見ましたが、
その後、東京発の番組でもこの映像は使われていますね。

排水能力以上の雨が降ったために、吹き出したのだとか。

昨日の「ひるおび!」の森さんの解説だと、大阪は1mmしか
観測していないけど、この近辺だけ大雨が降ったらしいです。

382: 名無し:2019/06/27 18:56 No.914
>>374
新幹線300系は、とにかく初期故障が
多発した記憶があります。
それも今や全車消滅、それどころか
700系も廃車が進んでいるようですね。

383: 名無し:2019/07/01 17:56 No.915
今日1日のキャストでは、京阪電車の
寝屋川球場構想を紹介していましたね。
ここでも京阪は計画断念に追い込まれた
とか。「悲運」の事例ですね。
私は、初めて知る事柄でした。

資料映像では2261先頭の編成などが
ありましたが、これらは阪急3000系と
ほぼ同じ年代と思うのですが。
塗装などが変更されてかつてのイメージは
ありませんが、京阪の方が長生き、という
ことになるのでしょうか。

384: 板主:2019/07/02 09:40 No.916
>>382
300系は初期故障が相次いで、営業車が100系に連結されて収容されることも
ありましたが、次第に問題も起こらなくなって行ったように思います。
ニュース番組のインタビューでは「なにが『のぞみ』ですか」と嘆いている
人もいました。

過去には、キハ81系「はつかり」が事故「ばっかり」で「がっかり」などと
言われたこともありました。弁天町⇒京都で保存されている先頭車は1960年
製で77年に廃車されました。

700系も廃車が進行し、更にN700系も第1編成が引退して、リニア・鉄道館に
搬入されたようです。

余談ですが、上牧〜大山崎で並行する新幹線のうち、下り線はかなりの割合で
護輪レールが敷設されていますね。

385: 板主:2019/07/02 09:42 No.917
>>383
自分は昨日の番組は見ていませんが、同じ朝日放送のハイヒールさんの番組で
京阪が球団を持っていない理由をやっていたように思います。

京阪のうち京阪線は1983年の昇圧以降、600Vのまま廃車になった600系の車体と
やはり600Vのまま廃車になった1800系(2代目特急電車)の下回りを組み合わせた
新1800系14両と3000系以外は2001年まで18年間廃車がありませんでした。

2001年に1900系(旧1810系の最古参は1956年製)と2600系(書類上は1978年生まれ
ですが、30番台を除く103両は1959年製の旧2000系の実質的な改造車)の廃車が
始まりました。5両編成は交野線や宇治線での活躍があるものの、本線の普通や
区間急行でも走っていました。

1900系は中之島線開通の頃に45両が全車廃車、2600系には今年還暦を迎えた車両
もいます。30番台は1981年頃に製造された完全新車で、今も全車健在です。

386: 板主:2019/07/02 09:51 No.918
1964〜68年製の2200系も2代目3000系や13000系の竣工で数を減らしつつありますね。
コチラは1900系や2600系0番台と違って、20年前当時だと最大8両を組んで急行や
準急で大活躍していましたが、今は数が半分以下になり、更に1985年に増車用に
作られた2380番台5両も近年あっさりと廃車解体されてしまいました。2630番台と
ともに2000番台の最年少車として生き残ると思っていたのですが。。。

1969年生まれの関西初の冷房車とされる2400系は全車健在です。
1967〜70年に流用車700系として竣工し、1977〜78年に2両を除いて1000系となった
車両たちも何度も改造を受けて全車健在です。車外のプレートには700系として竣工
した際の年数が、車内のプレートには1000系として竣工した際の年巣が書かれています。
(700系としては廃車になった扱いです。上記の2000→2600系と同じ)

ただし1970〜80年製のアルミ5000系は京橋のホームドアに対応できないとして
既に1編成が解体され、部品類は叡山に渡っています。せっかく内装も更新されて
これからも走ると思っていたのに。初代5554磯島曲線での置き石で30年以上前に
廃車されています。

387: 板主:2019/07/02 10:10 No.919
600系は今も走る1000系と同じような側面を持つ車両で、また車体も
卵形ではなくストレートな外板になってました。流用車独特の形状なのでしょう。

・1650形として1957年頃に登場したTc10両 のちに電動化
・1961〜65年頃に旧600、700形や貴賓車2代目16号の
 台車や機器を流用して車体が新製された41両
・上記した700系から1000系への改造へ漏れた2両 の53両で構成されていました

昭和50年代になって製造から20年程度となり、また京阪並びに各社の従来車は
冷房改造が進んでいる時代でしたが、車体の軽量化を徹底したため車体更新や
冷房改造するには新車を作るのと同じくらいのお金が掛かってしまうため、
若かったものの廃車となった次第です。

新1800系に選ばれた車両のうち先頭車は、そのような軽量化が徹底されていな
かった1650形ばかりが選ばれました。ただし新1800系は6年で終了しています。

これを踏まえて作られた700系にはそのような問題点がなく、今も走り続けて
います。ただし、2両は1983年に廃車されており、わずか13年で消えています。

この2両の車体はネットでは寝屋川工場で保管されていると噂されていたので、
実際に2002年に寝屋川へ行って社員さんに聞いたのですが、分からないという
お答えでした。

388: 板主:2019/07/02 10:18 No.920
上記の600系は事情が違いますが、流用車には始めから長期的な使用を
考えず、短命で終わることを考慮した車両たちもいますね。

山陽の300形は1961年から68年に製造されましたが、86年には全車引退しています。
特に現在は保育園の施設となった332は17年半という短い活躍でした。

3000系は1964年から製造が始まっていますので、3000系初期車よりも4年年下なのに、
およそ30年も早く廃車されたことになります。

山陽の他の流用車である250、270、2700系(2300系に改造されたものは除く)も短命
でしたが、やはり300形が最短命となりますね。

久しぶりだったので、かなり書いてしまいました。

389: 名無し:2019/07/04 17:06 No.921
京阪についての詳しいご解説ありがとうございます。
板主氏は阪急のみならず京阪についてもお詳しいですね。

私はずっと以前に書き込みしたと思いますが、
1970(S45)年4月~およそ3年間は、ほぼ毎日乗車
しましたが、その後は年に数回程度の乗車になっています。

そのため、385~388の内容のほぼ3分の1程度を
やっと理解できる状態です。
京阪でかなり年配の車両も、塗装や番号の字体が
今風になっていて、阪急車両のような「なつかしさ」
を感じないですね。

390: 板主:2019/07/04 18:54 No.922
今の時代は鉄道もそれ以外も本当に面白くなくなってしまい、
過去のことだと書き過ぎてしまいます。

年齢を重ねたからという理由もありますが、その点を除いても
つまらない世の中になってしまったと個人的には感じています。

京阪に関しては、もうなくなってしまった車両に関しては
Wikipedia等で見ていただくと宜しいかと思いますが、現役の
車両たちは是非ご乗車ください。

1970~73年に京阪線で活躍していて、今は見られない車両は
上記したものを除くと1300、1700、500形になるかと思います。
1300系は新京阪線700系と同等の規格型車両です。1300系は
3ドア化されたり、急行運用もあった点が700系とは違います。

京阪のあの新塗装はどうかと思いますね。近鉄特急も違和感
ありまくりです。80年代後半に近鉄一般車が今の塗装になった
のは、別になんとも思いませんでした。

391: 板主:2019/07/04 19:04 No.923
南海高野線の6000系も本当に良く頑張ってくれたと思います。
1962年の竣工から1両も欠けることなくやってきましたが、
秋には後継車が出るようです。

丈夫なステンレス車体なので、VVVF化する話もあったとか。
地方鉄道や海外とかにでも行ってくれると有り難いです。

後輩の両開きドアの6100系はこれからも活躍してくれそうです。

少し前に言いましたが、養老鉄道にはやはり1962年生まれの
元東急の車両があと30年走るつもりで譲渡されてきました。

392: 名無し:2019/07/07 08:55 No.926
話題の流れで久しぶりに1970年のメモ帳を見ました。
京阪車両についても断片的にメモしていたようです。

'70.6.15には、
622 614 708 710 1758 1806
2010 2026 2028 2030
2048 2050 2253 2254 2260 2265 2267 2268
2452 2453  2452 2453は京都側ですよね。
いずれも4連の京阪普通や5~7連の急行、区急、準急、
区普通など担当は様々です。
それに、510-509+506-505 と記していますが、
どこで見たのか不詳です。

'70.7.31には
1929+1909+1910+1925-1955-1916
特急とメモっています。

'70.9.9朝には
香里園駅で下り淀屋橋行急行が故障、
2454(3)+2462(4)で京都側の3両が
該当、新造当初の初期故障だったので
しょうかね。
車内は当時から超満員でした。

この年には、600 700系の急行にもかなり
乗車していたようで、最後の活躍?だった
のでしょうかね。

'70.10.21には、
1757 1306 508 などが「宇」とメモしています。

393: 名無し:2019/07/08 19:58 No.927
ニュースによれば、夕方京都線が
1時間ほど運転見合わせとのこと、

この時間帯のダイヤ回復は最終まで
困難でしょうね。

394: 板主:2019/07/09 08:47 No.928
>>392
どうもありがとうございます。

600系や700系はそれぞれの終焉まで急行でも走っていますので、
600系はこのあと13年間、700系は8年ほど走っているかと思います。

700系の車体は2両を除いて1000系の車体として流用されていますので、
今も急行や準急などで走っています。

500形はWikipediaによると
>1967年までに800型(初代)や250型が廃車された後には交野線専用と
>なった。ごくまれに三条 - 宇治間の普通で運用されたり、行楽時には
>淀屋橋 - 私市間臨時急行「きさいち号」にも充当された
と書かれています。

この500形の車体更新では台枠も流用しており、収容人員を増加させることが
出来ないため、初代600・700形は台枠を流用せず、車体を完全新製して2代目
600系を作ったというわけです。これは阪急が51・78に施した改造をこの2両
だけでやめて、残りは610系への更新に移行したのと似ています。

>>393
最近はどこか1ヶ所でトラブルが起きると、千里線や堺筋線も含めた全区間が
停まってしまい、どうにかならないものかと思いますね。2016年1月に堺筋
本町でボヤがあった際も、乗入れとは関係ない梅田〜淡路まで休止されて
しまいました。

395: 板主:2019/07/12 18:56 No.929
桂の待避線に入線する梅田行き列車の最後尾に乗ったところ、
同線の京都側にある保線基地へのポイントが、列車が通った
直後には基地側に向かって切り替わるのを2日連続で見ました。

停まり切る前にはもう変わっていたので、せいぜい数秒程度
かと思います。

正雀の大阪方面行き待避線の京都側にも基地がありますが、
こちらも何れ見ておこうと思います。高槻市にも小さいけど
保線用の機械を入れておく線がありますね。

396: 名無し:2019/07/14 16:43 No.930
>>395
少し的外れなのかもしれませんが、
転てつ器で分岐方向に進行する場合は、
方向別に切り替えなければなりませんが、
合流方向に進行する場合は、車両とは
異なった状態でも「乗り越えて」運行
可能な場合もあるのでしょうか。
かつて京都市電などでは、そのような
状況だったと思い出しました。

397: 板主:2019/07/14 18:45 No.931
スプリングポイントのことですかね?
https://www.youtube.com/watch?v=ZKZpYH3LmAk
阪急だと嵐山線上桂と松尾大社にありますね。
同形態ですが苦楽園口は普通のポイントかと。

フランジでトングレールを押しのけて進入します。
元の位置には列車通過後しばらくしてから戻りますね。

398: 板主:2019/07/14 18:59 No.932
前の投稿とは無関係ですが、
山陽大塩にある横取り装置です
https://www.youtube.com/watch?v=lG3cjydYzm8

レール脇にうつ伏せになっている横取り装置を蝶番を軸に180度
回転させるとレールの上に被さります。そうすることで保線車両を
出し入れすることが出来ます。

先日、横浜市営地下鉄ではこの器具を収納し忘れて、始発電車が乗り上げて脱線
しました。10年ほど前には近鉄でも同じようなケースがあったかと思います。

こちらも
https://www.youtube.com/watch?v=ssCeH-6KE0E

399: 板主:2019/07/14 19:15 No.933
安全側線に向かうポイントはレールが覆い被さるようになっています。
https://www.youtube.com/watch?v=ATr4CnjKwNk

阪急でも王子公園の保守車両の出入り口はこのようになっているかと思いますが、
安全側線ではないので機械が出入りする時のみレールが覆い被さります。

400: 名無し:2019/07/18 09:45 No.934
>>392 394
600 700系はその後もかなり活躍を続けたのですね。

当時、1900系は光沢のあるグレイのバンパーを
付けていたのような・・・。
バスみたいな印象でした。

当時、守口市以東はまだ複線でした。
最近乗車して、変貌ぶりに驚かされました。

401: 名無し:2019/07/20 19:51 No.935
>>384
今日京都線下り列車車内から見ました。
水無瀬・上牧間に施工されていて、
真新しい感じでしたね。
巨大地震などの脱線防止施設の試行か
何かでしょうか。

402: 板主:2019/07/23 07:45 No.936
>>400
1900系新製車はあのバンパーが特徴的でした。
ただし後の更新工事によってバンパーに割り込むように標識灯が
設置されてしまい、かっこよさが失われてしまいました。

1900系だけではありませんが、旧3000系と5000系を除く貫通路ドアは非常化
されて外板と同一平面の目立たない仕様となり、幌も撤去されて顔の迫力が
なくなりました。

ただし2600系基本番台だけは、今でも頻繁な編成替えがあるのか、片持ち式の
幌を装着して走っています。

403: 板主:2019/07/23 07:46 No.937
2630番台もドアは以前のままでした。幌はありませんが。

旧1810系の先頭車も昭和60年代の更新工事を境に1914を除いて中間車化
されました。唯一先頭で走り続けた1914もヘッドライト以外は更新後の
新製車に準じた顔とされました。デザイン的に古かったからだと思います。

守口市以東の複々線化や高架化は後の時代になってからですね。西三荘は
松下電器へ通う人のために設置された駅ですし。

404: 板主:2019/07/23 07:48 No.938
>>401
JR東海は新幹線の全区間においてガードレールの設置を進めているようです。
地震対策ですね。高架の柱も補強しているようです。2004年の新潟中越地震で
上越新幹線の200系リニューアル車が横転しましたが、様々な偶然が重なって
死者が出なかっただけですから、このような対策は必要かと思います。

昨日、御堂筋線を利用したら、改札で1人前の人がApple Watchを使って入場して
行きました。関西で使っている人を見たのは初めてでした。

何ぞやという方は↓を
https://www.youtube.com/watch?v=0ZlKrTiKh3k

405: 名無し:2019/07/24 17:19 No.939
>>395 の現象は、397で触れておられる
「スプリングポイント」ではないのですね?

>403
地上駅時代の守口市駅の先には東側に車庫(跡)が
残っていたような・・・。
すでに留置車などはなかったような気がします。

406: 板主:2019/07/25 17:52 No.940
>>405
そうです。スプリングポイントですね。

守口市の工場や車庫の跡地は、現在は京阪百貨店や駐車場になっているかと思います。

407: 名無し:2019/07/27 14:54 No.941
少し日にちがたちましたが、20日(土)に
阪急を見てきました。
1月19日のダイヤ改正後、初の休日ダイヤ
見学でした。

9306に乗りましたが、やや横揺れが強く、
乗務員に進言しようかとも思いましたが、
やめました。

平日には見られなくなった日中の
7連準急も以前のように走っていて、
5301 5315 3327 3325 5300
などが活躍していました。
梅田系統の準急8連は
1303 7327 の2編成でした。

普通運用も梅田06 26 46発が高槻市行
16 36 56発が北千里行に変更されていて、
1月以前のような梅田での高⇔北の変更は
なくなっていました。

408: 名無し:2019/07/28 19:10 No.942
20日今津北線では、
7005Fが走っていました。
7090 7190は6050 6150からの
改番とか・・・。
6000Fの4連化で、6100号の改番で
車番が重複するのを避けるため?
と勘繰りたくなります。

409: 板主:2019/07/29 08:06 No.943
自分は20年以上前に御堂筋線の10系の冷房がやたらと音を立てていたので
たまたま列車内を歩いて来た作業の方に言ったことがありますねぇ。

6000Fがどうなってるのか知りませんが、仮に4連化されると今までのパターン
だと6100は6150になってしまいますね。

阪急は他社と違って他形式の付随車を編入しても番号は変わりませんでした。
2084とかは山陽電車であれば5554あたりになっていてもおかしくないと思います。

ただし6050Fはモーターのない6000系の先頭車が7000系の電動車を挟むという編成
ですから、つまりメカ的には7000系ですから、先頭車が7000系を名乗る方が順当な
ように思えます。

7060、7160でも番号的な重複はないと思いますが、3300系でTc化された車両も
3391〜3393を名乗っており、過去に存在した90形や96形のように様々な事情を
抱えた車両が90番台を名乗るのかと思ってしまいます。製造時から90番台の
車両は別ですが。

410: 板主:2019/07/29 08:15 No.944
国鉄では111系は昭和37年度のみ製造され、電動車は翌年度から出力を上げた
113系に移行しましたが、クハ、サハ、サロには引き続き111番台を名乗って製造
された車両がいます。これは111系のそれらと互換性があると言うことです。

交直流の常磐線も403系に移行した後も401番台を名乗るモーター無し車がいました。

阪急の3000、3100系のTcやTは実質同じではないのかと思っています。ただし、
TcやTの番号を通し番号にすると、付番がややこしくなってしまうでしょうね。
3077Fも電動車としては3100系の編成でした(なぜか3077と3151が差し替えに)

411: 板主:2019/07/30 08:50 No.945
話が飛びますが、昭和53年=1978年の「鉄道ピクトリアル」の阪急特集で
掲載されている蒸気機関車は下記でしょうかね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/国鉄60形蒸気機関車

もう最後に同誌を見てから20年ほど経つので忘れてしまいました。
「機械」扱いなのか「車両」扱いなのかは分かりません。

412: 名無し:2019/07/30 10:28 No.946
>>411
そのようですね。
同誌P.154 篠原丞氏の「阪急電鉄の貨車」
の中に写真と若干の説明があります。
ウィキの記述のように、2両が国鉄から
譲渡されていますね。
60号は讃岐鉄道、山陽鉄道を経て国鉄60形に
なったとあります。
車両ではなく工事用で、京都線の建設などに
関わったようです。

おかげさまで、私も阪急にも蒸気がいたことを
初めて知りました。

413: 板主:2019/08/01 08:10 No.947
ありがとうございます。
機械扱いなので、Wikipediaの「阪急電鉄の貨車」のページには掲載されていないのですかね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/阪急電鉄の貨車

上記のページを見ると、無蓋車の1001 - 1020(1000形)は廃車されたという文言はありませんが、
保線基地や正雀などで見られるバラストを積んだ無蓋車はこの車両なのでしょうかね。今も残っていたら
すごいですが・・・

保線の機械には人力のものもあり、工事の時に線路脇に資材を載せる程度の台車が置かれているのを
見たことがあります。石積みではないホームの下に置いてあることもありますね。

414: 板主:2019/08/01 08:13 No.948
余談ですけど、阪急各形式のWikipediaは最近の加筆や修正、削除によって肝心な
文言が消されたり、読み応えのあった記事まで消されてしまいとても残念です。

1形や1200系の部分も、18両は部品のたらい回しで建造されたけど、2両は手持ち
部品で建造したなどと書かれていた箇所も消されてしまいました。旧1000系列各
形式も各々分割したページとなってしまいました。

2357を除く2300系の表示無し車も壁紙で美化したという部分も消されてしまいました。

415: 板主:2019/08/02 09:30 No.949
3300系は表示幕改造時に本格的な内装更新をしなかったのか、
90年代に入ると2800系や2300系の表示無し車よりはマシでしたが、
内装の色褪せや痛みが目立っていました。

2800系が引退し2300系の表示無し車も応急的な美化が行われ、5300系の
表示幕改造や内装更新が進むに連れ、3300系の内装は如何なものかと
思うようになりました。

416: 板主:2019/08/02 09:31 No.950
2003年以降、40両がリニューアルされましたが、それ以外の車両は
以前のままです。この時代になると、7000、7300系でも内装の状態が
悪くなりつつありましたが、それらはリニューアルされていったので
(現在もその最中なので)、やはり3300系だけが内装の状態が好ましく
ない状態で今も走り続けているという有様です。

3300系も2300系表示無し車や北大阪急行8007編成のように壁紙を貼るなり
して、美化してほしかったところです。

417: 板主:2019/08/02 09:31 No.951
このような状況を見るに付け、5000系のT車がリニューアルされたのに
10〜15年程度の廃車になってしまったのは悔やまれます。パワーウィン
ドウも装備され、リニューアル車の中では当時としては最高レベルの改造が
施されたのに。

リニューアル時に2000系列のいた場所に差し込むのではなく、編成の並べ
替えをした上で差し込んでいることから、早く離脱することは想定されて
いたのかもしれませんが、デコラだけでも流用できたらと思いました。

418: 板主:2019/08/02 09:32 No.952
宝塚線は宝塚線でリニューアル車を除く5100系や6000系が1回目の更新から
時間を経て内装の状態が悪くなって来ています。6000系には1度も手つかずの
車両もいるかと思います。

8000系も応急的に修理された内装の色調とそれ以外の色調が違っているのを
見ると25〜30年でかなり色褪せてしまったことになりますね。

419: 板主:2019/08/02 09:41 No.953
3300系のリニューアル車は素晴らしいけど、
3300系の非リニューアル車は「阪急の車両」としては、少々お粗末ではないかと思いますね。

3桁の車両とかでも、デザイン的には古かったけど、内装がまだら模様に
なっていたような車両はいなかったような・・・気がしますが。

いつもいつも、昔は良かったなあ〜、今の時代は昔からあった良いものが
失われて行くだけの時代だなあと思い、ため息ばかり出てしまいます。

420: 板主:2019/08/02 09:52 No.954
冷房改造は能勢電移籍時の2100系を中心とした24両を含め、15年で600両以上の
車両に施されました。1年間に40両以上の車両を大改造していたわけです。

同じ時代には2800系や旧1000系列などの3ドア工事や810系の車体更新なども
並行して行っており、また後期冷房改造車は表示幕改造も同時に行われていた
ので、昔の時代は改造やリニューアルでも今と比べればものすごいエネルギーと
速さで、仕事が進められていたことが分かります。

冷房に関しては生活水準の向上で、3ドア化は乗客数の増加で各々不可避
だったので急いでやるしかなかったという理由も勿論ありますが。

今のようなリニューアルは、始まって20年近く経ってもそんな数には
なっていませんね。冷房化完了後の時代の表示幕改造とかを含めても、
こんな急ピッチではありませんでした。

421: 板主:2019/08/02 10:54 No.955
同じことは昨年11月にも書いているのですが、やはり尼崎のアルナがなくなって
過去と同じペースで改造することは不可能になったのでしょうかね。

422: 板主:2019/08/02 16:39 No.956
梅田→大阪梅田とか河原町→京都河原町とかもどうかと思いますね。
神戸三宮への改称が原因で神戸や高速神戸との混同も起きているようです。

かつての看板がそうだったように、梅田や河原町の表示幕に(少し小さめに)
大阪とか京都とかを入れれば良いだけではないのかと思うのですが。
駅の案内のLEDもそうです。そこまで外国人に迎合する必要があるのかと。

いくら消費税で運賃表が書き換えと言ったって、駅名部分の書き換えは
余計な手間になることは明らかです。連絡乗車券を売ってる会社も対応
が必要になります。大阪地下鉄の駅の運賃表も西山天王山や松尾大社は
上からシールを貼っているようです。

423: 板主:2019/08/02 16:41 No.957
地下鉄は乗車目標の白い板を外してしまったし、車内の路線図もなぜか
網棚の荷物を置けば隠れる場所に移設したし、阪急やその他は改札口の
◯や×の表示板を外したから、改札まで近づかないと、どの通路が通れ
るのか分からなくなってしまい、更にIC専用とかもあり、人の動線が無
駄に混乱するようになりました。特に大きな駅はそうです。

地下鉄の出入り口は「M」よりもトンネルの断面を車両が走るピクトグ
ラムの方が、何倍も分かり易かったです。これこそ外国人が見たら何の
ことかと思われるだけでしょう。営団地下鉄みたいにSUBWAYとか添えて
ないし。

様々な事物が「改悪」されて行く一方のように思えます。回数券などで
乗り越した際に、改札に2枚いっぺんに入れれば精算される便利なラガ
ールもあと2ヶ月で使えなくするし。他との併用がなけりゃICだけでも
良いのですけど。

連続的に不満ばっかり書いて悪いです。年を経るごとにサービスが低下
してどうするのと思うからです。

424: 板主:2019/08/02 17:14 No.958
wikiの話ですが、1000形の項目に掲載されていたはずの1両が倉庫代用に
なっていたという記述も削除されていますね。

写真自体は下記で見ることが出来ます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/新京阪鉄道BL-1形電気機関車

近年発行された書籍に記載がない事象は「なかったこと」にされているの
でしょうか。若年層からすると、生まれる前のことは、本に書かれていな
ければ事実としてない、という理屈なのでしょうか・・・。

2300系の冷房改造時期は昭和53年〜56年でしたが、阪急が直々に発行して
いる本が56年〜60年などと間違って書いていたので、それを鵜呑みにした
若年層に指摘しても「公式本が間違ってる訳がない」と言われるだけでし
た。それゆえWikipediaも長らく間違ったままでした。

このようなことは当時生きていれば分かることですし、仮に2300系の改造が
56年以降であれば、3300系みたいに冷房は中央寄りになっていて、表示と冷
房は全車同時改造だったでしょう。もう他の現在進行形のネタを扱うBBSも
ブログも見ていませんが・・。

425: 名無し:2019/08/02 17:44 No.959
>>415 416
8月になって板主氏の知見が爆発したようですね。
ひとつずつゆっくりとコメントさせていただきます。
3300系の内装ですが、大規模更新車以外は確かに
色が褪せて見放された印象ですね。
該当編成は、
3309 3311 3314 3318 3325 3327 3330
あたりでしょうか。
この7編成が早期廃車対象ということであれば、
新1300系は1314Fぐらいまで想定しているので
しょうか。

426: 名無し:2019/08/03 20:48 No.960
>>417
宝塚線住民だったものとしては、
5100系からT車を中心に多数が
5000系に拠出され、6連化に際して、
その車両が廃車?という悲運を感じます。
8連で残った編成も、MMがひしめいて
何か力の持ち腐れ感、一層のこと
神戸線本線で使用してもらいたい気持ちもします。

427: 板主:2019/08/04 10:07 No.961
暑さと駅名の改称に端を発して、色々と感情的な投稿になってしまいました。
車両でも車両以外でも、思うことが多すぎです。

3300系は昭和54年生まれの3950形を除いては、今年ですべて50才以上になります。
リニューアルしていない編成は、いずれ置き換えられて行くと思います。

1970年代の時点でも存在していましたが、3000系や5000系のように出力が
大きい編成が今津線で4M2Tを組んでいるのはどうかと思いますね。

920系も大出力だったからか、1970年代後半まで本線運用が続き(それと
同時に900形は引退)、支線だけの時代はたった4年で終わっています。

428: 板主:2019/08/04 10:09 No.962
5000系リニューアル車は宝塚線で走り、6000系などを支線区に回して、
同時にワンマン化すれば良いのではと思っていました。自分は残念ながら
3054Fが最期を迎えれば、伊丹線はワンマン運転になるのではと思っています。
阪急はでワンマン=ワンハンドル車のようですし。
(嵐山線はワンマンにはなっていないですが)

増結解放運用終了後の5200系は、6M2Tだと出力が大きすぎるから、電装解除
している車両もありました。3300系は1両あたりの出力は小さいですが、
6Mは無駄だったのか、4M2Tにされたりしていました。

冷房改造後も6Mを維持した編成は、将来の8連化を見越しての措置だったのかも
しれません。それらの編成は各々、3425、3426、3427が先頭に立っていました。

429: 板主:2019/08/04 10:32 No.963
5000系でもうひとつ分からないのは、普通運用主体になったことです。

115km/hの特急に対応する改造をしていないというのは分かりますが、
停車や発進の多い種別は7000系以降にこそ向いていると思っています。

2300系は元から回生ブレーキがあり、冷改時に界磁チョッパになりましたが、
これは普通運用主体となることを考えての措置でもあったのですよね?
(6300系の登場で2800系が急行に、急行でも走っていた2300系は普通ばかりに)

430: 名無し:2019/08/04 20:36 No.964
2300系の界磁チョッパ化は制御装置トランジスタ増幅器の半導体部品の枯渇が主な原因です。ねん出された部品は2800系の保守用に活用されたと思います。

431: 板主:2019/08/06 08:06 No.965
>>430
どうもありがとうございます。
その界磁チョッパも2300系は廃車となり、7000/7300系ではVVVF化される
車両も出て来たので、保守用部品の確保を兼ねているのかも知れません。

432: 板主:2019/08/06 08:16 No.966
7000/7300系がメカ的に進化するのが良いことですが、
番号移設はよく意味が分かりません。不格好にしか見えません。

5000系リニューアル時のTOKKに、HMを設置している
場合でも番号が見えるのでと書いてありました。

車両に何かトラブルがあった場合に番号が見えず支障を来す
というのであれば、そもそもあの場所にHMを取り付けること
自体に問題がありそうですが。

最近の能勢電移籍車のように2ヶ所に番号を付けるとか、
対応の仕方は他にもありそうですが。

433: 板主:2019/08/06 08:30 No.967
2300系の写真で渡り板の裏面に番号を記し、板を立てた状態で走ると
番号が上下2段に並んでいるようになっていました。

昔の2800系の写真を見ると、渡り板を立てた(収納した?)状態で
走る写真をよく見るように思います。初期の頃はこのような写真が
多いかもしれません。

434: 板主:2019/08/07 08:20 No.968
テレビで松本清張の「点と線」が放送されていたので見ました。

たけし氏をはじめ出演者各位が最近の姿よりも若く見えたので
疑問に思って調べたところ、2007年に制作したものを編集して
再放送したのだとか・・・

ロケには宮原も使われたそうで、昭和32年には存在しなかった
113系が使われていましたが、横須賀線は初期の塗り分け
(幕板部分の青い塗装が、湘南色での緑の塗装と同じ面積)に
されていました(後年、青とベージュの境界が下方に)。

昔を知らずに湘南色と同じ塗り分けにしたのか、分かった上で
昔を再現したのかは分かりません。

寝台車20系も登場前年ですが、実在する14系座席車の屋根上に
ドーム状のCGを被せたように見えました。

先月17日には石原裕次郎氏没後30年で1962年の「銀座の恋の物語」が
放送されていましたが、こちらでは有楽町付近を走る横須賀線の70系と
思われる車両が映っていました(遠景でしたが多分)。この年の秋に
なると111系も登場します。

435: 板主:2019/08/07 08:30 No.969
「グリコ・森永事件」を題材にしたNHKのドラマも見ましたが、京葉線の
スカイブルーの201系を使用し京阪神緩行線を再現していました。放送時、
京阪神の201系は側面が改造されたり、環状線に移ったりしていました。

駅に取り付けられていた国鉄式の案内板が「三ノ宮」ではなく「三宮」
だったのが惜しいところです。外幌などはそのままでしたが、車両は
極力JR東日本の色合いを消し、「京都」と書かれた幕も装備し、事件
当時の京阪神国電を再現していたように思います。

駅は深夜の蘇我駅ではないかと思います。車内は秩父鉄道に移籍して
いた101系を使用しての撮影だったと思われます。確証はないです。

436: 板主:2019/08/07 08:51 No.970
「点と線」では当時は大衆化していなかった航空機が使われるところが
ポイントになるようですが、テレビドラマ「さすらい刑事」でも当時は
まだ珍しかった携帯電話を犯人が所有していることを香取刑事が気づき、
逮捕に至ったというストーリーがあったように思います。

携帯やネットが出て来てからは、描写することが出来なくなった設定も
少なくないと思います。それに今だったら至る所に防犯カメラもあって、
誰が何処にいたか一発で分かってしまいます。

時代背景が分かった上でないと見られないでしょうね。ついでですが、
たけし氏の「コマネチ」だって、何のことか意味が分かった上で見て
いる若年層は少ないと思います。

437: 板主:2019/08/09 07:15 No.971
裕次郎さんの映画は没後30年ではなく三十三回忌の日に放送されたものでした。
本当に昭和は遠くなってしまいました。

Wikipedia「六甲駅」の項目では、映画ロケが行われた話が出ていますね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/六甲駅

2018は1736となって生き続けています。

438: 名無し:2019/08/09 12:19 No.972
>>422
私も駅名改称はしっくりとしません。
服部も「天神」が追加されたり、
今回は石橋に「阪大前」が加わるとか。

ちなみに1981年3月改定以前の方向表示板は、
大阪、京都表示でした。
宝塚線でも、大阪・宝塚間(急行や普通)や
大阪・箕面間(準急)、大阪・池田間、
大阪・豊中間(普通)などと表示されていました。

439: 板主:2019/08/10 09:49 No.973
京都線の普通の看板は、上のオレンジ色で囲われたところに小さめの字で
大阪⇔京都と縦書きで書いて、その下に梅田、河原町間 と書かれていましたね。
千里線でも大阪梅田〜北千里間となっていました。十三行きも大阪十三でした。
それぞれ「大阪」は小さめの字でした。

神戸線の縦書きの急行は字の大きさが全て同じで、大阪梅田、神戸三宮などと
なっていたように思います。

もみじ準急は「みのお」の表記でした。今でも駅の案内類では「箕面」ではなく
「みのお」があるかも知れません。

81年以前の看板の方が味がありましたね。

440: 板主:2019/08/10 09:55 No.974
阪大(大阪大学)と関大(関西大学)は字面では間違わないと思いますが、
略称を発音すると「はんだい」「かんだい」となり似てしまいます。

大学入試のみならず、資格試験などの会場として使われていると
思いますので混乱も起きるだろうと思います。

これを言い出したら、大阪大学と大阪◯◯大学、関大と関学、関西◯◯大学
なども当てはまってしまいますが、阪大と関大はエリア的に被っていて、
どちらも認知度のある大学だからこそ、紛らわしいことになるのではと懸念
しています。

441: 名無し:2019/08/10 17:59 No.975
>>417
先日、3853号に乗りましたが、
内装は色あせていて、しかもやや濃い部分と
うすい部分がまだらで悲壮感すら感じますね。

>>418
元宝塚線住民としては、やはり5100系の
リニューアルが、ほとんどないに等しい状況が
残念ですね。
わずかに、5128Fが更新されているだけですね。

442: 板主:2019/08/11 10:43 No.976
昨日は昼過ぎに新大阪駅にいました。普段から新幹線エリアは混み合っていますが、
帰省客や夏休みの家族連れ、外国人観光客も合わさって、より一層混んでいました。

JR東海が改札外に設置している新幹線の券売機は15台ほどありますが、なぜか
左側の5台が節電名目なのか稼働しておらず、より一層混雑する形になっていました。

>>441
1980年代になると色褪せた内装の新系列高性能電車が見られるようになり、さらに
全体的に修復すれば良いものの一部分だけ修復するからパッチワークのようになって
しまい、なおさら見た目が悪くなってしまいますね。

443: 板主:2019/08/11 10:48 No.977
今はなき2800系もそうで、しかも同系の場合は後から設置した中央ドアの部分だけ新しく、
その他は古いままかパッチワーク状態でした。生まれの遅い2880形“2890番台”だけは全体的に綺麗でした。

5100系はリニューアル車5146Fも能勢電に行ってしまったので、より少なくなってしまいました。

地下鉄60系は一番最後のイベントで使うためだけに、内装に綺麗な木目の壁紙を貼ったようです。
https://web.archive.org/web/20181106021823/http://www.geocities.jp/globaltera/60timetrain.htm

5000系のリニューアルの話は、正雀の方からも聞いていたのですが、2000年当時で表示改造&内装更新から
まだ最大で16年しか経っていない5000系よりも(最短は10年)、同年代に製造されながら内装の状態が思わ
しくない3300系にこそ施したら良いのではとも思ったものです。3300系はドアもざらついた壁紙を貼っている
ようですし。

3300系は数が多いので、全体の1/3しかリニューアルされなくても、数の上では5000系オリジナル車の
リニューアルとあまり変わりませんね。8両編成をあと1本リニューアルしていたら、数では5000系を
上回っていました。更に2本リニューアルしていたら、5100系編入車を含めた5000系と同数になっていました。

444: 名無し:2019/08/11 17:25 No.978
>>410
私もなぜ3077が先頭になったのか疑問でした。
当然3151の顔出しを期待したところです。
ただ、節電アピールか何かで、6連が一時的に
本線復帰となり、3076Fの中間に入った3151号が
なんと三宮に乗り入れたのでしたっけ。

445: 板主:2019/08/12 09:32 No.979
運転に必要な機器の整備にお金が掛かるとか、床下機器の関係でしょうか。
よく意味のわからない車両の差し替えも全て意味がありますからね。

3100号なんかは晩年に伊丹線に移って初めて営業列車として先頭に立った
らしいです。一度も営業列車の先頭車として使われることなく消えた若しくは
運転台が撤去された車両もいたことでしょう。

節電の頃は3076編成が本線に復帰した覚えはないですね。2000年代始め頃に、
神戸本線は冷房・表示幕同時改造車(外見の特徴は冷房が中央より、表示幕が行灯と同じ場所)に
宝塚本線は冷房・表示幕別々改造車(外見の特徴は冷房が分散配置、表示幕が行灯と違う場所)に
統一されましたので、3076編成は当てはまらなかったように思います。

446: 板主:2019/08/12 09:33 No.980
3100系は神戸本線でも普通なら担当できると聞いていますが、実際に見たことはありません。
3650形のT車が3000系に挟まれて走るのは見ています。3052F中の3651と3054Fの3652が該当しますが、
特急でも走ったことでしょう。3651の位置には以前は3551がいて、3652の位置には2178や2088がいました。
3054Fは一旦今津線運用になってから再度、本線に復帰したので、冷房・表示幕改造後も付随車が何度か
変わっています。

447: 名無し:2019/08/12 20:23 No.981
3100系ですが大昔に宝塚線急行でカブリついていたら庄内→服部間の直線区間で100km/h少しオーバーしたことがありました。
神戸線普通は旧形車が残っていた時代最高速度は105km/hでしたから
性能的には大丈夫だったのでしょう。
冷房化で重くなり神戸線運用は出来なくなったとか。

448: 板主:2019/08/14 08:59 No.982
冷房化して神戸線は無理になったんですか・・・

3100系は運転台撤去車が皆無なので、比較的早い段階で本線復帰を前提としない
支線運用が始まると想定されていたと思いますね。実際に1988年から支線運用が
始まりました。

もっとも前任者である1000系列、2000系が阪急の電車としては短くして終わって
いるので、それを補うために支線に行かざるを得なかったわけでもあります。
(800、810系も33年や35年ですが、3100系の支線行きとは直接関係ないでしょう)

1987年度時点では3000・3100系は2000系列30両を編入して8両23編成を構成していた
と何度か書いていますが、Wikipediaにはその時代の編成表がありますね。

449: 板主:2019/08/14 09:09 No.983
この時代までは六甲事故を除くと新系列高性能電車の廃車解体はなく、すべての
車両がうまく編成内に収まって過不足なく運用されており(一時的な休車はあった
と思いますが)、自分も精神的に安定していました。しかしながら1010・1100系の
廃車は進行しており、残りわずかになっていましたが、これは仕方のないこととして
捉えていました。

1988年度には2800系の廃車が始まり、89年度には2000系の廃車も始まってしまいました。
88年7月頃の「阪急沿線」の部品セールの告知で、2800系の部品も発売すると掲載されて
いましたが、この頃は「3ドア化した時の発生品だろう」くらいにしか思っておらず、
実際に廃車が出ていることはしばらく知りませんでした。

450: 板主:2019/08/14 09:12 No.984
当時は充分若手だった5100系や5300系の初期車と同年代の2897(アルナ製)までもが廃車
されたことには驚きました。15年9ヶ月の生涯でした。台車は2320-2340-2355-2370などに
流用されたと思います。

2800系は一度は2300系のように機器更新も計画されましたが中止され、諸般の事情を
抱えているので(走行距離、冷房、3ドア化、2816Fと2817Fは先頭に立つ運転台も更新
されないままetc)、廃車はやむを得なかっただろうと納得するようになりました。

451: 板主:2019/08/15 07:37 No.985
Wikipediaの阪急1010系電車の項目を見ると

>1010の車体断面(モックアップ?)が正雀工場内の阪急ミュージアムで保存されている。

という記述がありますが、モックアップでしょうね。1000系列の廃車解体は昭和57年頃の
1200系か1600系が初めてかと思いますが、それ以前からあったはずですので。正雀に
移設されているのかどうかは知りませんが、2800系のも作り物です。

「戦後、車体の軽量化に腐心するあまり、車体断面が複雑な車両が生まれたが・・・」という
趣旨の文章を保育社の本などで見ておりますが、1010系もその1つなのでしょうか。

610系の車体を制作する際の苦労話も聞いたことがあります。(外板が曲がってしまった?とか)

452: 名無し:2019/08/15 14:10 No.986
>>445
444の「本線復帰」というのは、2011年の震災後
原発ゼロ時期の節電アピールの意味です。
期間は失念しましたが、半年間ほど平日の日中数時間のみ、
神戸線普通に今津線用6連が使用されたはずです。
当時、3050 3056 3076 3078 3082 などが
該当するかと思われます。
したがって、3076F中間の3151についてコメント
しましたが、可能性ゼロでしょうか。

453: 板主:2019/08/15 15:00 No.987
自分はこの頃、中津の済生会病院に通っていたので、何度か3000系の6両を見ており、
3082Fなどが走っているのは見ていますが、3076Fは見た覚えがないですね。もしかしたら
走っているかも知れませんし、走っていれば3151が三宮まで行っていたことになります。

454: 名無し:2019/08/15 20:20 No.989
Googleで画像検索をすると、平井車庫の高架下で保存されている2801や1000のカットボディーのTwitter投稿を見付けることができました。ブルーシートで覆われていたようですが、台風などではだけてしまっているようです。検索キーワードは、阪急 平井車庫 2800系です。
何とか正雀で保存して欲しいところです。

455: 板主:2019/08/16 06:53 No.990
自分は20年ちょっと前に平井の下に行ったことがありますね。
それらしき物体を見たことがあります。

元・電車館の品々も正雀に無造作に置かれているだけのようですし、
北大阪急行や能勢電なども含めた保存・展示施設が必要ではないかと
思いますね。趣味的には阪急バスとかも一緒にやれば良いかと。

456: 板主:2019/08/16 07:28 No.991
昨日はテレビがほぼ一日中、台風情報一色でした。
一昨日14日の新大阪駅からの中継だと、先週土曜日に行った際にはお休みして
いた券売機も稼働していました。混雑が激しかったからかも知れません。

それにしても台風情報などでマスコミがJR西日本の路線名を出すときは、
どうにかならんものかと思いますねぇ。NHK大阪は4月から愛称に切り替えた
と言っていたけど、全国向けの放送だったからか正式名での表示も多かったし、
かと思えば正式名と愛称が混在しているときもあったし・・・

関西本線の加茂以東や福知山線の篠山口以北などは、愛称の区間には入らないので
正式名での放送になることは分かっていますが、そうじゃないときでも曖昧です。

民放も同じです。同じ局でも番組によって異なった表記があるなど統一されていません。
これらは視聴者や乗客の混乱を招くだけです。

457: 板主:2019/08/16 07:29 No.992
・台風や人身事故の時に例えば、大阪〜京都で停まっている場合は

東 海 道 本 線 :大阪〜京都
(愛称:JR京都線)

・姫路〜京都で停まっている場合は

東 海 道 ・ 山 陽 本 線 :姫路〜京都
(愛称:JR神戸線・京都線)

・福知山〜大阪が停まっている場合は

 福 知 山 線 :福知山〜大阪
(篠山口以南の愛称:JR宝塚線)

などという表記にでもしてもらいたいですね。

福知山線が尼崎までなのは分かっていますが、湖西線が実質的に京都まで、
奈良線が実質的に奈良まで行っているのと同じで「大阪」表記で良いと思います。

458: 名無し:2019/08/16 08:59 No.993
東海道新幹線
東京ー新大阪 折り返し運転
も、違和感ありでした。
新大阪までで当たり前ですよね。

459: 板主:2019/08/17 09:31 No.994
「東海道・山陽新幹線」という形で表現しているのであれば、
東京ー新大阪 折り返し運転でも良いですが、東海道新幹線だけであれば
おかしいですね。

先日のような状況だと、山陽への直通列車は運休、または新大阪までの
運転に変更、などと言えば良かったと思います。

昨日の21時台のニュースでは外国人観光客が足止めを食らった話をやっていましたが、
言語も地理も満足に勉強せずに日本に来て、案内が不十分だったとか、英語での説明
がなかったとか言いたい放題言っている人がいましたね。

460: 板主:2019/08/17 09:32 No.995
日本では駅などの掲示類や交通事業者のHPでは、英語や複数の言語での表記が出来る
方が多いなど、配慮は行き届いていると思います。自分は事前の勉強をせずに困って
いる人たちにまで至れり尽くせりな社会は必要ないと思います。自己責任や何でも訴
訟で解決するというスタンスの国から来てこれかよと思ってしまいます。それと貴方
は何のためにスマホを持っているんだとも思います。

大阪駅や新大阪駅の「うらの白いきっぷ」の通路も、ほとんどが外国人のための案内
所と化してしまい、本来の業務が出来なくなっているような感じがします。路線を複
雑に経由する乗車券は、路線名を多数表記するために券が細長くなり、有人通路を通
らざるを得ないのですが、通りたくても待たなければならないことも多くなりました。

日本に来る外国人の数はこの数年〜10ほどで急激に増えていますが、日本側は必要な
情報を様々な形で提供しているのに、外国人側の不勉強やマナーの悪さから来る問題
の方が目につくように思います。河原町や烏丸も本当に外国人が多く見られます。

461: 板主:2019/08/17 09:52 No.996
河原町駅では大阪地下鉄までの切符を買う外国人に分かるように
下記のような外国人向けのカードサイズの紙が配布されています。

1、INSERT MONEY(紙幣、券売機の投入口、硬貨の写真も添えてある)
2、大阪地下鉄 PRESS THE BUTTON
3、PRESS THE BUTTON
580 630 680 720

地下鉄のボタンを押さないと、580円(阪急400円+地下鉄1区)とかは出てきませんからね。

時代も人数も違うかも知れませんが、万国博覧会の時は阪急では標識板の車両しか
いませんが、標識板にローマ字を添えているくらいしか配慮をしていないけど、
それでも特に問題はなかったのではないでしょうか?

情報が多すぎ、馬鹿丁寧すぎることが、かえって人間をズボラにしているのかも知れません。

462: 名無し:2019/08/18 06:55 No.997
>>453
ありがとうございます。

済生会病院、なつかしいですね。
阪急のガード付近の南西側に
ありました。
済生会病院前というバス停が
ありましたね。
鉄筋ながら風格ある建物でした。
当然、現在は立て直されているのでしょうね。

463: 板主:2019/08/18 08:53 No.998
正面玄関にある建物は昔から使われているものだと思います。
それ以外の白い建物などは、ずっと後の時代に建設されたものではないでしょうかね。

昔々は阪神電車の路面電車も走っていました。阪神の路面電車と一般の路線は杭瀬で線路が繋がっていました。
更に前の時代は野田でも繋がっていたようですね。大阪市電との接続はなかったようです。

甲子園で高校野球があるたびに、甲子園線や武庫川線の廃線区間(西ノ宮〜甲子園口〜武庫大橋〜武庫川)も
今でもあればよかったのになあと思います。

464: 板主:2019/08/18 09:47 No.999
1991年頃に甲子園まで自転車で行きw、帰りに武庫川線の廃線区間などを見てきましたね。

以下は再掲です。
かつて関西にあった標準軌のネットワーク(社名は現在の社名で記載)
1)山陽~神戸市電~阪神(国道線)~阪神(本線)~阪急(能勢電含む)~大阪市電~阪堺
2)叡山~京都市電~京阪(大津線)~京阪(京阪線)~近鉄(標準軌)
3)京福~愛宕山

※1)に関しては、すべてが同時代に接続されていたかどうか不明です
※大阪市電と京阪は平面交差していたが、車両の行き来は不可能だった
※京都市電と京福も平面交差していたが、車両の行き来は不可能だった

大阪市営地下鉄は車庫や工場内も含め、市電との接続はなかったようです。

465: 名無し:2019/08/19 08:42 No.1000
中津付近で思い出すことに、
阪神北大阪線があります。

当時、海老江に親戚がいて、
阪急から中津駅で乗り換えて、
行きました。

夜間が多かったのか、今なら即座に
クレームが出そうな薄暗い室内灯が
記憶に残っています。

しかし、ムーミンの顔のような
国道線用の流線形車両は北大阪線には
入っていなかった気がします。

466: 板主:2019/08/20 07:16 No.1001
バスだとフロントガラスに車内の様子が反射するので、
夜でも薄暗い照明で走っていますけど、それと同じ感覚なのでしょうかね?

天六の交差点の西側は、今でも阪神北大阪線が乗り入れていた名残かも
知れない、何となくゴチャゴチャとした感じが残っています。

467: 名無し:2019/08/20 19:46 No.1002
なるほど。
今は室内灯を暗くしないとダメなんですね。

当時は外に反射など考えもないことで、
電球が埋まった丸い電灯が薄暗く光っていました。

北大阪線には「海老江下」、国道線には
「海老江上」という電停があったような。
逆かもしれません。

電停といっても、路面のかさ上げはなく、
車両側の出入り口からペロッと折りたたみ式の
階段が出てきました。

468: 板主:2019/08/21 07:29 No.1003
照明の照度に関してはあくまで自分の推測なので違っているかも知れません。
尼崎市内とかでも安全地帯とかではなく、完全な地べたから乗り降りしている
ような様子を、昨今のテレビで見たような気がします。

469: 板主:2019/08/21 07:40 No.1004
昔を振り返るテレビを見ると、昭和42〜43年頃までは白黒で、
43〜44年頃以降はカラーの映像が多いですね。

万博の映像は殆どカラーですが、現・テレビ東京は白黒ばっかりです。
お金がなかったのかも知れません。

テレビが完全にカラーに移行するのは昭和40年代後半頃ですので、
万博はお金をかけてでもカラーで残したのかも知れません。

フィルムならば前からカラーも存在していますが、業務用のビデオ
テープは1本の価格が自動車1台分に相当したと聞きます。だから、
昔の番組はどんどん上書きされて残っていないケースが多いです。

大阪市電は昭和44年3月31日、神戸市電は46年3月13日くらい、阪神路面電車は
50年5月6日くらい、京都市電は53年9月30日に廃止されていますが、
どれも現役時代をカラーで撮影したテレビを見ています。

470: 名無し:2019/08/21 18:55 No.1005
>>447
2100系は、60km/hほどでも電動車が
振動していたのを覚えています。
十三・三国間で快速?していました。
2108や2110に乗っていたのでしょう。

471: 名無し:2019/08/21 20:04 No.1006
惰行時のWN継手から来る振動ですね。2000系では85~90km/h位で良く車体が共振してました。2300系は撓み板接手なので振動はなかったです。

472: 板主:2019/08/22 08:14 No.1007
過去に見たことがあるページで、「2000系は高速になると独特の振動がして
2000系に乗っているなあという気分になったものです」と書かれていました。

京都線運用の2000系は走行時に発する音が大きく、2300系とは明らかに違って
いたというお話も聞いています。

473: 板主:2019/08/23 04:50 No.1008
高校野球では履正社が優勝しました。
曽根が最寄り駅ですが、阪急で構内踏切が残っていたのはここが最後でしたかね。
黄色いトゲトゲが思い出されます。

自分が本線運用の1010・1100系に乗った最後は、昭和61年1月14日頃に
曽根から十三まで乗った時かと思います。親がアクア文化ホールに忘れ物を
したのに気づいて改札を出してもらい、本当だったら5100系2丁パンタ車に
乗っていたはずが、何本か後の列車になったためです。運転台撤去部分に乗りました。

474: 名無し:2019/08/23 21:42 No.1009
8月24日で1969.8.24日に宝塚線が
1500V昇圧されて50年になります。
当時を思い出して感慨深いです。
同年9月21日調べ、宝塚線所属車両(再掲)です。

6連
928 930 932 933 944 2077 2081 2084 2087
7連
1020 1030 1034 1110 1111 1112 1113 1114
1201 1202 2152 2156 2161 3050 3052 3054
3056 3062 3064 3066 3068 3070 3150 3152
3154 3156 3158 3160

3003 3551 3502 3054 と能勢電3170F(元3156(4))が
なんとか現役ですね。

475: 板主:2019/08/25 07:30 No.1010
番号の上で2100系以降の車両たちはほとんどが2010年代まで活躍
しており、改めて阪急の車両は息が長いと思いますね。

1000系列は30年前後と短かったですが(お書きの1030は能勢に行きましたが)、
920系も戦後製の車両を除けば、ほとんど40数年活躍したかと思います。

476: 板主:2019/08/25 07:41 No.1011
Wikipediaの1010・1100系の項目では、神戸線の昇圧に先立って1500V専用に改造された
車両は、試運転を京都線で実施し、昇圧までは正雀や桂で待機させ、神戸線の昇圧後に
改造された車両は宝塚線所属車も1500Vの神戸線に転用し、代わりに即応車の3000系が
600Vのままの宝塚線に入ったので、一時的に全車が神戸線所属だったと書かれています。

お書きの情報は9月21日ということですので、ほぼ1ヶ月で8本もの1010・1100系が
神戸線から戻って来たと言うことになるのでしょうか。

477: 名無し:2019/08/25 17:30 No.1012
>>476
そういうことになります。

8月末頃には1010/1100系がどんどん宝塚線に復帰、
3000系や2000系などが次々に神戸線に戻っていきました。
以前にもカキましたが、6月末頃からほぼ2か月の間、
1010/1100系は宝塚線から姿を消していました。

この時期、神戸線では、1010/1100系の特急など
優等運用も頻繁に見られたということです。

478: 名無し:2019/08/25 17:34 No.1013
>>473
小生が定住していた1983.3末の時点で、
1108 1113 1114 1115 1116
の5編成が本線に残っていました。
したがって、約3年後の'86.1.14に
最後に残っていたのは、おそらく
冷改編成の1108 1113 1115 のどれか
だったのでは、と推定されますね。

479: 板主:2019/08/26 08:01 No.1014
大変有り難うございます。

他の昇圧対象形式でも昇圧前後の時代には変則的な動きをしている車両も
いたのでしょうか。

昭和61年は1010・1100系が最後に本線運用を行った年でしょうかね。
昭和62年の具体的な記憶はありません。昭和63年だと1026と1106だけに
なっていましたが、上半期にはまだ他の編成がいたかも知れません。

曽根から乗った編成は、運転台撤去部分の乗務員ドアが埋め立てられて
いたように思いますので、1113F以外の2本ではないかと思います。

480: 板主:2019/08/26 08:17 No.1015
阪急で活躍する最後の1010・1100系を生で見たのは、平成元年2月25日
土曜日かと思います。この前の日は大喪の礼で休みでした。

西宮北口から十三に行くのに塚口で途中下車し(改札内ですが)、
伊丹線ホームにいる車両を見たのが最後かと思います。

2001年に正雀に来た能勢電1001Fの車内には入っています。阪急とは逆に
狭い貫通路にアダプタを付けて、広い幌を受け付けているのを見ています。

あのアダプタは阪急から譲渡された物なのか、能勢電で用意した物なのか
気になっております。

481: 名無し:2019/08/27 13:49 No.1016
>>471 472
振動といえば、原因は異なっていたのでしょうが、
1011 1013 1015 1023 Mc'車の振動が思い出されます。
ブレーキシューが「かむ」状態以外に、車体自身も振動
していたような。
1019号については、宝塚線でほとんど先頭に立つことがなく、
その記憶はありません。

482: 板主:2019/08/28 08:29 No.1017
自転車でも(特に前輪に)ブレーキをかけると
ガクガクガクってなるような?

梅田方面から淡路駅に入線する電車は、なぜか小刻みに震えることが
あります。路盤の関係でしょうか。

1019は今津線では先頭に立っていましたよね。

483: 板主:2019/08/28 08:37 No.1018
平成元年2月25日土曜日は大雨でした。

十三から西宮北口間の特急は私のお気に入りであった
5230-2882-2091-5240+5231-2057-2052-5241の2057に乗りました。
一番早く生まれて、去年くらいまで走っていました。

今津線で7000系に乗ったと思いますが、仁川付近の鉄橋の上では
空転しまくって、スピードメーターが一瞬80キロくらいまで上がった
ように記憶しています。

塚口で見た1026Fは雨に打たれて、つるんとした額が輝いていました。
運転台撤去部分は照明などが塞がれて、何か物悲しい雰囲気がしていました。

484: 名無し:2019/08/28 17:51 No.1019
>>481
1019号は宝塚線でも先頭でした。
すみません。頭の中で1021号を
イメージして混同していました。

1019号は特殊な台車の関係からか、
あまり振動の記憶がありません。

>>482
淡路駅周辺は最近、工事のごちゃごちゃが
かなりすっきりしてきた印象ですね。
高架の橋上にメイン工事が移ったのでしょうかね。

485: 名無し:2019/08/28 20:25 No.1020
1018-1019の台車(住金FS320:アルストム式)と1020-1021(汽車KS52:シンドラ式)は阪急初の空気バネ台車でしたね。
FS320はボルスタアンカ追加や、空気バネをベローズ式からダイヤフラム式に変更するなど多々改造されています。

486: 名無し:2019/08/29 16:25 No.1021
>>479
1108F 1115Fとも冷改や更新されて
とてもきれいな編成でした。

中間化された車掌室に運転室跡、それに
中間化されていない部分の車掌室など
一般乗客が立ち入れる「個室」が1編成で
10か所もありましたね。

1108-1158-1109-1159+1104-1154-1103-1153
1115-1165-1145-1195+1032-1033-1036-1037
だったと思います。

1108Fの宝塚側4連ユニットは2扉時代の座短関係で
このようになっていました。

487: 名無し:2019/08/30 09:30 No.1022
>>486
1102-1152-1105-1155
1104-1154-1103-1153
長年の謎が、氷解しました。
そういった理由で、上記組成に落ち着いたのですね。
当方物心つく頃の1010・1100系は、今津線の6連3本以外は全て宝塚線に集結していた時期で、知る由もありませんでした。

1112-1162-1142
1117-1167-1147-1192
もう一点謎なのですが、C#1192が末尾揃わない組成で固定編成を組んだのは、どのような経緯があったのでしょうか?

488: 名無し:2019/08/31 08:32 No.1023
>>474
'68.9.21宝塚線一覧で、
820(6)が抜けていました。
また、1202(7)は、
1202-1232-1252+818-868-819-869
という編成でした。

489: 名無し:2019/08/31 11:07 No.1024
>>488
年月日が、正しくは'69.9.21でした。
度々申し訳ありません。

490: 板主:2019/09/01 08:34 No.1025
>>486
自分は1010・1100系は宝塚本線での活躍が最も印象深く残っており、かつ
ご指摘のように2連ばかりを4つ繋いだ8両が最も思い起こされます。1000形を
含め90両いた面々で、完全中間車は1050形の数両しかいませんでしたからね。

1113Fを除く冷房改造車は、アルミサッシ化されるなどして1000系列の中では
最も近代的な姿に改造されましたね。

>>488
自分は810系と1200系の混合は写真でしか見たことがありません。
一時的な措置で長く見られたわけではないという話も聞いています。
1200系側に1350形が編入されてた3形式混合もあったようですね。

491: 名無し:2019/09/01 08:49 No.1026
>>487
私も1147-1192固定はずっと謎でした。
487氏を受けて古いメモを見直してみました。

'67(S42).7.28に1142が1両になって走り出しています。
それまでは、
1142-1192+1108-1158+1109-1159
が基本編成だったと思います。
しかしその後、'69(S44).の昇圧前後まで
めまぐるしい変化が続きます。
昇圧のユニット固定化に備えて、数々の
試行的な編成替えだったのかもしれません。

1192号については、上記の7.28以降
宝塚線では記述がありません。
単独で神戸線へ移り、もしかすると
1147号と組んだのかもしれません。
1147号についても、この時期宝塚線
にはいなかったようです。
ただ、1190 1193などは'67.12.5に
正雀へ移動し休車となっていますので、
1192号も休車かもしれません。

1147-1192を宝塚線で確認するのは、
昇圧直後の'69.9.5で、
1020-1021-1147-1192+1018-1056-1019
の編成でした。

487氏にある 1117-1167-1147-1192 になるのは、
'79(S54)頃になってからのようですね。

492: 板主:2019/09/01 09:17 No.1027
>>487さんのご指摘についてご解説有り難うございます。
自分にはここまで詳細な解説をすることは不可能です。

>>484-485
シンドラ台車は京都線の2814Fでもそうでしたが、他の台車を履く
面々とは乗り心地も音も違っていました。

投稿日時右の赤い数字が懐かしい番号になってきましたね。

493: 名無し:2019/09/03 16:21 No.1029
大阪周辺に大きな被害をもたらした
台風21号から1年になりますね。
かなり伐採された例の猪名川東南サイドの
一角の鎮守の森も、それなりに回復して
茂みが戻っていますね。
何かホッとさせられます。

494: 名無し:2019/09/04 17:09 No.1030
>>491
昇圧前後の貴重な詳細な記録、興味深く拝見させていただきました。
昇圧は私が生まれる直前です。
昇圧改造時期は、目まぐるしい編成替・移動があったのですね。
少し、謎が解けました。
ひと昔前の阪急は編成内で車番末尾を揃える傾向がありましたが、1147-1192は子供心にも異質な存在で、40年経った今でも記憶に残る編成です。
ありがとうございました。

鉄道ピクトリアル昭和53年特集号で、宝塚線1020×7の記載を見た事があります。
1020-1021-1147-1192+1018-1056-1019
昇圧後、約10年同じ編成で宝塚線所属だったのでしょうか?
幼少期宝塚線沿線在住でした。
編成替後の8連の姿は辛うじて記憶しています。
1117-1167-1147-1192+1016-1017-1024-1025

495: 板主:2019/09/05 06:44 No.1031
1020Fの7連は神戸線でも走っていますね。
昭和49年の写真ですが下記をご覧下さい。アドレスの先頭を削っておきます。
rre.at-ninja.jp/prvrm/hkr7/hkr71.htm

1117Fは保育社の本で準急として曽根に差し掛かる
写真が出ているかと思います。

496: 名無し:2019/09/05 17:32 No.1032
>>492 494
ありがとうございます。
古い私的メモなのですが、関心のある方々に
少しでも意味あるものになり、うれしいことです。

1020Fについても、調べなおしてみました。
'69(S44).9.5から翌'70(S45).1.11まで宝塚線、
しばらく不詳(おそらく神戸線)の後、同年3.15より
宝塚線、しかし同年4.14に転出、5.5に仁川臨急、
5.13にエキ直(神戸線運用)などを確認、
6.14に1020-1021-1147-1192のみが転入、
箕面線で使用されています。
6.24には1020(4)+1111(4)の8連で使用されています。
これは既出の1111号扉故障に伴うドタバタと
関係あるのかもしれません。
7.7には1020(4)+1034(3)の7連で走っています。
7.17に1020の4連が上り回で神戸線へ。
その後しばらく、6年ほど神戸線にいて、
'77(S52).3.3から宝塚線で走り出します。
長くなりますので、一旦ここで切ります。

497: 名無し:2019/09/07 09:03 No.1036
>>496 続きです。

1020F 7連は、'77(S52).3.3以降宝塚線にいて、
'78(S53).3.23まで確認しています。
'79(S54).1.に神戸線所属として、
1020(6)のOHをメモっています。この時点で、
1020-1021-1148+1018-1056-1019 と
なっていたと考えられます。

一方、'79(S54)7.14に宝塚線所属として
1117(4)のOHをメモっています。
この時点で、1117-1167-1147-1192 と
なっていたものと考えられます。

私は1117先頭の宝塚線記録は見当たらず、
(もちろん保育社の写真は知っていますが、)
'80(S55).10.には
1116-1050-1166-1146+1117-1167-1147-1192
となっています。

498: 名無し:2019/09/08 16:00 No.1037
>>473
地上時代の曽根駅も特徴ある駅でしたね。

駅構内の踏切やすぐ北側に長い踏切が
ありました。
本線と両側線をまたいで歩くと1分ほど
かかったのではないでしょうか。

すぐ西側は谷地形になっていて、
急な下り坂だったと思います。

高架後は何の変哲もない駅になって
しまいました。

499: 板主:2019/09/10 08:04 No.1038
京都線の1000系列はわずか28両(のちに26両)しかいないのに対し、
神宝線の1000系列は110両(のちに112両)もいて、様々な変遷を経て
いるので非常に興味のあるところです。

1140番台のうち相方のいない車両や1050番台が差し込まれたりするのが、
複雑さに繋がっているようにも見えます。

500: 名無し:2019/09/10 13:58 No.1039
>>496 497
私の記憶にある最初期の姿が8連×9本の比較的整った(?)編成を組んでいた時期な上、昭和40年代の編成資料を目にする機会が現在までほぼ皆無でした。
1140型に関しては昇圧前は梅田寄先頭、昇圧改造後は、
1110-1160+1140(+1190)
で6~8連の梅田寄りに組成、と単純に想像していました。
昇圧直後だけでも、目まぐるしい編成替があったのですね。
車両故障や万博も影響しているかもしれないという事も、わかりました。
1020Fについても、箕面線運用や、非空気バネの1111Fと組成していたり、驚きの連続です。
私が生まれる直前の動向で、とても興味があります。
お手持ちの貴重な資料を紐解いでくださり、感謝しております。
改めて、ありがとうございました。

1116×8も懐かしいですね。
C#1192が先頭に出た衝撃、忘れられない思い出です。
編成替前も、1000系が組み込まれていたり、運転台+非運転台の連結部があったり、興味をそそられる編成でした。
1116-1050-1166-1146+1012-1003-1002-1013

501: 名無し:2019/09/12 11:31 No.1040
501 までいけるでしょうか。

昨日また京都線車両に落雷が
あったようですね。
何年か前は、8302Fでしたっけ。

当然、現在も避雷器があるのでしょうが、
目立たないですね。

1970年代頃、パンタグラフ近くに
円筒型の避雷器が順に設置され、
よく目立ったものです。

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