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無題
安茂井 投稿日:2015年10月24日 23:55 No.288
初めまして。安茂井と申します。
2年ほど前からこちらのサイトを拝見していました。
今回の旅行記も続きを楽しみに読ませてもらっています。

今、私は北海道旅行の道中です。今日は釧路から普通列車で網走を経由して旭川までやってきたのですが、乗った列車はどれも惨憺たる乗車率でした。

ご存知だと思われますが、北海道では次の改正で普通列車の大規模な削減が執行されます。実情を鑑みて致し方ないとしても、これに手を付ければ後戻りはできないでしょうから、行き着く先は路線そのものの廃止でしょう。
なので後悔することの無いように片っ端から乗り倒そうと思っています。
貫通扉さんは路線や車両にあまり執着せずに旅行を楽しんでいるように見えるのですが、乗れずに惜しんだものは何かありますか?
私はふるさと銀河線です。
今の道東は一本道ですから。ちょっとつまらないですね。


Re: 無題 貫通扉 投稿日:2015年10月26日 03:59 No.289
管理者用安茂井さん、はじめまして。66.7‰へようこそお越しくださいました。
掲示板への書き込みは今回が初めてのようでありますが、当サイトを以前から継続してご覧いただいていることを大変嬉しく思います。最新の旅日記「心燃え滾る西日本攻略大作戦」は、ただいま鋭意制作中ですので、今しばらくお待ちください。

釧網本線と石北本線、どちらも普通列車が大いに賑わう路線とは言えません。青春18きっぷの時期であれば・・・と言いたいところですが、重要なのは、やはり「普段の乗車率」です。特に何もない時期の乗車率こそが、その路線の本質を描き出します。
来年の春のダイヤ改正で行われる普通列車の削減は、キハ40系などの車両の老朽化も理由のひとつとなっていますが、何よりもの理由は、やはりその低乗車率にあります。

列車本数削減の対象になっている地域の現状と未来を考えれば、人口が増えて列車の利用客も増えて列車を増発して・・・という流れになることは、まずありえません。利用客の減少→減便を繰り返していけば、いずれは廃線に辿り着くことは必然の成り行きです。
留萌本線の留萌~増毛間の廃線はほぼ確定ですが、札沼線の浦臼(北海道医療大学)~新十津川間、石勝線の夕張支線なども怪しそうです。更に長期的に見れば、根室本線の厚岸~根室間なども候補に挙がってきそうな気がします。

私は、「JR線の全線乗車」をこの鉄道趣味における最大の目標としているため、旅を計画するにあたっては、いかにして未乗車の路線を乗るか、ということを一番に考えています。
車両や列車に関しては、多少のこだわりや執着がありますが、路線に関しては、執着心は限りなくゼロに違いです。
例えば、「2014年5月に江差線の木古内~江差間が廃線になる」ということを知ったときは、不謹慎ながら、「今から乗ったところで、どうせその乗車記録は無意味なものになる。そこが廃線になれば、乗るべきところが減り、JR線の全線乗車への道のりが少し楽になるから、まあいいか」とさえ思いました。
それゆえ、2014年1月~2月の北海道旅行においては、江差線の木古内~江差間の廃線が迫っているときに行った旅でありながら、同区間を完全に無視しました。

乗れずに惜しんだもの・・・と言えば、私にとっては、何といっても寝台特急富士・はやぶさ号です。
両列車は2009年3月のダイヤ改正で廃止されましたが、2009年夏の旅の行き先が九州であっただけに、「なぜ、その旅を2008年にやらなかったのか」「なぜ、”旅”に関係なくとりあえず乗るだけ乗ってくるということをしなかったのか」という思いに今でも苛まされています。
東海道・山陽本線を走破する最後のブルートレイン、九州へ行く最後のブルートレイン、東京駅を発着する最後のブルートレイン・・・など、富士・はやぶさ号が背負っているものは数多くありました。つくづく、どちらにも乗れなかったことが悔しくてしようがないです。

もっとも、富士・はやぶさ号廃止当時の私は中学1年生でした。思考力はあらゆる点において未熟でしたし、事前の計画もなくいきなり富士・はやぶさ号に乗ってくるだけのお金を引き当てることも不可能でした。あと5年とは言わないまでも、2・3年ぐらい早く生まれていたらどうなっていただろうか・・・、とも思ってしまいます。

ふるさと銀河線が残っていれば、根室本線と石北本線を短絡する路線として、北海道の旅をより面白くする存在になっていたでしょうね。
元を辿れば国鉄池北線。北海道では、第三セクターへの転換によって普通鉄道として生き残れたのは、この池北線だけでした。引き継がれることもなくそのまま廃線・バス転換になってしまった北海道の数多の路線が、今でもJR・第三セクターで存続していたら、北海道の鉄道旅行はどのようなものになっていたのでしょうかね。




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